希望を届けるソーシャルワーカー
12月15日(土)、ルーテル学院大学でオープンキャンパスが開催されます。
市川が、「希望を届けるソーシャルワーカー」というテーマで講義を行います。対象は、受験生、その保護者、社会人です。お知り合いにお伝え頂ければ幸いです。
13:00〜 クリスマスコンサート
14:00~ 模擬講義
市川「希望を届けるソーシャルワーカー」
サック「家族を通して自分を知る」
15:00~ 大学・入試説明
16:00~ 個別相談
Ichikawa's Office
大学関連
12月15日(土)、ルーテル学院大学でオープンキャンパスが開催されます。
市川が、「希望を届けるソーシャルワーカー」というテーマで講義を行います。対象は、受験生、その保護者、社会人です。お知り合いにお伝え頂ければ幸いです。
13:00〜 クリスマスコンサート
14:00~ 模擬講義
市川「希望を届けるソーシャルワーカー」
サック「家族を通して自分を知る」
15:00~ 大学・入試説明
16:00~ 個別相談
浦和ルーテル学院は、小学校・中学校・高等学校と12年間の一貫教育を行っている名門です。ルーテル学院大学・日本ルーテル神学校とは兄弟校で、長く親しい関係にあります。
2018年10月31日、私は、宗教改革記念礼拝のメッセージをお引き受けしました。テーマは、『「おめでとう」で始まる人生を』です。
小学1年生から聞いてくれていますので、その場に応じて語りかける内容は若干異なりますが、原本をお示しします。
『「おめでとう」で始まる人生を』
『はっきり言っておく。私の兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである』(マタイによる福音書第25章第40節)
私は、すべての人が、神様より祝福されて命を与えられたと強く信じています。しかし、現実には、それぞれ与えられた命を十分に大切にしていない現実があります。だからこそ、この事実は決して揺らいではいけない。今日は、皆「おめでとう」と言われる存在であるということを、お話をしたいと考えています。
あと一ヶ月で、イエスキリストの誕生を待ち望む期間、アドベント、日本語では待降節(たいこうせつ)に入ります。そして、12月25日のクリスマを迎えるのです。そこで、今日は、皆さんに、新教出版から刊行された『もう一人の博士』という物語を紹介します。その物語で登場する博士の名前をアルタバンと言います。
(V.ダイク著 岡田尚訳 佐藤画『もう一人の博士』新教出版)
聖書には、三人の博士が、星に導かれて、生まれたばかりのイエスキリストに会い、持っていた宝箱から、黄金、乳香(乳白色の色の高価な香水の元)、没薬(もつやく、すなわち薬)を贈り物として捧げたと書かれています。しかし、アルタバンという博士は、イエスキリストと出会えませんでした。
アルタバンは、ある場所で、三人の博士と会い、一緒に、生まれてまもないイエスキリストにお会いする予定でした。しかし、その場所に向かう途中、砂漠で病気にかかり、死にかかっていた人に出会います。急がなければ間に合わないアルタバンには、時間的余裕はありませんでしたが、彼は足をとめ、看病をしました。そのため、約束した時間に遅れ、待ち合わせ場所には、「先に行く」という手紙が残されていました。
そこで、アルタバンは、イエスキリストに捧げるために持ってきた大切な宝物の一つを売り、「らくだ」を買い、必死で、三人の博士を追いかけます。しかし、その途中で、ヘロデ王の軍隊から逃れた、幼い男の子を抱きかかえる母親と出会います。ヘロデ王は、生まれたイエスキリストを恐れ、ベツレヘム周辺の地域に住む2歳以下の男の子を一人残らず殺せと言う命令を出していたのです。アルタバンは、幼子を抱いて逃げ込んだ家に迫る軍隊の指揮官をとめ、宝を与え、幼子の命を救うのでした。
彼は、さらにイエスキリストの元に向かいますが、なかなかたどり着きません。そして宝物も、出会った病人や、貧しく、食べ物のない人々の薬や食べ物に変わっていきました。
イエスキリストに会えず、30数年を過ぎたアルタバンは、老いて弱っていきます。そして、イエスキリストがゴルゴタの丘で十字架にかけられることを知り、最後に残っていた宝物をもってイエスを救おうと、力をふりしぼって、ゴルゴダの丘に向かいます。ところがその途中、友人の娘、ミッシェルに出会います。アルタバンは、友人が事業に失敗し、多額の借金のため、娘のミッシェルが売られようとしていると知ります。借金取りに連れて行かれそうになるミシェルを見て、アルタバンは、借金取りに最後の宝物を渡し、ミッシェルを救いました。
