青山学院大学チャペル・ウィーク・メッセージ

2018年10月15日に、ガウチァー記念礼拝堂において、メッセージをいたしました。テーマは、「おめでとう」で始まり、「ありがとう」で終わる人生です。

メッセージ

「おめでとう」で始まり「ありがとう」で終わる人生

「わたしは、既にそれを得たというわけではなく、すでに完全なものとなっているのではありません。何とかして、捉えようと努めているのです。自分が、キリストイエスに捉えられているからです。」 (フィリピの信徒への手紙第一第3章12節)

2011年3月11日午後2時46分、皆さんはどこにおられましたか。私は、ルーテル学院大学の学長室で打ち合わせにおり、その揺れの大きさと揺れる時間の長さに驚きました。東京でも、たくさんの帰宅難民が生まれました。また職場から夜通し歩いて、子どもが待っている小学校に迎えにきた親もたくさんいました。また、学校から帰宅途中に地震に遭い、駅に下ろされた小学生を探すために、親たちが1駅づつ車でまわり、見つけて保護したこともありました。

さらに、テレビの映像に映る現地の惨状に驚きました。すぐに被災した地域に住む友人たちに携帯で何度も連絡をしましたが、まったく通じませんでした。しかしその2日後の朝です。「無事です」と公衆電話からかかってきた友人たちの電話に、私は思わず「良かった」と、家族が驚くような大きな声を上げていました。

死者行方不明者1万8,432人を数える東日本大震災は、今から、7年以上も前のことです。今日に至るまで、熊本地震、北海道での地震、そして台風や豪雨災害等々、たくさんの自然災害が続いています。では、それぞれの被害は、過去のものでしょうか。いや、困難な生活は今でも続いているのです。私は、被害がもっとも多かった宮城県石巻市で、発災時から社会福祉協議会等の方々のお手伝いをしてきましたが、復興によって環境は整ってきましたが、その痛みは続いています。

事実、私は、本年の3月、石巻市社会福祉協議会の仕事の合間に、石巻市に来たゼミの学生とともに、再び大川小学校に行きました。小学校生108人中、74人が犠牲になり、多くの教員も命を失いました。その2年後の冬に行った時には、川を堰き止めて、子どもの遺骨を探していました。大川小学校の前に、亡くなられた方々を追悼する慰霊碑が建てられています。夏には、慰霊碑にヒマワリの花で飾られます。その意味を知ったのは、後からでした。

詩を紹介します。

ひとつぶの小さな種が、

千つぶもの種になりました。

そのひとつぶひとつぶが、

ひとりひとりの子どもたちの、

思い出のように思えました。

また 夏が来たら 会おうね。

ずっとずっと

いっしょだよ。

文:ひまわりをうえた八人のお母さんと葉方丹(はかた たん)絵:松成真理子

何年たっても、親は子どもを失った悲しみを忘れることはできないのです。

大切な家族や友人を失い、長らく住んでいた家を流された方々が仮設住宅や復興住宅に住まわれています。今まで当たり前と思っていたことが、自然の圧倒的に力によって突然目の前からなくなった喪失感情はなかなか拭い去れない。また親や友人を失った子どもが、約3年目から、その死を振り返り、自分は生きていいのかという言葉を発してきていると聞いています。震災による痛みは、未だ癒えていないのです。子どもから高齢者まで、それぞれに痛みを持っています。

しかし、忘れてはならないたくさんの働きが続けられています。たくさんのボランティアやNPOが支援に来ました。青山学院大学の学生も、やくさん被災地でボランティアを行っています。

