共助社会づくり

能登半島被災地支援(2024年2月1日)

1月22日15:30〜17:30に、全国社会福祉協議会において、全国ボランティア・市民活動振興センター運営委員会が開催され、能登半島被災地支援に関する情報交換が行われました。今回は、運営委員会で情報を提供して下さった委員を中心に、改めて資料を整えて頂きましたのでお送りします。被災地支援を行っておられる皆様、今後の支援を考えている皆様に、現状をご確認頂ければ幸いと思います。ルーテル学院大学 名誉教授 市川一宏

Ⅰ)日本赤十字田中康夫さん(日本赤十字社 業務執行理事/事業局長)より  私共日赤のHPに掲載している活動速報をご覧頂きたく思います。リンクは以下のとおりです。最初の頁の「詳細を見る」をクリックして頂けると、「令和6年能登半島地震にかかる日本赤十字社の対応等について」がございます。https://www.jrc.or.jp/

Ⅱ)阿部陽一郎さん(中央共同募金会 常務理事)より   

1.現在の活動と課題

(1)「支援金」として、支える人を支える仕組み「ボラサポ(災害ボランティア・NPO活動サポート募金)」による助成の実施(当面、1月から、ほぼ毎月ペースで応募受付)

(2)被災者へのお見舞い金としての「義援金」の募集(石川・富山・新潟・福井)

(3)石川県内の災害ボランティアセンターの運営支援

  石川県内の市町社協が設置する災害ボランティアセンターに対し、「支援P」(災害ボランティア活動支援プロジェクト会議・中央共募が事務局)からの運営支援者の派遣  https://shienp.net/

(4)石川県・富山県の災害ボランティアセンター等への運営経費支援として、全国の共同募金会から「災害等準備金」拠出の連絡調整

(5)内閣府、全社協、JVOAD(全国災害ボランティア支援団体ネットワーク)、中央共募による被災地支援の課題、対応等について協議を行う「全国情報共有会議」の開催(適宜)

2.今後行おうとしている支援

(1)特に、奥能登地域は、被災者に加え、支援者も過酷な状況のなかで支援活動に尽力しており、支援者に対するさまざまなサポート体制を作ることが必要となっている

(2)生活支援、復興までの過程は、相当の期間を要すると考えられ、地域の状況、援のフェーズの変化に対応した、柔軟でスピード感をもった息の長い支援に取り組んでいきたい
3.私たちが共有すべきことがありましたら、お伝え下さい。

今後、ライフラインの復旧などにより、少しずつ被災地の災害ボランティアセンターから活動ニーズが発信されてくると思うので、ボランティア活動等被災地支援について、長い目で応援していただきたい。

Ⅲ)金田晃一さん(株式会社NTTデータ サステナビリティ経営推進部 シニア・スペシャリスト)

NTTグループとして、総額5,000万円を義援金として拠出することを決定いたしました。

https://www.nttdata.com/global/ja/news/release/2024/011200/

こちらは、能登半島地震のみに関連したお話ではありませんので、ご参考情報ではありますが、2月13日に緊急人道支援学会の第1回大会が開かれます。

https://jashas.org/conference/announcement/240213.html

私もパネリストとして参加することになり、
https://jashas.org/data/media/kinkyu_shien/page/news/symposium/1st/SP7.pdf

別途設けられる分科会では、特に、防災・減災・緊急・復旧・復興期に、企業がどのように関わり、テクノロジーがどのように活用されるかについて議論を進める予定となっております。

https://jashas.org/data/media/kinkyu_shien/page/news/symposium/1st/S1A4.pdf

Ⅳ) 後藤麻理子さん(日本ボランティアコーディネーター協会 事務局長)

1.WEBサイトに短いメッセージを掲載したこと

  「令和6年能登半島地震」の発生にあたり、それぞれの強みを生かした被災者支援を。

2.WEBサイトに以前から掲載しているボランティアコーディネーター向けのページを伝えていること

  災害ボランティアコーディネーションにたずさわる皆様へ https://jvca2001.org/notohanto/

3 全社協運営委員でもある長谷部治理事が作成し、随時更新している情報サイトをシェアしていること

  すまっぽん https://smappon.jp/e47rt1gi (管理者:長谷部治さん)

Ⅴ) 前田 昌宏さん(日本生活協同組合連合会 社会・地域活動推進部 地域コミュニティグループ マネージャー)

下記のように被災地の生協と連携した取り組みを進めています。

1.「令和6年(2024年)能登半島地震」の被害に対する支援のお知らせ「コープ被災地支援センター」を設置 ニュースリリース:日本生活協同組合連合会をご覧下さい。

2.生活協同組合コープいしかわ お知らせ投稿

Ⅵ)前山 憲一さん(半田市社会福祉協議会 事務局次長)

現時点では災害支援協定を締結している氷見市社協への支援が中心です。本会は以下の支援を実施しております。

 ① 災害ボラセンの運営支のための職員派遣

 ② 活動支援金の募金

 ③ ボランティアバスの派遣

 ④ 雑巾ちくちくプロジェクト(足ふき、機材清掃のための雑巾の作成と寄付)

・上記①は専門職を含めた本会職員を現地災害ボラセンに派遣し、現地調査(被災者のニーズ確認)の同行や、支援計画策定会議(仕分け会議)のファシリ等をお手伝いしています。

・上記②③④は広く市民に協力をお願いしています。

https://www.dropbox.com/scl/fi/v38kks5tlfbkos99gn4in/2024.2.1.docx?rlkey=4h84k6pki5ksvtonj01suzud2&dl=0

東海北陸ブロックの割り当てでは石川県珠洲市が担当となっていますので、いずれ職員の派遣があるとは思いますが現時点では未定です。

Ⅶ)長峰 夏樹さん(長野県社会福祉協議会 まちづくりボランティアセンター所長)より

https://www.dropbox.com/scl/fi/afvw0vxxjq6h7qiawogbi/.pdf?rlkey=9qrme9zrh7x1ndh8sxnpeo0jt&dl=0

Ⅷ)森純一さん(東京都社会福祉協議会 地域福祉部 部長)より

能登半島地震について、東社協の支援活動の現状は以下のページを更新しているところです。

https://www.tcsw.tvac.or.jp/saigai/documents/240123_notoShien.pdf

東社協では現在、以下を取り組んでいます。

(1)東京ボランティア・市民活動センターでは、1月4日に都内の区市町村ボランティアセンターに街頭募金活動を呼びかけました。

1月に実施した第1期・第2期では44地区で取組みが行われていると聞いています。

https://www.tvac.or.jp/special/r6noto/bokin

(2)関東Aブロック(関東を西側のB、東側のAに分けています)は、今年度の幹事県である千葉県社協を中心にブロックを越えた支援要請に対応しています。

①1月31日からは関東Aブロック社協から1クール4名体制で石川県内灘町、かほく市の災害VCの運営支援に入ります。

②東京は第4クールを担当しており、2月12日から同地区に4名を派遣します。派遣者は東社協職員と区市町村社協職員になります。

③2月の北陸の雪がどのように支援活動に影響するかが危惧されます。まずは雪の中、2地区を責任もって対応することが関東の社協としては大事にしたいところです。

④東海北陸ブロックが輪島市や珠洲市等の奥能登の社協本体への支援、近畿ブロックが七尾市などの中能登への支援に入っているようです。

⑤今後、関東に追加支援の要請があるのは確実で、春先以降、二次避難者が戻る時期にはニーズが高まると思われ、長期化も予想しています。

⑥東京は災害VCの応援派遣を地域福祉部、DWATを福祉部と分けて対応していますが、県によっては災害福祉支援という形で災害VCとDWATを一体的に取り組んでいるところもあるかと思います。そういった県社協ではDWATにも対応してくださりながら災害VCの応援派遣も同じ部署で対応している状況かなと思います。

