教会関連
東日本大震災ルーテル教会救援「となりびと」の支援活動時に、大変お世話になりました市川一宏先生のご依頼を受け、現在、医療・福祉現場で新型コロナウイルスの対応に苦労されている方々に、震災10年を覚えて、ショートメッセージをお送りします。
今年3月11日、東日本大震災から10年を迎えました。その10年を前にして先月には、大きな余震がその被災地を襲いました。幸いにも「となりびと」で支援した方々には物理的な被害はありませんでしたが、その精神的な痛手は私たちの想像を超えるものでした。
宮城県では、この震災で亡くなられた方々に追悼の意を表し、震災の記憶を風化させることなく後世に伝えるとともに、震災からの復興を誓う日として毎年3月11日を「みやぎ鎮魂の日」とし、亡くなられた方々を追悼するため、震災の発生時刻である午後2時46分に黙祷を捧げられれるよう呼びかけられます。特に今年は特設サイト『東日本大震災10年オンライン行事 あの日を学びに10年目に伝えあう』が開設されています。
先日、その10年を前にして、「となりびと」で支援をしていたわかめ養殖をされていた方から、三陸の春の便りである「めかぶ」が今年も届きました。この方は震災時に義理のお姉さんと甥を津波で亡くされ、わかめ養殖のための漁具もすべて流されてしまいました。そんな時に「となりびと」の支援が始まりました。その後、わかめ養殖は再開されましたが、その働き手であった旦那さんが、震災後の心労などにより突然、旅立たれたのです。しかし、その後、毎年送られてくる「めかぶ」などの宅急便には、その旦那さんの名前とその方の名前が並んで印刷されています。それは、彼女にとって、今も旦那さんがいつも一緒にいてもこの震災後の10年も共に歩んできた証なのです。
被災地の方々は、この10年、彼女と同じような思いで過ごしてきたことだと思います。そして、私たちもこの10年、被災地のことを覚えてきました。その証が、「ルーテルとなりびと」http://lutheran-tonaribito.blogspot.com/のブログのアクセス数です。その数は、2021年3月10日現在で375,011ページビューとなっています。
教会の暦では、今、私たちひとり一人の罪を贖われるために十字架へ向かわれるイエスさまを覚える四旬節に入っていますが、その第2主日(2月28日)の日課(創世記)には次のように記されていました。
「わたしは、わたしとあなたたちならびにすべての生き物、すべて肉なるものとの間に立てた契約に心を留める。水が洪水となって、肉なるものをすべて滅ぼすことは決してない。雲の中に虹が現れると、わたしはそれを見て、神と地上のすべての生き物、すべて肉なるものとの間に立てた永遠の契約に心を留める」
私は、その「虹」が、津波によって84名が一度に召された石巻市立大川小学校旧校舎にかかった姿に一度だけ「となりびと」の活動中に出会い、この聖句を思い浮かべました。そして、この神さまの契約が守られるよう祈ったのです。
今、私たちは新型コロナウイルスによって、東日本大震災のように未曽有の大災害に見舞われています。特に、医療現場や福祉現場などで働かれているエッセンシャルワーカーと呼ばれる方々の苦労は図りしれないものがあると思います。
しかし、イエスさまはマタイによる福音書の最後で、その苦労されている方、お一人お一人に次のように言ってくださいます。
「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」
私たちはこれからもこのみ言葉を信じ、被災された方々と新型コロナウイルスで苦しんでいる方々のことを覚え、一日も早い、新型コロナウイルスの感染終息を祈りたいと思います。
みのり・岡崎教会牧師 野口勝彦(元東日本大震災ルーテル教会救援派遣牧師)
投稿日 21年03月10日[水] 4:18 PM | カテゴリー: カテゴリ無し,共助社会づくり,大学関連,希望ある明日に向かってメッセージ,教会関連,災害支援
