2018年度卒業式メッセージ

 卒業おめでとう。今日は、皆輝いている。君たちの輝きをエネルギーにして、「0か100ではない生き方」というテーマでお話ししたい。

 この1年は、私にとつて、貴重な1年であったと思います。自分の生き方を問われる時で、神様から与えられた試練であり、み恵みであったことを確信しています。その経験を通して、まっすぐな一本の道を歩いていくことが、人生ではないと感じました。思いがけないことに直面し、それに適応しようとし、自分の歩みを再確認する。そして、今まで考えていたことが、必ずしも正解ではなかったことに気がつきます。歩みは、今まで同様に、蛇行すると思います。ただ、自分が目指すゴールを忘れず、希望を失わず、歩んでいくことを大切にしていきたい。

 回復のために自宅で休んでいた時、私は、中村 裕氏(なかむら ゆたか)氏の挑戦を知りました。中村氏は、日本の整形外科の医師で、身体障害者のスポーツ振興をはかり、日本パラリンピックの父と呼ばれています。

 中村氏が活動を始めた1960年当時をふりかえりますと、日本では身障者は「ベッドで寝て過ごすことが一番」といわれていた時代でした。「何か特別な手術などがおこなわれているのでは」と調査のため、英国のストークマンデビル病院へ派遣されました。しかし、手術など治療方法は日本と全く同じでした。イギリでは障害者がリハビリテーションの一環としてスポーツを行い、さらには社会全体で受け入るシステムが存在したことに強い衝撃を受けて、中村氏は帰国しました。また、ストークマンデビル病院のグットマン博士から、「何人もの日本人は帰る時も是非実行すると言って去ったが、一人としてその言葉を守っていない。」と言われました。日本の医療の壁は予想以上に厚かったのです。

 しかし、帰国後、1961年、第1回大分県身体障害者体育大会を開催します。「障害者を見世物にするな」「あなた、それでも医者ですか」など多くの批判を受けたそうです。しかし、それを実現し、さらに1964年東京パラリンピック開催に奔走し、日本人選手団団長を務めました。日本の参加者は施設や病院暮らしの「患者」、それに対して西欧諸国の「アスリート」で結果は試合前から明らかでした。また西欧諸国の参加である障害者が日本で買い物に行く等、患者では無く、障害者というのではなく、一人の人間として、生活する姿は、大きな衝撃を私たちに与えました。日本人参加者は閉会式のとき中村氏に「働く場所をつくってほしい」と懇願したそうです。中村氏はそれに応えて、1965年に障害者の自立のための施設『太陽の家』を創設します。

 中村氏が恩師と一緒に、『リハビリテーションー医学的更生指導と理学的療法』(南江堂)を出版しました。その中で、「日本医学は薬物療法、手術的療法にあまりに偏り過ぎているように思われる、これに心理的物理学的医療を加え、これを有機的に結合させ、疾病の治療に最大の効果を上げる方法を見出す努力がすなわちリハビリテーションである。」と言うと共に、「回診チームに、PT、OT、ソーシャルワーカー、養護学校の担当教師も加えて、障害をもつ一人ひとりに合ったもっとも適切な訓練方法を検討すべき」としました。その原点は、生きていく希望を灯すこと。(水上勉監修『中村裕伝』中村裕伝刊行委員会、三枝 義浩『太陽の仲間たちよ―身体障害者とある医師の挑戦』講談社( (KCデラックス―ドキュメントコミック) 1994年、『フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 この長い年月をかけた中村氏の挑戦は、当時の日本における常識としてきた障害者の生活に関する考えを、徐々に切り崩していきました。障害者の0か100でない生き方を、一人の人間として当然持つ希望を実現しようとする挑戦を認める社会を目指した取り組みでした。

 障害者がスポーツをするという当たり前であることを宣言する大会は、パラリンピックです。2020年に開催されるスポーツの祭典であるオリンピック、パラリンピックを単なるお祭りに終わらせることなく、障害者が希望をもって生きていくことが可能な社会を実現することが求められています。

聖書に立ち戻ります。聖書 イザヤ書 43章4節・5節「私の目にあなたは値高く、貴く 私はあなたを愛し あなたの身代わりとして人を与え 国々をあなたの魂の代わりとする。恐れるな、私はあなたと共にいる。」と語られています。

「あなた」とは、霊的に理解力なく、主の計画を実現することができず、沈黙しており、罪深い人を言います。(ティンデル聖書解イザヤ書訳者鍋谷・橘内 著者アレック・モティア)。そもそもこのイザヤの時代とは、アッシリアとバビロニアによる世界制覇が始まった時代です。かつての支配者エジプトは、衰退しつつあり、北からの勢力が拡大を始めました。アッシリアは、抵抗する者を皆殺しにし、町や村を破壊し尽くし、その指導者層を連れ去り、捕虜としました。この困難な中にある、ここで言う「あなた」に対して、安全を与えるのです。「あなたの身代わりとして人を与え」とは「救い主」を言います。そして、「恐れるな、私はあなたと共にいる。」というメッセージを送り続けておられる。私は、2007年の入学式(生命の鼓動)でも、2012年の前期卒業式(「おめでとう」ではじまり、「ありがとう」で終わる人生を)でも、この聖書の箇所を用いました。しかし、今回の結論が違う。今回は、自分の経験と重なります。

 繰り返しになりますが、11月に病院に入院し、また完全な回復に時間がかかりますが、その分、自分の生き方、私が目指していく信条を学びました。また、超多忙な生活を離れ、今まで気がついていなかった家族の支え、学生や卒業生への思い、友人や関係者の大切さを学ぶことができました。その経験を念頭礼拝で「悲しみよありがとう」というテーマでお話ししました。

 当たり前に思ってきたことが、実は正解ではなかった。中村氏と同じことをする力は、私にはありません。しかし、出会いを大切に、その出会いから学んだことの実現を目指し、挑戦してきたという姿勢を大切にしたいと思います。それぞれには、それぞれの可能性がある。そして、解答は、様々です。

 生きるということは、0か100ではない。すなわち、まったく何もしないことを0とする。これに対して生きていくために最大限の努力をして成果を上げることを100として考える。その2つしか選択肢がないのは、これはあまりに短絡的。目標が困難になったら、目標を諦めるのではなく、目標を広げればいい。そして目標に向かう生き方には、1から100までの選択肢がある。君たちには君たちらしく、自分が望む道を歩いていってほしい。今日をもって友と別れることは寂しい。しかし、その寂しさは、信頼が根底にある。ならば、必ず勇気にかわる。今日は、皆を支えてくれた友人、家族にお礼を言おう。そして、それを神様が、じっと見守り、支え、守って下さるということを心にとめ、歩んでいってほしいと思います。

卒業おめでとうございます。