教会関連

希望ある明日に向かって歩むぞメッセージ

だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる

コロナ過の中、心乱れる日が続いていますね。偶然ですが市川先生の研究室の企画を知り投稿させていただきます。私の2回目の大学生活の様子をお話しすることで、改めてルーテル学院大学の素晴らしさを知っていただこうと思います。

子育てというものはクリエイテブだと確信していますが、知的&身体の障害を持つ長女を育てているうちに息苦しさを感じていました。明日も今日の繰り返し?とです。そんな時目に留まったのがルーテル学院大学の公開講座の案内でした。思わず飛びついて週に1~2回ささやかな私だけの時間を持ち始めました。

平均年齢の半分を過ぎ、ふと、立ち止まった時、今までの繰り返しで自分の一生が終わるのかと、今までの繰り返しなら、もう体験したことだから、難なくこなしていけるだろうけれど、私の一生はこれだけでしかないのかとも思いました。

何かするなら今かなぁ?あの子のせいで、これが出来なかった、あれをしたかったのにできなかったというのは言い訳で、長女に対して失礼だと思いました。私にとっても、たった一度の人生です。あの子のせいでといういい訳はしたくないと思いました。色々試みて、結果として今と同じなら、それはそれでいいだろうと。

一方、障害児の母は元気はつらつとしていて、PTAも地域の活動も一所懸命やらねばならないと確信していた私は、20年以上にも及ぶそんな頑張りに疲れていました。強い意志と、丈夫な体を持ち、誰からも後ろ指指されないようにと誓い、決して生活に疲れた顔はしたくないと頑張りましたが、疲れたのです。でも、それは口が裂けても言うまいと、心にしまっていました。

主人の転勤先の神戸で結婚生活が始まりましたが、長女が三歳半で次女が産まれ転勤で東京に戻りました。そして運命とも言える出会いがありました。障害児はどこも断られ途方にくれていたとき、保健婦さんが「保健所の隣に教会幼稚園あるわよ!」下心ミエミエ、キリスト教系なら心優しき人に違いないと、門を叩いたのです!

牧師先生は長女を年少クラスに預かって下さり、私の話をじっと聞かれて「明日またきてください。」あくる日、藁をもすがる思いで出かけると「昨日職員といろいろ相談しました。本当に私どもでお役に立つなら。」といわれ、夏の暑い日でしたが流れる汗が引くくらい感激し、牧師先生に後光がさしたように見えました。キリスト教では後光は射さないのですよね。

こうしてキリスト教と向き合うきっかけが生まれましたが、振り返ってみれば実に多くのキリスト者に助けられていた事を後で知ったのです。

長女はお世話になった教会の幼稚園を卒園後も日曜礼拝に出席していたのですが、20歳になった時洗礼を勧められたのです。送迎だけをしていた私は知的障害の彼女がどのようにキリスト教を受け止めているのか興味が湧きました。

公開講座は通い続けていましたので、だんだん受講したい教科がなくなってきました。気分転換の公開講座通いでしたが、キリスト教学科以外の授業には目が向きません。文化とキリスト教入門の授業のあと、U先生に来年はどんな楽しい講座が開設されるのかとお訪ねしたら「学生になるのは如何ですか?」という答え。願書締め切りまで一週間もなく大慌てでしたが、学力より意欲で3年に編入させていただきました。興味津々のキリスト教を頭の中が嵐のようになりながらも必死で理解に努めました。

学芸員も目指していたので、お隣の中近東文化センターで行われる授業は気分が全く変わり、資格取得への意欲が湧きました。学芸員実習では、貴重な所蔵品に触れる機会が持て緊張もしましたが感激しました。大学の授業は殆ど10人以下のクラスで、先生がたも学生の顔を見ただけで名前がお解かりの和やかできめ細かい内容で本当に贅沢な授業だと思いました。

長い間その周りを廻っていたキリスト教について、自分なりの整理をしたいので次から次へと興味が湧きますし留まるところをしりませんでした。納得行くまで質問をし、疑問を解決していきました。私は履修していた全ての授業で質問し、疑問をぶつけていましたがキリスト教学科の先生は一つ一つ丁寧に、対応してくださりました。

思う存分自分の時間を使いたいという欲求は益々高まりました。2年間の大学生生活は本当に楽しく充実していて日々感謝でした。そして、一番感じたことはこのキャンパスに集う人たちの、優しさです。人それぞれでは有りますが、多分それはキリスト教というアイデンティティがあるからです。キャンパスで見かける先生がたの姿が、お人柄がほっとする物を感じさせ、あこがれを持たせてくれるのだと思います。疲れ果てていた私には、先生方や友人たちの優しさは救いでした。ああ、ここはのんびりできる、こんな素敵な場所があったんだと。まさに、オアシスでした。そして、初めて口に出す事ができました。「私は疲れた」と。

毎日聖書を開かない日はないという学生生活が終わった後、暫くはボーっとしていましたが、もう周りを廻るのは止めようと思いました。今までの自分を振り返り、全て神の摂理の中で動かされていたのだと納得したからです。

将来に悩みがないといえばウソになりますが2度目の大学生生活が送れるなんて予想だにできなかったことが実現しました。願って行動すれば門は開かれるようです。

次の聖句は私の入学式の翌日、鈴木学科長のチャペルメッセージで読まれました。まるで私のこと見たいと、妙に納得した言葉です。「そこで、わたしはいっておく。求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。」

ルーテル学院大学で2年間の学生生活で私が得たものはとても素晴らしい物だったのです。後援会の皆さまのルーテル学院大学・神学校に寄せる熱き思いが私に伝わったことをご報告させていただき、話を終わります。

                      2021年5月20日  IKE (現在、後援会推進委員)

