思い出記2003年度(出会い)-3

喜太郎に育てられたミニトマト

一度食べたら忘れられないものがある。それは、いつもその時になると思い出すものでもある。
六日市で食べたミニトマトは、ほんとうにおいしい。すっぱくもあり、しかし甘くもあり、さらにさっぱりしており、しかも見た目にも美しい。六日市で教会関係の方とバーベキューを楽しんだ時に出会ったのが始めて。私は、このミニトマトを収穫している場所が近くだと聞き、時間を見つけて訪問した。ハウスの中では、喜太郎のシンセサイザー(シルクロード)が聞こえており、このトマトはその音色に育てられていたのだった。家に送ったが、私が留守をしている間に、一気になくなってしまっていた。多くの歓声を受けながら。そのなくなり方も、まさに喜太郎らしいのかもしれない。

また、近くに田んぼでは、鴨による米栽培がなされていた。とても費用がかかるが、美味しいとのこと。事実、六日市のコシヒカリは、新潟の魚沼のコシヒカリと比べて決して劣らないと、私の味覚は判断した。

このような夫婦が健在である限り、地域は決して潰れない。そしてそれを応援するのが、メディアであり、情報ネットワークだろう。努力し、苦労し、夢を持って、発想豊かな仕事をする人々が認められて当たり前の社会が、未来を期待できる社会である。
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ミニトマトの作者さいとう農産からのたより
 『紅い真珠を食べて味ま専科』
数あるミニトマトのなかから又々お求め頂きありがとうございます。
このミニトマトのおいしさには秘密があります。第一に小さな苗の時から喜太郎のシンセサイザー(シルクロード)を聴きながら育ったもので、水気耕音楽栽培といいます、第二に育つ過程で、ぎりぎりのストレスを繰り返し与えつづけます、第三に苗は種を播いてつくったものではなくいらなくなった脇芽を挿し芽の方法で育てたものです。しかもハウスの中は太陽の光と暖かさが保たれ、養液は十分に濃い肥料と酸素が与えられて生育を助けています。特に挿し芽は主根がなく毛根だけで成育するので、樹自体が弱くそのため子孫を残そうとする種保存の法則がより強く働いて結局おいしく美しい実ができるというわけです。
寒い冬を越したり、なにか我慢していきていくとおいしい実ができます。動物に比べて11臆年も長く地球に生きその大半を水中で過ごして来た植物は今こうして再び大切に水気耕音楽栽培として育っているのです。
完熟で収穫するために割れた実ができます。それをジュースにしたのが真珠の涙(ミニトマトジュース)です。国内でも類をみない逸品です。併せてご賞味下さい。
紅いミニトマトが農園でお会いできる日を楽しみにしています。
                HAVE A NICE DAY!
                       さいとう農産

函館教会でのお話に、

卒業生が3名来てくれた。久しぶりの再会である。
それぞれが、それぞれの地で、それぞれの人生を築いている。それが私にとって誇りである。
また、翌週は、札幌市民生・児童委員大会の講演のために札幌に行き、卒業生諸君と会食をした。御夫婦を含め、3人が所要で来られなかったが、今の思いをなかなか熱く語った。そして、身近に関係者がいることを、それぞれが知らなかった。

卒業生一家との楽しいひととき

函館に転勤中の竹花さんご夫婦と、5人のお子さん(1人は塾だった)と、お食事をする機会が与えられた。国家公務員である竹花君にとって、函館は2度目の転勤。そして夫人も本学の卒業生である。
2人が在学中は、よく食事に行った。とても明るい夫婦である。年賀はがきに家族の写真が載っていないなと思っていたが、今は写真にあるように7人家族になっていた。

竹花君御自慢のビールをいただき、そして夫人の御自慢の手作り料理。手際良くつくる姿に、一家を支えてきた力強さを垣間見ることができる。一歩一歩積み上げてきた実績が、今日の竹花君を支える。

竹花夫妻の学生時代の思い出が、一気に花を咲かせる。とても楽しい時をいただき、心より感謝したい。

石井十次先生の記念碑

宮崎県の高鍋駅には、線路をはさんで石井十次記念碑がある。石井十次先生は、孤児の父として、多くの子どもたちを育て、守った先駆者。岡山孤児院20周年を契機に(1907年=明治40年)宮崎県の茶臼原に孤児院を移動。1905年の東北凶作に際して、800名の孤児を受け入れ、広い地を求めて、宮崎に孤児院を構えた。陽の当たる地域の陰で捨てられる児童を保護する篤志家で、濃尾平野地震等の自然災害と家族による扶養が期待できない子どもたちのために、人生をかけた人である。
 家族制度(小舎制)の導入、里親委託制度の促進、植民地と称する授産所を設置。また女工の労働条件の改善運動に取り組む。
 岡山孤児院12則(1902=明治35年)でも有名。
 家族主義=小舎制をとり全体の統一を破らない限り各小舎の特殊性を尊重、満腹主義=各自に十分食べさせること、宗教主義=形式的な信仰の強制でなく、人生における信仰の必要性を自覚させること、密室主義=個人的な話し合いによる教育、旅行主義=見聞を広めるように努力、米洗主義=米をとぐようにそれぞれの特質を現させる、小学教育=孤児院小学校で行う、托鉢主義=孤児院の維持を零細な寄付金募金によること。委託主義、実行主義、非体罰主義、実業主義
 また、集合憲法(1913=大正2年)をつくった。
  天は父なり人は同胞なれば互いに相信し相愛すべき事=万人の平等
  天父は恒に働き給ふ我等も倶に労働すべき事=労働の進め
  天恩感謝のため我等は禁酒禁煙を実行し収入の十分の一を天倉に納むる事=禁酒禁煙と収入の献金=募金活動

出会い

門川町をまわらせていただいた。一つは、海岸地区。車が通れない狭い路をはさんで、家が立ち並ぶ。高齢化率が高い。また一つは、山間部である。道路を数十分車で走ると、いくつもの集落に出会った。その集落で、ふれあい・いきいきサロンが行われている。また子どもたちが遊べるサロンも、行われていた。

それぞれの地域で生きたいという高齢者のその願いがかなえられるように、当たり前の思いが成し遂げられるように、多くの住民が活動を始めている。具体的なサロンは特集を御覧いただきたい。
山の豊かさと恵みを運び、それぞれの地区を通っていた川が、海に流れ込む。そこに、豊かな魚や貝が生きている。そのすべてが、門川である。