希望ある明日に向かって歩むぞメッセージ

 卒業生の鵜澤です。先生方、多くの方々、ご無沙汰しております。今でも私にも声をかけて下さる市川先生の暖かさは、昔から変わらず、感謝です。このような場を設けて下さっていることは、今まで知りませんでした。

 NYの岩間さん、せいちゃんこと吉村さん、風の便りで少し耳にしておりました、この場で読ませて頂き、昔の仲間の活躍を詳しく知りました、本当に頭が下がる思いです。いつか会いたいです。お二人に限らず、先生方や卒業生の懐かしいお名前を多数、拝見し、それぞれの場で献身的に働かれご活躍されていることをお読みし、励まされています。ちょっとほっとして何となくうれしい自分がいます。陰ながら応援させて頂きお祈りしています。

 私は、高齢者分野を経て、現在は、長らく地域や児童対象の分野で働いています。先生方から教わったキリスト教福祉の実践を自分はどこまでできているのかは疑問ですし、それを探してここまで来ているのかもしれません。病気もしましたし年齢もありますので、この先はどうなりますか。何か私なりにできることを少しずつでも考えていければと思います。

 昨2020年7月末に、父が天に召されました。教会から礼拝をもって送り出していただけたのは感謝でした。そこに至るまで、父は高齢者施設と病院の往復でした。一昨年2019年晩秋以降、インフルエンザ、そしてコロナという状況下。ほとんど会うこともできず、職員や看護師の方々を頼りお願いしお任せするしかありませんでした。

 私たちはキリスト教の施設を希望していましたけれども、その願いはかないませんでした。ごく普通の地域に根差した施設です。キリスト教でなくても、父を最後まで、父を父であるように、人としてきちんと対応してかかわってくださいました。職員さんに大変感謝しています。

 この父に対する対応を通して、キリスト教であるか否か、正直言いまして、私にはその違いや差を感じられませんでした。

 かつて先生方からキリスト教社会福祉を学んだ自分として、施設や現場としては何が違うのか、キリスト教でない普通の方々との差は何なのか、施設としてはどうなのか、自分の仕事を含めて、様々なことを考える機会となりました。

 このコロナ禍の中で、多様な事を考え対応していかなければならない中で、キリスト者の自分は何をしているのか、未来はどうなのか、どうするのか、どうしていくのか、キリスト教社会福祉とは何なのか、今、あらためて考えさせられています。

 2020年3月5日  鵜澤 陽