「試練の講演」岐阜大垣市あゆみの家の33周年
岐阜県大垣市の隣の垂井町にある「あゆみの家」の33周年記念講演と午後は、ふるさと福祉村の開村式の講演のご依頼を受けた。あゆみの家は、昭和46(1971)年に、3名の知的障害もしくは身体障害をおもちに方と、3名の職員により、無認可で始められた。無認可とは、公的な援助がいっさいないことを意味する。
「現実に、ほんとうに困っている人がいるのだから、必要がある人は受け入れよう」という姿勢に対し、当時の行政担当者から、「勝手なことをしてもらっては困る。必要な人はもう施設に入っているから、求めている人はだれもいません」と言われていたそうである。
しかし、現在の社会福祉法人あゆみの家は、通所施設をつくり、住宅をつくり、親が育てられない子どもの入所施設をつくり、作業所を地域に点在させ、ホームヘルプサービスも行っている。記念日には、約200人の方々で、会場がいっぱいになった。
私が、記念会の会場に入ると、最前列からひかれた絨毯には、たくさんの利用者の方々が座られていた。私は、講演の原稿をすべて壇上に起き、横で話すことにした。利用者にわからない話は、意味がないと思ったからである。いつも以上に神経をすり減らし、午後の講演が終わり、後ろの席に着いたときには、すぐに皆にはばかることもなく、居眠りをしていた。ただ、利用者がこんなに一生懸命聞いていたことは、今までになかったと聞き、私は感謝した。私にとって、まさに隣人に話しかける意味を学ぶ時であった。
残念であるが、「あゆみの家」の創設者であるボーマン先生は、記念日を迎えることなく、3月にお亡くなりになられた。近年、アルツハイマー型老年痴呆にかかっておられ、物忘れが異常に多かったとお聞きした。「あなたはだれですか」と妻に聞き、「私はあなたの助け人です。そして妻です」というと、先生はほんとうに良かったという顔を、しばらくなさったそうである。また、夜、整然と説教なさる、祈りをする。いつもは、言葉も意味不明なのに。介助を受けたトイレの中で、祈り続ける。神に感謝する。祈りを求められた時は、かっての調子とまったく変わりなく、祈りを続ける。夫人は、それをgift of God、「神の贈り物」と言われた。まさに神から与えられた贈り物。そして、神によって思いやりが作り上げられた。そこには、記憶の範囲を超えた輝きがある。
投稿日 04年04月07日[水] 12:06 AM | カテゴリー: 社会福祉関連