2013年ルーテル学院入学式

2013年度入学式

テーマ「新しい出発のための5つのC」

聖書:「新しいぶどう酒を古い革袋に入れる者はいない。そんなことをすれば、革袋は破れ、ぶどう酒は流れ出て、革袋もだめになる。新しいぶどう酒は、新しい革袋に入れるものだ。そうすれば、両方とも長もちする。」(マタイ福音書第9章第17節)

新入生の皆さん、入学おめでとう。ご出席のご家族の皆さま、関係者の皆さま、おめでとうございます。今日は、新たな学びのスタート台に立つ新入生諸君へ期待を込めて、お話をさせて頂きます。

1.「新しいぶどう酒」と「新しい革袋」

今日の聖句には、「新しいぶどう酒を古い革袋に入れる者はいない。そんなことをすれば、革袋は破れ、ぶどう酒は流れ出て、革袋もだめになる。新しいぶどう酒は、新しい革袋に入れるものだ。」と書かれています。当時は、ぶどう酒をビンではなく、革袋に入れて貯蔵していました。新しいぶどう酒はまだ発酵が終わっていないので、膨張します。古い革袋は固くなっているので破れてしまいますが、新しい革袋は弾力性があるので膨張にもちこたえることができるのです。

私は、新しいぶどう酒とは、私たち一人ひとりがもつ夢・希望だと思います。お金をなくすと生活の危機、名誉をなくすと心の危機、夢・希望をなくすと存在の危機をもたらします。夢は、生きていくために大切な宝であると思っています。

2.夢・希望

ある大企業が、2012年12月、20代~50代と2013年新成人の男女各100人、合計1,000人に対して行った「日本人の夢調査」では、日本人の約76%が現在叶えたい夢があると答えました。また新成人の約85%が夢を持っており、どの世代よりも夢の保持率が高いことがわかりました。

しかし、夢を持っていたことはあるが、現在は夢が無いと答えた人の約78%は、夢が叶ったからではなく、諦めたからと回答しました。もっとも多かった回答者が24歳であったことを考えますと、夢を持って社会人になり、社会の荒波にもまれることで夢を諦めてしまう人が多いと言えるかもしれません。

夢は描くだけでなく、実現するものです。だからこそ、自分にとってふさわしいぶどう酒をもち、それを現実のものとするために、さらにそれぞれの革袋を、学生時代につくっていただきたい。確かに、挫折はあります。しかし、挫折の意味を理解し、実現のためにたえず自らを成長させていってほしい。

厳しい生活の中で、夢を持とうとする子どもたちのことをお話しします。県民の約10%が自宅から避難している現実にあっても、子どもたちは自分の将来を見つめています。桃色の傘をさしてNHKの『八重の桜』に登場している福島県内370名の小学生高学年一人ひとりは、10年後の自分自身に宛ててスケッチブックに書いた短い手紙を持っています。

「10年後の私は、人を助ける仕事をしていますか?」や「よみがえった福島の自然のなかで精一杯生きていますか?」といった内容のメッセージだったそうです。彼らは、困難に直面しつつも、自らの夢の実現に向けて歩んでいきます。私は、彼らが夢を叶えることができるよう、一緒に歩んでいきたいと思っています。

3.アジアの子どもたちが夢を描き、夢を実現する支援(チャイルド・ファンド・ジャパン)

海外の子どもたちが夢を実現できるように支援している活動を紹介します。チャイルド・ファンド・ジャパンという日本の民間非営利団体は、アジアの貧困状態にある子どもたちが幸せに、そして責任ある大人に成長することを願って活動しています。

そもそも、同団体の起源は、第二次世界大戦後、アメリカの民間団体、CCF (Christian Children’s Fund:キリスト教児童基金)による日本の戦災孤児への支援に始まります。アメリカ、カナダ等の多くの方々からの資金援助が届けられ、22年後の1974年のCCFの支援終結までに、延べ86,000名の子どもが支援を受けました。

その支援は、翌年の1975年より、基督教児童福祉会(CCWA)国際精神里親運動部、そして現在のチャイルド・ファンド・ジャパンに受け継がれています。フィリピン、スリランカ、ネパールの子どもたちのためにスポンサー(里親)を募り、資金の提供を受け、今では、5,000名の子どもたちがこの支援により学校に通っています。目標は、子どもたちが学び、自分の夢と希望をもち、それぞれがもっている可能性を生かし成長し、それぞれの夢を実現すること。

今、支援を受けていた子どもたちが大人になって、貧しい子どもたちを支援していく。このような絆が生まれています。チャイルド・ファンド・ジャパンの創立時、また現在の組織において多くのルーテル学院の教員、卒業生等が役割を担っていることは、私たちの誇りです。諸君にも、人のために働くことができる人材に成長して頂きた。

さて、この聖句について、神学者のバークレー(バークレー著・松村あき子訳『マタイ福音書上』ヨルダン社)は、このように言います。「われわれの心は、新しい思想を受け入れるだけの弾力性がなければならない」と。「革袋」とは、自分自身そのものなのであり、問われているのは、私たち自身なのです。そのため、自らが、広さ、強さ、弾力性をもった革袋に育つことが必要です。