(3)石川県内での緊急小口資金の貸付のため、全社協が第1クールを関東ブロックに応援職員の派遣要請を行っています。

①現在、千葉県社協・千葉市社協が現地に入り、1.5次避難所となっている金沢市内のスポーツ総合センター、金沢以南に点在する二次避難所を訪問し、貸付の案内をしているとうかがっています。

(4)1月10日に厚労省→東京都→東社協福祉部のルートで福祉施設職員の応援派遣の要請が来ています。

①東社協からは種別部会からの65施設161名の施設職員の応援派遣が可能な旨を回答しています。

②各県からの名簿をもとに全社協が直接マッチングしているとうかがっています。

③どこの施設から派遣されているかを福祉部で各施設に確認をとっており、1月現在、11名が派遣されたようです。

④派遣先はおそらく1.5次避難所等が中心かもしれませんが、もととも輪島市は全国で最初の福祉避難所を設置した自治体でもあり、熊本地震の経験から考えるとそろそろ福祉避難所の設置に伴う施設職員の応援派遣も出てくるのではと思います。

⑤種別の部会も応援職員を派遣して支援したい施設は多いと思いますが、全ての施設が対応できないので、種別ごとに石川県の施設に必要な物資や義援金を送る取組はしていると思われます。

(5)施設職員の応援派遣と別に各県のDWATが避難所支援に入っているようです。

(6)東社協地域福祉部では、1月は都内避難者の支援に力を入れてきました。

①1月12日より東京都総務局からの依頼で能登半島地震に伴う都内避難者総合相談窓口を開設しています。地域福祉部に配置している職員が受けています。

https://www.bousai.metro.tokyo.lg.jp/taisaku/saigai/1028426/index.html

②1月29日までに47件の相談がありました。

③以下は、主な相談例です。【相談①】能登半島地震で被災した高齢の親を自分の家に避難させたい。受けていた医療を同じように継続できるかということや荷物をもってこられないので当面の生活に不安もあるが、慣れない地域での生活になじめないのではないかと不安に思っている。【相談②】被災した家族を自分の家にいったん避難させ、区内に住むところを探したい。家族が呼び寄せる自主避難なので、どれぐらい公的な支援が受けられるかわからない。【相談③】ひとり暮らしの兄が都内に避難する予定だ。制度や手続きのことは役所に聞けるが、ずっと地元で暮らしてきた兄が東京の生活でわからないことも多いと思う。制度や手続きのようなこと以外で身近に相談できるところがあるとよい。【相談④】娘の子どもたちが避難してきて、都内の学校へ転入することになった。まずは生活のことが不安ではあるが、先々に心配なことも出てくるだろう。【相談⑤】親が能登半島から避難して都営住宅に入居したが、入居時に受け取った集会や町内会の案内は必ず参加しないといけないものか?気持ちが落ち着かず、慣れない場に参加しなければならないと思うと不安になってしまう。【相談⑥】能登半島から避難してきた両親は歩行に不安があり、集合住宅での生活が初めての中でゴミ出しができていない。

④都内に家族を呼び寄せたいというニーズが一定程度あり、そういった方をインフォーマルな社協の支援につなげることが大切と感じました。

⑤そのため、区市町村社協事務局長会では、都内社協全体でこれに取り組もうと決めて、相談があった場合に区市町村社協のどの部署につなぐかを登録してもらう取組みをすすめています。

⑥また、東日本大震災の避難者に対して行っている孤立化防止事業も対象を能登半島地震の避難者にも拡大していく予定です。

都内避難者総合相談窓口はここ数日、電話が落ち着いてきていますが、ご不安に思っている方がまだまだいると思いますので

この取組みを知っていただいて多くの相談をいただき、必要な方には区市町村社協とのつながりを作っていたいと願っているところです。

Ⅸ)厚生労働省 社会・援護局地域福祉課より

1 厚生労働省・政府の取組みについて

今回の災害に係る被災者の皆さまへの支援情報を集約したページを特設しました。また昨日、内閣府防災が「被災者の生活と生業(なりわい)支援のためのパッケージ」を公表し、具体的な各種支援策について取りまとめたところです。

被災地支援に関わっていらっしゃる方々は、様々な役割や得意分野をお持ちであると推察いたしますので、全般的な情報にはなりますが、これらのホームページ情報を共有いたします。 

[厚生労働省HP 令和6年石川県能登地方を震源とする地震について]  https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000121431_00442.html

[内閣府防災担当HP 令和6年能登半島地震について]

https://www.bousai.go.jp/updates/r60101notojishin/index.html

※ ページ上部に「被災者の生活と生業(なりわい)支援のためのパッケ―ジ」という資料がございます。

2 よりそいホットラインの取組みについて

「よりそいホットライン」におきましても、今般の災害に際しチャットルームの開設等の対応をしております。

 [よりそいホットライン 令和6年能登半島地震で被害に遭われた皆さま]

Ⅹ)全国社会福祉協議会 地域福祉部(令和6年1月29日現在)より

1.石川県

  • 石川県が募集した一般の災害ボランティアが、1月27日より七尾市、穴水町、志賀町で活動を開始。金沢からバスで現地に入り、日帰りで活動。

(1)穴水町社協

  • 27日は県ボラ募集のボランティア16名が参加。
  • ニーズ受付で上がってきた災害ごみの撤去作業を行う。主に、外に出された災害ごみの撤去のニーズに対応していた。
  • 応急危険度判定で赤紙の住宅内のニーズは、全て断っている(ニーズ票は残している)が、赤紙率が高く、それでいいのか社協としても悩んでいる様子。安全性の判断ができる技術系NPOの支援が必要。→レスキューストックヤードに相談
  • 運営は、県内応援社協+全国応援等でどうにか社協職員で回しているがもう少し運営側に協力いただける地域住民を巻き込めれば。
  • 当日のニーズ受付は10件。

(2)七尾市社協(Facebookより)

  1. 1月27日は35人のボランティアの皆さんにご参加いただき、6件対応し、3件のニーズを完了しました。参加されたボランティアの皆さん、ありがとうございました。
  2. 七尾市災害ボランティアセンターの活動は、現在、七尾市内在住の方の軽トラボランティア、県民ボランティアセンター登録のボランティアの方のみとさせていただいております。ご理解のほどお願いいたします。

(3)志賀町社協(Facebookより)

  • 本日、27日より県民ボランティアセンターからのバスを迎え入れての活動を開始しました。オリエンテーションを行ったあと、各活動先に向けて出発。災害ごみの片付け等の活動を行っていただきます。
  • また運営スタッフには、地元ボランティアの方にも参加していたき、サポートを行なっていただいています。ニーズの聞き取りなどの作業は土地勘がないと聞き取りが難しいこともあり、貴重な戦力です。