また私が学ばせて頂いている石巻市社会福祉協議会は、地域福祉コーディネーターを雇用し、日々、家や家族を失った方々が住まわれている仮設住宅を訪問し、その方々が孤立しないように悩みや生活の相談を受け、必要なサービスや援助につなげていきました。しかも、冬の寒さは厳しい。石巻市は普段、過ごしやすいのですが、冬には寒くなり、また強い風が吹く時があります。私は、強い風で体温が奪われ、凍えそうになる経験を何度もしました。そのような時は、道路の雪が固まり、氷となり、アイスバーンとなって移動がとても危険な状態になります。そのような時にも、地域福祉コーディネーターは、仮設住宅や、新たに建てられた復興住宅を訪問し続けました。しかも、地域福祉コーディネーター13名のうち半数以上は、北海道、近畿、四国、九州から来た若者です。自分が生活してきた地域から離れ、寂しさもあったのではないでしょうか。また方言や文化も違い、住民に受け入れて頂くことに本当に苦労したと思います。でも、彼らは働き続けました。なぜなら、彼らは、「市民の暮らしを支えていきたい」という気持ちをもって、応募した方々です。その強い思いが住民に伝わり、生活の再建に結びついていると思っています。

困難に直面しても、将来に向かって今を生きることが大切です。そのためにも、私は皆さんに、どんな困難に直面しても、希望の火を絶やさず、生きていくためにも、立ち戻るところをもつことが必要だと言いたい。

私は、「おめでとう」で始まり、「ありがとう」で終わる人生を原点にしています。子どもたちの誕生は、おめでとうから始まる。子どもは、誰もが祝福されて生命を与えられた。だれ一人として、神様から祝福されない生命はないという真実に立ちたいと思っています。だから、皆でおめでとうと言う。この事実に、疑問を挟む余地はまったくありません。親等からの虐待によって、命を奪われる子どもが増えていますが、子どもの命をなんとしても守りたい。「おめでとう」から、それぞれの人生の歩みが始まるのです。

そして、人生の最後を迎えた時、支えてしてくれた家族や支えてくれた人にありがとうと言うことができたなら、それは人生でもっともすばらしい証し。感謝する本人の命が光る。見看る人びとの心がその人の命を通して光る。その人を支えてきた神の愛が、光り続けるのです。高齢者の孤立死が増えていますが。亡くなってからだいぶ経ってから見つかるような状態は何としても避けたい。人生最後にあって、「ありがとう」と言えるような人生を守りたいと考えています。

聖句に戻ります。「わたしは、既にそれを得たというわけではなく、すでに完全なものとなっているのではありません。何とかして、捉えようと努めているのです。自分が、キリストイエスに捉えられているからです。」

この挑戦は、すでに完成したものでは決してありません。いつも絶えず、問い続けていくこと。0か100ではない、たくさんの挑戦があります。私は、「おめでとう」で始まり「ありがとう」で終わる人生というタイトルの本を出版しましたが、その原点の一つは、被災地の方々と一緒に働かせて頂き、学んだこと、思ったことです。私は、生きていくことの意味を実感しました。今まで当たり前と思っていたことの大切さ、悲しみの中にある人に何とか明日への希望を届けようとする働きの意味を学んでいます。倒れている人に駆け寄って助け上げる人は、神を信じる、信じないに関わりなく、神に祝福された隣人だと私は思っています。

また、そのことを目指して、今をどう生きるかによって、過去の事実は変わらなくとも、今の生き方によって過去の意味が変わっていく可能性を、神はたえず与えてくださいました。たくさんの挑戦をしてきましたが、新しく学ぶことはつきません。それが、私にとって、「キリストイエスに捉えられている」という意味です。

大川小学校の慰霊碑に飾られているヒマワリを私はたびたび思い出します。

その花言葉は、

「あなたのことをずっと忘れない」です。

 

祈り

主よ、どうぞ、私たちに、自分を信頼し、自分らしい生き方をしていく力を、悲しい時には泣き、楽しい時には喜ぶ素直さを、正しいことやふさわしいことがわかる知恵を、お互いの違いを理解しようとする優しさを、困難に直面しても夢を失わないねばり強さを、辛い時には立ち止まることのできる少しのゆとりを、自分の力ではどうしようもない時に、誰かに救いを求める勇気を、そして、一人では生きられないと思った時に、一人で生きてきたのではない事実を受けとめる謙虚さをお与え下さい。そして、今日礼拝に出席している学生諸君が、どんな困難に出会っても、希望を失わず、将来に向かって歩んでいくことができるように、お導き下さい。

主の御名によって祈ります。

「おめでとう」で始まり(B5チラシ)