2012年度入学式メッセージ

ご入学おめでとうございます。入学される方々に、学生生活を通して学んでいただきたいことを申し上げたいと思います。

聖書には、「善きサマリア人」の譬えが語られています。旅人が追いはぎに襲われ、服をはぎ取られ、殴りつけられました。多くの通行人は、倒れている旅人の姿を見て、道の向こう側を通って去っていきました。しかしサマリア人は、倒れている旅人に近寄って傷に油とぶどう酒をつけ包帯をし、泊まる場所を確保し、介抱しました。

このようなサマリア人の行動は、広がってきたボランティア活動の原点であると思います。人のために何かをしたいという気持ちがつながりあって、絆を生み出し、その絆がコミュニティを再生させる。コミュニティの力が、未来の社会を切り開いて行く。インドで貧しい人たちのために働いたマザーテレサは、「愛の反対は憎しみではなく、無関心である」と言いました。もし人が苦しんでいる姿に目を背け、無関心であるなら、その苦しみは決して終わることはなく、連鎖となって広がっていく。私は、自分が、苦しみに直面した時に、その苦しみを受け止め、笑顔に代えてくれた親族、友人、教師のことを思い出します。

住民の生活を支える仕事をしながら、このような「ささやかな絆」が、「皆の笑顔」が、日本ではだんだん消えていくことを心配していた私は、昨年の東日本大震災を経験し、驚きました。全国各地から被災地に届く緊急物資、寄付金、祈り、メッセージ、そして駆けつける人々。家族や財産を失い、ただ呆然と立ち尽くす方々の姿を見て、いてもたってもいられない自分が、たくさんの人々がいるのでした。

東日本大震災から1年と数ヶ月を経て、私たちは、多くの体験をしました。原発の被害、孤立と貧困の広がり等々に直面し、明日が見えない。だからこそ、原点に戻り、私たちの生活の場に、「ささやかな絆」と「皆の笑顔」を取り戻すのです。被災地では、生活の場であるコミュニティを再建しようとする動きが確実に生まれています。自然の猛威にあっても、心に火を灯し、明日を目指して生きている方々と共に歩みたい。ボランティア活動を手話では、「共に歩む」と表します。

私は、今、3つのことが大切だと思っています。

第1は、今、自分にできることをすること。「現地に行って、支援のために働くことができないので、心が痛む」と良く言われます。しかし、ボランティアとは、「一か百か」ではない。たとえば、1か100かの2つの選択肢ではなく、その間には、98通りの働きがあるのです。

第2は、相手を理解する謙虚さと、相手を理解する力、関わっている方々と共に歩む力を養うこと。相手を知らなければ共に歩むことはできない。個々の状態も違うのであり、必要とされていることを判断する力が求められる。そして“May I help you?”というイギリスで日常的に使われる言葉がボランティア活動の原点だと思っています。自ら申し出ますが、判断を相手に委ねるのです。

第3は、続けることです。被災なさった方の悲しみは、深い。そして、決して消えない。でも、私は思っています。天国におられる方々は、今、生きておられる方々の悲しい顔を望んでいないと。だから、被災しているといないとに関わらず、私たちが共にいること、明日があることを、様々な働きを通して届け続けていくことが大切です。

私は、様々な講演の場で、いつも「被災地の復興は私たちの未来。それは、笑顔の連鎖、絆の再生である」と申し上げます。今、日本全国で、世界で、様々な悲劇が生まれている。戦争は憎しみを残し、憎しみに連鎖がさらなる紛争を生み出す。私たちが生活する場でも、日々孤独な死や、大切な子どもの命が奪われていく。そのあまりにも悲しい現実に立ち、共にコミュニティの復興を図っていくこと。

繰り返しになりますが、それぞれが、精一杯、自分らしく生きていきたいという思いを受けとめ、一人だけで抱えきれない解決困難な事実を一人で解決する必要はないということを伝え続ける人が、今必要とされています。「共にいる」人の存在を知ることによって、その人は今を歩き始めることができる。そして、その人の明日が見えてくる。また、今を生きることによって、その人の過去の事実は変わらなくとも、過去の意味が変わるのです。過去の事実が変わらなくとも、その意味が劇的に変わるのです。

サマリア人の行いを示し、「行って、あなたも同じようにしなさい」と言われたイエスの御言葉を、入学される方々と、一緒に学びたいと思います。