そのために、私は、学院だよりに書かれている5つのCを申し上げます。

4.大切な5つのC

①Compassion[共感]

人の悲しみがわかること、そして共に悲しむことです。また、他者の喜びを率直に喜ぶこと。それは大切な人間力です。

②Capacity building[能力育成]

自分の持ち味、弱さ、強みを知ること。弱さを少しずつ改善する謙虚さと、強みを活かす勇気を持って頂きたい。

③Collaboration[連帯]

様々な出会いを通して、人、文化、経験の違いを学び、排除しあうのではなく、互いに助け合い、直面する課題に取り組んでいていくように努力してほしい。

④Challenge[挑戦]

将来の目標を見出し、それに挑戦していくことは簡単なことではありません。自分にふさわしい目標を見つけ、一歩一歩、たゆまず、諦めず、目標に向かって歩んでいくしぶとさを持って頂きたい。

この4つのCを横軸にして、中心に⑤Christ[キリストの愛]という縦軸を置く。キリストは、苦しむ人間の姿に駆け寄り、寄り添い、その痛みを取り去ろうとされました。人間に対する深い愛情があったからです。そこを縦軸として頂きたい。

5.桜の木

私は、入学式の日が桜の満開の時に重なるといいと思ってきました。しかし、2日前の日曜日の早朝、用事で大学に来て桜を見上げた時から、その考えは、誤りであったと思っています。土曜日に仕事で鎌倉市に行った時、ほとんどの桜が散っていましたが、大学では残っていたのでした。待っていてくれたのです。

この礼拝堂を出て、ルーテル学院の建物の周りの桜を見て下さい。昨年の秋に、葉がすべて落ちた枝から、たくさんの若葉が出ています。花の間から、若葉が出て来ているのです。葉が茂り、厳しい夏に太陽の光を受け、養分を蓄え、さらに秋には散り、冬の寒さに耐え、春に花を咲かせる。これが桜の姿です。

また、満開の桜は一瞬ですが、今でもたくさんの桜の花が散らずに、皆さんを心から迎え、祝ってくれています。限られた時に咲き誇る、咲きそろう美しさより、一輪一輪の花にそれぞれの思いやりを感じます。

諸君には、この桜のように、新たな夢をもち、それを実現できる力を身につけて頂きたい。新しいぶどう酒を新しい革袋に入れる学びを、ルーテル学院でして頂きたい。その学びと成長の時に、私たち教職員も、一緒にいたいと思います。

皆さんのルーテル学院での学生生活が、実り豊かな時であるますように、切に祈り、皆さんへの言葉とします。

 

2012年度ルーテル学院後期卒業式

 

 

 

 

 

 

2012年度後期卒業式

テーマ「わたしは必ずあなたと共にいる」

聖書:「モーセは神に言った。<わたしは何者でしょう。どうして、ファラオのもとに行き、しかもイスラエルの人々をエジプトから導き出き出さねばならないのですか。>神は言われた。<わたしは必ずあなたと共にいるこのことこそ、わたしがあなたを使わすしるしである。あなたが民をエジプトから導き出したとき、あなたたちはこの山で神に仕える>」(出エジプト記第3章第11節・12節)

1.「燃えている柴」

芝が燃えている。消えずに、炎が燃え上がっている。その光景を目にしたら、皆さんはどうするでしょうか。

紀元前1280年頃、今から約3300年前、モーセが羊の群れを連れてホレブに来た時、目にしたのは、燃えている柴でした。ホレブとは、「荒涼とした場所、乾き切った場所」の意味であり、ほとんど雨が降らない大地であるホレブの芝が燃えていたのでした。(手島佑郎『出エジプト記—混迷を超えるプロジェクトー』ぎょうせい、p.53,54、平成4年12月)

モーセは、火を消さなければと燃えている柴に近づきます。

2.神との出会い(以降、大串肇『現代聖書注解スタデイ版 出エジプト記』2010年9月、日本キリスト教出版)

その時です。燃えている芝からモーセを呼ぶ神の声が聞こえました。そして神は、モーセに、「エジプトでとらわれている人々を連れ出しなさい」と命じられました。当時のエジプトは、ナイル川の流域に栄えたとても強い国で、イスラエルの人々を支配していました。その支配から脱することは、不可能と思われることであり、容易に引き受けることはできません。

3.モーセの4つの拒否

モーセは、その神からの命じられたことに対して、4回抵抗します。

第1の抵抗は、「私は何者でしょうか、どうして私はこのことをしなければならないのでしょうか」という抵抗です。そのようなとてつもないことを成し遂げられるほど、偉大でも、価値ある人間でもないということを、モーセは自覚していました。

第2の抵抗は、「どうやって神が私を遣わしたと伝え、神のことを人々に伝えたらよいでしょうか」と言う抵抗です。人々は、簡単には信じてはくれません。困惑させるだけだはないかとモーセは恐れました。

