29)我が家のクリスマスツリー

いろいろなクリスマスツリーがありました。私は、どれもが素敵だと思っています。友人やルーテル関係の方々、教会、そして、我が家。それは、ホームです。私は、そこに、私の原点があると思います。

「共にいる」

疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。

マタイ11:28

新入生の皆さん、入学おめでとう。保護者の皆様、おめでとうございます。私は、皆さんへの歓迎の言葉として、「共にいる」というテーマのメッセージをお贈りしたいと思います。

私は、3月の休日の朝、真っ青な空に誘われて、中央線沿線の山登りを思い立ちました。早朝まで、鞄に資料を入れて、大学で原稿を書く予定でしたが、それだけ空がきれいだったのです。すぐに勉強部屋に資料の入った鞄を置き、リュックや念のために雨具等を準備し、革靴を登山靴に履き替えて、10時頃に家を出ました。そして選んだ登山ルートは中級コースでした。中央本線上野原駅を11時過ぎに降りた私は、高柄山に向かいました。本には、総歩行時間5時間と書かれていましたが、1時間は短縮できるので、午後3時には、四方津駅に到着する予定でした。

しかし、30分ぐらい道を歩いていると、まったく人影はなくなり、少し不安になりました。普通の山道とは違う。しばらくすると、道の真ん中に、細い竹が何本も延びていました。さらに歩いていくと、道に木が倒れていました。木を避けて歩いていくと、山の反対側の数百メートル先には、国道と鉄道が見えました。しかし、そこに行くまでには深い渓谷があり、叫んでも川の流れの音にかき消されてしまいました。そして山道は、約60センチの幅になり、かつ少し斜めになっていました。また前日まで雨でしたので、滑りやすく、道の上には、たくさんの枯れ葉がつもっていました。

後戻りするにもやっかいな道。先に進むも不安。しかし、何日前かに、人が歩いた跡がある。生えている笹をつかんで、落ちないように一歩一歩進んでいきました。後で気がついたのですが、山道から約30メートルの傾斜に木が何本も生えていましたが、その先は、崖だったかもしれません。

そして、歩き始めてから1時間ぐらいたって、集落にたどり着きました。しかし、玄関は開いているのに、呼びかけても誰も返事がない。飼われている犬がほえるだけ。どの家も同じ。しばらく畑に囲まれた舗装された道を歩き、少し疲れたので、川を見ながら、先ほど買ったおにぎりを食べていると、農機具を積んだトラックが来ました。わずか2時間でしたが、私にとっては久しぶりに出会う人。その男性は、駆け寄る私に、笑顔で答えてくれました。その日は集落の集まりがあって、皆、公民館に出かけていったそうです。そしてこう言われました。「ご苦労様ですね。良い天気ですが、行こうとなさっている高柄山は、あの山の向こうです。登るには時間がかかります。今日は帰られた方が・・・」私は、自分が置かれていた状況を理解し、近くの駅まで歩き、早めに帰ることにしました。

私は、今でも忘れません。本当に心細く、言い表せない寂しさや不安を持った時に、たった一言で気持ちを切り替えることができる。私が通った道は、まさに不安の一本道。前に進むのも、後戻りするのも、少なからず危険であった。そして、不安のただ中にあった時、その人の親切さに感謝できるし、忘れることはない。

しかし、逆の一言もある。教育・心理カウンセラーの冨田富士雄(とみたふじや)氏は、現在の若者の引きこもりは、合理的、効率的コミュニケーションが優先され、沈黙、何もしゃべらないでそこに居ることもコミュニケーションであることを軽視している現代社会そのものが生み出していると指摘する。スムーズに自分の気持ちを伝えることができず、悔し涙で会話にならない時、その気持ちを良く理解すること大切であり、そこから人間関係が築かれていくと言っておられます。(月刊福祉4月号「子どもSOS ふれあいたいのにふれあえない引きこもる若者」)

引きこもっていた人から、よく父の言葉が引用されます。お父さんの「結論から先に言え」「つまり何を言いたいのだ」という言葉。「何でお前はこんな点数しかとれないのだ。」しかし、家庭は会議室ではない。言葉だけ聞いて、気持ちを聞いてくれない関係から、信頼関係は築かれない。

また、「何度言っても、どうして同じ失敗を繰り返すの」「どうして懲りないの」と言う身近な人の言葉に私は悩みます。原因が分かっていたら、そんなことをしない。失敗を防げたら、とうに防げているし、失敗もない。

