大学関連

最近の教会訪問

本年の5月以降、大学を創設した日本福音ルーテル教会と日本ルーテル教団の教会を訪問し、①日頃のご支援の感謝、②大学・神学校受験生の紹介のご依頼(情報の手渡しのお願い)、③本年度献金のお願いをしています。

63日大岡山教会(東京都)、17日東京ルーテルセンター(東京都)、624日津田沼教会(千葉県)、71日市ヶ谷教会(東京都)、78日東京教会、15日保谷教会(東京都)、22日聖パウロ教会(東京都)、29日栄光教会(静岡県)、85日都南教会(東京都)、12日浦和ルーテル教会(埼玉県)、9月23日岡崎教会(愛知県)、29日福岡西教会(福岡県)、健軍教会(熊本県)、30日大江教会(熊本県)、熊本教会(熊本県)です。

いくつかの教会は、すでに掲載していますので、いくつかの新しい教会等を紹介します。

大江教会

熊本教会

岡崎教会

館林教会

札幌教会(北海道教区一日神学校)

2018年前期卒業式メッセージ

「私たちにとって大切なもの」

コリント人への手紙第2

4:16だから、わたしたちは落胆しません。たとえわたしたちの「外なる人」は衰えていくとしても、わたしたちの「内なる人」は日々新たにされていきます。 4:17わたしたちの一時の軽い艱難は、比べもにならないほどの重みのある永遠の栄光をもたらしてくれます。4:18わたしたちは、見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは一時的で過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存在するからです。

Oさん、T君、T君、卒業おめでとうございます。今から3名への贈る言葉を述べさせて頂きます。

1.パウロとは、

この手紙の主人公、パウロとはどのような人でしょうか。

パウロは、キリスト者に対して、厳しい迫害を行っていた人でした。しかし、キリストに出会い、キリスト教に改宗し、伝道者となります。それは今までの名誉と地位、生活を捨て去ることだけでなく、迫害していたキリスト者からは信じてもらえず、そして迫害される立場になることを意味します。パウロは20数年、各地をまわり、追われ、最後には捕まり、処刑されます。コリント人への第二の手紙は、パウロがコリント人への第一の手紙を書いたすぐ後,彼の教えに反する暴動がエペソで起こり(使徒19:23-41参照),パウロはマケドニヤへと逃れ、その地で書かれたものだとされています。

そのような状態にあって、パウロは言い続けます。「わたしたちは、見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは一時的で過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存在するからです」と語るのです。

私たちは、壮絶な人生を送ったパウロではありません。しかし、今を生きる者として、「見えないもの」を考えたいと思います。私は、「見えないもの」は、日々の生活の中にある、大切なものであり、それを通して、神様の愛が現れていると考えています。

2.「このゆびと〜まれ」

記念誌に掲載されていた文を紹介します。「私も赤ちゃんのころ、利用者のおばあさんによくだっこしてもらったり、あやしてもらっていたそうです。でも、実はそのおばあさんは重症の認知症だったそうですが、自分では「このゆび」に働きに来ていると思っていたそうで、そのころの写真を見ても、本当にかわいがってもらったんだなあと、ありがたい気持ちでいっぱいになります。」この文は、富山市立藤ノ木小学校5年岩本万由子が書いたものです。

この夏、私は、富山市にある「このゆびと〜まれ」を訪問しました。必要なときに誰でも利用できる「民営デイケアハウス」として、1993年にスタートし、1998年には県独自の補助金が交付され、「富山型デイサービス」を全国に先駆けて実践してきました。子どもも、お年よりも、障害者も、いろんな人がお互いに支え合いながら、地域の中で自分らしい暮らしを続けられるように、小規模であたたかい、「ふつうの日常生活」を大切にしています。そして、1.赤ちゃんからお年よりまで障害があっても無くても利用できる。2.断らない。3.障害者・ひきこもり・うつ病の人達などの働く場を提供する。4.活動は住宅街でし、町内の人達をまきこむ等の目標を掲げています。