2.富山県

  • 射水市、小矢部市、高岡市、氷見市が災害ボランティアセンターを設置。

氷見市社協

  • 発災直後から高齢者や障害者等の安否確認、ニーズ把握。1月2日からは地区社協や民生委員・児童委員からの聞き取りを開始。1月5日に災害ボランティア・支えあいセンターを立ち上げ。
  • 1/24までに170件以上のボランティア依頼を受け付け。1200人以上の方がボランティア(県内の方のみ)に登録している。
  • 富山県内の社協や県外の社協が応援に入っているほか、地元の青年会議所やライオンズクラブ、連合高岡、富山県生活協同組合連合会などの団体もボランティアセンターの運営スタッフ(ボランティア)として活動。
  • 平成26年から開設したふくし相談サポートセンターの経験を活かし、ボランティア担当と生活支援担当が連携して、片付けだけではなく生活全体のアセスメントを行い、必要な支援につなげている。
  • 支援活動に必要な物資・資源・資材・人材の調達に充てるため、クラウドファンディングを実施。
  • 地区社協による被災者支援活動(被災された住民をお風呂まで送迎支援、サロンを緊急開催して心のケア等)に対しする助成(10万円)を開始。

3.新潟県

  • 新潟市西区で災害ボランティアセンターを設置。事前登録制で1日あたり20人~50人程度(県内のみ)が活動中。県弁護士会と連携し、自治会単位などで法律相談を実施。

4.全国応援派遣

  • 追加派遣や2月中旬以降の延長等について協議するため、2月6日にブロック幹事県・市会議を開催予定。

リアン文京のチャレンジ

リアン文京は老人福祉センター、地域振興施設、子育て支援、障害者支援施設(入所支援、短期入所、生活介護、就労継続支援 B 型、自立訓練)、放課後等デイサービス、就労継続支援 A 型をはじめ地域活動支援センターや特定相談支援並びに居宅支援等の大小 27 事業を運営し、高齢者部門、障害者部門、子育て部門、地域部門を持つ都市型複合施設です。

リアン文京は、2021年度・2022年度のニッセイ財団の先駆的事業助成・地域福祉チャレンジ活動助成を受けて、以下のプロジェクトを実施し、私がアドバイスを行った。プロジェクトの内容と成果は、掲載のお許しを頂いたので、以下のパワーポイントと報告原稿をご覧頂きたい。

https://www.dropbox.com/scl/fi/f9595gqy4fotbv8bwxbk0/de-20231113.-pptx-002.pptx?rlkey=m593q7bk9fkgsacjd78coemtw&dl=0

https://www.dropbox.com/scl/fi/4bo2dpf679h0e48u3nqmm/.docx?rlkey=re4ble9dqtegt50qcxp8i14ps&dl=0

ふりかえって、このプロジェクトの2年間には、コロナの影響を受け、プロジェクトを進めることができなかった時期もあった。また、施設長であり、今回の企画の中心的役割を担っていた山内さんが、リアン以外の施設の責任も担うことになり、推進体制も揺らいだ時期もあったと思う。このような困難に対応し、NPO法人の創設にたどりついたことに、改めて敬意を表したい。

なお、報告の当日の私のコメントをここに書かせて頂く。

「特徴を3つ申し上げたいと思います。

1つは、接ぎ木型というような特徴があるかと思います。すなわち文京総合福祉センターという地域の拠点があり、資料で示している多様な事業をしていました。その事業を基礎に、今回の報告で示された事業を企画し、実施して地域に広げ、地域に定着させていった。その取り組みは、センターという施設に新たにサービス、活動を接ぎ木し、施設から地域にある施設へ本格的に脱皮していった。この点は、とても評価できることだと思います。

2点目は、私はタコ足配線と思っています。地域に必要性だと思った時に、必要なサービス、活動を生み出し、どんどん広がっていく。やってみて必要だということが分かり、またつぶやきを得て、さらにそれを実践していく。そのような、タコ足配線的な取り組みによって、幾つもの拠点や活動が生まれていった。それが2番目の特徴だと思います。

3点目は、地域支援の原則、すなわち、住民にやってもらおうと思うなと、住民にやりたい気持ちになってもらう姿勢が貫かれていたように思います。さらにリアン文京が新たに事業・活動を実施する際には、住民との話しあい、住民参加を重視していますので。住民自身が自分たちの活動だとみんな思って、やらされじゃなくて、やっていこうと展開できているところがその特徴であり、これがある意味で新しいまちづくりのヒントになるでしょうし、つながりの束をつくり出していくチャレンジともなるし、住民の主体形成にもなっていると評価します。

ふりかえって、NPOを作ろうという取り組みは、最初、なかなか起動できなかった。コロナで集まるのも難しかったし、実際、施設で感染の問題も生じたり、施設長が違う施設の施設長を兼務したり、いろいろ苦労がありました。

私が1回目にリアン文京に行った時、「このプロジェクトは大丈夫かな、NPOの立ち上げという最終目標まで達するかな」と不安に思いましたが、2年目は、拠点や具体的な取り組みができてきて、そこにたくさんの住民や関係者が集まってきた。そして、施設長だけではなくて、職員も今回のプロジェクトにアイデンティティを持っていろいろな企画を提案し、実施してきた。その結果、NPOの立ち上げという大きな最終目標に達することができたと思っているところです。

ただ、私は、タコ足配線と申しましたが、タコ足配線は漏電する場合もあったり、維持はなかなか難しい。最初は必要だけど、それをどうみんなで安定したシステムに作り上げていくのか、これからが勝負だし、私も応援していきたいと強く思うところです。」以上

なお、山内さんは、閉店した店も目立ち、活力を失ってきた商店街にさまざまな拠点をつくり、人の行き来を増やそうとする取り組んできたねらいを、「子どもたちにとって、商店街に居場所があることは、幼き頃の原点である『ふるさと』を築くことだ』と言われた。

私は、このような、将来の地域共生社会の希望を抱かせる素晴らしい地域福祉実践に出会うことができたことを、心より感謝したい。アフリカの砂漠の緑化に挑戦するNGOの代表が言ったように、生活の基盤であるそれぞれの地域で、「一本の木を植え続けなければ、砂漠の緑化は実現できない」と言った原点に立ち戻りたいと思いました。感謝。

能登半島地震被災地支援情報(2024年1月10日)

現地で活動する吉村誠司さんが現地の状況、私たちへの期待を伝えてきてくれています。

彼は、ルーテル学院大学の卒業生で、私は、度々石巻市でお会いしました。東日本大震災の発災後、すぐに石巻に着いて、活動していました。災害が起こると、すぐに駆けつけ、必要な支援を始めます。

紹介します。特に彼の最後のメッセージが心に残っています。

吉村 誠司さんの紹介

・NGOヒューマンシールド神戸代表・一般社団法人OPEN  JAPAN 理事

通称 助さん、きこりおやじ 

・1965年8月 三重県生れ。聖パウロ学園高(全寮制)、日本ルーテル学院大(社会福祉コース)卒業。在学中に、在学生を中心にグループを組織し、フィリピンで台風被害の教会再建やマレーシア、スリランカでのワークキャンプを組織し、また他大学、教会に働き掛けて交流国際NGOを発足した。この頃から困難に直面している人を見過ごさず駆け寄って一緒に歩むという生き方が一貫し、多くの方々に共感を生み出している。