弱り、息絶え絶えのアルタバンは、さらに丘に向かいました。その時、地響きが起こりました。イエスキリストが亡くなられたのです。そのことを知ったアルタバンは、その場に倒れてしまいました。助けられたミッシェルはアルタバンを助け起こします。アルタバンは、聞き取れない声で、つぶやきました。「あなたに渡すはずの宝物すべてを失いました。今まで、あなたに何もできませんでした」
その時です。神はアルタバンに語りかけられました。「私の兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである」と。それを聞いたアルタバンは、ほっとした表情になり、安心して息をひきとりました。
アルタバンが最後に聞いた神の言葉を、ルターも用いています。(「労し、重荷を負う人々のための慰めに関する14章」『ルター著作集』3巻、43頁、1519年)の中で、マタイ25:40を引用しています。)
ルターが進めた宗教改革は、全ての人一人ひとりに神様の愛が届くようにという主張でしたが、しかし当時、たくさんの迫害に遭いました。その中で、ルターを保護し、守って下さった領主(フリードリヒ選帝侯)が病気にかかった時、ルターは語りました。一人の病人、すなわち最も小さい者の中で、キリストご自身が共に苦しんで下さっておられる。「見よ、私はここで病んでいる」とイエスは私たちに呼びかけ、語りかけておられる。苦しんでいる人と共にいて下さるキリストの言葉を私は聞いて聞かぬふりをすることはできないとルターは言います。神が、苦しんでいる人と共に苦しんでいると言うのです。そこに宗教改革の一つの原点があると、私は思います。
私は、宗教改革を記念する今日を、『はっきり言っておく。私の兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである』という聖句に立ち返る日として頂きたいと思います。そして、誰もが神様から祝福されて命を与えられ、「おめでとう」と言われている存在であることを大切にして頂きたいと願っています。
投稿日 18年10月31日[水] 9:42 PM | カテゴリー: 大学関連
2018年10月17日(水曜日)、「ルーテル学院大学と包括的な連携協力に関する協定」の締結式が行われましたので、報告させていただきます。
http://www.city.mitaka.tokyo.jp/c_photo/076/076240.html
三鷹市HP
http://www.luther.ac.jp/news/20181025-01.html
ルーテル学院大学HP
2018年10月7日に、式典が行われ、2つの感謝状を頂きました。自分が果たしてきた役割を評価いただき、私からも、感謝しています。
2018年10月15日に、ガウチァー記念礼拝堂において、メッセージをいたしました。テーマは、「おめでとう」で始まり、「ありがとう」で終わる人生です。
メッセージ
「おめでとう」で始まり「ありがとう」で終わる人生
「わたしは、既にそれを得たというわけではなく、すでに完全なものとなっているのではありません。何とかして、捉えようと努めているのです。自分が、キリストイエスに捉えられているからです。」 (フィリピの信徒への手紙第一第3章12節)
2011年3月11日午後2時46分、皆さんはどこにおられましたか。私は、ルーテル学院大学の学長室で打ち合わせにおり、その揺れの大きさと揺れる時間の長さに驚きました。東京でも、たくさんの帰宅難民が生まれました。また職場から夜通し歩いて、子どもが待っている小学校に迎えにきた親もたくさんいました。また、学校から帰宅途中に地震に遭い、駅に下ろされた小学生を探すために、親たちが1駅づつ車でまわり、見つけて保護したこともありました。
さらに、テレビの映像に映る現地の惨状に驚きました。すぐに被災した地域に住む友人たちに携帯で何度も連絡をしましたが、まったく通じませんでした。しかしその2日後の朝です。「無事です」と公衆電話からかかってきた友人たちの電話に、私は思わず「良かった」と、家族が驚くような大きな声を上げていました。