私は、実際に「このゆびと〜まれ」活動を見て、2つのことを学びます。

3.私が学んだこと

  • 困難に直面して明日を見失った方の叫びに応えようとした
  • 一人ひとりのいのちが輝く居場所を提供した

①困難に直面して明日を見失った方の叫びに応えようとした

創設時の苦労は、並大抵のものでなはかったことを承知しています。日本赤十字病院に勤めていた3名の看護師がやめ、事業を始めた時には、「ばか・あほ・まぬけ」と言われたとのこと。しかし、彼女らの覚悟は強かったのです。「帰りたい」「畳の上でしにたい」と言いながら、様々な理由で病院や、転院先の老人病院で生活をし、自分の気持ちを押し殺す人、「早う迎えに来て下はれ」と天井に向かって手を合わせる人、病気の理由が十分わからないまま、退院を余儀なくされ、生きていく自信を失った若者等々の叫びを聞き続けてきました。

だからこそ、その人らしい人生を送ってほしいと、事業を始めたのでした。先ほどの文章を書いた5年生の岩本さんも、あまりにも病弱で、保育所に行けなかったため、一歳の時から「このゆびとーまれ」で育ててもらったそうです。

②一人ひとりのいのちが輝く居場所を提供した

そもそもいのちとは何でしょうか。聖路加病院の院長で昨年105歳で亡くなられた日野原重明先生は、いのちとは「自分が使える時間のこと」だと言われました。たとえば体の中のポンプ・心臓は、絶えず鼓動しています。これは、体で感じ、医学的には見える。しかし、「自分が使える時間」とは、日々生きていく時間。一人ひとりも他者のために、自分を活かす時間でもあります。 5年生の岩本さんは言います。「「このゆび」に来ていると、障害のある人もジロジロ見られたり、かわいそうになんて言われることもなくて、みんな自分でできることを精一杯やって「役に立っている」自分に自信をもって、いきいきと過ごしています。私は、障害があるから「かわいそうな人」なのではなく、「障害があってもがんばっている人」といっしょに過ごして、協力し合っていくことがお互いのために大事だと思います。

それぞれが、自分のいのちの時間を精一杯使って生きているのです。確かに、その人の姿は見えます。しかし、その人への理解、その人の人生への共感、互いに培かってきた信頼は、目では決して見えない。そこで生活する一人ひとりの当たり前の感謝も目では見えない。私は、「見えないもの」は、日々の生活の中にある、大切なものであり、それを通して、神様の愛が現れていると考えています。そして、「見えないもの」とは、私自身が、「見えていない」ものではないでしょうか。

パウロの言葉に再度立ち返ります。「わたしたちは、見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは一時的で過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存在するからです」。そして、「見えていないもの」を見極める力を絶えず養い、学んだこと、思い出を胸に、新たな旅立ちの時として頂きたいと思います。

Oさん、T君、T君、改めて、卒業おめでとう。

*富山市立藤ノ木小学校5年岩本万由子の原稿は、「このゆ〜びとまれ」の箇所に紹介されています。

愛と和解と平和・LOVE ORPHANS

2018年6月23日、「共生園設立90周年」記念式と国連「世界孤児の日」制定誓願「ニューヨーク世界大会」日本発足式が行われました。共生園とは、孤児の母と言われた田内千鶴子氏が、3,000人の孤児を育てた日本で言う「児童養護施設」で、息子でありユン先生が引き継いでおられます。また、ユン先生は、田内先生のお子さんで、また在日韓国人のために老人ホーム「故郷の家」を建て、たくさんの方々をお支えになられています。

ちなみに、ユン先生と私のとの出会いは、今から30年ほど前にさかのぼります。当時、日本キリスト教社会福祉学会の事務局をルーテル学院大学が引き受けていた私は、韓国からのお客様をお迎えする際にユン先生にお助け頂きました。それ以降、同学会を通してご指導頂き、私が同学会会長であった昨年の夏、国連孤児の日の制定に対する意見のとりまとめのご依頼を受けました。私は、阿部志郎先生を代表とする日本の児童福祉の推進者の方々にお願いし、文案の確認を頂き、作成しましたのが、以下の文書です。

今回の発足式でも、取りあげられていました。

感謝。

 

UN世界孤児の日」制定運動の趣旨に賛同いたします。

 