・18ヶ国を自転車等で一人旅しインドで荷物を失い人生が変わる。25歳で国分寺市議会議員にトップ当選。国分寺子ども劇場会員、東京YMCA運営委員、多摩ワイズメンズクラブ会長、国分寺青年会議所副理事長、専務理事歴任(転居の為退会)。95年阪神淡路大震災では、神戸市長田区へ入り支援活動、後日「神戸元気村副代表」になり、仮設住宅等の孤独死を防ぐ24時間の緊急通報システムや子どもケア、動物保護など様々な活動展開し、市政へも提案。97年日本海重油流出事故では、情報HPを神戸から発信(NHKプロジェクトXで紹介)。00年カンボジア対人地雷撤去支援活動開始、03年 反戦活動でイラク入り、バスラ近郊や病院で湾岸戦争で使用された劣化ウラン弾被害の現状調査し医療支援、NGOヒューマンシールド神戸を設立。中越、中越 沖地震、パキスタン、中国雲南や四川省、インドネシア各地震でも活動し、アフガニスタン選挙NGO監視団では難民キャンプへ。12年間(約8年神戸元気村、約4年ヒューマンシールド神戸として神戸で活動し、災害時は、初動救援から曳き起し手法での修復技術なども紹介、被災者生活再建支援法の活用や問題点なども伝える。各地や学校で講演会や防災の講師を務める。 東日本大震災では、発生直後に出発し、翌早朝には宮城県気仙沼、岩手県陸前高田へ入り1週間は初動救援などの活動。石巻災害ボランティアセンターと連携するNPO連絡協議会の立ち上げ協力し、石巻市周辺で活動。(社)OPEN JAPAN理事(2013年3月11日共同代表辞任し、顧問2014,4まで)、旧石巻ボランティア支援ベース”絆”代表を経験。 また、カヌーガイド、長野県森林整備技術者、元立教大学非常勤講師、消防団員であり、車両系建設機械・大型特殊免許などもって、被災地で貢献している。

・下手な手品師を自称している。

●吉村さんの国内外災害支援活動カンパ先

郵便振替口座00980 – 7 – 264796

※吉村誠司さんの活動の詳細を知りたい方は、吉村さんのFBをご覧ください。

千葉ベタニヤホーム創立90周年記念会

2024年1月8日(成人の日)、午後より、オークラ千葉ホテルで、『社会福祉法人千葉ベタニヤホーム創設90周年記念会』が行われた。光栄にも、私が記念講演を担当させて頂き、「母子家庭・子育て家庭とともに歩んで90年〜千葉ベタニヤホームの過去・現在をふりかえり、共に未来を描く〜」というテーマで話をさせて頂いた。

千葉ベタニヤホームは、母子生活支援施設(旭ヶ丘母子ホーム 施設長:花島治彦 職員:15名 非常勤職員:1名 定員:40世帯、国府台母子ホーム 施設長:川口学 職員:13名 非常勤職員:10名 定員:30世帯)、青い鳥ホーム 施設長:山本裕子 職員:12名 非常勤職員:4名 定員:20世帯)、保育園(旭ヶ丘保育園 施設長:友田優子 職員:27名 非常勤職員:4名 定員:120名、国府台保育園 施設長:中村淳平 職員:18名 非常勤職員:27名 定員:120名【こあらっこ・こどもセンター】)、児童家庭支援センター(児童家庭支援センター・旭ヶ丘 センター長:花島治彦  職員3名、児童家庭支援センター・こうのだい センター長:川口学 職員3名)で構成される歴史のある法人である。

法人の源流は、エーネ・パウラス宣教師の祈りと実践にある。エーネ・パウラス師が来日した1919(大正8)年に開催された宣教師会年会は、当時の貧しい日本において身寄りのない老人が物乞いをしたり、少女たちが売春婦として売られたりする状況に対し『孤児、賤業婦の救済と幼老事業を開始するの件』を決議している。そして、「斯くのごとく信仰もし行為なくば、死にたる者なり」(新約聖書ヤコブ第2章第17節)という聖句を掲げる。そのような熱い思いをもつ宣教師であるエーネ・パウラス師は、佐賀幼稚園、熊本の慈愛園での働きを経て、日本福音ルーテル教会の要望を受け、東京、千葉での活動に入る。当時は、関東大震災、昭和恐慌によって、多くの国民が困窮し、特に、母子家庭がさらなる困窮に追い込まれ、困窮を主な理由とする母子心中の件数は年々増加し、新聞紙上にも大きく報道されていた。

千葉ベタニヤホームの歩みは、当日のレジメを参照されたい。

https://www.dropbox.com/scl/fi/2j3cfkmxclm3h0olw9reh/.pptx?rlkey=ugq28eusa0tnqsre8erc3vo8t&dl=0

今回の学びでも、私は、法人のミッション、実践の意味等、たくさんのことを学んだ。1月4日に記念講演の内容を固めるために、国府台保育園を訪れ、責任者の方々のお考えをお聞きした。

その後、青い鳥ホームを訪問した。施設を案内して頂いたが、相談室には、ルーテル学院大学の卒業生がいた。うれしい再会である。帰り際、予定されているマラソン大会の練習のために出かけていた子どもたちが帰ってきて、ホームは一気に賑やかになった。そして、案内をして下さった山本施設長が、別れ際に、青い鳥ホームが子どもたちや親たちの「ふるさと」でありたいと言われた。その言葉が、私の心をずっと離れなかった。そのことが、講演の最後に、東日本大震災で大きな被害にあった石巻の写真と有名な「ふるさと」という歌を示した理由である。

2020年3月まで、私は石巻市を定期的に訪問し、最後の数年は、石巻市社協と石巻市の地域福祉アドバイザーをさせて頂いた。2011年3月の発災時より何回、「ふるさと」の歌を歌っただろうか。そして何故、私たちは、ふるさとに気持を寄せるのであろうか。

作詞を手がけた小山薫堂氏は、「ふるさととは場所だけではなく、いつでも自分の心の中にあって、生きて行く上で芯になる、冒険でたとえるならば方位磁石のようなものである」と語っておられる。

確かに、子どもや親を取り巻く環境は厳しさを増している。だからこそ、母子ホームで生活する子どもたち、保育園に通う子どもたちにの「ふるさと」になることを目指し続ける千葉ベタニアホームの挑戦に敬意を表したい。そして、私の記念講演が契機となって、千葉ベタニヤホームの職員、役員の方々が、共に心と力を合わせて、子どもと子育てをする親を支え、共に歩む決意して頂けるなら、本当にうれしいし、その手応えを感じて、帰途についた。

なお、2023年9月16日には社会福祉法人ベタニヤホーム創立100周年記念会が、12月13日には社会福祉法人東京老人ホーム創立100周年記念会が、それぞれの形で開催された。いずれも、私が記念講演を担当させて頂いた。長いこと、ルーテル学院大学社会福祉学科の教員として、関わらせて頂いたからである。

その連携を確認した宣言がある。2002年5月15日に、宗教法人である教会と学校法人である大学、高校、中学、小学校、幼稚園、そして社会福祉法人である全国に展開する施設、保育園、またNPO等が協働を誓った『るうてる法人会連合設立宣言』が、るうてるの強みである。もちろん、ルーテル学院大学もその一員である。

日本福音ルーテル教会は、アメリカ南部一致ルーテル教会が、「御国の到来を早める」ために、人は神の恵みによって救われ、隣人に遣わされる、というルーテル教会の基本に立って、1893 年日本宣教を開始したことに由来する。

