ルーテル学院大学の花便り(2019年3月14日)
投稿日 19年03月15日[金] 11:44 PM | カテゴリー: 大学関連
Ichikawa's Office
大学関連
卒業おめでとう。今日は、皆輝いている。君たちの輝きをエネルギーにして、「0か100ではない生き方」というテーマでお話ししたい。
この1年は、私にとつて、貴重な1年であったと思います。自分の生き方を問われる時で、神様から与えられた試練であり、み恵みであったことを確信しています。その経験を通して、まっすぐな一本の道を歩いていくことが、人生ではないと感じました。思いがけないことに直面し、それに適応しようとし、自分の歩みを再確認する。そして、今まで考えていたことが、必ずしも正解ではなかったことに気がつきます。歩みは、今まで同様に、蛇行すると思います。ただ、自分が目指すゴールを忘れず、希望を失わず、歩んでいくことを大切にしていきたい。
回復のために自宅で休んでいた時、私は、中村 裕氏(なかむら ゆたか)氏の挑戦を知りました。中村氏は、日本の整形外科の医師で、身体障害者のスポーツ振興をはかり、日本パラリンピックの父と呼ばれています。
中村氏が活動を始めた1960年当時をふりかえりますと、日本では身障者は「ベッドで寝て過ごすことが一番」といわれていた時代でした。「何か特別な手術などがおこなわれているのでは」と調査のため、英国のストークマンデビル病院へ派遣されました。しかし、手術など治療方法は日本と全く同じでした。イギリでは障害者がリハビリテーションの一環としてスポーツを行い、さらには社会全体で受け入るシステムが存在したことに強い衝撃を受けて、中村氏は帰国しました。また、ストークマンデビル病院のグットマン博士から、「何人もの日本人は帰る時も是非実行すると言って去ったが、一人としてその言葉を守っていない。」と言われました。日本の医療の壁は予想以上に厚かったのです。
しかし、帰国後、1961年、第1回大分県身体障害者体育大会を開催します。「障害者を見世物にするな」「あなた、それでも医者ですか」など多くの批判を受けたそうです。しかし、それを実現し、さらに1964年東京パラリンピック開催に奔走し、日本人選手団団長を務めました。日本の参加者は施設や病院暮らしの「患者」、それに対して西欧諸国の「アスリート」で結果は試合前から明らかでした。また西欧諸国の参加である障害者が日本で買い物に行く等、患者では無く、障害者というのではなく、一人の人間として、生活する姿は、大きな衝撃を私たちに与えました。日本人参加者は閉会式のとき中村氏に「働く場所をつくってほしい」と懇願したそうです。中村氏はそれに応えて、1965年に障害者の自立のための施設『太陽の家』を創設します。
中村氏が恩師と一緒に、『リハビリテーションー医学的更生指導と理学的療法』(南江堂)を出版しました。その中で、「日本医学は薬物療法、手術的療法にあまりに偏り過ぎているように思われる、これに心理的物理学的医療を加え、これを有機的に結合させ、疾病の治療に最大の効果を上げる方法を見出す努力がすなわちリハビリテーションである。」と言うと共に、「回診チームに、PT、OT、ソーシャルワーカー、養護学校の担当教師も加えて、障害をもつ一人ひとりに合ったもっとも適切な訓練方法を検討すべき」としました。その原点は、生きていく希望を灯すこと。(水上勉監修『中村裕伝』中村裕伝刊行委員会、三枝 義浩『太陽の仲間たちよ―身体障害者とある医師の挑戦』講談社( (KCデラックス―ドキュメントコミック) 1994年、『フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
この長い年月をかけた中村氏の挑戦は、当時の日本における常識としてきた障害者の生活に関する考えを、徐々に切り崩していきました。障害者の0か100でない生き方を、一人の人間として当然持つ希望を実現しようとする挑戦を認める社会を目指した取り組みでした。
障害者がスポーツをするという当たり前であることを宣言する大会は、パラリンピックです。2020年に開催されるスポーツの祭典であるオリンピック、パラリンピックを単なるお祭りに終わらせることなく、障害者が希望をもって生きていくことが可能な社会を実現することが求められています。