第3の抵抗は、「人々が<主がお前などに現れるはずがない>と言って信用せず、私の言うことを聞かない」ならばどうずれば良いのかという拒否です。

そして、さらに、「私は口が重く、舌の重い者です」「どうぞわたしの代わりに誰かほかの人をお遣わせ下さい」とまで言いました。これが第4の抵抗です。

ここまでして、命じられた使命に対して、抵抗するモーセ。神はその抵抗に対して、一つひとつお応えになられました。第1の、「私は何者か、どうして私はこのことをしなければならないのでしょうか」とい抵抗に対する神の答えが、「私は、必ずあなたと共にいる」という答えです。

4.「私は、必ずあなたと共にいる」

私は、大串先生の『出エジプト記』の注解書を読みながら、モーセの生きていく姿に共感を覚えるのです。モーセの一人の人間としての生きる姿、迷う姿を学びます。神の問いかけを何度も抵抗し、そして最後に「共にいる」存在をひたすら信じ、そして歩んでいく一人の人間の姿に感銘を覚えるのです。

5.私の青春時代

私の青春時代も、葛藤の時代でした。「幸せを数えたら片手にさえ余る 不幸せ数えたら両手でもたりない」「幸せを話したら5分でたりる 不幸せ話したら一晩でも足りない」(ばんばひろふみ)私は、良くこの歌を口ずさんだものです。確かに、当時の高校や大学は学園紛争のただ中にあり、混乱していました。何人もが傷つき、そして去って行きました。その時に口にした歌の一つがこの歌でした。

しかし、本当にそうだったのでしょうか。今は、ふりかえって、困難に直面した時に、「共にいる」人がいたし、そして神がおられたと気がつきました。困難だから、大切な存在が見えることを、その時は気付かなかったのです。

6.「私は、必ずあなたと共にいる」という働き

「私は、必ずあなたと共にいる」というメッセージを届け続ける働きを紹介します。

私は、昨年、藤藪庸一牧師にお会いしました。来週、訪問する白浜レスキューネットワークのリーダーです。「自殺しようと苦しむ方々を何とかして助け、人生に希望を失っている方々に、もう一度人生をやり直そうと思ってもらえるように関わっていきたいと願って」、NPO法人白浜レスキューネットワークが立ち上げられました。

 和歌山県南部西海岸にある白浜三段壁(さんだんべき)は、断崖絶壁の名勝ですが、自殺者があとを絶ちません。保護した件数は、年間30件を超えるそうです。相談電話は、三段壁以外からもあり、1260件を超えるそうです。また、保護した方々が自立するには、自己破産や就職活動などとともに、もっとも大切な、心身の回復が不可欠です。これらの問題を解決していくために畑を作り共同生活をしていると、藤藪牧師は言われていました。

 藤藪牧師は、著書(藤藪庸一『<自殺志願者>でも立ち直れる』講談社)でこう書かれています。「私が何よりもうれしいのは、<略>共同生活を経て、自立していくことです。<略><教会に遊びにおいで><いつでも連絡をちょうだい>自立していく際には、また会えることを祈って送り出します。<略>私との関係を続けて連絡をくれ、そしてなんといってもその人が自立して生き生きと頑張っていることがわかると、私は励まされます。」

今、必要なことは、「共にいる」存在があることを、希望を失いかけている方々に届けることではないでしょうか。「共にいる」働きが、明日の社会を切り開いていくと、私は確信しています。

7.希望を繋ぐ人生のリレー

NHKの『八重の桜』を見たことがあるでしょうか。番組の導入部分の最後に燃える柴ではなく、緑のきれいな柴の上に桜の花のような桜色の傘をさす子どもが映ります。

『八重の桜』の制作担当者にお聞きしました。緑の芝の上で傘を差しているのは、福島県内の小学生高学年の男女370人。幕末の会津の人々が大きな挫折を体験し、その哀しみを克服し再生していく。若者たちに降りかからんとする困難から、若者たちを守り抜いていこうとした主人公八重の思いを、桜色の傘のシーンで表現しようとしたそうです。

そして、370名の子どもたちは、一人ひとり、10年後の自分自身に宛ててスケッチブックに書いた短い手紙を持っています。私は、この希望を一緒に大切にしたいと思っています。

8.「わたしは必ずあなたと共にいる」という希望をもって

卒業生一人ひとりに申し上げる。一人ひとりのスケッチブックに「わたしは必ずあなたと共にいる」という神の言葉を書き、卒業していって下さい。

今、明日を描くことはなかなか難しい。手探りです。だから、精一杯、今を生きる。困難で辛い時にあって、もっとも輝き、そして励ましになることは、「共にいる」という存在です。苦しい時だからこそ、楽しいと思っていた時に気がつかなかった「共にいる」存在を確認できる。一人で生きていると思ったら、一人ではなかったことに、気付くことができるのです。

卒業する一人ひとりの日々の生活を通して、働きを通して、困難に直面し、心を閉ざしている人のその心に、希望を届けて下さい。

卒業、おめでとう。これからもよろしく。