死者行方不明者1万8,432人を数える東日本大震災は、今から、7年以上も前のことです。今日に至るまで、熊本地震、北海道での地震、そして台風や豪雨災害等々、たくさんの自然災害が続いています。では、それぞれの被害は、過去のものでしょうか。いや、困難な生活は今でも続いているのです。私は、被害がもっとも多かった宮城県石巻市で、発災時から社会福祉協議会等の方々のお手伝いをしてきましたが、復興によって環境は整ってきましたが、その痛みは続いています。
事実、私は、本年の3月、石巻市社会福祉協議会の仕事の合間に、石巻市に来たゼミの学生とともに、再び大川小学校に行きました。小学校生108人中、74人が犠牲になり、多くの教員も命を失いました。その2年後の冬に行った時には、川を堰き止めて、子どもの遺骨を探していました。大川小学校の前に、亡くなられた方々を追悼する慰霊碑が建てられています。夏には、慰霊碑にヒマワリの花で飾られます。その意味を知ったのは、後からでした。
詩を紹介します。
ひとつぶの小さな種が、
千つぶもの種になりました。
そのひとつぶひとつぶが、
ひとりひとりの子どもたちの、
思い出のように思えました。
また 夏が来たら 会おうね。
ずっとずっと
いっしょだよ。
文:ひまわりをうえた八人のお母さんと葉方丹(はかた たん)絵:松成真理子
何年たっても、親は子どもを失った悲しみを忘れることはできないのです。
大切な家族や友人を失い、長らく住んでいた家を流された方々が仮設住宅や復興住宅に住まわれています。今まで当たり前と思っていたことが、自然の圧倒的に力によって突然目の前からなくなった喪失感情はなかなか拭い去れない。また親や友人を失った子どもが、約3年目から、その死を振り返り、自分は生きていいのかという言葉を発してきていると聞いています。震災による痛みは、未だ癒えていないのです。子どもから高齢者まで、それぞれに痛みを持っています。
しかし、忘れてはならないたくさんの働きが続けられています。たくさんのボランティアやNPOが支援に来ました。青山学院大学の学生も、やくさん被災地でボランティアを行っています。
また私が学ばせて頂いている石巻市社会福祉協議会は、地域福祉コーディネーターを雇用し、日々、家や家族を失った方々が住まわれている仮設住宅を訪問し、その方々が孤立しないように悩みや生活の相談を受け、必要なサービスや援助につなげていきました。しかも、冬の寒さは厳しい。石巻市は普段、過ごしやすいのですが、冬には寒くなり、また強い風が吹く時があります。私は、強い風で体温が奪われ、凍えそうになる経験を何度もしました。そのような時は、道路の雪が固まり、氷となり、アイスバーンとなって移動がとても危険な状態になります。そのような時にも、地域福祉コーディネーターは、仮設住宅や、新たに建てられた復興住宅を訪問し続けました。しかも、地域福祉コーディネーター13名のうち半数以上は、北海道、近畿、四国、九州から来た若者です。自分が生活してきた地域から離れ、寂しさもあったのではないでしょうか。また方言や文化も違い、住民に受け入れて頂くことに本当に苦労したと思います。でも、彼らは働き続けました。なぜなら、彼らは、「市民の暮らしを支えていきたい」という気持ちをもって、応募した方々です。その強い思いが住民に伝わり、生活の再建に結びついていると思っています。
困難に直面しても、将来に向かって今を生きることが大切です。そのためにも、私は皆さんに、どんな困難に直面しても、希望の火を絶やさず、生きていくためにも、立ち戻るところをもつことが必要だと言いたい。
私は、「おめでとう」で始まり、「ありがとう」で終わる人生を原点にしています。子どもたちの誕生は、おめでとうから始まる。子どもは、誰もが祝福されて生命を与えられた。だれ一人として、神様から祝福されない生命はないという真実に立ちたいと思っています。だから、皆でおめでとうと言う。この事実に、疑問を挟む余地はまったくありません。親等からの虐待によって、命を奪われる子どもが増えていますが、子どもの命をなんとしても守りたい。「おめでとう」から、それぞれの人生の歩みが始まるのです。
そして、人生の最後を迎えた時、支えてしてくれた家族や支えてくれた人にありがとうと言うことができたなら、それは人生でもっともすばらしい証し。感謝する本人の命が光る。見看る人びとの心がその人の命を通して光る。その人を支えてきた神の愛が、光り続けるのです。高齢者の孤立死が増えていますが。亡くなってからだいぶ経ってから見つかるような状態は何としても避けたい。人生最後にあって、「ありがとう」と言えるような人生を守りたいと考えています。