聖書に立ち戻ります。聖書 イザヤ書 43章4節・5節「私の目にあなたは値高く、貴く 私はあなたを愛し あなたの身代わりとして人を与え 国々をあなたの魂の代わりとする。恐れるな、私はあなたと共にいる。」と語られています。
「あなた」とは、霊的に理解力なく、主の計画を実現することができず、沈黙しており、罪深い人を言います。(ティンデル聖書解イザヤ書訳者鍋谷・橘内 著者アレック・モティア)。そもそもこのイザヤの時代とは、アッシリアとバビロニアによる世界制覇が始まった時代です。かつての支配者エジプトは、衰退しつつあり、北からの勢力が拡大を始めました。アッシリアは、抵抗する者を皆殺しにし、町や村を破壊し尽くし、その指導者層を連れ去り、捕虜としました。この困難な中にある、ここで言う「あなた」に対して、安全を与えるのです。「あなたの身代わりとして人を与え」とは「救い主」を言います。そして、「恐れるな、私はあなたと共にいる。」というメッセージを送り続けておられる。私は、2007年の入学式(生命の鼓動)でも、2012年の前期卒業式(「おめでとう」ではじまり、「ありがとう」で終わる人生を)でも、この聖書の箇所を用いました。しかし、今回の結論が違う。今回は、自分の経験と重なります。
繰り返しになりますが、11月に病院に入院し、また完全な回復に時間がかかりますが、その分、自分の生き方、私が目指していく信条を学びました。また、超多忙な生活を離れ、今まで気がついていなかった家族の支え、学生や卒業生への思い、友人や関係者の大切さを学ぶことができました。その経験を念頭礼拝で「悲しみよありがとう」というテーマでお話ししました。
当たり前に思ってきたことが、実は正解ではなかった。中村氏と同じことをする力は、私にはありません。しかし、出会いを大切に、その出会いから学んだことの実現を目指し、挑戦してきたという姿勢を大切にしたいと思います。それぞれには、それぞれの可能性がある。そして、解答は、様々です。
生きるということは、0か100ではない。すなわち、まったく何もしないことを0とする。これに対して生きていくために最大限の努力をして成果を上げることを100として考える。その2つしか選択肢がないのは、これはあまりに短絡的。目標が困難になったら、目標を諦めるのではなく、目標を広げればいい。そして目標に向かう生き方には、1から100までの選択肢がある。君たちには君たちらしく、自分が望む道を歩いていってほしい。今日をもって友と別れることは寂しい。しかし、その寂しさは、信頼が根底にある。ならば、必ず勇気にかわる。今日は、皆を支えてくれた友人、家族にお礼を言おう。そして、それを神様が、じっと見守り、支え、守って下さるということを心にとめ、歩んでいってほしいと思います。
卒業おめでとうございます。
投稿日 19年03月08日[金] 9:24 PM | カテゴリー: 大学関連
長年、同講義を担当させて頂き、各職員の方々が直面する課題について知ることができます。それは、各市町村の状況が異なり、一律に議論する事はできないことを学んでいます。
しかし、だからこそ、私は、各市町村が直面する生活課題を把握する視点を示し、政策動向を説明し、各地の活動を紹介しています。そして、私が考える地域をお示ししています。私の講義を通し、それぞれの市町村にあった計画、実践が生まれることを願っています。
①コミュニティに所属するもの同士の相互の関わり
②関わり対するアイデンティティ、愛着
③それらを実現しやすい地理的な空間
④互いを認め合うコンセンサスと一定の規範
⑤コミュニティを支える宗教や祭り等の文化の形成
⑥人材や活動等の一定の地域資源の存在
1月の講義を行い、3月の講義の準備をしています。
1月15日の午後、ルーテル学院大学のブラウンホールにおいて、1997年に卒業した学生の同期会が行われました。懐かしい卒業生一人ひとりに会い、学生時代の思い出が湧き上がりました。卒業後に会うこともありましたが、これだけの卒業生が、家族を連れて大学に戻ってきたことは、本当にうれしく、感謝の気持でいっぱいになりました。。
私は、ルーテル学院大学に勤めて35年になります。在学生を育て、卒業生を励ますために、自分なりに精一杯努力してきたつもりです。但し、自分の非力さを日々痛感しており、むしろ在学生や卒業生に支えられてきた年月だったと思っています。心からありがとう。