 世界のいたるところで、戦争や内紛、テロが起こり、たくさんの命が失われています。また、伝染病や環境の不衛生に起因する疾病、地震や大規模火災等の自然災害による被害で命を失ったたくさんの人々がおられます。経済危機による飢餓や極度の貧困の結果として起こる家族崩壊、地域崩壊の結果を合わせて、生活の危機に直面している人々は、莫大な数にのぼります。これは、特定の地域にとどまらず、国や、近隣諸国を包含し、世界規模で多くの市民も巻き込んで進んでいます。

 

 これらの結果、もっとも弱い状況にある子どもが、大きな被害を受けています。父、母や近親者等の今まで育てられていた家族を失い、貧困に陥り、また住む家を失い、生活の危機、心の危機、生命の危機に直面するなど基本的人権を保障されていない子どもの数は1億5千万人を超えるとする報告もあります。「子どもは、どの子も、神はまだ人間に失望していないというメッセージを携えて生まれてくる」とタゴールが言ったように、一人ひとりの存在の輝きを守ること、すなわち、「児童の権利に関する条約」第20条第1項に書かれているように、「一時的若しくは恒久的にその家庭環境を奪われた児童又は児童自身の最善の利益にかんがみその家庭環境にとどまることが認められない児童は、国が与える特別の保護及び援助を受ける権利を有する。」とされる子どもの権利を保障する取り組みが急務であると私たちは考えます。

 

 特に、一人で生きていくことがむずかしい子どもが置かれている状況を見ますと、前述の戦争等を要因とし、父母と死別、離別、もしくは虐待を受けて離れて生活する子どもの数は、増加している現状にあります。私たちは、決意をもって、そのようないわゆる「孤児」に対する支援を行うことが求められています。

 

歴史を振り返えりますと、「孤児の母」と言われた田内千鶴子(タウチチズコ)氏の取り組みから学ぶことができます。韓国で最も長い歴史を持つ孤児院である共生園は、1928年、敬虔なクリスチャンであったユン・チホ伝道師が、木浦の小川橋の下で寒さに震えている7人の孤児の子どもたちを発見し、家に連れてきて一緒に生活をしたことから始まりました。そして、ユン・チホ伝道師は、「孤児の母」と言われる日本人の田内千鶴子(タウチチズコ)女史と結婚し、二人で孤児の命と生活を守っていましたが、韓国戦が始まり、ユン・チホ伝道師は子どもの食料を求めて出かけていったまま行方不明になりました。田内千鶴子女史は、結局戻って来られなかった夫を待ちながら一人で共生園を守り、3000人の孤児を育てました。今なお「孤児の母」と呼ばれる田内千鶴子女史のこの犠牲的な人生は、国境や民族、言語を超えた愛でした。田内千鶴子女史の生前には願いがいくつかありましたが、それは、社会的な支えを通して孤児でなくなる世界、孤児たちが社会の各分野で働くことができる世界でした。

 

私たちは、田内千鶴子氏の精神を学び、以下の趣旨のもと、「UN孤児の日」制定運動に賛同します。

 

  • [原点]

私たちは、神から与えられた子ども一人ひとりに愛情を注ぎ、家族と死別、離別して一人となった「孤児」が受け入れられ、胸を張って堂々と生きることのできる環境を作る。

 

  • [協働]

現実に、世界各地で「孤児」の養育、支援に関わっているNGO、NPO、国、地方自治体等が協働して、「孤児」が置かれている現状とその要因を明らかにし、広く世界に発信するとともに、「孤児」となる要因の解決に取り組み、「孤児」への支援体制を強化する。

 

  • [新しい挑戦]

それぞれの子どもの個性、強み、弱み、環境が違うことを前提に、「孤児」を支援している個人、組織の叡智を集め、その専門的知識と援助技術に基づき支援の向上を図り、広く子ども支援のあり方を提案する。

 

  • [最善の利益]「孤児」の最善の利益を追求し、権利条約に記載された子どもの権利を、広く普及させる。

 

 聖書には「わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである」(マタイ福音書第25章第40節)とイエスの言葉が書かれています。私たちは、この声明によって、宗教や文化、言語、歴史が異なろうとも、子どもの誕生に「おめでとう」と言い、その成長の歩みを皆で見守り、支え、支援していく一つひとつの行動が広がっていくことを切に願っています。

 

                              2018年6月

 

