共助社会づくり

希望ある明日に向かって歩むぞメッセージ

市川先生、

 多くの方からの先生のブログへの投稿を一つひとつ何度も何度も読み返しています。そして、ルーテルの「一人ひとりを大切にする教育」が本当に生きていることに感激しています。卒業生や先生たちがブログ上でお互いに語り合い、励まし合い、学び合うことができるなんて、素晴らしいことですね。こんな素晴らしいコミュニティを作ってくださってありがとうございました。

 こちら、NYではピークを過ぎ、少しづつ落ち着いてきました。新規の感染者も入院患者数も減りました。しかし、数字は収まってきていても、コロナとの戦いに終わりはないと思います。NY州内での死者は減りましたがそれでも毎日200人の方が亡くなっています。そして、この毎日200人の死者の数はここ1週間横ばいです。ガンや心疾患、脳血管疾患などで毎年多くの人が亡くなっていますが、もしかしたら、コロナもその中の一つの疾患になるかも知れません。

 今、私たち医療従事者が注目しているのは、コロナから回復して退院した方の生活の質の問題です。若くて元気な方は家に帰ることができますが、お年寄りの方は家に帰れるほどの健康状態ではなく、長期療養型の施設に入所しています。今、その数が多くなり、急激に特養老人ホームなどがコロナ病棟を作り始め、病院からの高齢者のコロナ患者さんを受け入れています。そのような病棟で働く私の友人が言うには、コロナから回復した患者さんを受け入れていると言っても、多くの方は終末期のケアの方々だそうです。4月の死亡者の統計に特養の入所者の数はあまり含まれていませんが、特養で働く友人は、半分近くの入所者が急な発熱などでバタバタと倒れて亡くなっていったと、当時のことを話してくれました。

 私の働くCOVID ICUでも、何人かの重症患者さんが退院することができました。しかし、退院と言っても人工呼吸器が外れずに気管切開をして、胃ろうを付けて、長期療養型の施設に行く方がほとんどです。このコロナの病理はまだまだ分からないことが沢山あるのですが、多くの方が腎不全や血栓の合併症を発症しています。特に、血栓の問題では重い脳梗塞、または脳出血が起こるケースが多く、最終的には植物状態での長期療養型施設への退院となっています。今まで、誰もこんなに沢山の方が長期療養型施設へ退院するなどと考えていなかったので、長期療養型施設も不足しています。そして、命が助かり、自分で呼吸ができて自宅に帰ることができる患者さんも今、「ICU後遺症」と呼ばれる後遺症に直面しています。 ICUでは、患者さんは重度に沈静化され人工呼吸器につながれ身動きがとれない状態で痛みはないのですが、これが「ICUせん妄」という一時的脳障害を引き起こす可能性があります。 これが後の段階で記憶や思考に影響を及ぼす、と言われています。ICUに長期入院していた患者さんの3分の1の方が退院後、今までしていたと同じ社会生活に戻れないという統計があります。コロナの患者さんの増加が食い止められた今、生き残った患者さんの社会生活をどう支えて行くか、生活の質をどうやって保っていくかが大きな問題となってきました。コミュニティでのサポートが不可欠になってくると思います。

 また、一般の方々も長期にわたる自宅待機や仕事に戻れず収入が絶たれる厳しい状況の中で苦しんでいます。ドメスティックバイオレンスやアルコール依存症、薬物依存症のケースも増えています。市民の4分の3の人が、毎日の生活が心配で良く眠れない、半分近くの市民が抑うつ気味だ、と言っています。

 前にもお話しましたが、コロナの患者さんの多くの方が低所得地域の方々やマイノリティーの方です。NY市の政策で低所得地域を中心に感染者のテストやサポートを行うことを打ち出しました。しかし、誰が地域でそれを担っていくかが問題です。日本とは違って地域での福祉が弱く、受け皿がありません。そこで、今、教会が地域を支える拠点となり始めています。素晴らしいことですね。今週からいくつかの低所得地域の教会が病院と共同して住民への感染・抗体テストを行うことになりました。今、誰もがNYなどの大都市でのコミュニティの弱さを実感しています。お互いを思いやる小さい規模でのコミュニティがこれからの社会を支えていくことになることでしょう。そうなることを願っています。