今回も、卒業生が大学に戻ってきてくれました。そして、苦労したこと、今挑戦していることを語ってくれました。卒業して20数年間の一人ひとりの思いを聞き、人生の重みを学びました。「卒業生はルーテル学院大学のブランドである」という信念が間違っていないことを再確認できました。今回来られなかった卒業生を含め、これからもそれぞれが自分らしく、実り豊かに歩んでほしいと思います。神様の導きがありますように、祈ります。
頂いた花束は、一緒に彼らを支えて下さった職員に渡しました。学生支援センターの窓口に飾られています。
投稿日 19年01月19日[土] 10:48 PM | カテゴリー: 大学関連
2019年1月7日礼拝説教
「悲しみよ、ありがとう。」
聖句:野原の花がどのように育つかを考えてみなさい。働きもせず紡ぎもしない。しかし言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾っていない。(ルカ12章27節)
私たちは、さまざまな悲しみに出会います。そして、忘れられない悲しみもたくさんあります。悲しみで心にポカッと穴が開いて、それを埋めることができない時もあります。しかし、悲しみを知ることによって、他者の悲しみを理解することができるようになる。悲しみという事実によって、今まで気づいていない大切なことを学ぶことがあります。それは、私たちに神様が与えて下さる愛であり、神様が教えて下さる命の大切さであると思います。
私は、2011年3月に発生した東日本大震災以降、被災地の宮城県石巻市で、学んでいます。発災後しばらくは、津波が襲った跡が残り、被害の大きさに呆然としました。その現実を見た多くの人が、復興を祈って、歌を送りました。それが「花は咲くプロジェクト」です。歌詞の一部を紹介します。
誰かの想いが見える 誰かと結ばれている
誰かの未来が見える 悲しみの向こう側に
花は 花は 花は咲く いつか生まれる君に
花は 花は 花は咲く わたしは何を残しただろう
花は 花は 花は咲く いつか生まれる君に
花は 花は 花は咲く いつか恋する君のために
ここで歌われている花は、命そのものであると私は思います。今を生きている人々の命、また神様から祝福されて新しく生まれてくる命です。それぞれの人の存在自体が尊いと神様は言われている。しかし、今の社会では、自然の営みの中にある様々な命を軽んじていませんでしょうか。人工で作られた美しさ、目に輝くものに私たちの心が奪われていませんか。
私も、秋に体調を崩し、いろいろな経験をしました。今までできていたことができなくなるといった多くの悲しみも味わっています。でも、自分が何でもできると思っていた時に気がつかなかった家族の存在、学生、卒業生との関わり、教職員の方々のいたわり、私の状態を知った友人たちのメッセージを受けとり、感謝しました。私は、私の歩みの原点が、本年で36年目になるルーテル学院での働きであることを改めて確認できました。また、私の家の窓際には、私が買ったサボテンが置かれています。直径5センチほどの鉢の中に、複数の小さなサボテンが植えられていましたが、今は4つになりました。サボテンに花が咲くと言われましたが、5年を経て、まだ咲きません。私がしばらく留守をしていた家に戻った時に、そのサボテン見て、私は、感動しました。当たり前のことですが、生き抜いてくれていた。
聖書に立ち戻ります。「野原の花がどのように育つかを考えてみなさい。働きもせず紡ぎもしない。しかし言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾っていない。」
ソロモンは、3000年前のイスラエル王国の第3代目の王で、金銀、財宝に囲まれ、栄華を極めました。そのソロモンでさえ、神は、この花の一つほどにも着飾っていないと言われるのです。私たちの身の回りに咲いている木々、咲いている花は、命そのものです。その神様は、その命の尊さを述べられている。そして命、すなわち生きている私たち一人ひとりが大切であると言われているのです。
私は、改めて申し上げたい。①素直さ:悲しい時には泣き、楽しい時には喜ぶ素直さをもってほしい。②ゆとり:辛い時には立ち止まることのできる少しのゆとりを、③勇気:自分の力ではどうしようもない時に、誰かに救いを求める勇気を、④謙虚さ:一人では生きられないと思った時に、一人で生きてきたのではない事実を受けとめる謙虚さ、をもってほしい。