代表 阿部志郎(神奈川県立保健福祉大学名誉学長

・横須賀基督教社会館名誉館長)

市川一宏(ルーテル学院大学学長)

                  遠藤久江(社会福祉法人二葉保育園理事長)

               岸川洋治(社会福祉法人横須賀基督教社会館館長)

             潮谷義子(社会福祉法人慈愛園理事長・前熊本県知事)

                        松原康雄(明治学院大学学長)

                  山崎美貴子(神奈川県立保健福祉大学顧問)

 

 

 

 

2018年度入学式

4月3日(火曜日)午後2時より、ルーテル学院大学礼拝堂において、2018年度入学式が執り行われました。3年前に厳しい状況に置かれた大学も、教職員、関係者の努力で回復し続け、本年は定員を満たすことになりました。たくさんの新入生を「90人に 90の物語」という本大学・大学院の教育の原点に立ち、育てていきたいと強く思っています。

私の入学式でのメッセージを掲載させて頂きます。12年間担っていました学長の役割を、4年ぶりに再度お引き受けすることになりました。謙虚、かつ誠実に責任を担っていきたいと思っています。

2018年度入学式

『希望は欺かない』

わたしたちは知っているのです。苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。希望はわたしたちを欺くことはありません。わたしたちに与えられた聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからです。(ロマ書5章3節から5節)

今日、ルーテル学院大学・大学院で新たな歩みを始める学生の皆さん、入学おめでとう。そしてご家族の皆様、おめでとうございます。今日は、新入生の皆さんへの私の期待を述べさせて頂きます。

チャプレンがお読みになったローマ書を書いたと言われているパウロは、今から2千年近く前、キリストの教えを述べ伝え、キリスト教の基礎を築いた人物です。この聖句の背景として、3つのことがあげられます。一つは、厳しい自然です。当時は、現在のように、飛行機や車等の交通手段がない時代にあって、昼は遮る物がなく暑い日差しに照らされ、また夜には寒さに震えながら道を移動していました。二つめは、パウロは敵対する人(ユダヤ人)たちによる迫害にさらされ、何度も、命を失う危機に直面していました。そして、伝えようとしたキリストの教えは容易に受け入れられなかった。三つめは、パウロがキリストの信仰を伝えたいという熱い思いをもっていたことです。だから、パウロは、希望を捨てようとはしなかった。

私たちは、しばしば、言葉を失い、失望のどん底に追いやられるような現実に出会います。

1.現実の苦難

私は、2011年3月11日に起こった東日本大震災の発生後まもなく、被災地を訪問して、その被害の大きさに言葉を失いました。今まであったはずの家がなくなり、土台だけが残っている。そこには、大切な家族、友人、そしてかけがえのない生活があったはずです。それが押し寄せてきた津波によって、根こそぎ奪われました。かつてあった家を見ながら、また一緒に過ごした子どもや孫が通っていた幼稚園や学校を見ながら、呆然と立ち尽くしていたたくさんの方々の後ろ姿を、私は忘れることができません。

2.諦めない地道な働き(忍耐は練達を)

しかし、今、支え、支え合いながら、歩みを始めたたくさんの人がおられます。私が学ばせて頂いている石巻市社会福祉協議会は、地域福祉コーディネーターを雇用し、日々、家や家族を失った方々が住まわれている仮設住宅を訪問し、その方々が孤立しないように悩みや生活の相談を受け、必要なサービスや援助につなげていきました。私は、この聖句の背景と共通点があると考えています。一つは自然の厳しさです。石巻市は普段、過ごしやすいのですが、冬には寒くなり、また強い風が吹く時があります。私は、強い風で体温が奪われ、凍えそうになる経験を何度もしました。そのような時は、道路の雪が固まり、氷となり、移動がとても危険な状態になります。第2に、地域福祉コーディネーターは、仮設住宅や、新たに建てられた(復興)住宅を訪問し続けました。しかし、地域福祉コーディネーター13名のうち半数以上は、北海道、近畿、四国、九州から来た若者です。自分が生活してきた地域から離れ、寂しさもあったのではないでしょうか。また方言や文化も違い、住民に受け入れて頂くことに本当に苦労したと思います。でも、彼らは働き続けました。なぜなら、彼らは、「市民の暮らしを支えていきたい」という気持ちをもって、応募した方々です。その強い思いが住民に伝わり、生活の再建に結びついていると思っています。

