陶磁器のわがまま展覧会-3

松の火の粉がついた皿

 田園調布教会に講壇奉仕で行った帰り、東急の駅までの間に、いくつかの陶器の店があった。駅から南に歩き、右に一つめの店で、この皿に出会った。お願いした説明書は、数年たっても届かないが、この緑の深さと赤い斑点に気持がひかれた。初めて見た時は、決して手が届かない値段ではないが、気持を固めなければ買えない値段であった(1万円から3万円の間)ので、まずは退散。もしそれでも買いたくなったのなら、買おうと思った。しかし、これを欲というのか、数日して、神奈川県の仕事で横浜に行く時、思いがつのった。そして、もし帰りに寄れたら買おうと思い、結局買える時間に田園調布駅に着いた。
 まだ、その焼き物は、私を待っていたかのように、飾られていた。いくつもの支店がある店なので、その皿に関するもう少し詳しく、丁寧な説明がなされた方が良いと思ったが、良いと思った私の責任で、喜んで買わせていただいた。
 今、大きさから、その色から、また波のように押し寄せる表面から、実は妻からもっとも好評な皿として使われている。20数センチ四方の皿は、家の癒しになっているのである。でも、飾られていた方が、威厳があり、輝いていたと思っているが、親しみは今の方が大きい。

萩焼

 萩焼は、私がもっとも好きな陶器の一つ。名前においても、全国区である。1に焼け、2に土、3に作りと言われる。その焼き具合は、「ざっくり」と、または「かたく」焼かれたもの、窯の中で変化を起こす、すなわち窯変と、それぞれ趣きがある。私は、この写真のような、独特の青色の陶器が好きである。

何度も、山口県では宇部、徳山、下関等に行ったことがあるが、時間の制約もあり、萩に行くことはできなかった。そしてこの萩焼を手に入れた所は、青森市。それも、青森県の特産物を豊富に置いてあるセンターの展示場で、出会った。展示されていた各種の焼き物を見ていて、光り輝いていたのが、大屋窯窯元濱中月村氏作の萩焼。本州の最北で、本州の最西のすぐれものを手に入れた。これを出会いと言う。

行くことはできた「大久保窯」との出会い

 何年前になるだろうか。宮城県の仕事の後、栗原郡へ行き、講演が終わった時、担当の職員のSさんから、近くに有名な窯元があることを教えていただいた。知識の乏しい私は驚いて、「何焼きですか」とお尋ねしたら、大久保窯とお答えになった。そして時計を見ると、まだ約2時間の余裕があった。「行くこと<は>できます」という御厚意に甘えて、お連れいただいた。
 畑を見下ろす丘の上に大久保窯があった。そしてその門に立って、しばし立ち止まった。なんとも大きな古い家。そして整然と自然の中に立っている家。入ってしばらく探索するも、作品の多さと、中の雰囲気のすばらしさに、思わず私の時間が止まった。そして村上世一氏がおられ、作品のお話をたくさん伺うことができた。しかし、実際の時間は止まらない。職員の方から促されるまで、とても楽しく、充実したひとときを過ごすことができた。同時に、「行くこと<は>できます」という意味が痛い程よく分かったひとときでもあった。

 私は、1階の茶をいただくテーブルの前に飾られた中から、しょうぶの花が優しく描かれた直径45cm程の大皿と、中2階にあったひとまわり小さな皿を並べ、値段をお聞きして、どちらにしようかと大いに迷っていたところ、「どうぞお2つをお持ち下さい。最初に申しました1皿の値段で結構です。そしてこの本も差し上げます。」との御厚意。しょうぶの花の大皿は学長室に、もう一つの皿は、自宅の2階の棚に置かれている。

青岩窯

 私の父は、西洋の陶磁器が好きだった。でも、私に残したものに、意外な陶器がある。青自硫唐草文皿(快山造作)と青岩窯(糸ニ関作)と読むのだろうか、その2つである。その良さは、言うまでもないが、母からもらったかたみとしてのこの陶器は、私にとって、理解ができにくいものである。なぜなら、その美しさは私好み。父の趣味とは違う。たまたまのことかもしれないし、父の遺言かもしれない。
 大切にしたい。

撮影 渡邊 亜希子氏