 患者さんの数が減ったからと言って、このコロナ問題は解決するものではないく、新たな問題が浮かび上がってくるのですね。生活の質や貧困の問題など、これからも戦っていかなくてはいけない事が沢山あります。お互いを思いやって生きていく世の中になりますように。

岩◎恵子

希望ある明日に向かって歩むぞメッセージ

 1979-89年ルーテル学院大学福祉コースで教員をしておりました岩井です。ニューヨークの大変な現場のニュースを見るたび、ただ心痛めておりましたが、その真っただ中で、岩◎さんも頑張っていることを市川先生にうかがいました。ガンちゃんと言われていた人とは年代が違うかとおもっていましたが、1989年卒の池田さんの記事でやはり彼女かと。卒業生が志をもって、勉学、研究に励み それを実践に生かし、いまなお、というか、いまこそ頑張って働いておられることを想像力をもっておぼえていました。感謝いたします。 

 私たち人類のためのお働きに私は80才を過ぎ、出来ることは、「うつらない、うつさない」というひとりの生活です。皆さまのお働きに「希望」をあたえられています。いま皆さまの心身の健康が守られて働けることを、ひたすら祈ります。                          

                             岩井道子

希望ある明日に向かって歩むぞメッセージ

1.近況と今の思い  私は、労災職業病センターというNPO法人の職員として働いています。主に労災補償の申請手続きの相談、支援、認定までのサポート、またグレーゾーンなど認定基準に厳しい方達の救済や事業主の責任などに対する支援と運動なども含まれています。私はその幅広い職業病の中のアスベスト(石綿)の患者さんたちに対するサポートを主に対応しており、呼吸器疾患の患者さんたちを相手に、家族、遺族などに対してもサポートしていたので、「肺炎」というのは常に身近にある病気でした。私たちが大丈夫であっても患者さんたちが免疫力ないとちょっとした菌で肺炎を起こしてしまうのです。これが命取り、風邪が命取りになってしまうこともしばしばでしたから、(労災の患者さんたちは死亡原因や経過によっては遺族補償に繋げられないこともある)今まで以上に気を付けて対応しているという感じです。今回の騒ぎで共通しているなと感じているのは、新型コロナも病名確定までに時間がかかるということ。これが中皮腫の確定診断と似ています。そして治療法が確立していないことなど・・・・急に亡くなってしまうケースもあります。そのような中、本人やご家族、そして亡くなった後のご遺族のケアは今も変わっていません。このような事態になりましたが、私の仕事は変わらず(協力医療機関に週二日勤務しているのもあり)、抗癌剤治療して私のところに面談される患者さんが今でもいらっしゃいます。患者さんやご家族、ご遺族にとっても変わらずに面談で対応できることが救いになっているかなと感じています。