その宣教とは、聖書の教えるとおりキリストの愛を実践する働きとして、福音を宣べ伝え(伝道)、教え(教育)、いやす(奉仕)わざであった(マタイ9:35)。

 当初、このわざは日本の法制度に従って公益社団法人として行なわれた。

戦後、日本の法制度の改革並びに教会自立路線の選択などの歴史的社会的変化に伴い、キリストの愛を実践する働きとして一つであるはずのものが、伝道活動は宗教法人に、教育活動は学校法人に、奉仕活動は社会福祉法人にと、分割されるに至った。

今このような歴史をかえりみて、ここに、われわれは、聖書の示すところにたちかえり、主が私達を通してなされる宣教のわざを、この世全体に向けられたものとして綜合的に捉え直し、福音的信仰に立ち、伝道(宗教法人)、教育(学校法人)、奉仕(社会福祉法人)のわざに招かれた「宣教共同体」として総力を結集して新たなる宣教の展開へと向かうことを決意する。

 神が、われわれのこの決意を祝福し、この連合に連なる者を御旨の成就のために用いられんことを。

ここに、ルーテルの強み、アイデンティティがある。

https://www.dropbox.com/scl/fi/d4zr6nm4ksje7hpls0s7v/.pdf?rlkey=4ewwrpx1k9o710ym8kxd464h1&dl=0

東京老人ホーム創立100周年記念講演

東京老人ホーム100周年記念事業は、12月13日水曜日の午後、東京老人ホームを会場にして、利用者の方々、職員、関係者の方々と共に行われました。私は、「わたしたちの未来~希望へのスタート~」というテーマを与えられました。

私がはじめて東京老人ホームと関わらせて頂いたのは,1980年代の後半だと思います。私は、1983年に当時のルーテル神学大学で社会福祉を教えることになり、その数年後、当時の清重尚弘学長より紹介を受け、東京老人ホームの施設長であられた日高登先生にお会いしました。当時は、特別養護老人ホームの個室化をめぐる取り組みが始まった時であり、東京老人ホームは推進する方々を先導する役割を担っていました。私は、推進するための根拠を調査したり、また現在のホームでのケアを始めるにあたって、ルーテル学院大学で2ヶ月にわたる研修も行いました。またその後理事として、2000年代の前半まで関わらせて頂きました。今日は、100周年記念講演のご依頼を受けまして、光栄に思い、感謝をもって今までをふりかえりました。内容は、以下をご参照下さい。

https://www.dropbox.com/scl/fi/7f8kq3vg89i7c4h5e9zex/100.pptx?rlkey=7pt1s75ie8v118763q2y09czw&dl=0

https://www.dropbox.com/scl/fi/ws47fguikytz0lo98cpif/100.pdf?rlkey=de614wlqxro8bis43updb6p46&dl=0

ベタニアホーム創設100周年記念講演

2023年9月16日、ベタニアホーム100周年記念事業が行われました。私は、記念講演のご依頼を受け、話させて頂きました。

ベタニヤホームの働きは、1923年(大正12年)9月、関東大震災による罹災母子の緊急保護、救援活動を日本福音ルーテル東京教会会員及び海外のキリスト教会がおこなったことによって始められた。この救援活動がベタニヤホーム創立の基礎となり、現在地において事業を開始して以来、今日に至るまで、乳幼児保育、ひとり親家庭の自立支援、子育て支援へと事業を展開してきた。

 創立以来一貫し維持されてきた事業の基本理念は、キリストが示された隣人愛の精神に基づく信仰的実践である。詳細は、パワーポイントをご覧頂きたい。

https://www.dropbox.com/scl/fi/335fxgcrqc09toc3arxtb/100-9.14.pptx?rlkey=1ixr1aswfxafc8p4pdxi8l2l4&dl=0

それは、民生委員児童委員の問題ですか、それとも地域全体の問題ですか。〜多くの民生委員児童委員の方々にお会いして〜

コロナウイルス感染症は今までの関係を打ち砕き、不安、 恐怖、不信、怒りを生み出し、負の連鎖が広がっています。そして、貧困の拡大、関係性の危機の深刻化、虐待の増加が複合的に拡大し、私たちは未曾有の危機に直面しています。

私は、5区市行政、社協の計画策定に関わり、また東京都行政、東京都社協、全社協、厚生労働省の検討委員会で委員として、現在の地域生活問題と取り組みについて話しあっていますが、本年は、今まで経験したことのないほど、困難に直面している人々が広がっていることを実感しています。しかし、それに取り組む担い手が、日々仕事に追われ、疲弊しています。さらに、社会福祉を目指す人材が減り、福祉系大学、専門学校もダメージを受け、専門的福祉教育機関が危機に直面しています。ルーテル学院大学も、長く福祉教育の先頭に立ち、教育を進め、たくさんの卒業生がたくさんの分野で働き、社会的にも貢献していますが、経営は厳しいです。また、社会福祉現場では、応募しても人材が来ない状況が続いており、ケアマネージャーやケアワーカー、ソーシャルワーカーの確保が、各計画の緊急課題となっています。今まで、社会の根幹を築いてきた社会福祉活動や制度の根幹が揺らいでは、決して希望ある未来を描くことできないと心配しています。幅広い担い手が、当事者と協力して、共生社会づくりに取り組んでいくこと、一人ひとりの可能性を信じ、当事者の方々と共に歩んでこられた先人の実績を継承することが、切に望まれています。

私は、いつも以下の3点を申し上げています。⑴自らの働きを問い直す(コロナによって、さまざまな活動が止まり、孤立等の問題が深刻になった。改めて働きの意味・目標を確認し、実現可能な方法を見いだすことが必要である)、⑵あるべき地域ケア、地域の姿を描く(今日、地域共生社会づくりが目標とされ、実際に、各地域において、取り組まれてきた。 今、改めて問われている。「何をしたいか」「何ができるか」「何が求められているか」)、⑶協働した働きを強める (これからの勝負は、コミュニティの再生。様々な方法 を開発し、地域にある資源を掘り起こし、今まで築いた実績の上に、さらに協働した働きを始めたい。)ことを目指したいと思っています。

本年は、民生委員大学、石川県、宮城県、福島県、京都府、長野県、愛媛県、石巻市・女川町・東松島市ブロック、新潟市、川崎市、静岡市等のたくさんの自治体を訪問し、民生委員児童委員活動について講演を行い、今後、千葉県、さいたま市等も予定されています。私は、それらの研修を通して、委員の方々の日々の活動とお悩み、ご苦労をお聞きしました。本当に頭が下がります。そして、私は、そのお悩みが、委員だけの問題ではなく、まさに地域の問題だと考えています。委員だけにお任せするのは、全くおかしいですし、多くの福祉関係者もそう思っているのではないでしょうか。

たまたま、昨日、卒業生から、ラインが来ました。「先ほど残業中に警察から連絡が入り、孤独死した高齢者宅に、民生委員の名刺代わりのカードがあったから、生存時の状況知りたいから直接話したく、携帯番号教えて欲しいと」と問い合わせがあったとのこと。私は、「亡くなられた方の自宅にあった名刺が、その方の生きてきた証とは、あまりに悲しいね。でもこれが現実だね。何としても絆を取り戻そう」と返信しました。

地域の問題には解決困難な事例も少なくありません。しかし、地域の問題を地域で解決しようと、試行錯誤をしながら活動しておられる民生委員児童委員を理解し、応援するために、私は、以下のような取り組みを強化することが必要と思います。民生委員児童委員の苦労は、地域全体の取り組み課題そのものです。