3.練達は希望を生み出す。

震災後7年を経過して、被災地では、明日を目指した「希望の働き」が生まれてきています。復興商店街ができ、その土地でとれる様々な物や、住民が作った工芸品が売られています。また地域で広がっている助け合い活動。保健医療福祉の専門職による支援も充実してきました。確かに、石巻市の復興はまだ道半ばですが、地域の民生委員児童委員、ボランティア、町会、社協、行政や専門機関の職員が、支え、支えあって、共に生きる社会をつくろうとしておられます。練達が、希望を生み出していると、確信しています。

4.希望は欺くことがない

今日の聖句に立ち戻ります。「わたしたちは知っているのです。苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。希望はわたしたちを欺くことはありません。わたしたちに与えられた聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからです」(ローマ書5章3節から5節)

確かに、すべての希望が叶えられるわけではありません。失った人や家は戻らないし、悲しみは決して癒えることはありません。しかし、それぞれが生きていく歩みから、私は学んでいます。希望を失わず、明日に向かって歩む一人ひとりの生き方がかけがえのなく、私が励まされています。

皆さん、ピョンチャンオリンピック、パラリンピックを思い出して下さい。羽生結弦(ゆずる)さんが、フィギアスケートで世界の頂点に立ちました。彼は、王者になったのです。しかし、その裾野には、日本だけでも数千人の選手がいたと言われています。

確かに勝者は1人で、その他の人は、競技で羽生さんに負けました。しかし、その他の人は、決して人生の敗北者ではない。ピョンチャンオリンピック、パラリンピックを目指した人それぞれに人生があり、それぞれの希望と夢が続いています。

思い出しませんか。NHKのピョンチャンオリンピックのテーマ曲、サザンカを。競技の結果が映し出され、同時に流れた歌を。「夢を追う君へ、思い出して くじけそうなら いつだって物語の主人公が立ち上がる限り 物語は続くんだ」。

応援して下さる人に感謝し、挑戦してきたことを誇りに、諦めず、夢や希望をもってこれからも歩んでいくからこそ、優勝できなかったという過去の事実は変わりらなくても、過去の意味が変わってくる。だから、希望は決して欺かないのです。

これから、皆さんはたくさんの人、出来事に出会い、時には喜び、時には涙することでしょう。90人には90の物語があります。本大学で、それぞれの物語を書き込んで頂きたい。そして、悲しみで前が見えなくなった時には、思い出してください。希望は欺かないのです。そのことを忘れず、皆さんには学生生活をスタートさせて頂きたい。

今日入学した一人ひとりのこれからの歩みを、私たちは、応援していきます。

ご入学、おめでとうございます。

2018年1月謹賀新年

三鷹市社会福祉協議会60周年記念大会にて表彰状を頂く

2,017年12月3日、三鷹市芸術文化センターにおいて、社協60周年記念会があり、表彰状を頂きました。表彰の理由は、当初からの社協地域福祉活動計画策定、三鷹市ファシリテーター研修、様々な案件に関する助言提言、副会長経験等をあげられていましたが、計画も和田敏明先生、山口麻衣先生、秋貞由美子先生が関わられていますし、計画の評価事業は福島喜代子先生が関わられてきました。またファシリテーター養成は、和田先生、秋貞先生、学内で行われているサロン「食で絆」も秋貞先生が中心に行われてきました。その意味で、皆さんを代表して、表彰されたと思います。(ファシリテーター研修は、一人ぐらし高齢者宅などを訪問して話を聴く傾聴ボランティア、自らが住む地域を大切に思い、地域の課題発見や、福祉活動の企画、様々な住民や当事者の力を活用し、地域ケアネットワークの活動をサポートする住民の活動者である地域福祉ファシリテーターの養成プログラムです。小金井市・三鷹市・武蔵野市の行政、社協、大学が協働で運営しています)