2.岩◎さんに対して思うこと 彼女が、NYのマウントサイナイ医科大学(シナイ山医科大学といった方がいいのでしょうけれど)の最前線にて働いていることにびっくりしました。私がルーテルを卒業後フィリピンに留学していたのですが、彼女が会いに来てくれました。そこで、彼女が海外で看護師になりたいという希望があることを話してくれました。20年以上前のことになります。NYで看護師をしていたことは最近になって後輩を通じて知り、夢を叶えたんだなと思っていましたが、まさかマウントサイナイ医科大学にいたとは!不思議なつながりを感じました。ここの病院はアメリカでもアスベスト被害のパイオニア的存在の病院で、私が今の仕事場ともつながりが深い病院だったからです。30年以上も前に、自分の仕事場がアスベスト被害の取り組みを始めた頃、日本では労災としてもまだまだ認定しづらい時代がありました。職場の理事長、所長(共に医師)がアメリカの学会に行き、マウントサイナイ医科大学のセリコフ教授(故人ですがとても有名な医師です)に会えた・・・ということから自分の職場でのアスベスト被災者の救済へというのが始まっていました。唯一、そこで日本人の病理医として働いていたS先生に初めてお会いしたのも日本の地方の裁判所での証人尋問の傍聴からでした。アスベストでの労災認定がむづかしい事案は、ご本人とご家族に説得をし、亡くなられたときに解剖をしてもらい、その標本をアメリカにいるS先生宛に航空便で送り・・・・病理報告書を送っていただき・・・・という時代でした。そうでなければ労災認定が取れなかったのです。
2002年、あのアメリカ同時多発テロの翌年になりますが、機会があり、マウントサイナイ医科大学を訪問する機会にあずかりました。同時多発テロ以降、救済をした労働者やボランティアの人たちの呼吸器疾患が問題とされ(アスベストばく露もあります)当時のNY市から予算を勝ち取り、現地の労災職業病センター(安全衛生センター)と協働して無料の健診施設及び名簿登録をする特別な診療所ができていました。特にアスベストを多量に吸い込んでいるボランティアの人たちは3〜40年後に発症する可能性があるので、その人たちの健康管理が将来に渡ってフォローできるようにしないと大変なことになるからです。しかし、ここで私は他の面を見ました。この当時から移住労働者が多く、フィリピンからの看護師もかなり多い時代でした。日本人はその時には病理のS先生だけで、その時の話で後継者を作っていないという話があり、そこで「人種の壁」を感じました。マウントサイナイ医科大学はイーストハーレムも目の前で、通りが違うと雰囲気がガラッと変わっていたのも見ました。公園には多数のフィリピン人がアメリカ人の子供たちをケアしていてというのも見ました。その時に滞在していたのもアメリカ聖公会へ異動したフィリピン人司祭のお宅で、看護師である奥様や間借りしていたフィリピン人家政婦さんに仕事の実態を聞き取りしたことが懐かしく思えます。この頃からかなり中南米系の労働者も多く働きに来ていて、労災・職業病も外国人労働者の健康を守るにはと議論をしていました。あれから、数十年、今やマウントサイナイには日本人医師なども増えてきていて働いていることも知り、時代は変わったなと感じましたが、底辺の人たちに対する救済がまだまだなのだなと思いました。それは日本でも同じです。こちらでも協力医療機関の一つが外国人医療を担っていますが、あの頃と、現在では外国人労働者も定住化が進み、新たな課題が出てきているように思います。私の仕事としては、この様々な困難に向かっている人たちに手を差し伸べてこえていけるような仕事なので、とにかく目の前にあることに対応する、むづかしければ世間にも訴えていく、日頃の積み重ねや、協力してくださる人たちと共にぶつかっていく・・・これしかありませんが、そこには希望があります。とにかく信じ続けることが大事ですね。
彼女の話を聞いた時に、なんて世の中狭いんだろうと思いましたが、そこはやっぱりルーテルなのかな、とも思いました。彼女ならきっとやり遂げられるでしょう!とも思っています。

 落ち着いたら、私がNYに行くか、彼女が帰国するかのチャンスで会いたいですね。いろんな人のつながりで今の私たちが生かされているので・・・語り合いたいなと思っています。

最後に、市川先生、このような機会を作ってくださり感謝します。

                池田理恵 1989年卒

希望ある明日に向かって歩むぞメッセージ

 山口と東京を拠点にして、日本の福祉業界へのファンドレイジングを行う文化の定着と「お金がないで終わらせない福祉」を実現させる活動を行っている久津摩と申します。新型コロナが広まって以降は、山口県の自宅からオンラインによる福祉団体への支援活動や職員研修、社会福祉士の新しいカリキュラムに沿った教科書の執筆などを行っています。