そこで、私は、以下の点を強調したいと思っています。

⑴民生委員児童委員の役割と期待される活動について、ケア会議、計画策定会議、定期的な地域での話しあい等で確認し、合意を図ることが必要です。「自分が民生委員児童委員であったらできないことを民生委員に頼むことは、専門職、担当者の責任放棄である」といつも申し上げています。また、住民の孤立を防ごうとしている民生委員児童委員が孤立しては,活動が停滞してしまいます。選出方法、バックアップ方法を含めて、上記⑴⑵⑶の方針を、地域の関係者で確認して頂けないでしょうか。

たとえば、個人情報に関しては、各自治体で取り扱いが違い、たとえば災害時要援護者をどのように把握し、対応していくか、関係者の戸惑いは少なくありません。全国民生委員児童委員連合会は、令和5年5月に、『民生委員・児童委員活動に関する指針』を出し、災害に備える民生委員・児童委員活動の基本的考え方】として、1災害の発生が迫っている場合や発災直後は自らと家族の安全確保が最優先、2平常時において、地域ぐるみの要援護者の支援体制づくりに協力する、3発災後、安全が確保できた後、無理のない範囲で要援護者支援に協力すると示しています。防災・災害対応の責任は、基本的に行政にあります。ただ、発災の前後には、災害時要援護者の支援にとって、置かれている状況を把握する民生委員児童委員や近隣住民の役割は貴重だと思います。

また、認知症ケアや介護予防は、孤立予防であり、まちづくりそのものです。あり方を検討する中で、民生委員児童委員の役割の検討も加えて頂きたい。

⑵民生委員児童委員の活動を応援するための学ぶ機会、話しあう機会を大切にして頂きたい。ご提示しましたアンケート結果から、民生委員児童委員の方々が、住民の悩みを解決したいと日々葛藤なさっており、その意欲に応えるために、基本的な原則を含め、一人で抱え込まないで協働して取り組むことの大切さを継続的にお伝えすることが必要と思っています。例えば、初任者にとって、訪問活動でどのように住民に声を掛け、何を目的に住民との関わりを続けていくのか等、一つひとつの丁寧な確認が必要と思います。

私は、講演の前と後で、参加なさった民生委員児童委員の方々の表情が変化し、新たな気持で日頃の活動に取り組もうとして下さることをいつも願っています。

⑶なお、大分市の民生委員児童委員活動を支える仕組みは参考になります。愛媛県の研修の資料に掲載されていますので、ご覧下さい。

https://www.dropbox.com/scl/fi/8wwspgdpt2djugt90jaq4/2023.pdf?rlkey=1e75ocgl4ua3972q5w3vmzua2&dl=0

また、一日民生委員活動も実践されています。

https://www.dropbox.com/scl/fi/j3k39u3entl4czymeaggm/78.pdf?rlkey=wkx23ztta39eqk559m3458e5r&dl=0

⑷多くの講演(愛媛県民児協の研修レジメ参照)で述べていますが、単位民児協の役割と可能性について、十分議論をして頂きたい。そこでの定例会は、個々の方の疑問や要望にお応えできると大切な場所でり、様々な工夫がなされています。いろいろな情報を得て、何が自分たちにふさわしいか、検討して下さい。また、所属メンバーと一緒に、地域の資源(ひと:当事者、住民、民生委員児童委員、ボランティア、専門職等、もの:サービス、地域包括支援センター、児童相談所等の機関、コミュニティセンター等の施設、そして住民関係、知らせ:ニーズに関する情報、施策に関する情報等)を確認する作業をして頂きたい。

⑸それぞれの市町村行政、社協の事務局の強化が必要です。事務局は、地域ケアにおける協働の目的と意味を確認し、それぞれの地域に合った研修計画、活動支援計画を民生委員児童委員と一緒に立てて頂きたい。

私は、民生委員児童委員をめぐる議論は、どのような地域、地域ケアをつくっていくのかという、地域の関係者が住民とも相談しながら確認していくことであると思います。繰り返しになりますが、これだけ深刻な社会福祉問題が広がっている現在、私たちは当事者です。困難に直面する方々の支援が広がることは、自分自身が困難に直面しても、誇りを失わず、安心して生きていくことができる地域社会を築いていくことに他なりません。

私には孫がいます。彼らにこのような社会を受け継ぐことはできない。少しでも問題に取り組み、明日を夢見ることができる社会を受け継いでいきたいと思ってます。ジイジは、黙っていられない。

韓国訪問記(木浦の共生園を含む)

2023年11月31日早朝、羽田空港から仁川国際空港に向かいました。途中に、雲の上に顔を出す富士山が、見送ってくれました。

到着後、車で、国際交流シンポジウムの会場であるCCMM(国民日報ビル)12階コンベンションホールに移動しました。韓・日社会福祉シンポジウムは、韓国社会福祉協議会、韓国社会福祉法人共生福祉財団が主催、社会福祉法人こころの家族が共催する研究会です。テーマは「グローバル時代の日韓福祉協力方案」で、日本からは、私と国際医療福祉大学大学院教授で、厚生労働省元局長の中村秀一先生が登壇しました。

私の報告は、テーマを「日本におけるソーシャルワーカーの今日的使命〜日韓福祉協力推進を目指して」として、特に以下の構成で報告しました。概要を述べさせて頂きます。

Ⅰ)今日の問題は孤立と貧困の深刻化

Ⅱ)今日の福祉政策

Ⅲ)今日のソーシャルワーカーに求められていること

1.生活困窮者自立支援制度の成立等を契機に、地域福祉コーディネーター(コミュニティソーシャルワーカー)という、「地域に出向いて様々な困りごとをキャッチし、その解決に向けて取り組むとともに、住民やボランティア、福祉関係者等と協力しながら誰もが安心して暮らせる、つながりのある地域づくりを進めます。既存の制度で対応できない問題に対しては、行政をはじめ多方面に働きかけて新たな仕組みを創出する」(全国社会福祉協議会)というソーシャルワーカーが社会福祉協議会に位置づけられている。

2.今までソーシャルケースワーク等の個別援助が中心であったソーシャルワーカーの性格が、地域福祉コーディネーター等による当事者の地域での生活を包括的に支援する地域支援が重視されるようになっている。私自身、かつては、地域支援を十分教えないで学生を社会に送り出していたのではないかと反省している。

3.2000年の社会福祉法の成立以降、従来の見守りや支え合いという地域福祉活動が、自助、共助、公助というケアシステムに位置づけられ、施策に取り入れられている。これを地域福祉の制度化とも言う。

4.確かに、今までの住民活動や当事者活動、ボランティア活動等のインフォーマルケアを軸とする地域支援が強化された点では、十分評価しているが、今日の住民関係、家族関係の脆弱化という地域の状況を考えると、どこまで共助が成り立つのか、課題も少なくない。

5.地域の共助を強化する取り組みと、総合相談体制等の強化という多機関協働による仕組みの創設を目的とする地域共生社会の実現を目指した政策が今日主流であり、一定の成果が生み出されている。他方、ボランティア活動の推進という社会改革を含めた幅広い活動支援が弱くなっているという指摘もある。