聖句に戻ります。「わたしは、既にそれを得たというわけではなく、すでに完全なものとなっているのではありません。何とかして、捉えようと努めているのです。自分が、キリストイエスに捉えられているからです。」
この挑戦は、すでに完成したものでは決してありません。いつも絶えず、問い続けていくこと。0か100ではない、たくさんの挑戦があります。私は、「おめでとう」で始まり「ありがとう」で終わる人生というタイトルの本を出版しましたが、その原点の一つは、被災地の方々と一緒に働かせて頂き、学んだこと、思ったことです。私は、生きていくことの意味を実感しました。今まで当たり前と思っていたことの大切さ、悲しみの中にある人に何とか明日への希望を届けようとする働きの意味を学んでいます。倒れている人に駆け寄って助け上げる人は、神を信じる、信じないに関わりなく、神に祝福された隣人だと私は思っています。
また、そのことを目指して、今をどう生きるかによって、過去の事実は変わらなくとも、今の生き方によって過去の意味が変わっていく可能性を、神はたえず与えてくださいました。たくさんの挑戦をしてきましたが、新しく学ぶことはつきません。それが、私にとって、「キリストイエスに捉えられている」という意味です。
大川小学校の慰霊碑に飾られているヒマワリを私はたびたび思い出します。
その花言葉は、
「あなたのことをずっと忘れない」です。
祈り:
主よ、どうぞ、私たちに、自分を信頼し、自分らしい生き方をしていく力を、悲しい時には泣き、楽しい時には喜ぶ素直さを、正しいことやふさわしいことがわかる知恵を、お互いの違いを理解しようとする優しさを、困難に直面しても夢を失わないねばり強さを、辛い時には立ち止まることのできる少しのゆとりを、自分の力ではどうしようもない時に、誰かに救いを求める勇気を、そして、一人では生きられないと思った時に、一人で生きてきたのではない事実を受けとめる謙虚さをお与え下さい。そして、今日礼拝に出席している学生諸君が、どんな困難に出会っても、希望を失わず、将来に向かって歩んでいくことができるように、お導き下さい。
主の御名によって祈ります。
本年の5月以降、大学を創設した日本福音ルーテル教会と日本ルーテル教団の教会を訪問し、①日頃のご支援の感謝、②大学・神学校受験生の紹介のご依頼(情報の手渡しのお願い)、③本年度献金のお願いをしています。
6月3日大岡山教会(東京都)、17日東京ルーテルセンター(東京都)、6月24日津田沼教会(千葉県)、7月1日市ヶ谷教会(東京都)、7月8日東京教会、15日保谷教会(東京都)、22日聖パウロ教会(東京都)、29日栄光教会(静岡県)、8月5日都南教会(東京都)、12日浦和ルーテル教会(埼玉県)、9月23日岡崎教会(愛知県)、29日福岡西教会(福岡県)、健軍教会(熊本県)、30日大江教会(熊本県)、熊本教会(熊本県)です。
いくつかの教会は、すでに掲載していますので、いくつかの新しい教会等を紹介します。
大江教会
熊本教会
岡崎教会
館林教会
札幌教会(北海道教区一日神学校)
「私たちにとって大切なもの」
コリント人への手紙第2
4:16だから、わたしたちは落胆しません。たとえわたしたちの「外なる人」は衰えていくとしても、わたしたちの「内なる人」は日々新たにされていきます。 4:17わたしたちの一時の軽い艱難は、比べもにならないほどの重みのある永遠の栄光をもたらしてくれます。4:18わたしたちは、見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは一時的で過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存在するからです。
Oさん、T君、T君、卒業おめでとうございます。今から3名への贈る言葉を述べさせて頂きます。
1.パウロとは、
この手紙の主人公、パウロとはどのような人でしょうか。
パウロは、キリスト者に対して、厳しい迫害を行っていた人でした。しかし、キリストに出会い、キリスト教に改宗し、伝道者となります。それは今までの名誉と地位、生活を捨て去ることだけでなく、迫害していたキリスト者からは信じてもらえず、そして迫害される立場になることを意味します。パウロは20数年、各地をまわり、追われ、最後には捕まり、処刑されます。コリント人への第二の手紙は、パウロがコリント人への第一の手紙を書いたすぐ後,彼の教えに反する暴動がエペソで起こり(使徒19:23-41参照),パウロはマケドニヤへと逃れ、その地で書かれたものだとされています。