5年前、熊本地震にあたって教会で私的避難所を運営することになりました。この時、最大40人以上もおられた避難者さんたちの全員が短期間で生活自立を果たし、避難所は45日間で完全解消をなしとげることが出来ました。多くの公的避難所が、避難者さんを別の避難所に移動させ、統合によって避難所を閉鎖していったのに対して、この教会避難所では、避難者さんの全員が、自分の元の住まいを整備するか新しい住まいを確保することによって避難所を「卒業」していかれたのです。避難者さんたちの中には、妊婦さんや高齢者、母子家庭、障がいを持つ方々や外国籍の方など、社会的に困難さを抱えておられる方が多かったことを思えば、びっくりするような短期間での完全解消でした。その秘密は、教会避難所みんなが囲んだ食卓にありました。この避難所では、地域の被災者さんも教会員の被災者や支援者さんも、またボランティアの人たちも、毎食ともに教会のテーブルを囲んで、食卓をともにし続けたのです。食卓をともにすることによって、お互いに不安や心配事をわかちあい、慰めや励ましを受け、相談を受けたり相談に乗ってあげたりしながら、みんなそこで力を得て生活を再建していかれたのでした。その様子を間近に経験させていただきながら、これこそイエスさまの食卓につらなるわかちあいの食卓であるとの思いを強くしました。
聖書の中に、イエスさまと敵対するユダヤ教の指導者たちが、「あなたの弟子たちは手を洗わずに食事をしている」といってイエスさまを非難する場面が出てきます。当時のユダヤ教は、律法を守らない外国人をケガレた存在だと見なしていました。そのため、宗教的な清めの手続きとして手を洗うことを行わなければケガレが食卓に持ち込まれてしまう、と考えたのです。このように、立場の異なる人たちを自分たちの食卓から排除するために律法を用いていくユダヤ教の習慣を、イエスさまは大胆に批判なさいました。「外から人の体に入るもので人を汚すことができるものは何も」ない(マルコ7:15)。むしろ多様な人たちと食事をともにすることによってこそ、わたしたちは理解しあい、支えあう共同体を育んでいくことができるのだ。イエスさまはそのことを、ご自身のまわりに集われる多様な人たちとのわかちあいの食卓によって、身をもって示され続けたのでした。今日のキリスト教会もまた、このイエスさまの食卓の伝統につらなっていることを思います。
ところが昨年来、わたしたちは新型感染症に苦しめられ、食卓を通して励ましあったり、力づけあうことを著しく制限されるようになりました。ともに食卓を囲む場面での会話は、最も避けるべきことだとされてしまいました。礼拝においても、被災地を初めとするさまざまな支援の活動においても、共に食べることを活動の基礎においてきた教会にとっては、本当にもどかしい日々。これまでイエスさまの食卓をわかちあうことによって力をいただいてきたわたしたちは、どのようにこれを越えていけるのか、新しいチャレンジの前に立たされています。思考停止に陥ってフリーズしてしまうのではなく、ウイルスなど怖くないと蛮勇に走るのでもなく、なによりイエスさまが、こうした壁の前に立ってそれを乗り越えて前にすすまれたことを思い起こしたいと思います。
3月上旬。北国では、地面を覆っていた分厚い雪がとけ、少しずつ庭の黒土が顔を見せはじめました。そこでは雪がとけはじめたばかりというのに、すでに小さな緑の草花が芽吹いています。草花も雪の下で時を待っていたのです。あの東北大震災から10年。街も人も、復興は一気にではなく少しずつしかすすみません。新型感染症の影響下、出来ることは限られるかもしれません。それでもわたしたちは、少しずつ前にすすむことが出来る。出来ないからあゆみを止めるのではなく、出来ることから、そして出来る時を待ちつつ力を蓄えながら、多様な者がその場を通して力づけあう共同体を育んでいく。それぞれの場でともにつながりあいながら、そんなイエスさまのわかちあいの食卓を再び興していきたいと願います。
小泉基 (コイズミモトイ 日本福音ルーテル函館教会牧師)
ちなみに、4月中旬、『わかちあいの食卓 熊本地震・教会避難所45日』が、かんよう出版から発行予定だそうです。
投稿日 21年03月08日[月] 3:18 PM | カテゴリー: カテゴリ無し,共助社会づくり,大学関連,希望ある明日に向かってメッセージ,教会関連,災害支援
東日本大震災から10年目をむかえます。私たちの周りでは、この10年で次から次と災害が起こりました。その度に支援活動がおこなわれ、ボランティアが活動し「寄り添い」を実践してきました。今日も熊本球磨村では支援活動が継続されています。コロナ禍の状況のため、いまも泥出し作業が行われています。臨床宗教師のお坊さん仲間が重機の免許を取り、動かし土木作業をしながらそこに生きる人々の命に寄り添っておられます。コロナ禍で働く皆さんと同じように。
