宮崎県山田町

2005年1月、いかに宮崎といえども、手がかじかむ1月17・18日の両日、山田町と須木村の調査に入った。山田町は、南部の都城市と合併することが検討されている。美しい自然と温泉、そして平坦な土地が続く。野菜や米もとれ、豊かな自然の恵みに生かされている町である。しかし、冬は寒い。山田町を見下ろす霧島山が、凍えるような風を吹き下ろしてくる。また町の各所に由緒のある地蔵があり、古くからの自然への感謝と信仰を残している。
 浜之段公民館ではサービス利用者、住民を対象に、山田町総合福祉センターではサービス提供者、自治会、婦人会を対象に地域福祉懇談会を開催した。
 数年前に地域福祉計画に関する講演をお引き受けし、山田町総合福祉センターの同じ部屋でお話をさせていただいた。別の部屋で打ち合わせをしていた町の担当の方は、「十分広報ができなかったので何人が来られか」と不安顔。部屋を出た私は、集会室の前方のドアにあるスリッパを見て、その少なさから一抹の不安を抱いた。また、開いているドアから見える部屋には、まったく人影が見られない。今回は、数人で輪になって語り合おうと覚悟を決めた。しかし、集会室に入り呆然とした。たくさんの住民で部屋がいっぱいになり、待っておられた方々の笑顔、笑顔。
 自転車で通り過ぎる中高生たちは、身も知らぬ私と会っても、必ず挨拶をする。
 懇談会の参加者は、肩を寄り添って私の話を聞いておられる。人と人の関わりが近く、どんなに厳しくても、一緒に生きていこうとする姿を見ることができる。なんで、他人のために助け合いやまちづくりが当たり前になっているのだろうか。そこには、一人ひとりに山田町への強い愛着があり、住民に対する互いの信頼があると感じている。住民は、他人でなく、隣人なのだ。
 この夏、山田町のサロンのリーダーから、ものすごく大きなスイカが届く。私は忘れていたが、送ると約束してくださっていたらしい。人情とは、互いの信頼を守っていくために、約束したことを守ることなのか。
 私は、大好きな信州から、お礼のりんごを送らせていただいた。互酬とは何気ない関わりから生まれるのかもしれない。
 ちなみに、山田町は、現在都城市になった。伝統的におおらかな人間関係、また各所に地蔵が置かれ、それぞれに由緒がある。さらに、屋根の瓦が見事な家もあり、眺めていて格式を感じる。それらの文化が継承され、今までのようなまちづくりがなされることを祈っている。