そうすれば、悲しみによって、私たちは、命の大切さを学ぶことができます。また、私たちに注がれている神様の愛を感じることができる。だからこそ、悲しみにありがとうと言えるのです。そして、皆さんにはそれぞれ、明日への希望が与えられているのです。
本年、大学は創立110年を迎えます。その記念すべき年に、大学は、聖書の中で神の愛を語るのではなく、聖書をもって多くの方々に神の愛を述べ伝え、共生の社会づくりの一翼を担いたいと思っています。
祈り
参考
一人では生きられない
「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」(ヨハネ3:16)
本年3月、まだ雪の残る福井県美浜市立新庄小学校を訪問した。生徒は、育てた菊を配り、収穫したしいたけを高齢の方々と一緒に食べる。涙を流して喜ぶ方々の気持ちを心の中に蓄え、ともに生きていくことの大切さを学ぶ。自然の豊かさを肌で感じ、創る喜び、働く喜びを体感する。地域は、生徒が育つ場であり、生きる自信を生み出す場だ。
今、各地で、地域が壊れている。夢をあたためる場である家庭で起こる虐待。自分らしく育つ場である学校で起こるいじめと自殺の連鎖。地域に広がる孤立、引きこもり。今は、だれにとっても、生きていくことが難しい。
だから、私は、若き諸君に、自分を信頼し、自分らしい縦軸の生き方をしてほしいと伝えたい。そのために、たゆまぬ努力を、生まれる命と生きている命が輝く自然の営みへの感動を、悲しい時には泣き、楽しい時には喜ぶ素直さを、正しいことやふさわしいことがわかる知恵を、お互いの違いを理解しようとする優しさを、困難に直面しても夢を失わないねばり強さを、辛い時には立ち止まることのできる少しのゆとりを、自分の力ではどうしようもない時に、誰かに救いを求める勇気を、そして、一人では生きられないと思った時に、一人で生きてきたのではない事実を受けとめる謙虚さをもってほしい。
なぜなら、神はあなたを祝福して命を与えられた。あなたは、神に愛されている。一人で生きているのではない。
『「おめでとう」で始まり 「ありがとう」で終わる人生』(教文館)より
12月15日(土)、ルーテル学院大学でオープンキャンパスが開催されます。
市川が、「希望を届けるソーシャルワーカー」というテーマで講義を行います。対象は、受験生、その保護者、社会人です。お知り合いにお伝え頂ければ幸いです。
13:00〜 クリスマスコンサート
14:00~ 模擬講義
市川「希望を届けるソーシャルワーカー」
サック「家族を通して自分を知る」
15:00~ 大学・入試説明
16:00~ 個別相談
浦和ルーテル学院は、小学校・中学校・高等学校と12年間の一貫教育を行っている名門です。ルーテル学院大学・日本ルーテル神学校とは兄弟校で、長く親しい関係にあります。
2018年10月31日、私は、宗教改革記念礼拝のメッセージをお引き受けしました。テーマは、『「おめでとう」で始まる人生を』です。
小学1年生から聞いてくれていますので、その場に応じて語りかける内容は若干異なりますが、原本をお示しします。
『「おめでとう」で始まる人生を』
『はっきり言っておく。私の兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである』(マタイによる福音書第25章第40節)
私は、すべての人が、神様より祝福されて命を与えられたと強く信じています。しかし、現実には、それぞれ与えられた命を十分に大切にしていない現実があります。だからこそ、この事実は決して揺らいではいけない。今日は、皆「おめでとう」と言われる存在であるということを、お話をしたいと考えています。
あと一ヶ月で、イエスキリストの誕生を待ち望む期間、アドベント、日本語では待降節(たいこうせつ)に入ります。そして、12月25日のクリスマを迎えるのです。そこで、今日は、皆さんに、新教出版から刊行された『もう一人の博士』という物語を紹介します。その物語で登場する博士の名前をアルタバンと言います。
(V.ダイク著 岡田尚訳 佐藤画『もう一人の博士』新教出版)