写真右は社協会長、左は、社協理事で、本学の地域福祉開発コース主任の我が大学の山口先生です。

現在、私は、65歳になりました。大学に勤めて、34年目になります。この間、たくさんの卒業生が大学・大学院から巣立っていきました。卒業生は大学のブランドです。また、今まで、住民、民生委員児童委員、ボランティア、社協、行政、社会福祉法人、NPO等の様々な方々と社会福祉、地域福祉の推進に取り組み、一緒に汗をかき、教えて頂いてきました。私は、これらの方々や、困難に直面する人を支援している方々をお支えする仕事ができたならば、本望と思っています。そのような現役最後の人生を生きていきたいと願っています。

私にとって学びの多い練馬パワーアップカレッジ

練馬パワーアップカレッジの入学者は、第10期を迎えました。この間、たくさんの方々が学び、巣立っていかれました。そのお一人おひとりの存在が、働きが、練馬区の宝であると確信しています。

日本ソーシャルワーク教育学校連盟設立総会

2017年5月27日、日本社会福祉教育学校連盟、日本社会福祉士養成校協会、日本精神保健福祉士養成校協会が合併した日本ソーシャルワーク教育学校連盟が創設されました。これは、長年、多くの方が願っていた教育の統合であり、「ソーシャルワーク教育学校に課せられた社会的使命に鑑み、ソーシャルワーク教育の内容充実及び振興を図るとともに、ソーシャルワーク及び社会福祉に関する研究開発と知識の普及も努め、もって福祉の増進に寄与することを目的としています。」

ソーシャルワーク教育は、現代社会にあって、その重要性がますます高まっています。この大同団結を契機に、多くの方々の理解を得て、困難にある方々を支援し、また顕在化しているさまざまな生活問題を予防するためにも、求められるソーシャルワーカーを一人でも多く育成し、社会に輩出していくことを決意した時でした。

新会長の白澤政和氏の挨拶

2017年度浦和ルーテル学院入学式

2017年4月7日、浦和ルーテル学院の入学式が行われました。同学院は、心の教育とキリスト教教育、国際交流と英語教育、きめ細かな教育と12年一貫教育という、他の学校では学べない機会を提供しています。私は、教育の本道を歩み、経済的利益のみを優先する現代社会において希有の存在である同学院のことを、少しでも多くの方に知って頂きたく思っています。

光栄にも、全校生徒にお話をする機会を頂きました。小学校1年生等もおり、生徒の状況を見て、話の内容を決めていきますので、原稿通りお話することはまずありません。そのことを前提に、原本となる原稿を掲載します。

When You Wish Upon a Star(星に願いを)

今日、入学した学生の皆さん、そして保護者の皆さん、ご入学おめでとうございます。私は、今日、新たなスタートを始める方々に、星というテーマでお祝いの言葉を差し上げさせて頂きます。

新入生の皆さんは、ディズニーのアニメ「ピノキオ」を観たことがありますか。主人公のピノキオは、人形でしたが、天使に命を与えられ、いろいろな経験をしていきます。そして、サーカスで鳥かごに閉じ込められた時などの、自分が本当に辛い時に、妖精が現れました。その時に流れた歌が、When You Wish Upon a Star(星に願いを)という歌です。

「星に願いを懸けるとき 誰だって 心を込めて望むなら きっと願いは叶うでしょう」(訳詞:聖ひかる)

星は、明るい都市よりも、人工の光が少ない場所で良く見えます。寒い時ほど、夜空が澄んで、きれいな星が輝いています。

私は、2011年3月11日に起こった東日本大震災以来、宮城県石巻市という被災地に行き、働きの場を与えられています。感謝しています。ただ、悲しいことですが、多く家が流されたところもあります。その地で、寒く、そして天候が良い時に、たくさんの星が見えます。私は、その星の一つひとつに、今まで気がついていなかった意味があったのではないかと思っています。

一つは、ありがとうと言う「感謝の星」です。今まで当たり前に思っていたことが、大切なことであったことが分かる。自分のことを大切に思い、支えてくれていた家族や友人を覚え、普段の生活の大切さと意味を知る。だから、感謝が生まれる。

二つめの星は、「希望の星」です。今をスタートに、あらたな生活を築こうとする働きが、たくさんの地域で生まれています。また、希望を失った方々に、たくさんのソーシャルワーカーが、希望を届けています。

三つめの星は、「目指す目標となる星」です。自分が目指す明日を描くこと。自分なりの目標をもつこと。100人いれば、100通りの目標があると思います。

時には夜空を見上げ、ありがとうと言う「感謝の星」、「希望の星」、「目標となる星」を見つめ、一日一日を大切にして下さい。

ご入学おめでとうございます。

 