 世界中でこのような状況になるのは、1918年に始まったスペイン風邪が流行った時以来です。医療の進んだ現代では、もうあり得ないと誰もが考えていたと思いますが、この数ヶ月で一気に生活が変わり、不安の中で過ごされている方も多いことかと存じます。私自身も、国境なき医師団日本のアドバイザーとして関わってきた立場もあり、エボラなどの状況も現地に行った医師やスタッフから聞いており、一般の方々よりは心構えがあったはずなのですが、実際に日本で起こっている状況や、仲間の福祉職が最前線で戦っている姿を目の当たりにすると、心配な日々を送っています。

 このように、命にも関わる過酷な状況になった時は、人生においても、組織論においても、最悪の事態を想定し、一つでも多くの不幸が回避されるように動くことが大切です。なぜ、それをお伝えするのかというと、残念ながら、これからさらに大きな波が何度も来ると予想されているからです。私が交流のある、国際情勢や経済などに精通している経営者や作家などのトップランナーの方々は、これからくる大きな波に備えろと口を揃えたように言っています。

 具体的には、まず、6月以降に1回目、秋から冬以降に2回目で、ほぼほぼ確実に恐慌の波がきます。聞いたことのある企業がどんどん倒産するほか、税収も過去に例がないほど大きく下がる可能性も高く、福祉業界も人ごとではありません。また、緊急事態宣言が解除された後も、1世紀前のスペイン風邪の教訓もあり、秋以降に第二波、その後にも第三波が来て、数年は続くという予想されています。感染して免疫をつけた人、またはワクチンを摂取した人の合計が6割以上になって、集団免疫ができるまでが一つのゴールであり、それまでは、拡大→自粛→解除→拡大→自粛・・・という流れが続きます。これは、開発されたワクチンが大量生産されて世界中に届くようになる2〜3年後までかかると予想されてます。そのため、我々は長く続く大不況と闘いながら、新型コロナとも長期戦で戦う準備をしていく必要があります。さらに、今年は豪雨が例年より多くなると予想されているほか、地震が起こる可能性も囁かれており、新型コロナに加えて災害が起こることを想定しておくことが必要です。避難所に行くことも三密になり、問題が出てくるでしょう。また、アフリカで発生し、中国まできているバッタの大量発生や世界での新型コロナの影響により、食糧難の可能性も出ているほか、大きな戦争、金融危機などについても起こる可能性がある状況です。

 このような波がどんどん迫っており、5月末または6月までの緊急事態宣言が解除されれば元どおりということは、まずありません。むしろ、これから本格的に、数々の困難が重なってくることが予想されます。なぜ、このような暗いことをお伝えするのかというと、「この数ヶ月間を乗り切ればと終わりだ」とだけ考えている人は、次の波でショックを受け、「今度こそこれで終わりだ」と思っていた人は、また次の大きな波がきて、その次にもまたさらに波が来て、心が打ちのめされてしまうからです。アウシュビッツでも、生き残ったのは、なんとなくどうにかなると考える楽観的な人ではなく、調べ尽くして正確に最悪な状況を想定して動いた人だったそうです。良くない状況がしばらくは続くため、このような話ばかりするのは心苦しいところですが、ほぼほぼ確実に津波が迫っている現状の中で、一人でも多くの卒業生、在校生、先生方、関係者の方々が、事前の備えを行い、この大津波を乗り越えていただければと思い、情報を共有させていただきました。激動の時代にはなりましたが、乗り越えた先には「博愛の時代」が来ると言われています。

 皆で乗り越え、大学のホームカミングデーなどで、先生方や皆様と楽しくお会いできる日が来ることを心より願っております。

一般社団法人日本地域福祉ファンドレイジングネットワークCOMMNET 理事長 久津摩和弘

希望ある明日に向かって歩むぞメッセージ 

 新型コロナウイルスの治療最前線で働いている岩◎さん、世界中の医療機関関係者の皆さんに心から感謝と敬意を敬意を表します。アメリカまで聞こえないかも知れませんが、毎晩20時にベランダで拍手をして、この気持ちを行動で表したりもしています。

