「大切なことは、目に見えている」

 ルーテル学院キリスト教週間の4月20日(水曜日)、礼拝堂で「大切なことは、目に見えている」というテーマのメッセージを行いました。いろいろな意味で、私にとっても、大切な機会でした。 

1.今日の課題

 今、私たちが直面している大きな課題は、それは格差です。経済的格差はもちろん、特にひきこもり、孤立といった関係性の格差が社会に広がっています。内閣府は、2019年3月、満40歳から満64歳の者5,000人を対象にした生活状況調査を実施しました。その結果、自宅に半年以上閉じこもっている人が全国で推計61万3千人いること、そしてひきこもりの期間は7年以上が半数を占め、ひきこもりの高齢化、長期化が鮮明になっていることがわかりました。なお、15~39歳の引きこもり状態にある人を加えると、100万人を超えていることになります。そのような中では、希望ある明日が見えない。

 私は、恩師から、「お金を失うと生活の危機、名誉を失うと心の危機、希望を失うと存在の危機」であり、社会福祉の使命は、存在の危機に対応して、それぞれの方々が尊い一人の存在であり、持っている希望を消さないこと、希望を届けることであると教えられてきました。

2.希望を届ける働きを学ぶ

私は、希望を届ける働きを学び、実際に見てきましたし、実際に取り組んできました。コロナの影響、不安な世界の動向、頻繁に起こる地震等の自然災害に直面している今だからこそ、困難に直面する人々に希望を届ける働きを振り返りたいと思います。

1924年9月1日、関東大震災が起こりました。建物被害においては全壊が約10万9,000棟、全焼が約21万2,000棟で、190万人が被災し、死者・行方不明者は推定10万5,000人となりました。

その時、日本福音ルーテル教会史には、「10.救護事業の組織化と老人、母子両ホームの設立」として、「わがルーテル教会は、震災の直後直ちに、スタイワルト、滝本幸吉郎、ホールン、本田伝喜の四名を救済委員に任命し、在京のスタイワルトと本田に一任した。麻布のスペイン公使館を借り入れ・・・」と書かれています。スタイワルト先生と本田先生は、臨時の病院等の避難場所を訪れました。留まっているのではなく、避難者の元に駆け寄った。そして、多くの高齢者、母子の方々が生活していく場を提供したのでした。その時スタイワルト先生が掲げた聖句が、「一人のいと小さき者になしたるは我になしたるなり」でした。

3.「大切なことは、目に見えている」

 私たちが困難のただ中にあった時に生まれたこの取り組みから2つの社会福祉法人が生まれました。一つは、西東京市にある東京老人ホームで、全国でも先んじて個室化を実現したホームであり、配食サービス、地域支援等、先駆的な実践を行ってきました。また墨田区錦糸町にあるベタニアホームは、ひとり親家庭の自立や乳幼児保育の充実、子育て支援事業を行っています。

 その源流を流れる『はっきり言っておく。私の兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである』(マタイによる福音書第25章第40節)という聖句から、私は3つのことを学びます。

①神が最も小さき者を大切にしておられること。

一つ目は、神が最も小さき者を大切にしておられること。聖書には、「私の兄弟であるこの最も小さい者」と書かれています。すなわち、この困難な時代を生き、仕事を失い、また今までの絆を断ち切られ、悲嘆しておられる方々の存在を神が守ろうとしておられる。私は、神がすべての人を祝福されて命を与えられたと確信しています。生まれてきた子どもに、「おめでとう」と言う。

②神が立っておられるところはどこか

 二つ目は困難に直面している一人ひとりの存在を知らせるべく、その方々のそばに神がおられること。神が私たちに一人ひとりの存在の大切さを伝えておられる。だからこそ、私たちには、一人ひとりの存在の大切さが見える。

 皆さんは、コロナ禍において、何が大切か考える機会がたびたびあったのではないでしょうか。今まで一緒に歩んでくれた大切な家族、友人、共に歩いてくれた人々となかなか会えず、とてつもなく大切な人であったことに気がついたのではないでしょうか。一人ひとりの存在の大切さが見えている

③いと小さき者の一人にしたこと、すなわち共に歩むこと

 自分がこれから何に向かっていくのか、何が自分の未来なのか、今をどのよように生きていけば良いのか、私たちは、なかなか答えを見いだせません。私も、今もって確実な正解を見いだせない。今のように混沌とした社会にあって、不安が先立ちます。

 だからこそ、私は、皆さんにそれぞれに答えを見いだそうと歩みを始めてほしいと思っています。その歩みは。0か100かの歩みではありません。その間に1から99の可能性があります。そして、私は、いと小さき者と神が言われた方々に、皆さんと一緒に希望を届けたいのです。

 そのことによって、たくさんのことを学ぶことができます。支援していたつもりが、助けられていた経験を何度もしてきました。たとえば、自分自身が痛みを抱えているからこそ、同じような痛みを持つ人のことを理解することができる。自分が辛いことを経験したからこそ、今辛い思いをしている方々と共に歩んでいくことができるのではないでしょうか。一人ひとりを大切にする行為から、自分も大切な存在であることに気がつく。今を共に生きていくことによって、過去の事実は変わらなくとも、過去の意味が変わっていく。それが支え合っていくことの意味です。このような大切なことは、目に見えています。

 皆さんは、いと小さきもののそばにおられる神を見つけた時、思わず指を指すかも知れません。しかし、指の先にある、いと小さきものとそばにおられる神を見ずに、指の先を見ているのではないですか。本質も見ろと今でも恩師に言われています。本年で39年目になる大学での教員生活をふりかえって、私は、自分の指を見ていたのかもしれないと反省しています。学びのスタートです。

 今日の聖句の意味を、一緒に学んでいきましょう。

「はっきり言っておく。私の兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。」(マタイ第29章40節)

https://youtu.be/ReWHrr3Jya4

録画