3月8日~12日、宮城県石巻・南三陸に行ってきます。10年目の今年、再び現場の苦しみに伊藤文雄牧師と共に身を置いてきます。9日は南三陸の海辺から防災センターへ宗教宗派を超えて追悼行脚をします。それぞれの宗教が自分たちの祈りを唱えながら歩きます。あの時、何もできず泣きながら歩いたことを思い出します。本当につらかった。死臭漂う中に立たされ、祈るしかなかった。宗教宗派など関係なく、ただひたすら雪の降る中、夢中で祈りながら歩きました。宗教者として痛み苦しみのど真ん中に身を置かされた出来事でした。「現場から逃げずに踏みとどまれ。苦しむ人々と共にいろ」。それしかできなかった。しかし「神仏はまさにそこにおられる」出来事でした。その痛み苦しみの現場とのつながりが10年経ったいまもあります。
先週、宮城石巻十三浜から生わかめ、メカブが送られてきました。生ワカメは今の季節のみです。早く食べないと悪くなる。それでも取れたてを送ってくださいました。もう8年目です。「復興したら一番にとれたワカメ送るっちゃね」との約束通り。今年もまた届きました。このワカメをいま私の周りにいる皆さんに食べていただけることが幸いです。このつながりの原点を、ワカメを食べるたびに思い返します。それが「寄り添い」です。
あのとき現場の苦しみから逃げず、そこに必死に踏みとどまった。いやそれしかできなかった。祈りつつ現場の苦しみに身を置いて。十字架の主がそこにおられるから。現場の命に寄り添っておられる方にエールを送ります。あなたの横には必ず神様がいてくださる。祈ってます。
日本福音ルーテル広島教会 牧師 立野泰博
投稿日 9:52 AM | カテゴリー: カテゴリ無し,共助社会づくり,大学関連,希望ある明日に向かってメッセージ,教会関連,災害支援
新型コロナウイルスはすべての人の生活に影響を与えています。こ れまでできていたことや、やりたいたいことができなくなる、いま までの生活様式を変える、いままでの仕事の仕方を変える、人との 距離をとる、人との関わり方を変える、人と関わらない・・・とさ まざまな「変える」「変わる」を今まさに経験しています。新型コ ロナウイルスに「感染しないため」に。
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先日、以下のような話をとある大学の先生から伺いました。
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「私のすんでいる地域はいわゆる“田舎”です。先日、母子家庭のお 母さんが新型ウイルスに感染しました。お母さんと高校生の娘の世 帯です。それまでその地域では新型コロナ感染者は出ていなかった のですが、このお母さんが感染したことによって起こったこ と・・・それは「うわさ」による地域からの差別・排除でした。 “田舎”に暮らしたことがあればわかると思いますが、住民の間では 『どこどこの誰々さんはどんな仕事をしていて、子どもはどこの学 校に行っていて・・・』とプライバシーが住民の間ですぐに共有さ れてしまいます。うわさも含めて。結局、その母子はその地域で暮らしていくことができなくなり、 引っ越しを余儀なくされました。」
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この話を聞いたとき、とても大きな衝撃・悲しさとともに、地域に 暮らす人びとの「恐さ」に、私たち福祉に携わる人間は目をそらし てはいけないと思いました。そもそも感染してしまったことは罪なのでしょうか。私たち(ソーシャルワーク専門職養成教育界隈)はこれまで、「地 域」や「地域住民」像をキラキラしたきれいで理想的な一面だけを 切り取って伝え過ぎていやしないか・・・(自戒の念です)
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いま、「地域共生社会」という政府の政策理念のもとで社会福祉士 等の国家資格養成教育の内容も見直されることとなりましたが、 ソーシャルワーク専門職の養成に携わる人間は、国の政策理念がど うであれ、すべての人が持っている「個」を大切にし、多様性を認 め、「社会的つながりが弱い人」「つながることができない人」 「つながりたくない人」「つなぎたい人」などいろんな考え方の人 たちがいることを認めた上で「共生」を考えなければならないと思 います。そして、社会で弱い立場にある人が差別(うわさ)され、 抑圧(いやがらせ)され、排除(引越し)される状況を良しとせ ず、変えようとするソーシャルワーカーを育てなければならないと 思っています。このスタンスは「変えてはならない」「変わっては ならない」ものでしょう。
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新型コロナウイルスを正しく恐れる事はとても大事なことですが、 もっと恐れるべき「こと」が起こっています。それはソーシャル ワーク専門職養成にとって極めて重要なイシューであること、そし て私たち福祉に関わる人間はこのイシューにもっと敏感にならなく てはなりません。そのために私もがんばろうと思います。