聖書には、三人の博士が、星に導かれて、生まれたばかりのイエスキリストに会い、持っていた宝箱から、黄金、乳香(乳白色の色の高価な香水の元)、没薬(もつやく、すなわち薬)を贈り物として捧げたと書かれています。しかし、アルタバンという博士は、イエスキリストと出会えませんでした。
アルタバンは、ある場所で、三人の博士と会い、一緒に、生まれてまもないイエスキリストにお会いする予定でした。しかし、その場所に向かう途中、砂漠で病気にかかり、死にかかっていた人に出会います。急がなければ間に合わないアルタバンには、時間的余裕はありませんでしたが、彼は足をとめ、看病をしました。そのため、約束した時間に遅れ、待ち合わせ場所には、「先に行く」という手紙が残されていました。
そこで、アルタバンは、イエスキリストに捧げるために持ってきた大切な宝物の一つを売り、「らくだ」を買い、必死で、三人の博士を追いかけます。しかし、その途中で、ヘロデ王の軍隊から逃れた、幼い男の子を抱きかかえる母親と出会います。ヘロデ王は、生まれたイエスキリストを恐れ、ベツレヘム周辺の地域に住む2歳以下の男の子を一人残らず殺せと言う命令を出していたのです。アルタバンは、幼子を抱いて逃げ込んだ家に迫る軍隊の指揮官をとめ、宝を与え、幼子の命を救うのでした。
彼は、さらにイエスキリストの元に向かいますが、なかなかたどり着きません。そして宝物も、出会った病人や、貧しく、食べ物のない人々の薬や食べ物に変わっていきました。
イエスキリストに会えず、30数年を過ぎたアルタバンは、老いて弱っていきます。そして、イエスキリストがゴルゴタの丘で十字架にかけられることを知り、最後に残っていた宝物をもってイエスを救おうと、力をふりしぼって、ゴルゴダの丘に向かいます。ところがその途中、友人の娘、ミッシェルに出会います。アルタバンは、友人が事業に失敗し、多額の借金のため、娘のミッシェルが売られようとしていると知ります。借金取りに連れて行かれそうになるミシェルを見て、アルタバンは、借金取りに最後の宝物を渡し、ミッシェルを救いました。
弱り、息絶え絶えのアルタバンは、さらに丘に向かいました。その時、地響きが起こりました。イエスキリストが亡くなられたのです。そのことを知ったアルタバンは、その場に倒れてしまいました。助けられたミッシェルはアルタバンを助け起こします。アルタバンは、聞き取れない声で、つぶやきました。「あなたに渡すはずの宝物すべてを失いました。今まで、あなたに何もできませんでした」
その時です。神はアルタバンに語りかけられました。「私の兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである」と。それを聞いたアルタバンは、ほっとした表情になり、安心して息をひきとりました。
アルタバンが最後に聞いた神の言葉を、ルターも用いています。(「労し、重荷を負う人々のための慰めに関する14章」『ルター著作集』3巻、43頁、1519年)の中で、マタイ25:40を引用しています。)
ルターが進めた宗教改革は、全ての人一人ひとりに神様の愛が届くようにという主張でしたが、しかし当時、たくさんの迫害に遭いました。その中で、ルターを保護し、守って下さった領主(フリードリヒ選帝侯)が病気にかかった時、ルターは語りました。一人の病人、すなわち最も小さい者の中で、キリストご自身が共に苦しんで下さっておられる。「見よ、私はここで病んでいる」とイエスは私たちに呼びかけ、語りかけておられる。苦しんでいる人と共にいて下さるキリストの言葉を私は聞いて聞かぬふりをすることはできないとルターは言います。神が、苦しんでいる人と共に苦しんでいると言うのです。そこに宗教改革の一つの原点があると、私は思います。
私は、宗教改革を記念する今日を、『はっきり言っておく。私の兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである』という聖句に立ち返る日として頂きたいと思います。そして、誰もが神様から祝福されて命を与えられ、「おめでとう」と言われている存在であることを大切にして頂きたいと願っています。
投稿日 18年10月31日[水] 9:42 PM | カテゴリー: 大学関連
2018年10月17日(水曜日)、「ルーテル学院大学と包括的な連携協力に関する協定」の締結式が行われましたので、報告させていただきます。
