韓国訪問記(木浦の共生園を含む)

2023年11月31日早朝、羽田空港から仁川国際空港に向かいました。途中に、雲の上に顔を出す富士山が、見送ってくれました。

到着後、車で、国際交流シンポジウムの会場であるCCMM(国民日報ビル)12階コンベンションホールに移動しました。韓・日社会福祉シンポジウムは、韓国社会福祉協議会、韓国社会福祉法人共生福祉財団が主催、社会福祉法人こころの家族が共催する研究会です。テーマは「グローバル時代の日韓福祉協力方案」で、日本からは、私と国際医療福祉大学大学院教授で、厚生労働省元局長の中村秀一先生が登壇しました。

私の報告は、テーマを「日本におけるソーシャルワーカーの今日的使命〜日韓福祉協力推進を目指して」として、特に以下の構成で報告しました。概要を述べさせて頂きます。

Ⅰ)今日の問題は孤立と貧困の深刻化

Ⅱ)今日の福祉政策

Ⅲ)今日のソーシャルワーカーに求められていること

1.生活困窮者自立支援制度の成立等を契機に、地域福祉コーディネーター(コミュニティソーシャルワーカー)という、「地域に出向いて様々な困りごとをキャッチし、その解決に向けて取り組むとともに、住民やボランティア、福祉関係者等と協力しながら誰もが安心して暮らせる、つながりのある地域づくりを進めます。既存の制度で対応できない問題に対しては、行政をはじめ多方面に働きかけて新たな仕組みを創出する」(全国社会福祉協議会)というソーシャルワーカーが社会福祉協議会に位置づけられている。

2.今までソーシャルケースワーク等の個別援助が中心であったソーシャルワーカーの性格が、地域福祉コーディネーター等による当事者の地域での生活を包括的に支援する地域支援が重視されるようになっている。私自身、かつては、地域支援を十分教えないで学生を社会に送り出していたのではないかと反省している。

3.2000年の社会福祉法の成立以降、従来の見守りや支え合いという地域福祉活動が、自助、共助、公助というケアシステムに位置づけられ、施策に取り入れられている。これを地域福祉の制度化とも言う。

4.確かに、今までの住民活動や当事者活動、ボランティア活動等のインフォーマルケアを軸とする地域支援が強化された点では、十分評価しているが、今日の住民関係、家族関係の脆弱化という地域の状況を考えると、どこまで共助が成り立つのか、課題も少なくない。

5.地域の共助を強化する取り組みと、総合相談体制等の強化という多機関協働による仕組みの創設を目的とする地域共生社会の実現を目指した政策が今日主流であり、一定の成果が生み出されている。他方、ボランティア活動の推進という社会改革を含めた幅広い活動支援が弱くなっているという指摘もある。

6.ソーシャルワーカーの専門性が広がるにしたがって、従来の社会福祉を超え、保健師、看護師、介護等の領域の専門職も関わっており、そもそもソーシャルワーカーとしてのアイデンティティはどこにあるか、問われている。資料1 またソーシャルワーカーの配置の条件が、各自治体においては曖昧である。

7.今、「生きる」一人の人間と、専門職が把握する利用者との狭間がなかなか埋まらないと事実が、利用者の決定的な不満を生み出している。悲しみや痛みを感じ、喜びや感動する心を抱き、自分らしく生きたいと葛藤し、人間としての誇りを生きる糧とし、安心する心の拠り所を求めさまよう、そうした人生を一歩一歩積み重ねて生き抜いてきた利用者とともに、専門職は歩いてきたのでしょうか。専門職は、そのことをたえず検証していくことが必要である。人間理解の問題でもある。

8.従来のように、国が示したことに従い、自治体が実施するという仕組みは、少なくとも福祉領域においては、中心ではない。国は、単一の形を提示していない、各地域の特性に基づいた接ぎ木の施策を実施していかなければならない。しかし、地域間格差が顕著になってる。