そのような状態にあって、パウロは言い続けます。「わたしたちは、見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは一時的で過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存在するからです」と語るのです。
私たちは、壮絶な人生を送ったパウロではありません。しかし、今を生きる者として、「見えないもの」を考えたいと思います。私は、「見えないもの」は、日々の生活の中にある、大切なものであり、それを通して、神様の愛が現れていると考えています。
2.「このゆびと〜まれ」
記念誌に掲載されていた文を紹介します。「私も赤ちゃんのころ、利用者のおばあさんによくだっこしてもらったり、あやしてもらっていたそうです。でも、実はそのおばあさんは重症の認知症だったそうですが、自分では「このゆび」に働きに来ていると思っていたそうで、そのころの写真を見ても、本当にかわいがってもらったんだなあと、ありがたい気持ちでいっぱいになります。」この文は、富山市立藤ノ木小学校5年岩本万由子が書いたものです。
この夏、私は、富山市にある「このゆびと〜まれ」を訪問しました。必要なときに誰でも利用できる「民営デイケアハウス」として、1993年にスタートし、1998年には県独自の補助金が交付され、「富山型デイサービス」を全国に先駆けて実践してきました。子どもも、お年よりも、障害者も、いろんな人がお互いに支え合いながら、地域の中で自分らしい暮らしを続けられるように、小規模であたたかい、「ふつうの日常生活」を大切にしています。そして、1.赤ちゃんからお年よりまで障害があっても無くても利用できる。2.断らない。3.障害者・ひきこもり・うつ病の人達などの働く場を提供する。4.活動は住宅街でし、町内の人達をまきこむ等の目標を掲げています。
私は、実際に「このゆびと〜まれ」活動を見て、2つのことを学びます。
3.私が学んだこと
①困難に直面して明日を見失った方の叫びに応えようとした
創設時の苦労は、並大抵のものでなはかったことを承知しています。日本赤十字病院に勤めていた3名の看護師がやめ、事業を始めた時には、「ばか・あほ・まぬけ」と言われたとのこと。しかし、彼女らの覚悟は強かったのです。「帰りたい」「畳の上でしにたい」と言いながら、様々な理由で病院や、転院先の老人病院で生活をし、自分の気持ちを押し殺す人、「早う迎えに来て下はれ」と天井に向かって手を合わせる人、病気の理由が十分わからないまま、退院を余儀なくされ、生きていく自信を失った若者等々の叫びを聞き続けてきました。
だからこそ、その人らしい人生を送ってほしいと、事業を始めたのでした。先ほどの文章を書いた5年生の岩本さんも、あまりにも病弱で、保育所に行けなかったため、一歳の時から「このゆびとーまれ」で育ててもらったそうです。
②一人ひとりのいのちが輝く居場所を提供した
そもそもいのちとは何でしょうか。聖路加病院の院長で昨年105歳で亡くなられた日野原重明先生は、いのちとは「自分が使える時間のこと」だと言われました。たとえば体の中のポンプ・心臓は、絶えず鼓動しています。これは、体で感じ、医学的には見える。しかし、「自分が使える時間」とは、日々生きていく時間。一人ひとりも他者のために、自分を活かす時間でもあります。 5年生の岩本さんは言います。「「このゆび」に来ていると、障害のある人もジロジロ見られたり、かわいそうになんて言われることもなくて、みんな自分でできることを精一杯やって「役に立っている」自分に自信をもって、いきいきと過ごしています。私は、障害があるから「かわいそうな人」なのではなく、「障害があってもがんばっている人」といっしょに過ごして、協力し合っていくことがお互いのために大事だと思います。
それぞれが、自分のいのちの時間を精一杯使って生きているのです。確かに、その人の姿は見えます。しかし、その人への理解、その人の人生への共感、互いに培かってきた信頼は、目では決して見えない。そこで生活する一人ひとりの当たり前の感謝も目では見えない。私は、「見えないもの」は、日々の生活の中にある、大切なものであり、それを通して、神様の愛が現れていると考えています。そして、「見えないもの」とは、私自身が、「見えていない」ものではないでしょうか。
