2018年度浦和ルーテル学院宗教改革記念

浦和ルーテル学院は、小学校・中学校・高等学校と12年間の一貫教育を行っている名門です。ルーテル学院大学・日本ルーテル神学校とは兄弟校で、長く親しい関係にあります。
2018年10月31日、私は、宗教改革記念礼拝のメッセージをお引き受けしました。テーマは、『「おめでとう」で始まる人生を』です。
小学1年生から聞いてくれていますので、その場に応じて語りかける内容は若干異なりますが、原本をお示しします。

 

『「おめでとう」で始まる人生を』

『はっきり言っておく。私の兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである』(マタイによる福音書第25章第40節)

私は、すべての人が、神様より祝福されて命を与えられたと強く信じています。しかし、現実には、それぞれ与えられた命を十分に大切にしていない現実があります。だからこそ、この事実は決して揺らいではいけない。今日は、皆「おめでとう」と言われる存在であるということを、お話をしたいと考えています。

あと一ヶ月で、イエスキリストの誕生を待ち望む期間、アドベント、日本語では待降節(たいこうせつ)に入ります。そして、12月25日のクリスマを迎えるのです。そこで、今日は、皆さんに、新教出版から刊行された『もう一人の博士』という物語を紹介します。その物語で登場する博士の名前をアルタバンと言います。
(V.ダイク著 岡田尚訳 佐藤画『もう一人の博士』新教出版)

聖書には、三人の博士が、星に導かれて、生まれたばかりのイエスキリストに会い、持っていた宝箱から、黄金、乳香(乳白色の色の高価な香水の元)、没薬(もつやく、すなわち薬)を贈り物として捧げたと書かれています。しかし、アルタバンという博士は、イエスキリストと出会えませんでした。

アルタバンは、ある場所で、三人の博士と会い、一緒に、生まれてまもないイエスキリストにお会いする予定でした。しかし、その場所に向かう途中、砂漠で病気にかかり、死にかかっていた人に出会います。急がなければ間に合わないアルタバンには、時間的余裕はありませんでしたが、彼は足をとめ、看病をしました。そのため、約束した時間に遅れ、待ち合わせ場所には、「先に行く」という手紙が残されていました。

そこで、アルタバンは、イエスキリストに捧げるために持ってきた大切な宝物の一つを売り、「らくだ」を買い、必死で、三人の博士を追いかけます。しかし、その途中で、ヘロデ王の軍隊から逃れた、幼い男の子を抱きかかえる母親と出会います。ヘロデ王は、生まれたイエスキリストを恐れ、ベツレヘム周辺の地域に住む2歳以下の男の子を一人残らず殺せと言う命令を出していたのです。アルタバンは、幼子を抱いて逃げ込んだ家に迫る軍隊の指揮官をとめ、宝を与え、幼子の命を救うのでした。

彼は、さらにイエスキリストの元に向かいますが、なかなかたどり着きません。そして宝物も、出会った病人や、貧しく、食べ物のない人々の薬や食べ物に変わっていきました。

イエスキリストに会えず、30数年を過ぎたアルタバンは、老いて弱っていきます。そして、イエスキリストがゴルゴタの丘で十字架にかけられることを知り、最後に残っていた宝物をもってイエスを救おうと、力をふりしぼって、ゴルゴダの丘に向かいます。ところがその途中、友人の娘、ミッシェルに出会います。アルタバンは、友人が事業に失敗し、多額の借金のため、娘のミッシェルが売られようとしていると知ります。借金取りに連れて行かれそうになるミシェルを見て、アルタバンは、借金取りに最後の宝物を渡し、ミッシェルを救いました。

弱り、息絶え絶えのアルタバンは、さらに丘に向かいました。その時、地響きが起こりました。イエスキリストが亡くなられたのです。そのことを知ったアルタバンは、その場に倒れてしまいました。助けられたミッシェルはアルタバンを助け起こします。アルタバンは、聞き取れない声で、つぶやきました。「あなたに渡すはずの宝物すべてを失いました。今まで、あなたに何もできませんでした」

その時です。神はアルタバンに語りかけられました。「私の兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである」と。それを聞いたアルタバンは、ほっとした表情になり、安心して息をひきとりました。

アルタバンが最後に聞いた神の言葉を、ルターも用いています。(「労し、重荷を負う人々のための慰めに関する14章」『ルター著作集』3巻、43頁、1519年)の中で、マタイ25:40を引用しています。)
ルターが進めた宗教改革は、全ての人一人ひとりに神様の愛が届くようにという主張でしたが、しかし当時、たくさんの迫害に遭いました。その中で、ルターを保護し、守って下さった領主(フリードリヒ選帝侯)が病気にかかった時、ルターは語りました。一人の病人、すなわち最も小さい者の中で、キリストご自身が共に苦しんで下さっておられる。「見よ、私はここで病んでいる」とイエスは私たちに呼びかけ、語りかけておられる。苦しんでいる人と共にいて下さるキリストの言葉を私は聞いて聞かぬふりをすることはできないとルターは言います。神が、苦しんでいる人と共に苦しんでいると言うのです。そこに宗教改革の一つの原点があると、私は思います。

私は、宗教改革を記念する今日を、『はっきり言っておく。私の兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである』という聖句に立ち返る日として頂きたいと思います。そして、誰もが神様から祝福されて命を与えられ、「おめでとう」と言われている存在であることを大切にして頂きたいと願っています。