小森 敦/日本ソーシャルワーク教育学校連盟事務局(日本ルーテル教団北見教会と繋がりのある方です:市川より)
投稿日 20年09月30日[水] 6:38 PM | カテゴリー: カテゴリ無し,共助社会づくり,大学関連,教会関連,社会福祉関連
4月のことでした。教え子の一人からメールがありました。その内容は、「同級生M君と奥さん、そしてお母さんが新型コロナウイルスに感染で闘病中。激励のメッセージを」という衝撃的なものでした。
励ましのメールにしばらくしてM君から返事がありました。そのメールでM君は、闘病生活の苦しさ。進行に伴い意識も朦朧となりさらに呼吸困難に陥り人工呼吸器も装着し死も覚悟したこと。今は皆の励ましを支えに快方に向かっていること等を伝えてくれました。幸いにもその後、本人、奥さんさらにお母さんも回復できました。
彼は飲食店を家族で経営したこともあり、新型コロナウイルス感染拡大の関係で経営も苦しい状況に追い打ちをかける感染でした。精神的にも肉体的にも本当に苦しい状況だったようです。でもメールでは思いがけないことも伝えてくれました。私が「いつも祈っています」と付け加えていたことに対し、「お伝えしていなかったのですが、実は私はルーテル神水教会で洗礼を受けたのです」と。そして闘病中の苦しみの中で、神さまに何回も祈ったことも伝えてくれました。本当に驚きましたし、神さまに感謝しました。
その後しばらくして地元の新聞に彼の記事が出ました。「感染者は語る~コロナとの闘い」というその記事で、彼は自分や家族の45日間にわたる闘病生活についてすべてを語っていました。もちろん闘病の大変さ。家族の苦しみと支え。特に献身的に支えてもらった医療関係者の方々の働きとそのことへの感謝。また保健所の感染拡大を防ぎたいとの求めに応じ、家族で相談し店名を公表。そのことに対するいわれのない差別と多くの人からの激励。そして店名公表の記事を見たある中学教諭の求めに応じ、死を覚悟するほど重症化し、差別の現実を突きつけられた自分の話を動画でその中学の生徒たちに伝えたのです。こうしたことについての理由を次のように語っています。
「私が店名を公表したのは、この感染症の恐ろしさを伝えると同時に、患者や医療関係者などへのいわれのない差別を減らしたかった。特に入院中、看護師がふと『自分がどこで働いているかは外では言わない』と涙をみせたことがショックでした。でもこうして回復できた陰に『病院の威信をかけても治す』と献身的に治療に当たってくれた医師や看護師さんたちの存在があること。だからこそその方々への感謝も伝えたい」と。
実は、ニューヨークで献身的な働きをされているルーテル学院大学の卒業生の方の記事を読みながら、身近かにいるM君とその家族を支えた医療関係者の方々のことを重ね合わせていました。
故徳永徹福岡女学院元院長の座右の銘で、「凛として 花一輪」という言葉があります。徳永先生によると、この「花」は野山に咲く「野の花」だそうです。だからこの言葉は「野の花一輪、心ない人には踏みつけられるが、心ある人には喜ばれる。そういう毅然とした人でありたい」という意味なのです。さらに徳永先生はこうも書いておられます。「花は、人に見られるために咲くのではありません。花にもし使命があるとすれば、それは自分らしく咲くことなのです」と。
それぞれの場所で「地の塩」として働いておられるルーテル学院大学の卒業生の皆さん、そしてそこを目指した学びを続けている学生の皆さん。それぞれの働きを神さまが見守り支えて頂いていることを、希望を持って受け取り、一歩一歩歩いていかれるようお祈りします。
内村公春
(現九州ルーテル学院院長・ルーテル学院中高等学校校長、前九州学院校長)
投稿日 20年08月27日[木] 10:51 PM | カテゴリー: カテゴリ無し,共助社会づくり,大学関連,希望ある明日に向かってメッセージ,教会関連
熊本からのメッセージ
九州学院 副院長・チャプレン 小副川 幸孝
忠実な良い僕だ。よくやった。お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ。
-マタイによる福音書25章21節-