私は、自分がほっと出来る場で育まれた自分らしさがあってこそ、コミュニケーションの力がつく。人間関係における成長が見られると思っています。

乳児の時、捨てられていた人に、捨てられていた町の名前を付けられることがあります。脳性麻痺の障がいを持っていた横須賀君(仮名)は、「捨てられた」という気持ちを持ち続けていました。自分は誰か、何者かを追い求め、悲しい気持ちを拭い去ることはできませんでした。その悲しみを打ち明けた時、ある牧師が言いました。「君

は、捨てられたのではなく、生き残ったのだ」と。その意味を心に刻み、彼は、それから自分の歩みを始めたそうです。

でも、それは、単なる言葉だけでなく、そこには、自分の存在を受けとめる友人、牧師、専門職がいた。自分が自分らしくいられる空間があったからこそ、「君は、捨てられたのではなく、生き残ったのだ」という言葉を受けとめることができたと思います。

私は、ルーテル学院が使命としている、人間に対する働きは、その人の思いを理解し、たとえ問題の完全な解決はなくとも、困難に直面する人が、今を生きていくことを支える仕事であると確信しています。

私には、尊敬しているたくさんの教え子がいます。彼らは、私の誇りであるだけでなく、ルーテル学院の宝です。一人の教え子は、ある病院で、相談員として、ターミナルケア、すなわちガンの末期の患者さんをケアする仕事を担っています。あまり多くは言いませんが、私は、その卒業生が、日々、ガンにかかり、絶望している方の話を聞き続けていると思います。そして「眠れましたか、痛いですか」という医療的な対応ではなく、外を見たり、自然の中を歩いたり、昔の思い出を振り返ったり、「その人のその人となり」を大切に、今を生きていくという気持ちを支えていると思います。

まだ小学生の子どもを親戚にあずけ、夫と治療に専念してきた母親がいたそうです。しかし、子どもは、感染病の危険があるため母親の病棟に近づけない。病院のメンバーの心は、互いに会いたがっている子どもと母親の会う時間を作ること。母親は、入院していた病院から数時間の、他県にある故郷の病院に転院し、今まで祖父母に面倒を見てもらっていた子どもと話し、思いの伝えることができました。母親の思いをかなえるために、母親とともに歩んだ人たちがおり、その中に、私のかわいい教え子がいたのでした。そこに至る道を大切にすること。そこに、「共にいる」という言葉の原点があります。

聖句に戻ります。「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」その言葉に、その人そのものを受け入れる神の愛がある。そして私は、その聖句に、「誰一人として神様から愛されないで生命を与えられた人はいない。誰もが、祝福されて存在している」という御言葉が含まれていると思っていま

す。

誰にも重荷はある。そしてその重荷があるからこそ、大切なものが見えてくる。人に優しくなれる。今の社会は、経済市場の目から見て、重荷を持っている人を切り捨てている。過去、バスに乗り遅れるなという言葉がはやった。しかし、たくさんの人が乗り遅れた。その経済優先は、たくさんの悲劇を生み出した。今は、1年1年の速度が速いので、バスではなく、「新幹線に乗り遅れるな」と言った方がよいかもしれません。社会は、自由、平等を声高々にうたっていますが、格差は広がっている。強い者だけが経済的豊かさを享受している。大都市に人口が集中し、巨大な消費社会が築かれましたが、農産物等の自給率は極めて低く、地方の集落は崩壊しつつあります。多くの人々が、将来に向けて不安を抱いている。

だからこそ、私は申し上げたい。神が語られたように、「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」という御言葉を大切にする人を一人でも多く育てたい。それぞれが、精一杯、自分らしく生きていきたいという思いを受けとめ、一人だけで抱えきれない解決困難な事実を、一人で解決する必

要はないということを伝え続ける人が今必要とされています。

「共にいる」人の存在を知ることによって、その人は今を歩き始めることができる。そしてその人の明日が見えてくる。また、今を生きることによって、その人の過去の事実は変わらなくとも、過去の意味が変わるのです。過去の事実が変わらなくとも、その意味が劇的に変わるのです。

いかに社会の大きな流れが、目先の物質的な豊かさを目指しても、それによって決して失ってはならないこと。それは「共にいる」関係。ルーテル学院は、変えるべきことは果敢に改革していきますが、失ってはいけないこと、大切にしなければならないことは、誇りをもって守っていきます。全国に誇る優秀な教育力を堅持するとともに、皆さんと一緒に、明日の日本を切り開いていきたい。「共にいる」社会を目指し、さまざまなアクションを起こしていく役割が、私たちに期待されていると思っています。

入学おめでとうございます。これから、一緒に今を生き、明日を切り開いていきましょう。(2008年入学式)