希望ある明日に向かって歩むぞメッセージ

 2021年3月11日にルーテル学院2020年度卒業式が行われました。学長の石居基夫先生はイザヤ書46章4節の言葉を取り上げ、卒業生たちにメッセージを送りました。

 東日本大震災からちょうど10年。未曽有の災害により何もかも失ってしまった人たち。自然の驚異を目の当たりにしたとき何もできない人間の小ささに傷を負った人たち。しかしそれでも互いに支えあい、励ましあって生きて来た人たち。神様はその人達に語るのです。「わたしはあなたたちの老いる日まで白髪になるまで、背負って行こう。わたしはあなたたちを造った。わたしが担い、背負い、救い出す。」

 震災後、私も学生たちと共に何度も東北に出かけ、震災のあり様を目の当たりにしました。その光景はショッキングなものでしたが、でもその中で今もはっきりと覚えているのは、そこで生きていこうとする人たちの顔であり、言葉です。「立て直す家は近所の子どもを預かれるような場所にしたい。」「これからは全国を回って、このような災害に対する日々の備えの大切さを伝えていく。」途方もない困難にあっても、なお明日に向かって生きて行こうとする人たちがそこにいました。自然を前にして確かに人は弱いが、それでもどのような困難にあっても人は明日を生きていこうとする強さをも持つことを知りました。だから私もそのような人たちに「白髪になるまであなたを担い、背負い、救い出す」という神様の言葉を送りたいのです。

 コロナ禍にあって、仕事の面でも生活の面でもまだまだ多くの困難が続く社会に送り出された今年の卒業生です。でも、神様はけっして私たちから離れられません。むしろ困難な時にこそ、なおさら私たちのそばに来て、明日に向かって生きる力を与えてくださいます。チャプレンとして、これからも卒業生を思い起こしては神様の豊かな祝福を祈っていきます。 

希望ある明日に向かって歩むぞメッセージ

 東日本大震災ルーテル教会救援「となりびと」の支援活動時に、大変お世話になりました市川一宏先生のご依頼を受け、現在、医療・福祉現場で新型コロナウイルスの対応に苦労されている方々に、震災10年を覚えて、ショートメッセージをお送りします。

 今年3月11日、東日本大震災から10年を迎えました。その10年を前にして先月には、大きな余震がその被災地を襲いました。幸いにも「となりびと」で支援した方々には物理的な被害はありませんでしたが、その精神的な痛手は私たちの想像を超えるものでした。

 宮城県では、この震災で亡くなられた方々に追悼の意を表し、震災の記憶を風化させることなく後世に伝えるとともに、震災からの復興を誓う日として毎年3月11日を「みやぎ鎮魂の日」とし、亡くなられた方々を追悼するため、震災の発生時刻である午後2時46分に黙祷を捧げられれるよう呼びかけられます。特に今年は特設サイト『東日本大震災10年オンライン行事 あの日を学びに10年目に伝えあう』が開設されています。

 先日、その10年を前にして、「となりびと」で支援をしていたわかめ養殖をされていた方から、三陸の春の便りである「めかぶ」が今年も届きました。この方は震災時に義理のお姉さんと甥を津波で亡くされ、わかめ養殖のための漁具もすべて流されてしまいました。そんな時に「となりびと」の支援が始まりました。その後、わかめ養殖は再開されましたが、その働き手であった旦那さんが、震災後の心労などにより突然、旅立たれたのです。しかし、その後、毎年送られてくる「めかぶ」などの宅急便には、その旦那さんの名前とその方の名前が並んで印刷されています。それは、彼女にとって、今も旦那さんがいつも一緒にいてもこの震災後の10年も共に歩んできた証なのです。

 被災地の方々は、この10年、彼女と同じような思いで過ごしてきたことだと思います。そして、私たちもこの10年、被災地のことを覚えてきました。その証が、「ルーテルとなりびと」http://lutheran-tonaribito.blogspot.com/のブログのアクセス数です。その数は、2021年3月10日現在で375,011ページビューとなっています。

 教会の暦では、今、私たちひとり一人の罪を贖われるために十字架へ向かわれるイエスさまを覚える四旬節に入っていますが、その第2主日(2月28日)の日課(創世記)には次のように記されていました。

「わたしは、わたしとあなたたちならびにすべての生き物、すべて肉なるものとの間に立てた契約に心を留める。水が洪水となって、肉なるものをすべて滅ぼすことは決してない。雲の中に虹が現れると、わたしはそれを見て、神と地上のすべての生き物、すべて肉なるものとの間に立てた永遠の契約に心を留める」

 私は、その「虹」が、津波によって84名が一度に召された石巻市立大川小学校旧校舎にかかった姿に一度だけ「となりびと」の活動中に出会い、この聖句を思い浮かべました。そして、この神さまの契約が守られるよう祈ったのです。

 今、私たちは新型コロナウイルスによって、東日本大震災のように未曽有の大災害に見舞われています。特に、医療現場や福祉現場などで働かれているエッセンシャルワーカーと呼ばれる方々の苦労は図りしれないものがあると思います。

 しかし、イエスさまはマタイによる福音書の最後で、その苦労されている方、お一人お一人に次のように言ってくださいます。

「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」

 私たちはこれからもこのみ言葉を信じ、被災された方々と新型コロナウイルスで苦しんでいる方々のことを覚え、一日も早い、新型コロナウイルスの感染終息を祈りたいと思います。

  みのり・岡崎教会牧師 野口勝彦(元東日本大震災ルーテル教会救援派遣牧師)