 さて、今、世界中の人々が新たな疾病の恐怖にさいなまれ、実際に生命の危険にさらされ、生命を落とす方も多くいます。日本の東京で暮らしている私も、自分が感染しているのかもわからず、発症する数日前から他者に感染させてしまうと言われ、ステイホームの要請に出来るだけ従う生活も、すでに1ヶ月以上になります。この先も緩めたり厳しくしたりを繰り返しながら、乗り越えていくしか無いのだと覚悟しています。私は医療職では無いのでごく身近ではありませんが、一市民、福祉職であっても感染経験または濃厚接触の経験者の話が現実になって、今までの当たり前を覆す、見直しすることが求められています。自分を守る、他者を守るための生活様式に切り替えていくことにも少しずつ慣れていくでしょう。

 話が少し変わるかも知れませんが、本当に偶然にも岩◎さんと私の共通事項として少し歳は離れていますが、同じ公立中学校のワンダフォーゲル部に属したことがあるので、ちょっとそこに意識をしてメッセージを送りますね。山登りという日常から離れた危険を伴う数日間というのは、ある意味で今の生活に共通するものがあると思ったからです。

 最近の私は、部活でS先生、K先生の指導の元で山登りをした時の教えを思い出して、都会生活でもできるだけ取り入れて実行できるようにしています。具体的には
①朝日の前に起き出し行動開始。出来るだけ日が暮れる前にその日すべきことを終え、床につく。
② 日頃からの基礎トレーニングは、単調かも知れないが重要。
③その日の行動は、地形、天候、気温、体調体力に合わせて柔軟に変更しながら、可能な限り計画的に行う。変更すべきと判断したら、迷わず、悔やまず。
④予備食、装備、防寒具は必要だが、それ以上に余計な荷物は持たない。
⑤リーダーを中心に単独行動は避けて、助け合って行動する。特に一番体力の無い人を先頭にして隊列を作り、バテないように気をつける。
⑥周りの自然(風景、動物、植物など)に目をやり、その美しさに感動する心を忘れない。できれば、その名前も一つ一つ調べて覚えるくらい関心を持つように。山の歌も覚えて、大きな声で歌う。辛い時に支えてくれて、笑顔になれるから。
他にもいろいろ教わったかも知れませんが、私の中で印象に残っていることを書き出しました。そして①〜⑥のような生活を具体的に繰り返している中で、一番大切な教え⑦を思い出すことが出来ました。それは、⑦「希望(目的地)を持つことを忘れない、諦めない。自分の足で一歩ずつ歩くことだけが、希望(目的地)に近付くための唯一の方法であること」です。苦しくても一歩ずつ登る足を運ぶことで、山頂に近づくことができることを、登り切った時のあの爽快感を思い出せますか?きっと、苦しい今を乗り切る助けになってくれるでしょう。

 長くなってごめんなさいね。最後になりますが、早朝ウォーキングをしていると、朝日の光が差し示す道の美しさに出会えます。夕陽が落ちる時には、自然と感謝の気持ちが湧いてきます。日本の東京でも、アメリカのニューヨークでも、同じ太陽の恵みのもとで生きていることや、神様の創造されたこの世界で生きていることを実感できると思います。おそらく、岩◎さんを取り巻く環境は激務でそれどころでは無いかも知れませんが、どうか必要な休息が与えられ、また元気を取り戻していただけるよう心からお祈りしています。在主栄光。
(1987卒業、TH)

希望ある明日に向かって歩むぞメッセージ 

みなさま   この春から社会の有り様、日常の生活がすっかり変わってしまいました。いかがお過ごしですか。今年のゴールデンウィークはいいお天気に恵まれました。しかし、こんなに静かなこどもの日を迎えた記憶はありません。そのようななか、スリランカの友人が、施設の子どもたちと仏様のお祝いを楽しむささやかなお祭りの様子を知らせてくれました。こどもたちの無邪気な笑顔、忘れていた日常の光景を思い起こしてくれました。今、みなさんは先の見えない不安な状況のなかで、福祉、医療、教育と、それぞれの現場で葛藤しながら、模索しながら、できうる支援を継続されています。私も在宅勤務と事務所への出勤を繰り返し、もどかしい思いを募らせながらもできることを探し、実行しています。テレワークながらも大学院での授業が再開することで、新たな展開に期待してもおります。ただ、コロナウイルスとの共生はこれからも続いていきます。生活支援の最前線に立たれているみなさまには、どうぞご自身の健康に十分ご留意されてお過ごしください。  KN

