社会福祉関連

「東京都社会福祉協議会と社会福祉のこの10年」への寄稿文

希望ある明日に向かって歩むぞメッセージ

 私は現在、3歳の娘の子育てをしながら、特別養護老人ホームの生活相談員をしています。コロナウイルスの流行で面会制限が続く中、どうしたら大切な人達との繋がりを分断させないようにできるのか、それでも肉体に訪れてしまう最期の別れの時・・・援助者に何が出来るのか自問自答の日々です。仕事人としても、母親としても、心が折れそうな瞬間が何度もありました。

 今回、市川先生にお声を掛けて頂いたとゼミの仲間より伺い、恥ずかしながら先生の研究室ブログを初めて拝見しました。そこには、環境は異なっても、それぞれの場で励まし合い、発信し合うルーテル卒業生・先輩方のメッセージが溢れていました。感動しました。私は1人ではない、ルーテルという帰る場所がある、と大きな力を感じました。援助者だって揺らいで当然、清濁合わせ呑んで、それでも向き合ってやる!と気持ちが吹っ切れました笑笑

 今、皆様それぞれが、仕事・家庭・学業など様々な環境で困難の中、奮闘されていると思います。皆様の幸せを祈ります。この出会いに感謝します。市川先生、天国におられる石川久展先生ありがとうございます。いつかまた元気で皆に会えますように。N.Sato

希望ある明日に向かって歩むぞメッセージ

2019年度入学式 存在保証

「私は、ここにいます。」

 新入生の皆さん、ご入学おめでとうございます。私たち教職員は、皆さんの学びを支援し、それぞれが成長していくプロセスを応援していきたいと思っています。

 さて、今日、大学の構内を歩きました。サクラが満開に咲き、皆さんを迎えていました。そして、たくさんの種類の花も咲いていました。群生で咲いている花もありましたが、一輪、もしくは数輪で咲いていた花もあります。いずれも、「私はここにいます」というメッセージをはなっていました。

 今日お話しする「私はここにいます」という意味を、私は3つ考えています。第1に困難に直面する人と共に歩むこと、平和を求めることは、私たち自身の存在を宣言することであり、第2に、自分らしく生きることは、相手の生き方を認めることであり、第3に私たちが生きてゆく道を神様が守って下さる確信を持ち続けることです

 私は、昨年の5月に、「国連の「世界孤児の日」制定運動の趣旨に賛同いたします」という文書を作成しました。その文書の背景には、「孤児の母」と言われた田内千鶴子(タウチチズコ)氏の働きがあります。韓国でもっとも長い歴史をもつ共生園は、1928(昭和3)年に、ユン・チホ伝道師が、韓国南西部の木浦(もっぽ)の小川橋の下で寒さに震えている7人の孤児の子どもたちを発見し、家に連れてきて一緒に生活をしたことから始まりました。その妻である田内女史は、共生園を守り、3,000人の孤児を育てました。この応援メッセージは、「孤児の母」と呼ばれた田内女史の息子であり、在日高齢者等へのホーム等を運営する尹基(Tauchi Motoi)理事長の活動を応援をするものです。

 世界のいたるところで、戦争や内紛、テロが起こり、たくさんの命が失われています。また、伝染病や環境の不衛生に起因する疾病、地震や大規模火災等の自然災害による被害で命を失ったたくさんの人々がおられます。経済危機による飢餓や極度の貧困に直面している人々は、莫大な数にのぼります。これは、特定の地域にとどまらず、国や、近隣諸国を包み、世界規模で多くの市民も巻き込んで進んでいます。

 これらの結果、もっとも弱い状況にある子どもが、大きな被害を受けています。父、母や近親者等の今まで育ててくれていた家族を失い、貧困に陥り、また住む家を失い、生活の危機、心の危機、生命の危機に直面するなどの子どもの数は1億5千万人を超えるとする報告もあります。日本においても虐待によって命を失う児童は、毎年、数十人を数えます

 だからこそ、私は、誰もが神様から祝福されて生まれたのであって、「おめでとう」と言い続けたい。そして、私たち自身が、祝福されて命を与えられたという事実を忘れてはいけない。「私はここにいます」とは、第1に、「0か100では無く、その間には1から99の方法」があるのであって、自分が選んだやり方で、子供たちを支援すること、平和を求めることは、私たち自身が存在を認められ、未来に向かって生きていくという宣言でもあるのです。