希望ある明日に向かって歩むぞメッセージ

 5年前、熊本地震にあたって教会で私的避難所を運営することになりました。この時、最大40人以上もおられた避難者さんたちの全員が短期間で生活自立を果たし、避難所は45日間で完全解消をなしとげることが出来ました。多くの公的避難所が、避難者さんを別の避難所に移動させ、統合によって避難所を閉鎖していったのに対して、この教会避難所では、避難者さんの全員が、自分の元の住まいを整備するか新しい住まいを確保することによって避難所を「卒業」していかれたのです。避難者さんたちの中には、妊婦さんや高齢者、母子家庭、障がいを持つ方々や外国籍の方など、社会的に困難さを抱えておられる方が多かったことを思えば、びっくりするような短期間での完全解消でした。その秘密は、教会避難所みんなが囲んだ食卓にありました。この避難所では、地域の被災者さんも教会員の被災者や支援者さんも、またボランティアの人たちも、毎食ともに教会のテーブルを囲んで、食卓をともにし続けたのです。食卓をともにすることによって、お互いに不安や心配事をわかちあい、慰めや励ましを受け、相談を受けたり相談に乗ってあげたりしながら、みんなそこで力を得て生活を再建していかれたのでした。その様子を間近に経験させていただきながら、これこそイエスさまの食卓につらなるわかちあいの食卓であるとの思いを強くしました。

 聖書の中に、イエスさまと敵対するユダヤ教の指導者たちが、「あなたの弟子たちは手を洗わずに食事をしている」といってイエスさまを非難する場面が出てきます。当時のユダヤ教は、律法を守らない外国人をケガレた存在だと見なしていました。そのため、宗教的な清めの手続きとして手を洗うことを行わなければケガレが食卓に持ち込まれてしまう、と考えたのです。このように、立場の異なる人たちを自分たちの食卓から排除するために律法を用いていくユダヤ教の習慣を、イエスさまは大胆に批判なさいました。「外から人の体に入るもので人を汚すことができるものは何も」ない(マルコ7:15)。むしろ多様な人たちと食事をともにすることによってこそ、わたしたちは理解しあい、支えあう共同体を育んでいくことができるのだ。イエスさまはそのことを、ご自身のまわりに集われる多様な人たちとのわかちあいの食卓によって、身をもって示され続けたのでした。今日のキリスト教会もまた、このイエスさまの食卓の伝統につらなっていることを思います。

 ところが昨年来、わたしたちは新型感染症に苦しめられ、食卓を通して励ましあったり、力づけあうことを著しく制限されるようになりました。ともに食卓を囲む場面での会話は、最も避けるべきことだとされてしまいました。礼拝においても、被災地を初めとするさまざまな支援の活動においても、共に食べることを活動の基礎においてきた教会にとっては、本当にもどかしい日々。これまでイエスさまの食卓をわかちあうことによって力をいただいてきたわたしたちは、どのようにこれを越えていけるのか、新しいチャレンジの前に立たされています。思考停止に陥ってフリーズしてしまうのではなく、ウイルスなど怖くないと蛮勇に走るのでもなく、なによりイエスさまが、こうした壁の前に立ってそれを乗り越えて前にすすまれたことを思い起こしたいと思います。

 3月上旬。北国では、地面を覆っていた分厚い雪がとけ、少しずつ庭の黒土が顔を見せはじめました。そこでは雪がとけはじめたばかりというのに、すでに小さな緑の草花が芽吹いています。草花も雪の下で時を待っていたのです。あの東北大震災から10年。街も人も、復興は一気にではなく少しずつしかすすみません。新型感染症の影響下、出来ることは限られるかもしれません。それでもわたしたちは、少しずつ前にすすむことが出来る。出来ないからあゆみを止めるのではなく、出来ることから、そして出来る時を待ちつつ力を蓄えながら、多様な者がその場を通して力づけあう共同体を育んでいく。それぞれの場でともにつながりあいながら、そんなイエスさまのわかちあいの食卓を再び興していきたいと願います。

          小泉基 (コイズミモトイ 日本福音ルーテル函館教会牧師)

 ちなみに、4月中旬、『わかちあいの食卓 熊本地震・教会避難所45日』が、かんよう出版から発行予定だそうです。

希望ある明日に向かって歩むぞメッセージ

 東日本大震災から10年目をむかえます。私たちの周りでは、この10年で次から次と災害が起こりました。その度に支援活動がおこなわれ、ボランティアが活動し「寄り添い」を実践してきました。今日も熊本球磨村では支援活動が継続されています。コロナ禍の状況のため、いまも泥出し作業が行われています。臨床宗教師のお坊さん仲間が重機の免許を取り、動かし土木作業をしながらそこに生きる人々の命に寄り添っておられます。コロナ禍で働く皆さんと同じように。

 3月8日~12日、宮城県石巻・南三陸に行ってきます。10年目の今年、再び現場の苦しみに伊藤文雄牧師と共に身を置いてきます。9日は南三陸の海辺から防災センターへ宗教宗派を超えて追悼行脚をします。それぞれの宗教が自分たちの祈りを唱えながら歩きます。あの時、何もできず泣きながら歩いたことを思い出します。本当につらかった。死臭漂う中に立たされ、祈るしかなかった。宗教宗派など関係なく、ただひたすら雪の降る中、夢中で祈りながら歩きました。宗教者として痛み苦しみのど真ん中に身を置かされた出来事でした。「現場から逃げずに踏みとどまれ。苦しむ人々と共にいろ」。それしかできなかった。しかし「神仏はまさにそこにおられる」出来事でした。その痛み苦しみの現場とのつながりが10年経ったいまもあります。