わたしが住む熊本は2016年4月に2度にわたる大きな地震に見舞われ、ようやく震災から立ち直りかけた2020年に新型コロナウイルスの感染症の拡大と7月の豪雨による水害に見舞われました。いわば三重苦、四重苦の中に置かれています。このところ年々大きくなる自然災害で喪失感と絶望的気分はひどくなりますが、今回の新型コロナウイルスの感染拡大は、中国からまたたくまに世界中に広がり、有効な治癒薬がないままに、現在もなお世界的な広がりを見せています。
人類は、有史以来これまでも、様々な感染症を度々経験してきました。しかし、社会活動のグローバル化が進み、複雑な社会構造を形成した現代社会の中での感染拡大となりましたので、これまでの日常生活の形態の多くが制限され、経済構造や社会行動様式を変化せざるを得なくなり、多くの不安や心配が渦巻いているのが現状です。
わたしが奉職しています学校も熊本地震で校舎のほとんどが被災し、今回の球磨地方の水害でも数人の生徒の家屋が浸水被害にあいました。また入学式や始業式をインターネットを用いた分散型で行ったり、遠隔授業などもしたりしましたが、長期の休校処置をとらざるを得なくなり、ようやく6月から再開するという事態になりました。教育現場としての学校教育の在り方も変化せざるを得ないだろうと思っています。
かつて14世紀から17世紀にかけて西欧中に広がったペストは、死者が1億人を超えたと言われ、北里柴三郎らがペスト菌を発見するまで「黒死病」として恐れられました。町や村が全滅するという事態にまで至ったことはよく知られています。しかし、その時、ある医者が「ペストに対する戦いの唯一の手段は、誠実であることだ。誠実に自分のできることをすることだ」と語ったと記されています。
このような事態の中で、「小さなことでも自分にできることを誠実にしていく」というのは、聖書が示す大事な在り方だろうと思います。イエスは、与えられたものを有効に用いた人に「忠実な良い僕だ。よくやった。お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ」と語られています。災害からの復興でも感染症への対策でも、あらゆる場面で、自分にできることを誠実に行うこと。そのとき「よくやった。主人と一緒に喜んでくれ」と神が祝福されることを覚えて過ごしたいと思います。
当時の日本ルーテル神学大学編入・1979年日本ルーテル神学校卒業
投稿日 20年08月05日[水] 3:43 PM | カテゴリー: カテゴリ無し,共助社会づくり,大学関連,希望ある明日に向かってメッセージ,教会関連
facebookで友人から後輩の彼女の状況を知って、身近な人の危機に心が震えました。
次第に先生のブログで状況が細かく知らされるうちに、懸命に活動する彼女の様子に私も励まされていきました。ふと学生時代のほんわかとして穏やかな笑顔の彼女のことを思い出して、内に秘めた信念の人だったんだと改めて感じました。
ルーテルを卒業してから、北海道から大阪、神戸へ。夫と共に教会にお仕えし、関西で10年過ぎました。今回の新型コロナで、70から90歳までの信者さんの多い教会のため、残念ながらイースターから休止状態になりました。情報弱者の高齢の方々の心と魂のケアに出来るだけ心砕いています。
ニュースで福祉、医療関係の施設の集団感染の情報が出るたびに、ルーテルの友人たちの顔が目に浮かびました。第一線で働く彼ら、彼女たちは本当に私の誇りです。
「他者のために」日々邁進している友人たちに、心からのエールを送ります。
共に希望ある明日向かって歩みましょう! okadon
投稿日 20年05月07日[木] 9:21 AM | カテゴリー: カテゴリ無し,共助社会づくり,大学関連,希望ある明日に向かってメッセージ,教会関連,社会福祉関連
2019年8月21日、ルーテル学院大学において、ルーテル社会福祉教会の総会が行われ、「キリスト教社会福祉教育の挑戦〜ルーテル学院大学における36年を通して」というテーマの講演をお引き受けした。本資料は、その内容である。
同協会に属する社会福祉法人<東京都>東京老人ホーム(高齢者)・ベタニアホーム(母子ホーム、保育園)、<千葉県>千葉ベタニアホーム(母子ホーム、保育園)、<静岡県>デンマーク牧場福祉会(高齢者、児童養護、精神診療所)、<大阪府>るうてるホーム(高齢者)、<北九州市>光の子会(児童養護ほか)、<大分県>別府平和園(児童養護)、<熊本県>慈愛園(乳児、児童養護、高齢者、障害児・者、保育園) 、キリスト教児童福祉会(児童養護ほか)、NPO法人 キ
私は、ルーテル社会福祉協会を構成する社会福祉法人、NPO法人すべてを訪問することができました。各法人の歩みと現在の事業・活動内容は、るうてる法人会連合編『未来を愛する希望を生きる』(人間と歴史社)にまとめられています。