希望ある明日に向かって歩むぞメッセージ 

ルーテル学院大学卒業生の皆様へ  2020年5月

 新型コロナウイルス(COVID-19)が世界中に猛威をふるっていますが、皆様はお元気でお過ごしですか。

 新型コロナウイルス感染症対策の為に、日本で、あるいは世界中のどこかの国や地域で、それぞれの職業、家族での役割や地域での役割の中で、直面している多様な困難の中で、一生懸命に生きている皆様に敬意を表し、共感し、心からお見舞い申し上げます。

 私は、御蔭様でリモートワーク中心の日々で、外出を抑制しながら家族と一緒に元気に過ごしています。

 さて、「時間」は前にしか進みません。私たちが生きる世界では、「平面的」には前にも後ろにも体を動かすができますし、「立体的」には上に登ることも下に降りることもできます。けれども、「時間」については、私たちは、「現在」から「未来」に向かって生きていて、決して、「過去」に戻ることや「時間」を行ったり来たりすることはできません。交通機関が充実し、一定のバリアフリー化が進んでいる今、平面的にも立体的にも移動することができる私たちですが、タイムマシンはないので「時間」を自由に移動することはできないのです。

 それにもかかわらず、新型コロナウイルス感染防止対策の緊急事態宣言下では、国や自治体が私たちに勧めて要請しているのは、人と人との間の「社会的距離」を保つことです。交通機関の発展によって国内外に広範囲に移動可能なグローバル化が進んできているにも関わらず、現在は世界中の多くの人々は、お互いの命を守り合うために、国境、都道府県境、市町村の境を越えて移動したり、人と会ったりすることを極力抑制する日々を過ごしています。

 そのような状況下、ルーテル学院大学の卒業生の多くは、学生時代の専攻に関連する保健・医療・福祉・臨床心理・教会等の分野をはじめとして、感染症対策や日常生活維持のための最前線で働いている方が多いと思います。

 そこで、日々の取組は前例のない厳しさの中にあると拝察しますが、厳しい状況の今だからこそ、これまでとは異なる経験の中に、皆様が生きがいや働く意義を見出していることを願っています。

 先ほど申しましたように、「平面」や「立体」を移動できる私たち人間は、「時間」を「過去」や「遠い未来」へとは移動することはできません。けれども、私たちが生きた「過去」は、私たち自身の「現在」と「未来」に、少なからず影響を与えています。「未来」は予測することしかできませんが、「過去」は私たちの心身に、「経験」「学習」「考察」「記憶」などとして刻まれています。

 卒業生の皆様に影響を与える「過去」の一つが、ルーテル学院大学在学中の「学び」と、現在につながる「学友や教員との交流」であるのではないかと、私は信じています。

 皆様の心に残り、響き、これまでと今を支えている重要な要素が、大学時代の学びと交流ではないかと思っています。

 私が教員を務めていた当時は「文学部」の単科大学で、社会福祉(カウンセリングを含む)と神学の学科に分かれていました。いずれの学科でも専門の学びと実習の基礎に「コミュニケーションの理論」があるとの考えに基づいて、1年時の「必修」科目に位置付けられていた「コミュニケーションの理論と実際」の授業を、私は担当していました。

 学生の皆様は、卒業後は保健・医療・福祉・臨床心理・教会等の分野での職業を志す人が多数でしたので、私は、「話す」「書く」ということのみならず」、「聴く」「読む」という人間ならではの「話し言葉」「書き言葉」による「言語コミュニケーション」の意義と手法をまずは伝えました。同時に、「身振り」「手振り」「表情」「声音」「服装」「対話の際の相手との位置」などの「非言語コミュニケーション」の持つ重要性についても伝えました。