 先週、宮城石巻十三浜から生わかめ、メカブが送られてきました。生ワカメは今の季節のみです。早く食べないと悪くなる。それでも取れたてを送ってくださいました。もう8年目です。「復興したら一番にとれたワカメ送るっちゃね」との約束通り。今年もまた届きました。このワカメをいま私の周りにいる皆さんに食べていただけることが幸いです。このつながりの原点を、ワカメを食べるたびに思い返します。それが「寄り添い」です。

 あのとき現場の苦しみから逃げず、そこに必死に踏みとどまった。いやそれしかできなかった。祈りつつ現場の苦しみに身を置いて。十字架の主がそこにおられるから。現場の命に寄り添っておられる方にエールを送ります。あなたの横には必ず神様がいてくださる。祈ってます。

              日本福音ルーテル広島教会 牧師 立野泰博

希望ある明日に向かって歩むぞメッセージ

新型コロナウイルスはすべての人の生活に影響を与えています。こ れまでできていたことや、やりたいたいことができなくなる、いま までの生活様式を変える、いままでの仕事の仕方を変える、人との 距離をとる、人との関わり方を変える、人と関わらない・・・とさ まざまな「変える」「変わる」を今まさに経験しています。新型コ ロナウイルスに「感染しないため」に。
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先日、以下のような話をとある大学の先生から伺いました。
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「私のすんでいる地域はいわゆる“田舎”です。先日、母子家庭のお 母さんが新型ウイルスに感染しました。お母さんと高校生の娘の世 帯です。それまでその地域では新型コロナ感染者は出ていなかった のですが、このお母さんが感染したことによって起こったこ と・・・それは「うわさ」による地域からの差別・排除でした。 “田舎”に暮らしたことがあればわかると思いますが、住民の間では 『どこどこの誰々さんはどんな仕事をしていて、子どもはどこの学 校に行っていて・・・』とプライバシーが住民の間ですぐに共有さ れてしまいます。うわさも含めて。結局、その母子はその地域で暮らしていくことができなくなり、 引っ越しを余儀なくされました。」
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この話を聞いたとき、とても大きな衝撃・悲しさとともに、地域に 暮らす人びとの「恐さ」に、私たち福祉に携わる人間は目をそらし てはいけないと思いました。そもそも感染してしまったことは罪なのでしょうか。私たち(ソーシャルワーク専門職養成教育界隈)はこれまで、「地 域」や「地域住民」像をキラキラしたきれいで理想的な一面だけを 切り取って伝え過ぎていやしないか・・・(自戒の念です)
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いま、「地域共生社会」という政府の政策理念のもとで社会福祉士 等の国家資格養成教育の内容も見直されることとなりましたが、 ソーシャルワーク専門職の養成に携わる人間は、国の政策理念がど うであれ、すべての人が持っている「個」を大切にし、多様性を認 め、「社会的つながりが弱い人」「つながることができない人」 「つながりたくない人」「つなぎたい人」などいろんな考え方の人 たちがいることを認めた上で「共生」を考えなければならないと思 います。そして、社会で弱い立場にある人が差別(うわさ)され、 抑圧(いやがらせ)され、排除(引越し)される状況を良しとせ ず、変えようとするソーシャルワーカーを育てなければならないと 思っています。このスタンスは「変えてはならない」「変わっては ならない」ものでしょう。
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新型コロナウイルスを正しく恐れる事はとても大事なことですが、 もっと恐れるべき「こと」が起こっています。それはソーシャル ワーク専門職養成にとって極めて重要なイシューであること、そし て私たち福祉に関わる人間はこのイシューにもっと敏感にならなく てはなりません。そのために私もがんばろうと思います。

小森 敦/日本ソーシャルワーク教育学校連盟事務局(日本ルーテル教団北見教会と繋がりのある方です:市川より)

希望ある明日に向かって歩むぞメッセージ

 4月のことでした。教え子の一人からメールがありました。その内容は、「同級生M君と奥さん、そしてお母さんが新型コロナウイルスに感染で闘病中。激励のメッセージを」という衝撃的なものでした。

 励ましのメールにしばらくしてM君から返事がありました。そのメールでM君は、闘病生活の苦しさ。進行に伴い意識も朦朧となりさらに呼吸困難に陥り人工呼吸器も装着し死も覚悟したこと。今は皆の励ましを支えに快方に向かっていること等を伝えてくれました。幸いにもその後、本人、奥さんさらにお母さんも回復できました。

 彼は飲食店を家族で経営したこともあり、新型コロナウイルス感染拡大の関係で経営も苦しい状況に追い打ちをかける感染でした。精神的にも肉体的にも本当に苦しい状況だったようです。でもメールでは思いがけないことも伝えてくれました。私が「いつも祈っています」と付け加えていたことに対し、「お伝えしていなかったのですが、実は私はルーテル神水教会で洗礼を受けたのです」と。そして闘病中の苦しみの中で、神さまに何回も祈ったことも伝えてくれました。本当に驚きましたし、神さまに感謝しました。

 その後しばらくして地元の新聞に彼の記事が出ました。「感染者は語る~コロナとの闘い」というその記事で、彼は自分や家族の45日間にわたる闘病生活についてすべてを語っていました。もちろん闘病の大変さ。家族の苦しみと支え。特に献身的に支えてもらった医療関係者の方々の働きとそのことへの感謝。また保健所の感染拡大を防ぎたいとの求めに応じ、家族で相談し店名を公表。そのことに対するいわれのない差別と多くの人からの激励。そして店名公表の記事を見たある中学教諭の求めに応じ、死を覚悟するほど重症化し、差別の現実を突きつけられた自分の話を動画でその中学の生徒たちに伝えたのです。こうしたことについての理由を次のように語っています。