ちなみに、韓国の地域福祉課題は日本と同様です。また韓国にも日本と同様の名称をもつ「社会福祉士」がおり、2018年の社会福祉事業法の改正で、各種団体の認定であった医療社会福祉士、学校社会福祉士、精神保健社会福祉士、の国家資格化が決まり、社会福祉士養成課程も改正され、大きく転換したとのこと。(髙橋明美「韓国における社会福祉士の養成と現況」)。なお、社会福祉従事者は、資格の取得が前提とされ、また従来のソーシャルケースワークといった個別支援が重視されているとお聞きしました。さらに立命館大学の呉 世雄(オセウン)先生からも「韓国のソーシャルワーカーは、ほとんどの場合、「社会福祉士」国家資格を持つことが前提となります。1級と2級があり、2級は4年生大学の社会福祉学科で指定科目を履修すればとれる資格で、1級は国家試験を合格したものだけに与えられます。社会福祉士が働く現場は、社会福祉館(隣保館のような機能、なお政府主導で整備されたもので、社福法人や宗教法人などの民間非営利組織に委託して運営。日本の事業型社協に近い)や各種別の相談機関(高齢・障害・児童など、日本と同じく専門化されている)、福祉サービス提供機関など多岐に渡ります。また、市町村行政には、社会福祉を主業務とする専門の公務員(社会福祉専担公務員と言います)が配置されています。なので、日本のように福祉以外の部署に定期的に移動することはありません。」とのことであり、私は互いに学び合う機会は大切であると考えています。

2日目の11月1日には、孤児の母と言われる田内千鶴子先生が、韓国の3千人の孤児を育てた、韓国南部の木浦にある共生園を訪問しました。写真の右が、共生園です。敷地には、相談機関等のさまざまな施設が設置されていました。

田内先生については、今まで、映画『愛の黙示録』等で取り上げられており、昨年は生誕110周年記念の行事が行われました。また本年は、共生福祉財団95周年式典が行われ、故郷の家 こころの家族の通信に書かれているように、韓国大統領も出席しておられました。

ちなみに、私が、田内千鶴子さんの息子さんである田内基先生にお会いしたのは、1984年だったと思います。当時、私は、日本基督教社会福祉学会の事務局を担当しており、韓国から基督教社会福祉学会の金徳俊会長と役員の方をお招きしており、日本国査証(ビザ)の相談のために、田内先生の事務所を訪問しました。

それ以降、日本キリスト教社会福祉学会大会や阿部先生の感謝の会でお会いし、今日に至っています。先生は、常に日韓の関わりを大切にして下さいました。先生のお母さまである田内千鶴子先生の働きを大切にして、日韓の関係者が互いに理解し合い、協働して孤児のために歩んでいこうという強い決意があったからだと思います。そして、田内基先生は、国連に世界孤児の日を制定しようと、行動しておられます。応援メッセージを報告させて頂きます。

UN世界孤児の日」制定運動の趣旨に賛同いたします。

  世界のいたるところで、戦争や内紛、テロが起こり、たくさんの命が失われています。また、伝染病や環境の不衛生に起因する疾病、地震や大規模火災等の自然災害による被害で命を失ったたくさんの人々がおられます。経済危機による飢餓や極度の貧困の結果として起こる家族崩壊、地域崩壊の結果を合わせて、生活の危機に直面している人々は、莫大な数にのぼります。これは、特定の地域にとどまらず、国や、近隣諸国を包含し、世界規模で多くの市民も巻き込んで進んでいます。

 これらの結果、もっとも弱い状況にある子どもが、大きな被害を受けています。父、母や近親者等の今まで育てられていた家族を失い、貧困に陥り、また住む家を失い、生活の危機、心の危機、生命の危機に直面するなど基本的人権を保障されていない子どもの数は1億5千万人を超えるとする報告もあります。「子どもは、どの子も、神はまだ人間に失望していないというメッセージを携えて生まれてくる」とタゴールが言ったように、一人ひとりの存在の輝きを守ること、すなわち、「児童の権利に関する条約」第20条第1項に書かれているように、「一時的若しくは恒久的にその家庭環境を奪われた児童又は児童自身の最善の利益にかんがみその家庭環境にとどまることが認められない児童は、国が与える特別の保護及び援助を受ける権利を有する。」とされる子どもの権利を保障する取り組みが急務であると私たちは考えます。