http://www.city.mitaka.tokyo.jp/c_photo/076/076240.html
三鷹市HP
http://www.luther.ac.jp/news/20181025-01.html
ルーテル学院大学HP
2018年10月7日に、式典が行われ、2つの感謝状を頂きました。自分が果たしてきた役割を評価いただき、私からも、感謝しています。
2018年10月15日に、ガウチァー記念礼拝堂において、メッセージをいたしました。テーマは、「おめでとう」で始まり、「ありがとう」で終わる人生です。
メッセージ
「おめでとう」で始まり「ありがとう」で終わる人生
「わたしは、既にそれを得たというわけではなく、すでに完全なものとなっているのではありません。何とかして、捉えようと努めているのです。自分が、キリストイエスに捉えられているからです。」 (フィリピの信徒への手紙第一第3章12節)
2011年3月11日午後2時46分、皆さんはどこにおられましたか。私は、ルーテル学院大学の学長室で打ち合わせにおり、その揺れの大きさと揺れる時間の長さに驚きました。東京でも、たくさんの帰宅難民が生まれました。また職場から夜通し歩いて、子どもが待っている小学校に迎えにきた親もたくさんいました。また、学校から帰宅途中に地震に遭い、駅に下ろされた小学生を探すために、親たちが1駅づつ車でまわり、見つけて保護したこともありました。
さらに、テレビの映像に映る現地の惨状に驚きました。すぐに被災した地域に住む友人たちに携帯で何度も連絡をしましたが、まったく通じませんでした。しかしその2日後の朝です。「無事です」と公衆電話からかかってきた友人たちの電話に、私は思わず「良かった」と、家族が驚くような大きな声を上げていました。
死者行方不明者1万8,432人を数える東日本大震災は、今から、7年以上も前のことです。今日に至るまで、熊本地震、北海道での地震、そして台風や豪雨災害等々、たくさんの自然災害が続いています。では、それぞれの被害は、過去のものでしょうか。いや、困難な生活は今でも続いているのです。私は、被害がもっとも多かった宮城県石巻市で、発災時から社会福祉協議会等の方々のお手伝いをしてきましたが、復興によって環境は整ってきましたが、その痛みは続いています。
事実、私は、本年の3月、石巻市社会福祉協議会の仕事の合間に、石巻市に来たゼミの学生とともに、再び大川小学校に行きました。小学校生108人中、74人が犠牲になり、多くの教員も命を失いました。その2年後の冬に行った時には、川を堰き止めて、子どもの遺骨を探していました。大川小学校の前に、亡くなられた方々を追悼する慰霊碑が建てられています。夏には、慰霊碑にヒマワリの花で飾られます。その意味を知ったのは、後からでした。
詩を紹介します。
ひとつぶの小さな種が、
千つぶもの種になりました。
そのひとつぶひとつぶが、
ひとりひとりの子どもたちの、
思い出のように思えました。
また 夏が来たら 会おうね。
ずっとずっと
いっしょだよ。
文:ひまわりをうえた八人のお母さんと葉方丹(はかた たん)絵:松成真理子
何年たっても、親は子どもを失った悲しみを忘れることはできないのです。
大切な家族や友人を失い、長らく住んでいた家を流された方々が仮設住宅や復興住宅に住まわれています。今まで当たり前と思っていたことが、自然の圧倒的に力によって突然目の前からなくなった喪失感情はなかなか拭い去れない。また親や友人を失った子どもが、約3年目から、その死を振り返り、自分は生きていいのかという言葉を発してきていると聞いています。震災による痛みは、未だ癒えていないのです。子どもから高齢者まで、それぞれに痛みを持っています。
しかし、忘れてはならないたくさんの働きが続けられています。たくさんのボランティアやNPOが支援に来ました。青山学院大学の学生も、やくさん被災地でボランティアを行っています。