 「私が店名を公表したのは、この感染症の恐ろしさを伝えると同時に、患者や医療関係者などへのいわれのない差別を減らしたかった。特に入院中、看護師がふと『自分がどこで働いているかは外では言わない』と涙をみせたことがショックでした。でもこうして回復できた陰に『病院の威信をかけても治す』と献身的に治療に当たってくれた医師や看護師さんたちの存在があること。だからこそその方々への感謝も伝えたい」と。

 実は、ニューヨークで献身的な働きをされているルーテル学院大学の卒業生の方の記事を読みながら、身近かにいるM君とその家族を支えた医療関係者の方々のことを重ね合わせていました。

 故徳永徹福岡女学院元院長の座右の銘で、「凛として 花一輪」という言葉があります。徳永先生によると、この「花」は野山に咲く「野の花」だそうです。だからこの言葉は「野の花一輪、心ない人には踏みつけられるが、心ある人には喜ばれる。そういう毅然とした人でありたい」という意味なのです。さらに徳永先生はこうも書いておられます。「花は、人に見られるために咲くのではありません。花にもし使命があるとすれば、それは自分らしく咲くことなのです」と。

 それぞれの場所で「地の塩」として働いておられるルーテル学院大学の卒業生の皆さん、そしてそこを目指した学びを続けている学生の皆さん。それぞれの働きを神さまが見守り支えて頂いていることを、希望を持って受け取り、一歩一歩歩いていかれるようお祈りします。

                                内村公春

(現九州ルーテル学院院長・ルーテル学院中高等学校校長、前九州学院校長) 

希望のある明日に向かって歩むぞメッセージ

熊本からのメッセージ

              九州学院 副院長・チャプレン 小副川 幸孝

忠実な良い僕だ。よくやった。お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ。

            -マタイによる福音書25章21節-

 わたしが住む熊本は2016年4月に2度にわたる大きな地震に見舞われ、ようやく震災から立ち直りかけた2020年に新型コロナウイルスの感染症の拡大と7月の豪雨による水害に見舞われました。いわば三重苦、四重苦の中に置かれています。このところ年々大きくなる自然災害で喪失感と絶望的気分はひどくなりますが、今回の新型コロナウイルスの感染拡大は、中国からまたたくまに世界中に広がり、有効な治癒薬がないままに、現在もなお世界的な広がりを見せています。

 人類は、有史以来これまでも、様々な感染症を度々経験してきました。しかし、社会活動のグローバル化が進み、複雑な社会構造を形成した現代社会の中での感染拡大となりましたので、これまでの日常生活の形態の多くが制限され、経済構造や社会行動様式を変化せざるを得なくなり、多くの不安や心配が渦巻いているのが現状です。

 わたしが奉職しています学校も熊本地震で校舎のほとんどが被災し、今回の球磨地方の水害でも数人の生徒の家屋が浸水被害にあいました。また入学式や始業式をインターネットを用いた分散型で行ったり、遠隔授業などもしたりしましたが、長期の休校処置をとらざるを得なくなり、ようやく6月から再開するという事態になりました。教育現場としての学校教育の在り方も変化せざるを得ないだろうと思っています。

 かつて14世紀から17世紀にかけて西欧中に広がったペストは、死者が1億人を超えたと言われ、北里柴三郎らがペスト菌を発見するまで「黒死病」として恐れられました。町や村が全滅するという事態にまで至ったことはよく知られています。しかし、その時、ある医者が「ペストに対する戦いの唯一の手段は、誠実であることだ。誠実に自分のできることをすることだ」と語ったと記されています。

 このような事態の中で、「小さなことでも自分にできることを誠実にしていく」というのは、聖書が示す大事な在り方だろうと思います。イエスは、与えられたものを有効に用いた人に「忠実な良い僕だ。よくやった。お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ」と語られています。災害からの復興でも感染症への対策でも、あらゆる場面で、自分にできることを誠実に行うこと。そのとき「よくやった。主人と一緒に喜んでくれ」と神が祝福されることを覚えて過ごしたいと思います。

      当時の日本ルーテル神学大学編入・1979年日本ルーテル神学校卒業

希望ある明日に向かって歩むぞメッセージ

 facebookで友人から後輩の彼女の状況を知って、身近な人の危機に心が震えました。

 次第に先生のブログで状況が細かく知らされるうちに、懸命に活動する彼女の様子に私も励まされていきました。ふと学生時代のほんわかとして穏やかな笑顔の彼女のことを思い出して、内に秘めた信念の人だったんだと改めて感じました。

 ルーテルを卒業してから、北海道から大阪、神戸へ。夫と共に教会にお仕えし、関西で10年過ぎました。今回の新型コロナで、70から90歳までの信者さんの多い教会のため、残念ながらイースターから休止状態になりました。情報弱者の高齢の方々の心と魂のケアに出来るだけ心砕いています。

 ニュースで福祉、医療関係の施設の集団感染の情報が出るたびに、ルーテルの友人たちの顔が目に浮かびました。第一線で働く彼ら、彼女たちは本当に私の誇りです。

「他者のために」日々邁進している友人たちに、心からのエールを送ります。

 共に希望ある明日向かって歩みましょう! okadon

ルーテル社会福祉協会

2019年8月21日、ルーテル学院大学において、ルーテル社会福祉教会の総会が行われ、「キリスト教社会福祉教育の挑戦〜ルーテル学院大学における36年を通して」というテーマの講演をお引き受けした。本資料は、その内容である。

同協会に属する社会福祉法人<東京都>東京老人ホーム(高齢者)・ベタニアホーム(母子ホーム、保育園)、<千葉県>千葉ベタニアホーム(母子ホーム、保育園)、<静岡県>デンマーク牧場福祉会(高齢者、児童養護、精神診療所)、<大阪府>るうてるホーム(高齢者)、<北九州市>光の子会(児童養護ほか)、<大分県>別府平和園(児童養護)、<熊本県>慈愛園(乳児、児童養護、高齢者、障害児・者、保育園) 、キリスト教児童福祉会(児童養護ほか)、NPO法人 