パウロの言葉に再度立ち返ります。「わたしたちは、見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは一時的で過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存在するからです」。そして、「見えていないもの」を見極める力を絶えず養い、学んだこと、思い出を胸に、新たな旅立ちの時として頂きたいと思います。
Oさん、T君、T君、改めて、卒業おめでとう。
*富山市立藤ノ木小学校5年岩本万由子の原稿は、「このゆ〜びとまれ」の箇所に紹介されています。
2018年6月23日、「共生園設立90周年」記念式と国連「世界孤児の日」制定誓願「ニューヨーク世界大会」日本発足式が行われました。共生園とは、孤児の母と言われた田内千鶴子氏が、3,000人の孤児を育てた日本で言う「児童養護施設」で、息子でありユン先生が引き継いでおられます。また、ユン先生は、田内先生のお子さんで、また在日韓国人のために老人ホーム「故郷の家」を建て、たくさんの方々をお支えになられています。
ちなみに、ユン先生と私のとの出会いは、今から30年ほど前にさかのぼります。当時、日本キリスト教社会福祉学会の事務局をルーテル学院大学が引き受けていた私は、韓国からのお客様をお迎えする際にユン先生にお助け頂きました。それ以降、同学会を通してご指導頂き、私が同学会会長であった昨年の夏、国連孤児の日の制定に対する意見のとりまとめのご依頼を受けました。私は、阿部志郎先生を代表とする日本の児童福祉の推進者の方々にお願いし、文案の確認を頂き、作成しましたのが、以下の文書です。
今回の発足式でも、取りあげられていました。
感謝。
「UN世界孤児の日」制定運動の趣旨に賛同いたします。
世界のいたるところで、戦争や内紛、テロが起こり、たくさんの命が失われています。また、伝染病や環境の不衛生に起因する疾病、地震や大規模火災等の自然災害による被害で命を失ったたくさんの人々がおられます。経済危機による飢餓や極度の貧困の結果として起こる家族崩壊、地域崩壊の結果を合わせて、生活の危機に直面している人々は、莫大な数にのぼります。これは、特定の地域にとどまらず、国や、近隣諸国を包含し、世界規模で多くの市民も巻き込んで進んでいます。
これらの結果、もっとも弱い状況にある子どもが、大きな被害を受けています。父、母や近親者等の今まで育てられていた家族を失い、貧困に陥り、また住む家を失い、生活の危機、心の危機、生命の危機に直面するなど基本的人権を保障されていない子どもの数は1億5千万人を超えるとする報告もあります。「子どもは、どの子も、神はまだ人間に失望していないというメッセージを携えて生まれてくる」とタゴールが言ったように、一人ひとりの存在の輝きを守ること、すなわち、「児童の権利に関する条約」第20条第1項に書かれているように、「一時的若しくは恒久的にその家庭環境を奪われた児童又は児童自身の最善の利益にかんがみその家庭環境にとどまることが認められない児童は、国が与える特別の保護及び援助を受ける権利を有する。」とされる子どもの権利を保障する取り組みが急務であると私たちは考えます。
特に、一人で生きていくことがむずかしい子どもが置かれている状況を見ますと、前述の戦争等を要因とし、父母と死別、離別、もしくは虐待を受けて離れて生活する子どもの数は、増加している現状にあります。私たちは、決意をもって、そのようないわゆる「孤児」に対する支援を行うことが求められています。
歴史を振り返えりますと、「孤児の母」と言われた田内千鶴子(タウチチズコ)氏の取り組みから学ぶことができます。韓国で最も長い歴史を持つ孤児院である共生園は、1928年、敬虔なクリスチャンであったユン・チホ伝道師が、木浦の小川橋の下で寒さに震えている7人の孤児の子どもたちを発見し、家に連れてきて一緒に生活をしたことから始まりました。そして、ユン・チホ伝道師は、「孤児の母」と言われる日本人の田内千鶴子(タウチチズコ)女史と結婚し、二人で孤児の命と生活を守っていましたが、韓国戦が始まり、ユン・チホ伝道師は子どもの食料を求めて出かけていったまま行方不明になりました。田内千鶴子女史は、結局戻って来られなかった夫を待ちながら一人で共生園を守り、3000人の孤児を育てました。今なお「孤児の母」と呼ばれる田内千鶴子女史のこの犠牲的な人生は、国境や民族、言語を超えた愛でした。田内千鶴子女史の生前には願いがいくつかありましたが、それは、社会的な支えを通して孤児でなくなる世界、孤児たちが社会の各分野で働くことができる世界でした。