また、私は40数年間、いくつもの計画策定に関わらせて頂きました。そしてこの20年ほど、孤立、虐待、貧困などのたくさんの問題が顕在化してきていると思っています。ものすごく社会がゆがんでいると考えています。そして、他人事ではありません。自分自身も、今後、孤立の問題と直面するかもしれない。その現実に、キリスト教主義の施設やキリスト教社会福祉がどのように関わっていくかが問われているのです。その挑戦は、各法人の創設時と共通していると思います。すなわち、福祉制度がない時代に、また福祉利用者に対する偏見が色濃くあった時代に、先人の方々が支援を立ち上げた苦労を、私たちは共有することができると考えています。
1.今の地域社会を考える
2025年には団塊の世代の方々が後期高齢者になられます。しかも、家族の扶助機能の脆弱化に伴い、高齢者世帯の7割を一人暮らしまたは高齢者世帯が占めるようになり、介護を要する人に介護する家族はいないという現実が広がると予想されます。
しかし、2025年問題は、実はすでに大都市で起こっています。高度経済成長が始まった1960年代に都市に就職してこられた若者が、工業団地等の集合住宅に住み、そして今、多くの入居者が高齢者となっています。団地自体が急激に高齢化し、孤立の問題に直面しているのです。
2009年の『閉じこもり予防・支援マニュアル (改訂版)』(厚生労働省)によると、「閉じこもり」をもたらす要因は、「身体的要因」(身体的老化など)、「心理的要因」(不安)、「社会環境的要因」(物理的バリア、定年などによる社会的役割の喪失)があり、相互に関連して、多くの高齢者を孤立状態に追いやっていくとされています。
また、今日増加している虐待も、「保護者側のリスク要因」(医療につながっていない精神障害、知的障害、慢性疾患、アルコール依存、薬物依存、そして被虐待経験)、「子ども側のリスク要因」(子育て負担のある乳児)、そして「養育環境リスク要因」(親族や地域社会から孤立した家庭、経済不安、貧困など)が相互に関係して生み出されています。そもそも子どもは、虐待を受けるために生まれてきたのではない。神様から祝福されて生まれてきた。だから、皆、「おめでとう」と言われて祝福される存在である。この原点を見失ってはいけません。
さらに、生活困窮者を取り巻く問題としては、8050問題があります。長く引きこもりを続けてきた50歳代の子どもが80歳代の親と生活している。子どもには収入がなく、したがって年金などの社会保障を受ける権利もなく、両親が亡くなると経済的問題に直面します。また、今日、生活困窮者になりやすい不安定就労の方々、家にひきこもる方々が増加しています。孤立、虐待、そして貧困が大きな社会問題となっていることを認識する必要があります。
2.社会福祉制度の動向
まず、介護保険制度についてお話をします。たとえば、孤立すると高齢者の心身の機能は低下し、要介護状態になっていく。さらに認知症が進むと徘徊や見当識障害が深刻化し、介護する家族が疲れ切ってしまうというような悪循環が起こってくる。これに対応するためにも、それぞれの地域の実情に合った医療・介護・予防・住まい・生活支援が一体的に提供される「地域包括ケアシステム」が提案されています。特に、生活支援は、介護予防と結びついて、高齢者自身の社会参加を促すとともに、地域サロン・見守り・外出など支援という住民などがボランティアとして行っていた活動を介護保険制度に組み込むものです。すなわち、「地域福祉の制度化」が進められています。さらに、同システムは、自立支援、重度化防止に重点に置いています。それは、単に医療保健システムを強化するだけでなく、「地域共生社会」を目指した取り組みであり、孤立した高齢者、介護家族が住民として地域でできるだけ自立して生きていくことができる地域社会を作る実践が高齢者福祉施策において重要とされています。
また、児童福祉分野では、2011年の『社会的養護の課題と将来像児童養護施設等の社会的養護の課題に関する検討委員会・社会保障審議会児童部会社会的養護専門委員会とりまとめ』において、社会的養護の基本的方向として、①家庭的養護の推進、②専門的ケアの充実、③自立支援の充実とともに、④家族支援・地域支援の充実があげられ、「施設は、虐待の発生予防、早期発見から、施設や里親などによる保護、養育、回復、家庭復帰や社会的自立という一連のプロセスを、地域の中で継続的に支援していく視点を持ち、関係行政機関、教育機関、施設、里親、子育て支援組織、市民団体などと連携しながら、地域の社会的養護の拠点としての役割を担っていく必要がある。」としています。すなわち、地域における協働が提案されています。この基本的考え方は、2017年に厚生労働省雇用均など・児童家庭局家庭福祉課より出された『社会的養護の推進に向けて』に継承されていると思います。