 私は、ルーテル社会福祉協会を構成する社会福祉法人、NPO法人すべてを訪問することができました。各法人の歩みと現在の事業・活動内容は、るうてる法人会連合編『未来を愛する希望を生きる』(人間と歴史社)にまとめられています。

 また、私は40数年間、いくつもの計画策定に関わらせて頂きました。そしてこの20年ほど、孤立、虐待、貧困などのたくさんの問題が顕在化してきていると思っています。ものすごく社会がゆがんでいると考えています。そして、他人事ではありません。自分自身も、今後、孤立の問題と直面するかもしれない。その現実に、キリスト教主義の施設やキリスト教社会福祉がどのように関わっていくかが問われているのです。その挑戦は、各法人の創設時と共通していると思います。すなわち、福祉制度がない時代に、また福祉利用者に対する偏見が色濃くあった時代に、先人の方々が支援を立ち上げた苦労を、私たちは共有することができると考えています。

1.今の地域社会を考える

2025年には団塊の世代の方々が後期高齢者になられます。しかも、家族の扶助機能の脆弱化に伴い、高齢者世帯の7割を一人暮らしまたは高齢者世帯が占めるようになり、介護を要する人に介護する家族はいないという現実が広がると予想されます。

 しかし、2025年問題は、実はすでに大都市で起こっています。高度経済成長が始まった1960年代に都市に就職してこられた若者が、工業団地等の集合住宅に住み、そして今、多くの入居者が高齢者となっています。団地自体が急激に高齢化し、孤立の問題に直面しているのです。

2009年の『閉じこもり予防・支援マニュアル (改訂版)』(厚生労働省)によると、「閉じこもり」をもたらす要因は、「身体的要因」(身体的老化など)、「心理的要因」(不安)、「社会環境的要因」(物理的バリア、定年などによる社会的役割の喪失)があり、相互に関連して、多くの高齢者を孤立状態に追いやっていくとされています。

 また、今日増加している虐待も、「保護者側のリスク要因」(医療につながっていない精神障害、知的障害、慢性疾患、アルコール依存、薬物依存、そして被虐待経験)、「子ども側のリスク要因」(子育て負担のある乳児)、そして「養育環境リスク要因」(親族や地域社会から孤立した家庭、経済不安、貧困など)が相互に関係して生み出されています。そもそも子どもは、虐待を受けるために生まれてきたのではない。神様から祝福されて生まれてきた。だから、皆、「おめでとう」と言われて祝福される存在である。この原点を見失ってはいけません。

 さらに、生活困窮者を取り巻く問題としては、8050問題があります。長く引きこもりを続けてきた50歳代の子どもが80歳代の親と生活している。子どもには収入がなく、したがって年金などの社会保障を受ける権利もなく、両親が亡くなると経済的問題に直面します。また、今日、生活困窮者になりやすい不安定就労の方々、家にひきこもる方々が増加しています。孤立、虐待、そして貧困が大きな社会問題となっていることを認識する必要があります。

2.社会福祉制度の動向

 まず、介護保険制度についてお話をします。たとえば、孤立すると高齢者の心身の機能は低下し、要介護状態になっていく。さらに認知症が進むと徘徊や見当識障害が深刻化し、介護する家族が疲れ切ってしまうというような悪循環が起こってくる。これに対応するためにも、それぞれの地域の実情に合った医療・介護・予防・住まい・生活支援が一体的に提供される「地域包括ケアシステム」が提案されています。特に、生活支援は、介護予防と結びついて、高齢者自身の社会参加を促すとともに、地域サロン・見守り・外出など支援という住民などがボランティアとして行っていた活動を介護保険制度に組み込むものです。すなわち、「地域福祉の制度化」が進められています。さらに、同システムは、自立支援、重度化防止に重点に置いています。それは、単に医療保健システムを強化するだけでなく、「地域共生社会」を目指した取り組みであり、孤立した高齢者、介護家族が住民として地域でできるだけ自立して生きていくことができる地域社会を作る実践が高齢者福祉施策において重要とされています。

また、児童福祉分野では、2011年の『社会的養護の課題と将来像児童養護施設等の社会的養護の課題に関する検討委員会・社会保障審議会児童部会社会的養護専門委員会とりまとめ』において、社会的養護の基本的方向として、①家庭的養護の推進、②専門的ケアの充実、③自立支援の充実とともに、④家族支援・地域支援の充実があげられ、「施設は、虐待の発生予防、早期発見から、施設や里親などによる保護、養育、回復、家庭復帰や社会的自立という一連のプロセスを、地域の中で継続的に支援していく視点を持ち、関係行政機関、教育機関、施設、里親、子育て支援組織、市民団体などと連携しながら、地域の社会的養護の拠点としての役割を担っていく必要がある。」としています。すなわち、地域における協働が提案されています。この基本的考え方は、2017年に厚生労働省雇用均など・児童家庭局家庭福祉課より出された『社会的養護の推進に向けて』に継承されていると思います。

さらに近年、社会福祉法が改正され、社会福祉法人に、法律上、地域における公益的事業を行うことが義務づけられています。公益的事業とは、地域における居場所(サロン)、活動場所の提供などを通じた地域課題の把握や地域づくりに関する取り組み、住民ボランティアの育成などであり、すでに皆さんがなさっておられると思います。