「私はここにいます」の第2の意味は、自分らしく生きることは、相手の生き方を認めることですだと言うこと。いつも迷いや不安が私たちの歩みを遮ります。今必要なことは何か、何ができるのか、たくさんの疑問でアップアップです。そのような生き方をしている私たちに、アドバイスをしてくれた有名人がいます。イチローです。引退試合が終了した後に開かれた記者会見での発言の一部を紹介します。

「人より頑張ることなんてとてもできないんですよね。あくまでも、はかりは自分の中にある。それで自分なりにはかりを使いながら、自分の限界を見ながら、ちょっと越えていくということを繰り返していく。そうすると、いつの日からかこんな自分になっているんだ、という状態になって。一気に高みに行こうとすると、今の自分の状態とギャップがありすぎて、それは続けられないと僕は考えているので、地道に進むしかない。

すなわち大切なことは、自分としていかに生きていくかということ。ありのままの自分を誠実に受け止め、自分にはどのような力があり、可能性があり、同時に課題があるかを見失わないこと。自分を誠実に受け止めることは、同時に相手の生き方を認めることであり、そこに自分の成長があります。

最後に「私はここにいます」の意味は、私たちの生き方を、神が救って下さるという確信があることです。

イザヤ35章4節に立ち返ります。聖書には「心おののく人々に言え。「雄々しくあれ、恐れるな。見よ、あなたたちの神を。敵をうち、悪に報いる神が来られる。神が来て、あなたたちを救われる」と書かれています。この聖句は、私の恩師から頂いたものです。阿部志郎先生は、ご自分の戦争体験を通して、何とおろかか。権威に服し、考え、迷いもなく、行動を考えず、全く疑わず、恐れず、戦争を起こしたことに後悔している。若者が、考え、迷い、自分で選択して将来を決めて欲しいと思われ、この聖句を私に託されました。 

 神は、この聖句を通して、様々な困難に追い込まれている人々に、受けた災いをもたらした者に対する行動を宣言されました。神様からのメッセージと思います。「私はここにいます」の第3の意味は、「神が来て、あなたたちを救われる」と言われるように、私たちが生きてゆく道を神様が守って下さる確信を持ち続けることです

 繰り返しになりますが、「私は、ここにいます」の意味は、第1に困難に直面した人と共に歩むこと、平和を求めることは、私たち自身の存在を宣言すること、第2に、自分らしく生きることは、相手の生き方を認めること、第3に、私たちが生きてゆく道を神様が守って下さる確信を持ち続けることです。

 改めて、申し上げます、入学おめでとうございます。そして、皆さんが卒業する4年後、私は、定年を迎えます。一緒に卒業しましょう。

希望ある明日に向かって歩むぞメッセージ

我らの仲間、吉村誠司さんよりメールが来ました。「ご無沙汰しています。昨年はいろいろありがとうございました。今年もよろしくお願いいたします。
妻まき(旧姓 松浦)が働いているALSの方について、取材されました、毎日新聞転送します~~~」

皆さんにお知らせします。皆さん、懐かしい卒業生のまきさんの働きを覚えて下さい。

#自助といわれても:町から届いた冷酷な順序 ALS患者でさえ家族介護を求める行政の“誤解” – 毎日新聞[1]

第八期三鷹市介護保険事業計画検討市民会議による審議は終了しました。

2021年1月26日、第八期三鷹市介護保険事業計画検討第6回市民会議がzoomで開催され、パブリックコメント、および委員の意見の計画への反映について確認し、 参加委員の賛成をもって、報告書として完成しました。今後、健康福祉審議会、議会に提出することとなります。熱心に討議して下さった委員の方々、丁寧にまとめ上げた行政の方々に、感謝いたします。

希望ある明日に向かって歩むぞメッセージ

 思い返して見れば、長かったような短かったような一年でしたが、本当にこれまでにない経験をした一年であったことは間違いありません。
 いい意味では、コロナ禍にあったことで職員間の結束がたかまりました。お互いを信頼し、励まし合う雰囲気が増したと思います。これまでは他人の痛みや弱さを受け入れることが難しい場面でも、まずは相手を理解し、寄り添う気持ちがでてきたように感じます。また、いろいろなアイデアが職員のタレントを通じて出てきました。これまで当たり前だったことができなくなることで、みんなが頭を悩まし、考えてアイデアを出す場面が増えたことは今後の成長に繋がっていくと確信しています。反面、利用者様にはつらい毎日だったと思います。ご家族との面会ができなくなったり、外出して好きな食べ物が食べられなくなったり・・。行動の制限が精神的な面で最も影響が大きいと感じています。我慢することばかりではなく、みんなで知恵を絞って心のケアに努めていこうと話し合っているところです。
 高齢者が感染すると命に関わるといわれていますが、大阪では入院もすぐにできない状態が続いています。しばらく施設で待機しなければならないことを考えてシミュレーションも行っていますが心配はつきません。それでも命を最大限に守ることができるようにと、主によるお支えを祈り続けているところです。
 新しい年もルーテル学院につながる皆さんとこうしてお互いを励まし合い、支え合えるようにしていきたいですね!
                  るうてるホーム 石倉智史