ルーテル学院大学に33年ー学生の成長に感謝

2016年、私は、ルーテル学院大学に勤めて33年目になります。

この間、感謝したいことはたくさんありますが、中でも、学生が成長する姿を見て、その一人ひとりの力に敬服することばかり。今回も、感謝の

大学では、毎日の礼拝で、学生がメッセージを述べます。4年の女子学生は、メッセージの途中、お世話をしていた高齢の女性のことを思い出し、涙を流しました。このような学生を教えていることに感謝したいと再度思いました。

<スピーチ>

「私が体験したアルバイトでの出来事をお話ししたと思います。私は、高齢分野の訪問介護のアルバイトを大学2年生の9月から現在まで行っています。なぜ訪問介護のアルバイトをしたかというと、ヘルパー二級という資格を持っていたし、なにより時給がよく、身体介護の時給は1800円です。私は、資格を取得し、初めての福祉の現場でしたので、当時は、おむつ交換などの介護技術のことに頭がいっぱいで利用者さんにまで目を向ける事が出来ていませんでした。

そんな時、ある認知症の利用者さんの身体介護を担当する事になりました。初めてお会いした時、とっても元気でお綺麗な方といった印象を受けました。その利用者さんは、私が暖かいタオルで体を拭くと「あぁ、気持ちがよいわ」「あなたはいつも体を拭いてくれるわね」「ありがとう」といつもそう言いました。とても嬉しく、このアルバイトをしてよかったと心の底から感じました。そして、その利用者さんのお宅を訪問するのが楽しみになっていきました。今まで、介護技術のことしか頭になかった自分にとって、その利用者さんからの言葉は、自分が行う介護や業務の役割は、その利用者さんにとってかけがえのない事なのだと認識させました。それからは、業務内容や技術の事だけではなく、利用者さんとのコミュニケーションの時間を大切にし、利用者さんにとっての介護とは何か、それはどうあるべきなのか考えるようになりました。

利用者さんとの関わりの中で、時間が経過するにつれ、関係性も深まっていきました。しかしながらそれと同時に、利用者さんの身体能力も衰退し、結果的にベットに寝たきりになってしまいました。食事もあまり取ることが出来ず、日に日にやせ細ってしまっている事を感じていました。寝ている姿や呼吸をすることでさえ苦しそうでした。その様な中でも、温かいタオルで背中を拭くと今まで通り「あったかい」と私に伝え、感謝の気持ちを述べて下さいました。ある日、いつものように訪問しベットに向かうと様子が少し変でした。声をかけても返事はなく、そこで亡くなっている事に気が付きました。いつかはこの日が来ると予想はできていたと思います。しかし、いざその日が訪れると、受け入れる事が出来ず頭の中が真っ白になりました。上司に連絡をしまっている10分の間、とても長く感じました。利用者さんの死から一週間は、悲しみと寂しさしか感じる事が出来ませんでした。

けれど、利用者さんの死を経験し、自分の福祉職に対するイメージや認識が変わりました。今までは、誰にだってできる、日の当たらない地味な仕事だと感じることがありました。しかし、福祉に携わる仕事というのは、利用者さんの人生に、携わることに等しく、自分自身の役割は利用者さんの人生にとって重要な役割を担っていて、利用者さんの人生に深くかかわる仕事なのだと感じました。そして何より、今回その利用者さんを、看取ることが出来、最後まで利用者さんに寄り添うことができたと思います。介護は誰にでもできるかもしれないけど、自分にしかできない関わりや援助があるかもしれない。社会的に日の当たらない職業かもしれないけれど、利用者さんから日の光を感じ、自分が利用者さんを照らせるような関係性を作れることを実感しました。今日お読みした聖書の箇所に、「はっきり言っておく、私の兄弟である最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである」とのイエスさまの言葉がありました。小さな者への小さな行為でもイエス様は喜ばれることだと思います。実際に私もその利用者さんとの関わりを通して学びました。大切な働きに関わらせて頂いたことを深く感謝しています。」

今度、女子学生に学内で会った時には、再び、ありがとうと言おう。