また私が学ばせて頂いている石巻市社会福祉協議会は、地域福祉コーディネーターを雇用し、日々、家や家族を失った方々が住まわれている仮設住宅を訪問し、その方々が孤立しないように悩みや生活の相談を受け、必要なサービスや援助につなげていきました。しかも、冬の寒さは厳しい。石巻市は普段、過ごしやすいのですが、冬には寒くなり、また強い風が吹く時があります。私は、強い風で体温が奪われ、凍えそうになる経験を何度もしました。そのような時は、道路の雪が固まり、氷となり、アイスバーンとなって移動がとても危険な状態になります。そのような時にも、地域福祉コーディネーターは、仮設住宅や、新たに建てられた復興住宅を訪問し続けました。しかも、地域福祉コーディネーター13名のうち半数以上は、北海道、近畿、四国、九州から来た若者です。自分が生活してきた地域から離れ、寂しさもあったのではないでしょうか。また方言や文化も違い、住民に受け入れて頂くことに本当に苦労したと思います。でも、彼らは働き続けました。なぜなら、彼らは、「市民の暮らしを支えていきたい」という気持ちをもって、応募した方々です。その強い思いが住民に伝わり、生活の再建に結びついていると思っています。
困難に直面しても、将来に向かって今を生きることが大切です。そのためにも、私は皆さんに、どんな困難に直面しても、希望の火を絶やさず、生きていくためにも、立ち戻るところをもつことが必要だと言いたい。
私は、「おめでとう」で始まり、「ありがとう」で終わる人生を原点にしています。子どもたちの誕生は、おめでとうから始まる。子どもは、誰もが祝福されて生命を与えられた。だれ一人として、神様から祝福されない生命はないという真実に立ちたいと思っています。だから、皆でおめでとうと言う。この事実に、疑問を挟む余地はまったくありません。親等からの虐待によって、命を奪われる子どもが増えていますが、子どもの命をなんとしても守りたい。「おめでとう」から、それぞれの人生の歩みが始まるのです。
そして、人生の最後を迎えた時、支えてしてくれた家族や支えてくれた人にありがとうと言うことができたなら、それは人生でもっともすばらしい証し。感謝する本人の命が光る。見看る人びとの心がその人の命を通して光る。その人を支えてきた神の愛が、光り続けるのです。高齢者の孤立死が増えていますが。亡くなってからだいぶ経ってから見つかるような状態は何としても避けたい。人生最後にあって、「ありがとう」と言えるような人生を守りたいと考えています。
聖句に戻ります。「わたしは、既にそれを得たというわけではなく、すでに完全なものとなっているのではありません。何とかして、捉えようと努めているのです。自分が、キリストイエスに捉えられているからです。」
この挑戦は、すでに完成したものでは決してありません。いつも絶えず、問い続けていくこと。0か100ではない、たくさんの挑戦があります。私は、「おめでとう」で始まり「ありがとう」で終わる人生というタイトルの本を出版しましたが、その原点の一つは、被災地の方々と一緒に働かせて頂き、学んだこと、思ったことです。私は、生きていくことの意味を実感しました。今まで当たり前と思っていたことの大切さ、悲しみの中にある人に何とか明日への希望を届けようとする働きの意味を学んでいます。倒れている人に駆け寄って助け上げる人は、神を信じる、信じないに関わりなく、神に祝福された隣人だと私は思っています。
また、そのことを目指して、今をどう生きるかによって、過去の事実は変わらなくとも、今の生き方によって過去の意味が変わっていく可能性を、神はたえず与えてくださいました。たくさんの挑戦をしてきましたが、新しく学ぶことはつきません。それが、私にとって、「キリストイエスに捉えられている」という意味です。
大川小学校の慰霊碑に飾られているヒマワリを私はたびたび思い出します。
その花言葉は、
「あなたのことをずっと忘れない」です。
祈り:
主よ、どうぞ、私たちに、自分を信頼し、自分らしい生き方をしていく力を、悲しい時には泣き、楽しい時には喜ぶ素直さを、正しいことやふさわしいことがわかる知恵を、お互いの違いを理解しようとする優しさを、困難に直面しても夢を失わないねばり強さを、辛い時には立ち止まることのできる少しのゆとりを、自分の力ではどうしようもない時に、誰かに救いを求める勇気を、そして、一人では生きられないと思った時に、一人で生きてきたのではない事実を受けとめる謙虚さをお与え下さい。そして、今日礼拝に出席している学生諸君が、どんな困難に出会っても、希望を失わず、将来に向かって歩んでいくことができるように、お導き下さい。
主の御名によって祈ります。