希望ある明日に向かって歩むぞメッセージ

 卒業生の中島です。感染が拡大している中、皆さん大変な中にあるかと思いますが、守られるようにお祈りいたします。私が勤める特別養護老人ホームでは、一時期、面会の制限緩和の動きもありましたが、この再拡大を受けて慎重にならざるを得ません。幸いにも今のところ感染者は発生していませんが、皆さんご高齢で重症化リスクの高い方たちばかりですから、なんとしても食い止めていきたいと思っています。

 1年近くと長期化している中で、ご家族や親しい方と会えない辛さは計り知れません。最期の時が近いと思われる方などには面会をしていただけるようにしていますが、タイミングが合わないと、ほとんど会わないまま最期を迎えるという方もおり、何ともやりきれない想いになることがあります。オンラインでの面会も準備はしていますが、多くのご家族方が直接会いたいと、窓越しでも直接お会いになる面会を希望して来られます。ご家族との絆の深さや、直接会うことの価値をあらためて感じます。

 先日はクリスマス会を行いました。例年であれば多くのご家族を招いて賑やかに過ごすのですが、今年はご利用者と職員だけでした。職員は、そんな中でもできるだけ楽しい時を過ごしていただきたいと、いつも以上に張り切り、寸劇や二人羽織を行って、大笑いの時を持ちました。ご利用者の多くが来年のクリスマスを迎えられるかわからない方々です。「コロナが収まったら、、、」が口癖になり、いろいろなことを先延ばしにしたり、諦めたりしがちですが、今日できることを精一杯やり切ること、後悔しないようにしていくことの大切さを、これまで以上に説得力をもって受け止めています。「夕暮れ時に、光がある。」聖書ゼカリヤ書の言葉ですが、人生の夕暮れ時、つまり人生の最期の日々に光、希望があるように、今日できることを精一杯していきたいと思います。2020年12月24日 

            練馬キングス・ガーデン 施設長 中島真樹

希望ある明日に向かって歩むぞメッセージ

 ご無沙汰しております。実は小生、脳梗塞で10月16日から11月21日まで入院していました。脳幹の出血でした。医者からは全ての運動神経が通っているところで、出血がひどければ死ぬところだったといわれました。幸い極めて早く気が付き、コロナの中でしたがすぐ入院できたことで、回復し退院できました。右手の握力が半分くらいになり、右足が少し重くなりましたが、幸い日常生活に大きな支障はなく、現在は体力の回復と、日常生活を通じてのリハビリに努めています。大学院の授業も中断してしまいご迷惑をおかけし心苦しく思っています。

 理事長をしている東京聖労院の理事会や大事な会議にはオンラインで出席し始めました。100年前世界を襲った「スペイン風邪」は、当時の日本の人口5666万人の、およそ半数の2380万人を罹患させ、死者は10万8000人という凄まじいものでした。第一波が襲った1918年は東京聖労院の創始者たちが、前身の事業を開始した年でもありました。創始者たちの熱い思い、実践を100年受け継いでいる私たちは、新型コロナウイルス感染症にもしつかり対応し役割を果たしていきたいと思っています。

                ルーテル学院大学  名誉教授 和田敏明

希望ある明日に向かって歩むぞメッセージ

 私は今年の3月から保育園で0歳児クラスを担当しています。保育園では3密は避けられず、毎日子ども達のよだれと鼻水にまみれています。でも、子ども達は日々成長し、昨日できなかったことが今日はできるようになっています。そんな成長過程に関われることは本当に幸せです。私自身が至らなくて、あぁダメだなぁと思うこともたくさんあり、そういう点では毎日が勉強です。

 また、園長先生は大谷リツ子先生の1番弟子という不思議なつながりもあり、この職場もまた神様が用意されていた場所だと実感しています。さらに、この法人の理事には卒業生のGさんがいらっしゃって、私が職探しをしているのを知ってこの保育園を紹介して下さいました。ルーテルのつながりにも感謝です。                      木村 香織

福祉系大学経営者協議会勉強会

 2020年12月3日、zoomで、「with コロナ時代の福祉専門職の育成を考える」をテーマに勉強会が行われました。以下、報告いたします。