さらに近年、社会福祉法が改正され、社会福祉法人に、法律上、地域における公益的事業を行うことが義務づけられています。公益的事業とは、地域における居場所(サロン)、活動場所の提供などを通じた地域課題の把握や地域づくりに関する取り組み、住民ボランティアの育成などであり、すでに皆さんがなさっておられると思います。
最後になりますが、生活困窮者自立支援制度を説明します。2013年、「現に経済的に困窮し、最低限度の生活を維持することができなくなるおそれのある人を支援するため」、生活困窮者自立支援法が成立しました。同法は、2015年度から、各地方自治体に自立相談支援事業(就労その他の自立に関する相談支援、事業利用のためのプラン作成など)の実施、住居確保給付金の支給を行わなければならないとしました。また、課題となっていた生活保護受給者の自立支援やひきこもる人々の社会復帰、また貧困によって教育の機会を奪われ、貧困の悪循環から脱することができなくなる危険性のある若者への就労、学習支援などの幅広い取り組みを市町村、社協に求めています。同制度の考え方は、生活困窮者支援を通じた地域づくりであり、「生活困窮者の早期把握や見守りのための地域ネットワークを構築し、包括的な支援策を用意するとともに、働く場や参加する場を広げていくこと(既存の社会資源を活用し、不足すれば開発・創造していく)、さらに<支える、支えられる>という一方的な関係ではなく、<相互に支え合う>地域を構築する」ことを目指しています。
これらの施策に共通していることは、協働による共生の地域づくりです。
なお、近年、福祉関係者は「我が事丸ごと」という言葉を良く聞くと思います。「共生の地域づくり」を「我が事」とするなら、「丸ごと」は、児童・障害・高齢福祉等の分野で分断することなく、合わせて議論しましょうということです。生活困窮は広く住民を対象とします。また高齢者や就職氷河期で不安定な就労しかつけなかった人の中にも、生活困窮者の予備軍となっている方がおられる。
介護保険では、対象を障害児者と高齢者にした共生型サービス事業を創設しました。私は2年前、代表的な共生型施設である富山の「この指とまれ」を訪問しました。そこを保育で利用していた小学生5年生の文を読みました。その児童は、乳児の時に病弱で「この指とまれ」しか受け入れてもらえなかったそうです。そこで世話をしてくれた人は、重度の認知症だったけれど、いつもニコニコして抱いてくれた。その方は働きに来ていると思っておられたそうです。その体験を通して、「障害を持っている人も高齢者も、障害を持っていながらも元気で生き抜いている人たち」なんだと書いています。そこに、共生の意味があると思います。一緒に歩み、出会いながら、それぞれの痛みと可能性がわかようになるのです。
3.キリスト教・教会とキリスト教社会福祉との関わり
(1)基本的考え方
私は、教会から発せられる言葉である隣人愛の実践が、キリスト教社会福祉の実践であり、教会の地域への玄関が、幼稚園・保育園を含む社会福祉施設、地域活動であるとも考えています。ですので、以下に述べるキリスト教と社会福祉実践を結び合わせる5つのCの座標軸が大切だと考えています。
①共感(Compassion)
悲しみや痛みを感じ、喜びや感動する心を抱き、自分らしく生きたいと葛藤し、人間としての誇りを生きる糧とし、安心する心の拠り所を求めさまよう、そうした人生を一歩一歩積み重ねて生き抜いてきた利用者の「生きる」姿に共感すること。これは、同じように生きてきた自分自身を理解することから始まります。
②連帯(Collaboration)
「隣人」とは、生きる意味を共に考えてくれる同伴者です。すなわち、叫びをあげている人々から求められることにひたすら応え続け、同伴者として歩むこと。それは、利用者の存在を支える働きであり、互いが生きる意味を教えあい、共に考える空間であり、意味のある人生を互いに築いていく過程ではないでしょうか。例えば、地域ケア会議等の連携の中で、各キリスト教社会福祉を実践する団体はどのような役割を果たすのか、地域社会における使命は何か、明確にしていく必要があります。
③当事者の様々な能力の向上(Capacity building)