6.ソーシャルワーカーの専門性が広がるにしたがって、従来の社会福祉を超え、保健師、看護師、介護等の領域の専門職も関わっており、そもそもソーシャルワーカーとしてのアイデンティティはどこにあるか、問われている。資料1 またソーシャルワーカーの配置の条件が、各自治体においては曖昧である。

7.今、「生きる」一人の人間と、専門職が把握する利用者との狭間がなかなか埋まらないと事実が、利用者の決定的な不満を生み出している。悲しみや痛みを感じ、喜びや感動する心を抱き、自分らしく生きたいと葛藤し、人間としての誇りを生きる糧とし、安心する心の拠り所を求めさまよう、そうした人生を一歩一歩積み重ねて生き抜いてきた利用者とともに、専門職は歩いてきたのでしょうか。専門職は、そのことをたえず検証していくことが必要である。人間理解の問題でもある。

8.従来のように、国が示したことに従い、自治体が実施するという仕組みは、少なくとも福祉領域においては、中心ではない。国は、単一の形を提示していない、各地域の特性に基づいた接ぎ木の施策を実施していかなければならない。しかし、地域間格差が顕著になってる。

ちなみに、韓国の地域福祉課題は日本と同様です。また韓国にも日本と同様の名称をもつ「社会福祉士」がおり、2018年の社会福祉事業法の改正で、各種団体の認定であった医療社会福祉士、学校社会福祉士、精神保健社会福祉士、の国家資格化が決まり、社会福祉士養成課程も改正され、大きく転換したとのこと。(髙橋明美「韓国における社会福祉士の養成と現況」)。なお、社会福祉従事者は、資格の取得が前提とされ、また従来のソーシャルケースワークといった個別支援が重視されているとお聞きしました。さらに立命館大学の呉 世雄(オセウン)先生からも「韓国のソーシャルワーカーは、ほとんどの場合、「社会福祉士」国家資格を持つことが前提となります。1級と2級があり、2級は4年生大学の社会福祉学科で指定科目を履修すればとれる資格で、1級は国家試験を合格したものだけに与えられます。社会福祉士が働く現場は、社会福祉館(隣保館のような機能、なお政府主導で整備されたもので、社福法人や宗教法人などの民間非営利組織に委託して運営。日本の事業型社協に近い)や各種別の相談機関(高齢・障害・児童など、日本と同じく専門化されている)、福祉サービス提供機関など多岐に渡ります。また、市町村行政には、社会福祉を主業務とする専門の公務員(社会福祉専担公務員と言います)が配置されています。なので、日本のように福祉以外の部署に定期的に移動することはありません。」とのことであり、私は互いに学び合う機会は大切であると考えています。

2日目の11月1日には、孤児の母と言われる田内千鶴子先生が、韓国の3千人の孤児を育てた、韓国南部の木浦にある共生園を訪問しました。写真の右が、共生園です。敷地には、相談機関等のさまざまな施設が設置されていました。

田内先生については、今まで、映画『愛の黙示録』等で取り上げられており、昨年は生誕110周年記念の行事が行われました。また本年は、共生福祉財団95周年式典が行われ、故郷の家 こころの家族の通信に書かれているように、韓国大統領も出席しておられました。

ちなみに、私が、田内千鶴子さんの息子さんである田内基先生にお会いしたのは、1984年だったと思います。当時、私は、日本基督教社会福祉学会の事務局を担当しており、韓国から基督教社会福祉学会の金徳俊会長と役員の方をお招きしており、日本国査証(ビザ)の相談のために、田内先生の事務所を訪問しました。

それ以降、日本キリスト教社会福祉学会大会や阿部先生の感謝の会でお会いし、今日に至っています。先生は、常に日韓の関わりを大切にして下さいました。先生のお母さまである田内千鶴子先生の働きを大切にして、日韓の関係者が互いに理解し合い、協働して孤児のために歩んでいこうという強い決意があったからだと思います。そして、田内基先生は、国連に世界孤児の日を制定しようと、行動しておられます。応援メッセージを報告させて頂きます。

UN世界孤児の日」制定運動の趣旨に賛同いたします。

  世界のいたるところで、戦争や内紛、テロが起こり、たくさんの命が失われています。また、伝染病や環境の不衛生に起因する疾病、地震や大規模火災等の自然災害による被害で命を失ったたくさんの人々がおられます。経済危機による飢餓や極度の貧困の結果として起こる家族崩壊、地域崩壊の結果を合わせて、生活の危機に直面している人々は、莫大な数にのぼります。これは、特定の地域にとどまらず、国や、近隣諸国を包含し、世界規模で多くの市民も巻き込んで進んでいます。

 これらの結果、もっとも弱い状況にある子どもが、大きな被害を受けています。父、母や近親者等の今まで育てられていた家族を失い、貧困に陥り、また住む家を失い、生活の危機、心の危機、生命の危機に直面するなど基本的人権を保障されていない子どもの数は1億5千万人を超えるとする報告もあります。「子どもは、どの子も、神はまだ人間に失望していないというメッセージを携えて生まれてくる」とタゴールが言ったように、一人ひとりの存在の輝きを守ること、すなわち、「児童の権利に関する条約」第20条第1項に書かれているように、「一時的若しくは恒久的にその家庭環境を奪われた児童又は児童自身の最善の利益にかんがみその家庭環境にとどまることが認められない児童は、国が与える特別の保護及び援助を受ける権利を有する。」とされる子どもの権利を保障する取り組みが急務であると私たちは考えます。

  特に、一人で生きていくことがむずかしい子どもが置かれている状況を見ますと、前述の戦争等を要因とし、父母と死別、離別、もしくは虐待を受けて離れて生活する子どもの数は、増加している現状にあります。私たちは、決意をもって、そのようないわゆる「孤児」に対する支援を行うことが求められています。

 歴史を振り返えりますと、「孤児の母」と言われた田内千鶴子(タウチチズコ)氏の取り組みから学ぶことができます。韓国で最も長い歴史を持つ孤児院である共生園は、1928年、敬虔なクリスチャンであったユン・チホ伝道師が、木浦の小川橋の下で寒さに震えている7人の孤児の子どもたちを発見し、家に連れてきて一緒に生活をしたことから始まりました。そして、ユン・チホ伝道師は、「孤児の母」と言われる日本人の田内千鶴子(タウチチズコ)女史と結婚し、二人で孤児の命と生活を守っていましたが、韓国戦が始まり、ユン・チホ伝道師は子どもの食料を求めて出かけていったまま行方不明になりました。田内千鶴子女史は、結局戻って来られなかった夫を待ちながら一人で共生園を守り、3000人の孤児を育てました。今なお「孤児の母」と呼ばれる田内千鶴子女史のこの犠牲的な人生は、国境や民族、言語を超えた愛でした。田内千鶴子女史の生前には願いがいくつかありましたが、それは、社会的な支えを通して孤児でなくなる世界、孤児たちが社会の各分野で働くことができる世界でした。

 私たちは、田内千鶴子氏の精神を学び、以下の趣旨のもと、「UN孤児の日」制定運動に賛同します。

 [原点]

私たちは、神から与えられた子ども一人ひとりに愛情を注ぎ、家族と死別、離別して一人となった「孤児」が受け入れられ、胸を張って堂々と生きることのできる環境を作る。

 [協働]

現実に、世界各地で「孤児」の養育、支援に関わっているNGO、NPO、国、地方自治体等が協働して、「孤児」が置かれている現状とその要因を明らかにし、広く世界に発信するとともに、「孤児」となる要因の解決に取り組み、「孤児」への支援体制を強化する。

