陸前高田市訪問記
陸前高田市の民生委員研修にお招きいただいた。熱心に学ばれる新人、中堅、役員の民生委員の方々のお気持ちに励まされました。ある民生委員が言われました。陸前高田市民歌の多くが無くなったことが悲しいと。
陸前高田市民歌 昭和30年6月1日 制定 及川晃 作詞 千葉了道 作曲
(1)黒潮の 香に明けそめて 椿島 春呼ぶ絵巻き
白砂に 波はくだけて 夏雲の 高田松原
青き海 白鳥浮かび 四季の夢 織りなす都 陸前高田 おゝ高田
(2)気仙川 永遠に清けく はつらつと おどる若鮎
虹しぶき かがやくほとり 豊かなる 資源を拓く
若き意気 つよき息吹きに 希望満つ われらの都 陸前高田 おゝ高田
(3)黄金なす 穂波はそよぎ 海の幸 野山の幸の
あふれ湧く 平和の楽土 はてもなく 甍つらなり
人の和に 文化薫りて 弥栄の ひかりの都 陸前高田 おゝ高田
確かに、2011年3月11日に陸前高田市を襲った津波は、たくさんのものを奪っていきました。今、陸前高田の一本末のモニュメントが残っているだけです。トロッコで山の土が運ばれ、住むことができるよう、キューピッチで、土地のかさ上げがされていました。また高台には、新たな再開発が行われていました、しかし、民生委員の方が言われたように、以前の高田松原のすばらしい景色は失われていました。
被災前(左)、被災後(右)
津波によって住めなくなり、解散した部落の跡地には、全国のボランティアが植えた花が、美しくさいていました。
丘の上に立てられたホテル 夕食
しかし、私は、ホテルで働いておられた20歳前後の女性の言葉を忘れません。食事を運んでくる時に、私は、無礼にも、「明日の陸前高田をどのように考えていますか」と尋ねました。その質問に対して、「被災した時、皆で助け合いました。その時のことを忘れません。ですので、強い絆と豊かな自然を実現したい」と言われました。海岸の砂は、海底にあるようで、それが波打ち際まで移動するには、たいへん長い時間がかかると思います。また人口減少も顕在化しています。だからこそ、陸前高田市民だけでなく、全国各地の人々が、若い世代の熱い思いと希望を忘れず、被災地の復興を応援していくことが、明日の日本を築くことになると考えております。
最近、『「おめでとう」で始まり「ありがとう」で終わる人生ー福祉とキリスト教』という本を教文館から出版しました。その中の一節を紹介します。
最近、「奇跡の一本松」のニュースをお聞きになった方々も多いと思います。
東日本大震災で壊滅的な被害を受けた陸前高田市の有名な「高田松原」の一本に松。津波に襲われながら、7万本の松の中で生き残り、「奇跡の一本松」と言われた木が、2012年9月12日、保存処理のために切り倒されました。
海水をかぶり、津波に押し流された漂流物で傷つけられながら、また地盤沈下により冠水し、さらに一本故に遮るものなく、直射日光を浴び、昨年7月には芽生えた新芽を9月には枯らし、10月には根腐れしていることがわかったのでした。しかし、今、この「一本松」から18本の苗ができ、被災から1年半たった9月11日に、たくさんの被災者から感謝を受け、切り倒されました。
周りは、瓦礫の山。津波によって、美しかった松原は、なぎ倒され、そこにあるのは、根元からなぎ倒された松。しかし、一本の松が残された。
電気も水もない生活に置かれた人々にとって、それは生きる希望となり、感謝の象徴となったのでした。ちなみに、高田松原は、明治、昭和期に3度の津波に襲われたので、この松は4度目の試練にも耐えたということになります。
ある意味で、家族、家や財産を失った被災者の方々の境遇と、この「一本松」の姿が、重なったと思います。
身内や大切な人を失い、失望のただ中にあった、子ども、大人も、高齢者も、日々の暮らしの中で、「奇跡の一本松」に手を合わせ、勇気をもらっていたと思います。
確かに、被災地の復興は、厳しい道のりです。東日本大震災で、岩手・宮城・福島の3県の死者のうち、92%以上が水死で、年齢が判明した死者のうち、60歳以上がおよそ65%を占めることがわかりました。この数字は、逃げ遅れた高齢者が多いと言うことを意味するとともに、そもそも、その場は、高齢者の割合が高い、過疎地であったことを意味しているのです。そして、復興の青写真が描かれず、将来を見いだせず、また生活のために、被災地を離れていく方々も多くなっているのです。
今でも自分が生活してきた土地を離れない高齢の方々も多い。高齢期を喪失の時代と言います。人生の終わりになって、友人を失う、役割を失う、身体的機能の低下。しかし、子どもを失い、孫を失い、たくさんの友人を失う。住むところも、思い出の写真も、家具も流され、残されているのは、心に残る思い出だけ。
「奇跡の一本松」を、多くの方は忘れることがないでしょう。確かに、寒い。底冷えする。何度か東北、特に石巻に行きましたが、冬は、いつも体が冷え切り、回復に数日かかります。その生活の中で、1年半、「奇跡の一本松」があった。
聖句:「わたしの目にあなたは価高く 貴く わたしはあなたを愛し あなたの身代わりとして人を与え 国々をあなたの魂の代わりとする」(イザヤ43:4)という聖句は、2007年の入学式に用いました。 このイザヤの時代とは、アッシリアとバビロニアによる世界制覇が始まった時代です。かつての支配者エジプトは、衰退しつつあり、北からの勢力が拡大を始めました。アッシリアは、抵抗する者を皆殺しにし、町や村を破壊し尽くし、その指導者層を連れ去り、捕虜としました。まさに、当時のイスラエルは、存在の危機に直面するのでした。自分自身の傲慢な心、頭を垂れようとしない生き方が、自由と財産を失い囚われの暗黒時代をもたらした原因であると聖書の注解書には書かれていました。
その過酷な現実にあって、「わたしの目にあなたは価高く 貴く わたしはあなたを愛し」と語られているのです。厳しい時にこそ、本当のものが見えると私は思っています。希望を失い、自分の存在が脅かされた時に、もっとも純粋なかけがえのない愛が、約束として神からしめされたのです。そこに命の光があります。
私たちは、象徴的な「奇跡の一本杉」になることは、できない。望むこと自体が無理。だから、被災地支援は、お金を失い生活に危機に直面し、友を失い涙して心の危機に直面し、さらに希望の失い存在が脅かされている高齢の方々に、共にいることしかできない・・・・。聖句に示された神の言葉を信頼し、愛されているという確信をもって、軽々しい言葉ではなく、共にいる存在として、そこに身を置く意味があると思っています。
陸前高田市の復興を応援していきたいと思っています。
投稿日 14年06月21日[土] 10:29 PM | カテゴリー: 社会福祉関連