私たちは、田内千鶴子氏の精神を学び、以下の趣旨のもと、「UN孤児の日」制定運動に賛同します。
私たちは、神から与えられた子ども一人ひとりに愛情を注ぎ、家族と死別、離別して一人となった「孤児」が受け入れられ、胸を張って堂々と生きることのできる環境を作る。
現実に、世界各地で「孤児」の養育、支援に関わっているNGO、NPO、国、地方自治体等が協働して、「孤児」が置かれている現状とその要因を明らかにし、広く世界に発信するとともに、「孤児」となる要因の解決に取り組み、「孤児」への支援体制を強化する。
それぞれの子どもの個性、強み、弱み、環境が違うことを前提に、「孤児」を支援している個人、組織の叡智を集め、その専門的知識と援助技術に基づき支援の向上を図り、広く子ども支援のあり方を提案する。
聖書には「わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである」(マタイ福音書第25章第40節)とイエスの言葉が書かれています。私たちは、この声明によって、宗教や文化、言語、歴史が異なろうとも、子どもの誕生に「おめでとう」と言い、その成長の歩みを皆で見守り、支え、支援していく一つひとつの行動が広がっていくことを切に願っています。
2018年6月
代表 阿部志郎(神奈川県立保健福祉大学名誉学長
・横須賀基督教社会館名誉館長)
市川一宏(ルーテル学院大学学長)
遠藤久江(社会福祉法人二葉保育園理事長)
岸川洋治(社会福祉法人横須賀基督教社会館館長)
潮谷義子(社会福祉法人慈愛園理事長・前熊本県知事)
松原康雄(明治学院大学学長)
山崎美貴子(神奈川県立保健福祉大学顧問)
4月3日(火曜日)午後2時より、ルーテル学院大学礼拝堂において、2018年度入学式が執り行われました。3年前に厳しい状況に置かれた大学も、教職員、関係者の努力で回復し続け、本年は定員を満たすことになりました。たくさんの新入生を「90人に 90の物語」という本大学・大学院の教育の原点に立ち、育てていきたいと強く思っています。
私の入学式でのメッセージを掲載させて頂きます。12年間担っていました学長の役割を、4年ぶりに再度お引き受けすることになりました。謙虚、かつ誠実に責任を担っていきたいと思っています。
2018年度入学式
『希望は欺かない』
わたしたちは知っているのです。苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。希望はわたしたちを欺くことはありません。わたしたちに与えられた聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからです。(ロマ書5章3節から5節)
今日、ルーテル学院大学・大学院で新たな歩みを始める学生の皆さん、入学おめでとう。そしてご家族の皆様、おめでとうございます。今日は、新入生の皆さんへの私の期待を述べさせて頂きます。
チャプレンがお読みになったローマ書を書いたと言われているパウロは、今から2千年近く前、キリストの教えを述べ伝え、キリスト教の基礎を築いた人物です。この聖句の背景として、3つのことがあげられます。一つは、厳しい自然です。当時は、現在のように、飛行機や車等の交通手段がない時代にあって、昼は遮る物がなく暑い日差しに照らされ、また夜には寒さに震えながら道を移動していました。二つめは、パウロは敵対する人(ユダヤ人)たちによる迫害にさらされ、何度も、命を失う危機に直面していました。そして、伝えようとしたキリストの教えは容易に受け入れられなかった。三つめは、パウロがキリストの信仰を伝えたいという熱い思いをもっていたことです。だから、パウロは、希望を捨てようとはしなかった。
私たちは、しばしば、言葉を失い、失望のどん底に追いやられるような現実に出会います。
1.現実の苦難
私は、2011年3月11日に起こった東日本大震災の発生後まもなく、被災地を訪問して、その被害の大きさに言葉を失いました。今まであったはずの家がなくなり、土台だけが残っている。そこには、大切な家族、友人、そしてかけがえのない生活があったはずです。それが押し寄せてきた津波によって、根こそぎ奪われました。かつてあった家を見ながら、また一緒に過ごした子どもや孫が通っていた幼稚園や学校を見ながら、呆然と立ち尽くしていたたくさんの方々の後ろ姿を、私は忘れることができません。