  特に、一人で生きていくことがむずかしい子どもが置かれている状況を見ますと、前述の戦争等を要因とし、父母と死別、離別、もしくは虐待を受けて離れて生活する子どもの数は、増加している現状にあります。私たちは、決意をもって、そのようないわゆる「孤児」に対する支援を行うことが求められています。

 歴史を振り返えりますと、「孤児の母」と言われた田内千鶴子(タウチチズコ)氏の取り組みから学ぶことができます。韓国で最も長い歴史を持つ孤児院である共生園は、1928年、敬虔なクリスチャンであったユン・チホ伝道師が、木浦の小川橋の下で寒さに震えている7人の孤児の子どもたちを発見し、家に連れてきて一緒に生活をしたことから始まりました。そして、ユン・チホ伝道師は、「孤児の母」と言われる日本人の田内千鶴子(タウチチズコ)女史と結婚し、二人で孤児の命と生活を守っていましたが、韓国戦が始まり、ユン・チホ伝道師は子どもの食料を求めて出かけていったまま行方不明になりました。田内千鶴子女史は、結局戻って来られなかった夫を待ちながら一人で共生園を守り、3000人の孤児を育てました。今なお「孤児の母」と呼ばれる田内千鶴子女史のこの犠牲的な人生は、国境や民族、言語を超えた愛でした。田内千鶴子女史の生前には願いがいくつかありましたが、それは、社会的な支えを通して孤児でなくなる世界、孤児たちが社会の各分野で働くことができる世界でした。

 私たちは、田内千鶴子氏の精神を学び、以下の趣旨のもと、「UN孤児の日」制定運動に賛同します。

 [原点]

私たちは、神から与えられた子ども一人ひとりに愛情を注ぎ、家族と死別、離別して一人となった「孤児」が受け入れられ、胸を張って堂々と生きることのできる環境を作る。

 [協働]

現実に、世界各地で「孤児」の養育、支援に関わっているNGO、NPO、国、地方自治体等が協働して、「孤児」が置かれている現状とその要因を明らかにし、広く世界に発信するとともに、「孤児」となる要因の解決に取り組み、「孤児」への支援体制を強化する。

 [新しい挑戦]

それぞれの子どもの個性、強み、弱み、環境が違うことを前提に、「孤児」を支援している個人、組織の叡智を集め、その専門的知識と援助技術に基づき支援の向上を図り、広く子ども支援のあり方を提案する。

 [最善の利益]

「孤児」の最善の利益を追求し、権利条約に記載された子どもの権利を、広く普及させる。 

 聖書には「わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである」(マタイ福音書第25章第40節)とイエスの言葉が書かれています。私たちは、この声明によって、宗教や文化、言語、歴史が異なろうとも、子どもの誕生に「おめでとう」と言い、その成長の歩みを皆で見守り、支え、支援していく一つひとつの行動が広がっていくことを切に願っています。 

                                          2018年6月

            代表 阿部志郎(神奈川県立保健福祉大学名誉学長・横須賀基督教社会館名誉館長)

                                  市川一宏(ルーテル学院大学学長)

                              遠藤久江(社会福祉法人二葉保育園理事長)

                           岸川洋治(社会福祉法人横須賀基督教社会館館長)

                         潮谷義子(社会福祉法人慈愛園理事長・前熊本県知事)

                                    松原康雄(明治学院大学学長)

                              山崎美貴子(神奈川県立保健福祉大学顧問)

3日は、早朝の5時32分木浦からソウルに向かう特急に乗りました。途中に見える韓国の都市や自然の風景は、とても印象的でした。