 当時は毎年、「3分間スピーチ」を学生全員に実習として行ってもらっていましたが、聴覚障がいの学生がいた年度には、私が求めたわけではなく、多数の学生自らがスピーチ本番までに「手話」を学び、手話をしながらスピーチを実践してくれました。視覚障がいの学生には耳でスピーチを聴いてもらえるけれども、聴覚障がいの学生には音声が伝わらないので、自分たちが手話で伝えたいと思って身につけてくれたのです。

 私は、学生の皆様の聴覚障がいのある同級生に向けた「伝えたい」と思う「おもいやり」が手話を学ぶ意欲と実践につながったことに、私が伝えたかった「コミュニケーションの意義とその実践の在り方」が伝わったのだと幸いに思いました。

 この一例を挙げるまでもなく、ルーテル学院大学の卒業生も、現役の学生も、教職員が一人ひとりの学生と固有名詞で関わる「一人ひとりを大切にする」という教育理念に基づいて「心と福祉と魂の高度な専門家を養成する」という本学の使命を果たす在り方を受け止めてくれています。だからこそ、卒業してからも、他者の基本的人権を尊重し、「誰一人も取り残さない」ようにと、各自が求められている役割を一生懸命に果たそうと努めてくれていることと思います。

 けれども、どうぞ、決して無理はしないでください。心身ともに、「持続可能性」を尊重してください。ご家族を含めて他者を愛し、守り、皆様の役割と責務を果たすためには、何よりも、まずはご自身の心身の健康確保をはかってください。そして、自分自身だけで課題を抱え込まないでください。

 ルーテル学院大学は、今回のメッセージをおとりまとめいただいた直前学長の市川一宏先生、現在の石居基夫学長を中心に、大学全体で卒業生の皆様からのご相談をお待ちしていますし、卒業生と大学との情報共有の機会を大切にしています。

 どうぞ、決して躊躇せずに、いつでも大学にご連絡ください。

 皆様のご健康とご多幸をお祈りし、どんな時も前向きなご活躍を心から応援しています。

                        OKAY 

             (清原慶子元教授(1987~1999)、現学事顧問) 

希望ある明日に向かって歩むぞメッセージ

 長野県安曇野で、夫と「ひかりの学校」というフリースクールをやっています。我が子3人も含め17人の小中学生がつどう小さな学校です。4月に入学した新入生がだんだん慣れてきて、いい笑顔が見られるようになり、これからという時でしたが、4月10日から休校にしました。子どもの人数も少ないし、野外活動(畑作業や火おこしなど…)も多いのですが、自宅兼学校の本当に小さい学校なので、三密は避けられません。今後、学校を再開することはできるのか?いつから再開するか?日々変化する状況に、悩み、夫と毎日話し合い、考える日々でした。
 そんな中、同級生の彼女からのメールにどれだけ励まされ、力をもらったことでしょう!
 どのような決断をしても、賛否はあります。しかし、私たちは決断し、行動しなければいけない。長野県では分散登校が始まる学校もありますが、夫と私は 感染拡大防止の観点から「命と今ある健康と生活」を守ることを最優先に考え、休校を延長することにしました。
 生活のため、学校を再開させるため、今日から私はりんご園でバイトしています。りんご畑で仕事しながら、こうして神様がすぐに仕事を与えて下さり、生かして下さること、家族が共にいられることが感謝だなと思います。
 「しかし主を待ち望む者は新たなる力を得、わしのように翼をはって、のぼることができる。走っても疲れることなく、歩いても弱ることはない。」イザヤ40:31
 自分が弱ってしまう時、この御言葉をつかんで、希望ある明日に向かって歩んでいます!                  M・T