2.諦めない地道な働き(忍耐は練達を)
しかし、今、支え、支え合いながら、歩みを始めたたくさんの人がおられます。私が学ばせて頂いている石巻市社会福祉協議会は、地域福祉コーディネーターを雇用し、日々、家や家族を失った方々が住まわれている仮設住宅を訪問し、その方々が孤立しないように悩みや生活の相談を受け、必要なサービスや援助につなげていきました。私は、この聖句の背景と共通点があると考えています。一つは自然の厳しさです。石巻市は普段、過ごしやすいのですが、冬には寒くなり、また強い風が吹く時があります。私は、強い風で体温が奪われ、凍えそうになる経験を何度もしました。そのような時は、道路の雪が固まり、氷となり、移動がとても危険な状態になります。第2に、地域福祉コーディネーターは、仮設住宅や、新たに建てられた(復興)住宅を訪問し続けました。しかし、地域福祉コーディネーター13名のうち半数以上は、北海道、近畿、四国、九州から来た若者です。自分が生活してきた地域から離れ、寂しさもあったのではないでしょうか。また方言や文化も違い、住民に受け入れて頂くことに本当に苦労したと思います。でも、彼らは働き続けました。なぜなら、彼らは、「市民の暮らしを支えていきたい」という気持ちをもって、応募した方々です。その強い思いが住民に伝わり、生活の再建に結びついていると思っています。
3.練達は希望を生み出す。
震災後7年を経過して、被災地では、明日を目指した「希望の働き」が生まれてきています。復興商店街ができ、その土地でとれる様々な物や、住民が作った工芸品が売られています。また地域で広がっている助け合い活動。保健医療福祉の専門職による支援も充実してきました。確かに、石巻市の復興はまだ道半ばですが、地域の民生委員児童委員、ボランティア、町会、社協、行政や専門機関の職員が、支え、支えあって、共に生きる社会をつくろうとしておられます。練達が、希望を生み出していると、確信しています。
4.希望は欺くことがない
今日の聖句に立ち戻ります。「わたしたちは知っているのです。苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。希望はわたしたちを欺くことはありません。わたしたちに与えられた聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからです」(ローマ書5章3節から5節)
確かに、すべての希望が叶えられるわけではありません。失った人や家は戻らないし、悲しみは決して癒えることはありません。しかし、それぞれが生きていく歩みから、私は学んでいます。希望を失わず、明日に向かって歩む一人ひとりの生き方がかけがえのなく、私が励まされています。
皆さん、ピョンチャンオリンピック、パラリンピックを思い出して下さい。羽生結弦(ゆずる)さんが、フィギアスケートで世界の頂点に立ちました。彼は、王者になったのです。しかし、その裾野には、日本だけでも数千人の選手がいたと言われています。
確かに勝者は1人で、その他の人は、競技で羽生さんに負けました。しかし、その他の人は、決して人生の敗北者ではない。ピョンチャンオリンピック、パラリンピックを目指した人それぞれに人生があり、それぞれの希望と夢が続いています。
思い出しませんか。NHKのピョンチャンオリンピックのテーマ曲、サザンカを。競技の結果が映し出され、同時に流れた歌を。「夢を追う君へ、思い出して くじけそうなら いつだって物語の主人公が立ち上がる限り 物語は続くんだ」。
応援して下さる人に感謝し、挑戦してきたことを誇りに、諦めず、夢や希望をもってこれからも歩んでいくからこそ、優勝できなかったという過去の事実は変わりらなくても、過去の意味が変わってくる。だから、希望は決して欺かないのです。
これから、皆さんはたくさんの人、出来事に出会い、時には喜び、時には涙することでしょう。90人には90の物語があります。本大学で、それぞれの物語を書き込んで頂きたい。そして、悲しみで前が見えなくなった時には、思い出してください。希望は欺かないのです。そのことを忘れず、皆さんには学生生活をスタートさせて頂きたい。
今日入学した一人ひとりのこれからの歩みを、私たちは、応援していきます。
ご入学、おめでとうございます。
投稿日 18年04月05日[木] 7:07 AM | カテゴリー: 大学関連