 [新しい挑戦]

それぞれの子どもの個性、強み、弱み、環境が違うことを前提に、「孤児」を支援している個人、組織の叡智を集め、その専門的知識と援助技術に基づき支援の向上を図り、広く子ども支援のあり方を提案する。

 [最善の利益]

「孤児」の最善の利益を追求し、権利条約に記載された子どもの権利を、広く普及させる。 

 聖書には「わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである」(マタイ福音書第25章第40節)とイエスの言葉が書かれています。私たちは、この声明によって、宗教や文化、言語、歴史が異なろうとも、子どもの誕生に「おめでとう」と言い、その成長の歩みを皆で見守り、支え、支援していく一つひとつの行動が広がっていくことを切に願っています。 

                                          2018年6月

            代表 阿部志郎(神奈川県立保健福祉大学名誉学長・横須賀基督教社会館名誉館長)

                                  市川一宏(ルーテル学院大学学長)

                              遠藤久江(社会福祉法人二葉保育園理事長)

                           岸川洋治(社会福祉法人横須賀基督教社会館館長)

                         潮谷義子(社会福祉法人慈愛園理事長・前熊本県知事)

                                    松原康雄(明治学院大学学長)

                              山崎美貴子(神奈川県立保健福祉大学顧問)

3日は、早朝の5時32分木浦からソウルに向かう特急に乗りました。途中に見える韓国の都市や自然の風景は、とても印象的でした。

わたぼうし素晴らしき出会い「わたぼうし」

社会福祉法人こころの家族の理事長であり、御自身も韓国の孤児の母と言われる田内千鶴子氏の子として、孤児の支援と日本と韓国のソーシャルワーカーの働きの向上に尽くされてきたユンギ先生より講演のご依頼を受け、2023年10月31日から11月2日に韓国を訪問した。私は、この旅を通して、たくさんの出会いをした。そのいくつかを紹介したい。

まず、「わたぼうし」という音楽グループで、夜の交流会で演奏をして下さった。聴いた曲は、『夢』。歌詩は、以下の通りである。

車椅子に座って僕は 僕は考えた
車椅子に座ってデートができるだろうか
この頃 そんな事を考えてしまう
笑われそうな気がするんです
僕だけ 僕だけ他の世界にいる見たい

みんな同じ空の下 生きている生きている

車椅子など僕はいらない 涙の海に捨てて行こう
ふたりでムムム走ろう この長い道を
腕くみながら楽しいおしゃべり
緑の芝生に寝転び ふたりで見つめる 青い空

雲は静かに 流れ流れて

みんな同じ空の下 生きている生きている

目を開けると鏡に映る 車椅子(いす)に座った自分
沈む夕日を追いかけて そんな夢を見た
悲しい時には ともに涙を流し
嬉しい時には 喜びに踊ろう
僕は信じたい 夢の叶う日の来ることを

みんな同じ空の下 生きている生きている
みんな同じ空の下 生きている生きている
みんな同じ空の下 生きている生きている 

作詩者: 山本公三氏

私は、わたぼうしが歌う『夢』に綴られた山本さんの思いに共感を覚えた。脳性麻痺により重症心身障がいをもつ山本さんは、16歳の時、足の指に鉛筆を挟み、この詩を書いたそうだ。今から40年前のことであるが、その歌詩にメロディーが付き、今でも歌われている。

さらに、わたぼうし音楽祭は、2023年で48回をとなったことを知った。長く福祉の現場との関わりをもっていた私が、その音楽祭に出会わなかったとは、自分の怠慢に今更ながらながら気づくことになった。ちなみに、ホームページには、「障害のある人たちがつづる「詩」は、生きることの喜びや哀しみ、いのちの尊さ、人間の素晴らしさを歌っています。そこには、人間として大切なものを忘れがちな、今の社会へのメッセージがあふれています。 こうした想いをメロディーにのせて、みんなで歌う「わたぼうし音楽祭」は、1976年に日本のふるさと・奈良で誕生しました。世界でも類いのないこの音楽祭は、今ではアジア・太平洋地域へと広がり、「わたぼうしスピリッツ」は世界の合い言葉となりつつあります。」と書かれている。

私が何でこの詩に引き込まれたのか。私は常日頃から、専門職であるソーシャルワーカーに対して、「悲しみや痛みを感じ、喜びや感動する心を抱き、自分らしく生きたいと葛藤し、人間としての誇りを生きる糧とし、安心する心の拠り所を求めさまよう、そうした人生を一歩一歩積み重ねて生き抜いてきた利用者とともに、専門職は歩いてきたのだろうか。専門職は、そのことをたえず検証していくことが必要である。人間理解の問題でもある」と言い続けてきた。そして、自分自身も同様に、自分らしく生きていきたいと問い続けている。この詩に書かれているように、自分らしく生きようとしている姿、困難を受け止め、「おめでとう」と与えられた生命への畏敬、込められた生きていく希望に、自分の人生の目標を重ね合わせて、共感したのである。

また、わたぼうしが歌う「夢」は、私の心の中に広がっていく。これが歌の力かもしれない。そして一言一言を大切に歌っている姿は、会場にいた参加者の気持ちを一つにした。

翌日の朝、ソウルから木浦にある共生園に向かう特急で、わたぼうしのメンバーとお話をすることができた。わたぼうしの由来をお聞きした。青春時代に出会った「みんなが同じ生を受け、みんなに違う生き方がある。障害のある人たちの生きる場づくりから、個を支えあう新しいコミュニティづくりへ」を目標にした(母体であるたんぽぽの家の標語)活動を続けられているとのこと。中川一夫さん、酒井靖さん、関口美千代さん、田中恵子さんというメンバーの歩みは、私の社会福祉の出会いとそれ以降の生き方に重なっていると勝手に思い、その分、親近感がわき、韓国料理を食べる場に参加させて頂いた。とてもおいしい食事の時であった。

近況(2023年10月29日)

皆さん、おはようございます。明日、羽田空港近くのホテルに泊まり、火曜日から2泊3日で韓国に行きます。1日目に講演をして、2日目には、木浦に行き、韓国の孤児の母である田内千鶴子先生が建てた共生園に行き、孤児支援の一つの歴史を学んできます。何故、田内先生は、強い信念をもって、3千人もの孤児を育てたのか。文献では読んでいますが、実際に体感してきます。

また小金井市、三鷹市、練馬区で高齢者保健福祉計画、介護保険事業計画のパブリックコメントが行われることになりました。(写真は、練馬区前川区長に答申を手渡す写真)

調布市も今週の会議で確定します。今年の計画策定は、自分の経験の中で、もっとも難しかったですが、今後の具体的な施策を作る基礎はできたと思っています。各委員の方々、行政の担当者が努力して、厳しい現実の生活課題の解決に実際に効果が期待できる計画になっていると信じています。

なお、田内先生の学びと、今日の計画策定に共通する考え方は、共通していると思っています。すなわち、活動の原点に立ち戻り、大切なもの、大切なことを活かしていくこと。当事者である子どもたち、高齢者等の力を活かし、専門職も住民、ボランティア、社会福祉法人、保健医療関係団体等が協働して明日への社会、希望ある地域を築いていくことに他なりません。こんなに混乱している世界、社会だからこそ、私たちが生活する場で、実践していくことが必要です。日々、学びと挑戦だと思っています。