希望ある明日に向かって歩むぞメッセージ

 92年に卒業後、東京都町田の社会福祉法人に勤めて28年になります。現在は特養の施設長を仰せつかっておりますので新型コロナウイルスの感染拡大には神経を尖らせてます。母校ルーテルを卒業された方の多くが福祉あるいは医療の現場に携わっておられることと思いますいま私たちが直面しているのは本当に恐ろしいウイルスです。私たちは自分を守りながら誰かを支えなければなりません。人の中に神々しさを見ることもあれば、失望を感じる事もありますが、岩◎さんを始め、多くの同友がそれぞれの現場でこのウイルスの恐ろしさと向き合ってるかと思えば乗り切れていける気がしてきます。目には見えないウイルスの脅威には目には見えなくても感じることの出来る団結で立ち向かっていきましょう。
                        FAT CAT初代隊長

希望ある明日に向かって歩むぞメッセージ

 「未知のことではなかった感染症の影響」

 新型コロナウイルスの感染症が猛威をふるい、世界的規模で人々が無限の被害を受け、破壊に対して戦い、国民は感染拡大防止のために不要不急の外出自粛に協力している。       

 がんのサバイバーの身では、「基礎疾患のある人は感染重篤のリスクが高い」との頻繁な報道にびくびくしている。家の中の生活が長引き、自律性を保持しながらも、ふつふつとした気分でいる。朝晩検温の記録など、自分の身を守るための工夫をしているが、これほど長い自宅での待機状態は初めてである。電話やメールで他者との交流があり、孤独感をもたず、精神衛生状態はなんとか保ってはいるが。

 全国に緊急事態宣言がでて、厳しくなった社会状況下で、年度末までの仕事はすべてキャンセルとなり、失業者の心境である。役割の喪失感からか、何もする気がなく、せっせと自宅の部屋整理、書籍・書類の断捨離に打ち込んでいる。友人からは「徹底的処分はやめた方がよい」と忠告を受ける。人生の整理のように想像したのだろうか。     

 新型コロナウイルスという人類が経験したことのない疾病だ。ウイルス自体も進化して生物と戦っている。この感染症は、医療崩壊、経済など社会崩壊までも引き起こしつつあるなどの情報の渦。人間として何かせねばならないが何も思いつかない紋々さ。「あなたの場合は感染しないが、活動は禁止、ただ社会の出来事を静観していなさい」と、かつて医師から言われたことを思いだした。13歳の頃である。

 今回の感染防止の取り組みは、初めての挑戦と考えでいたが、確かに以前に医師からの宣告を受けたことがある。高校入試の前のとても重要な時期に、結核が見つかり、「感染させる危険性はない、授業には参加してもよい、勉強はせずじっと机に座っているように、活動を全面的に禁止する」と。座席にじっと座り、体育も見学し、帰宅後、ひたすら10時間睡眠、栄養補給が条件であった。周りは病気であるとの理解はあったが、いじめや差別、偏見はなかった。集団の中の孤独感はすさまじいものであったことを覚えている。

 母は神経質になり、部屋中消毒をしていた。実は、父親は結核で、片肺が機能していない。仕事はしている。叔母は優秀な人物であったが結核で亡くなった。孫の代に発症がないようにと祖母は祈っていたのに・・。失望感と恐怖感から、祖母をはじめ、家族全員が、勉強よりも拭き掃除重視の考えだ。祖母は、以前は隣近所からの差別・偏見にずっと戦ってきたものだとよく話してくれた。

 医師からは虚弱体質のため、断層写真による見守り、結婚などは30歳まではだめだと断言。長期にわたり、結核予防法による医療費免除を受けながらの闘病生活であった。ある時期に家族の誰かが感染症を患えば、家族全員が生命の危険にさらされ、悲惨な状態は長期にわたり継続する、3世代にもわたる長い時限の膨大な影響である。

 このような感染症の巨大な影響を体験してきているにも関わらず、この度の社会現象は未知のもので、すぐに収束し、元どおりの生活になることのみを期待している。

 あの感染症の莫大な影響をそっくり遠い昔に追いやっていたことに気がついた。                          

                 いちソーシャルワーカーの想いより