 最後になりますが、生活困窮者自立支援制度を説明します。2013年、「現に経済的に困窮し、最低限度の生活を維持することができなくなるおそれのある人を支援するため」、生活困窮者自立支援法が成立しました。同法は、2015年度から、各地方自治体に自立相談支援事業(就労その他の自立に関する相談支援、事業利用のためのプラン作成など)の実施、住居確保給付金の支給を行わなければならないとしました。また、課題となっていた生活保護受給者の自立支援やひきこもる人々の社会復帰、また貧困によって教育の機会を奪われ、貧困の悪循環から脱することができなくなる危険性のある若者への就労、学習支援などの幅広い取り組みを市町村、社協に求めています。同制度の考え方は、生活困窮者支援を通じた地域づくりであり、「生活困窮者の早期把握や見守りのための地域ネットワークを構築し、包括的な支援策を用意するとともに、働く場や参加する場を広げていくこと(既存の社会資源を活用し、不足すれば開発・創造していく)、さらに<支える、支えられる>という一方的な関係ではなく、<相互に支え合う>地域を構築する」ことを目指しています。

これらの施策に共通していることは、協働による共生の地域づくりです。

なお、近年、福祉関係者は「我が事丸ごと」という言葉を良く聞くと思います。「共生の地域づくり」を「我が事」とするなら、「丸ごと」は、児童・障害・高齢福祉等の分野で分断することなく、合わせて議論しましょうということです。生活困窮は広く住民を対象とします。また高齢者や就職氷河期で不安定な就労しかつけなかった人の中にも、生活困窮者の予備軍となっている方がおられる。

 介護保険では、対象を障害児者と高齢者にした共生型サービス事業を創設しました。私は2年前、代表的な共生型施設である富山の「この指とまれ」を訪問しました。そこを保育で利用していた小学生5年生の文を読みました。その児童は、乳児の時に病弱で「この指とまれ」しか受け入れてもらえなかったそうです。そこで世話をしてくれた人は、重度の認知症だったけれど、いつもニコニコして抱いてくれた。その方は働きに来ていると思っておられたそうです。その体験を通して、「障害を持っている人も高齢者も、障害を持っていながらも元気で生き抜いている人たち」なんだと書いています。そこに、共生の意味があると思います。一緒に歩み、出会いながら、それぞれの痛みと可能性がわかようになるのです。

3.キリスト教・教会とキリスト教社会福祉との関わり

(1)基本的考え方

私は、教会から発せられる言葉である隣人愛の実践が、キリスト教社会福祉の実践であり、教会の地域への玄関が、幼稚園・保育園を含む社会福祉施設、地域活動であるとも考えています。ですので、以下に述べるキリスト教と社会福祉実践を結び合わせる5つのCの座標軸が大切だと考えています。

①共感(Compassion)

悲しみや痛みを感じ、喜びや感動する心を抱き、自分らしく生きたいと葛藤し、人間としての誇りを生きる糧とし、安心する心の拠り所を求めさまよう、そうした人生を一歩一歩積み重ねて生き抜いてきた利用者の「生きる」姿に共感すること。これは、同じように生きてきた自分自身を理解することから始まります。

②連帯(Collaboration)

「隣人」とは、生きる意味を共に考えてくれる同伴者です。すなわち、叫びをあげている人々から求められることにひたすら応え続け、同伴者として歩むこと。それは、利用者の存在を支える働きであり、互いが生きる意味を教えあい、共に考える空間であり、意味のある人生を互いに築いていく過程ではないでしょうか。例えば、地域ケア会議等の連携の中で、各キリスト教社会福祉を実践する団体はどのような役割を果たすのか、地域社会における使命は何か、明確にしていく必要があります。

③当事者の様々な能力の向上(Capacity building)

「孤児の父」と言われた石井十次は、明治後期に密室主義(個人的な話し合いによる教育)、旅行主義(見聞を広めるように努力すること)、米洗主義(米をとぐようにそれぞれの特質を現させる)等の岡山孤児院12則を明らかにしました。また知的障害児の父と言われた糸賀一雄氏は、昭和20年代から療育を通して、発達保障というミッションを掲げました。先人の精神を継承するならば、当事者の生きようとする力、他者を理解しようとする力、潜在的な自立能力を一緒に発見し、維持し、強化していくために、日々切磋琢磨し挑戦をしていくことが求められています。

④運営方針の明確化と組織強化(Check and evaluation)

社会福祉法人改革の現状分析は首肯できませんが、組織の透明性等の強化、公益事業の義務化に関しては、一つの機会ととらえています。

組織内だけでしか通用しない常識は、それを非常識と言います。そして、キリスト教社会福祉を実践する団体が、社会から求められている存在であるのかと確認し続けて頂きたい。

上記の4つの『C』を横軸に、キリストの教え『Christ』を縦軸にする座標軸。すなわちキリストが私たちのために十字架につけられ、自らの命を捧げて下さったこと、そして復活なさり神の元におられるという信仰を縦軸にする十字の座標軸がキリスト教社会福祉の実践だと考えています。 

(2)特に意識して頂きたいこと

①自立の概念の変化

そもそも自立とは、個々の能力に応じたものであり、その人が有する障害に対しては支援を、その人がもつ能力は活用という基本的視点が大切です。また、自立の目標は就労による経済的自立なのでしょうか。地域生活における自立、社会関係的・人間関係的自立、文化的自立、身体的・健康問題と自立等、多様な自立を支えるという視点が求められています。

②当事者主体

身体障害をもつ方、知的障害をもつ方の社会参加は課題がありつつも、一定の実績はありますが、近年は特に、精神障害をもつ方の社会参加、自己実現を目指す活動が注目されています。浦河べてるの向谷地氏は、当事者研究を示し、当事者自身の取り組みを前面に掲げています。初期の認知症を持っている方々が当事者として社会参加していく可能性を模索する実践もそうです。このような実践が、全国に広がっています。

③継続的支援の強調

継続的な支援を考えていかないと、多くの当事者は孤立するのではないでしょうか。例えば、一定の年齢になり、児童養護施設を卒園した青年が、突然社会での自立を求められることには無理があります。人生のそれぞれの歩みの過程で、一緒に歩む人、活動、組織の支援があることが不可欠です。限定されていたサービス、制度を結び合わせるシステムを創り出していくことが求められています。 (以上、「キリスト教社会福祉実践の原点を考える」(発題要旨)『キリスト教社会福祉学研究』52号、日本キリスト教社会福祉学会)

 ルーテルの教会によって建てられた施設や学校が、地域における生活問題にどのように立ち向かうのか。また、本来は、教会が中心になって、問題へ取り組んでいくことが望ましいのですが、事実、多くの教会は、今までの役割を担うことができなくなっていると思います。ならば、私たちが、教会のミッションを掲げ、一緒に歩み、教会の宣教力を強めるような挑戦はできないでしょうか。支えられてきた教会にどのような恩返しができるでしょうか。

4.ルーテル学院の挑戦

①社会から求められる大学を目指した改革

 ルーテル学院は、ルーテル教会の青少年教育の一環として、1909年に創設された路帖神学校に始まり、本年(2019年)、創立110周年を迎えました。同時に、本年は三鷹キャンパスへの移転50周年という記念の年でもあります。

大学としての歩みをお話します。1964年にルーテル神学大学という名称で設置認可が下り、大学は、1976年に神学科にキリスト教社会福祉コースを設けました。私は、1983年にルーテル神学大学の専任講師になりましたが、当時の学生数は、1学年で20名前後であったと思います。しかし、確実に社会福祉の専門職の必要性が高まっており、本学は1987年にコースが独立して社会福祉学科となり従来の神学科と合わせて文学部2学科体制になりました。また、1992年には、社会福祉学科の定員は60名になり、神学科にキリスト教カウンセリングコースを設置しました。1993年にはブラウンホールを竣工し、学ぶ環境を強化するとともに、1996年にルーテル学院大学と名称を変更し、2000年には社会福祉学科は80名に定員増をしました。当時は、社会福祉分野への働きに対して社会の関心が高く、数の上で、社会が求める人材の養成ができていたと思います。

②高度の専門教育によるソーシャルワーカーの能力向上

ルーテル学院大学は、2001年に大学院 人間福祉学研究科 社会福祉学専攻(修士課程)を、2004年に博士課程を開設しました。これは、深刻な生活問題を解決するためには、高度な専門知識と専門技術をもつ人材が求められるという、現場、教育、研究の要望に応えるものでした。しかも、開講時間を、木曜日・金曜日の6限、7限という夜間と、土曜日の1限から5限とし、福祉現場等で働いている専門職も受講できる仕組みを考えました。そのため、優秀な教員を配置しましたが、大学院があるということは、大学自体の教育力、研究力を高めると実感しています。

③人間理解と隣人愛を支援の根底に置いた改革

2005年には、臨床心理学科を設置し、1学部3学科体制になりました。同時に神学科を「キリスト教学科に改組して、文学部を総合人間学部に名称変更しました。また同年、大学院に臨床心理学専攻を設置し、1研究科2専攻体制になり、人間福祉学研究科を総合人間学研究科に名称変更しました。2006年にはトリニティホールが竣工となりました。この改革の目的は、教育の目的と一致します。すなわち、ルーテル学院は心と福祉と魂の高度な専門家を養成するという教育の目的を掲げています。すなわち、キリスト教学科は、キリスト教に基づき人間の存在、神から与えられた命の尊さを学び、イエスキリストの愛を伝える人材を生み出す学科です。社会福祉学科は人間の生活を支える仕組みを作り、援助をしていくソーシャルワーカーを養成する学科です。臨床心理学科は、人間の心に寄り添い、援助する心理の専門職の養成を目的としています。これらの3つが合わさって「心」と「福祉」と「魂」の高度な専門家を養成する大学になりました。

④学び方改革

 2014年、ルーテル学院大学は人間福祉心理学科に子ども支援コース、社会福祉援助コース、臨床心理コース、地域福祉開発コース、キリスト教人間学コースという5つのコースを設け、1学科5コース制になりました。具体的には、学生はキリスト教学、いのち学、福祉学、心理学等から学び、人間を理解し、心を学び、福祉の実践を身につけて卒業していく機会が提供されます。卒業生の多くが、人を支援する現場で働いていますが、支援の相手は、学問領域で分けられるものではありません。「靴に足を合わせるのではなく、足に靴を合わせる」、すなわち支援の相手に相応しい支援

 本大学の取り組みから、お伝えしたいことは、以下のことです。

①たえずチャレンジ:本大学が、小規模大学です。しかし、教育への情熱とネットワークはマンモス大学にひけをとらないのはもちろん、柔軟で迅速な対応ができるという強みがあり、存在感を示してきたと思っています。それは、本大学が置かれている状況を絶えず検証し、「したいこと」「できること」そして「求められること」を皆で考えてきた結果だと思います。そして卒業生が教育の成果を表してくれていると思います。

②たえずミッションに立ち返ること:本大学は、「自分のためでなく、隣人のために生きて、仕える生に神の祝福があるように(ルター)」というミッションを堅持しようとしてきました。ミッションは建前ではなく、日々の業務に活かされるものです。そして、たえず立ち返り、検証していかなければなりません。

③今の社会は、混乱のただ中にあります。たくさんの方が排除され、また解決困難な問題に直面しています。その方々に、希望の光を届ける使命を実践していくことが、私たちに求められていると思います。今後も一緒に挑戦していきませんか。