「孤児の父」と言われた石井十次は、明治後期に密室主義(個人的な話し合いによる教育)、旅行主義(見聞を広めるように努力すること)、米洗主義(米をとぐようにそれぞれの特質を現させる)等の岡山孤児院12則を明らかにしました。また知的障害児の父と言われた糸賀一雄氏は、昭和20年代から療育を通して、発達保障というミッションを掲げました。先人の精神を継承するならば、当事者の生きようとする力、他者を理解しようとする力、潜在的な自立能力を一緒に発見し、維持し、強化していくために、日々切磋琢磨し挑戦をしていくことが求められています。
④運営方針の明確化と組織強化(Check and evaluation)
社会福祉法人改革の現状分析は首肯できませんが、組織の透明性等の強化、公益事業の義務化に関しては、一つの機会ととらえています。
組織内だけでしか通用しない常識は、それを非常識と言います。そして、キリスト教社会福祉を実践する団体が、社会から求められている存在であるのかと確認し続けて頂きたい。
上記の4つの『C』を横軸に、キリストの教え『Christ』を縦軸にする座標軸。すなわちキリストが私たちのために十字架につけられ、自らの命を捧げて下さったこと、そして復活なさり神の元におられるという信仰を縦軸にする十字の座標軸がキリスト教社会福祉の実践だと考えています。
(2)特に意識して頂きたいこと
①自立の概念の変化
そもそも自立とは、個々の能力に応じたものであり、その人が有する障害に対しては支援を、その人がもつ能力は活用という基本的視点が大切です。また、自立の目標は就労による経済的自立なのでしょうか。地域生活における自立、社会関係的・人間関係的自立、文化的自立、身体的・健康問題と自立等、多様な自立を支えるという視点が求められています。
②当事者主体
身体障害をもつ方、知的障害をもつ方の社会参加は課題がありつつも、一定の実績はありますが、近年は特に、精神障害をもつ方の社会参加、自己実現を目指す活動が注目されています。浦河べてるの向谷地氏は、当事者研究を示し、当事者自身の取り組みを前面に掲げています。初期の認知症を持っている方々が当事者として社会参加していく可能性を模索する実践もそうです。このような実践が、全国に広がっています。
③継続的支援の強調
継続的な支援を考えていかないと、多くの当事者は孤立するのではないでしょうか。例えば、一定の年齢になり、児童養護施設を卒園した青年が、突然社会での自立を求められることには無理があります。人生のそれぞれの歩みの過程で、一緒に歩む人、活動、組織の支援があることが不可欠です。限定されていたサービス、制度を結び合わせるシステムを創り出していくことが求められています。 (以上、「キリスト教社会福祉実践の原点を考える」(発題要旨)『キリスト教社会福祉学研究』52号、日本キリスト教社会福祉学会)
ルーテルの教会によって建てられた施設や学校が、地域における生活問題にどのように立ち向かうのか。また、本来は、教会が中心になって、問題へ取り組んでいくことが望ましいのですが、事実、多くの教会は、今までの役割を担うことができなくなっていると思います。ならば、私たちが、教会のミッションを掲げ、一緒に歩み、教会の宣教力を強めるような挑戦はできないでしょうか。支えられてきた教会にどのような恩返しができるでしょうか。
4.ルーテル学院の挑戦
①社会から求められる大学を目指した改革
ルーテル学院は、ルーテル教会の青少年教育の一環として、1909年に創設された路帖神学校に始まり、本年(2019年)、創立110周年を迎えました。同時に、本年は三鷹キャンパスへの移転50周年という記念の年でもあります。
大学としての歩みをお話します。1964年にルーテル神学大学という名称で設置認可が下り、大学は、1976年に神学科にキリスト教社会福祉コースを設けました。私は、1983年にルーテル神学大学の専任講師になりましたが、当時の学生数は、1学年で20名前後であったと思います。しかし、確実に社会福祉の専門職の必要性が高まっており、本学は1987年にコースが独立して社会福祉学科となり従来の神学科と合わせて文学部2学科体制になりました。また、1992年には、社会福祉学科の定員は60名になり、神学科にキリスト教カウンセリングコースを設置しました。1993年にはブラウンホールを竣工し、学ぶ環境を強化するとともに、1996年にルーテル学院大学と名称を変更し、2000年には社会福祉学科は80名に定員増をしました。当時は、社会福祉分野への働きに対して社会の関心が高く、数の上で、社会が求める人材の養成ができていたと思います。
②高度の専門教育によるソーシャルワーカーの能力向上
ルーテル学院大学は、2001年に大学院 人間福祉学研究科 社会福祉学専攻(修士課程)を、2004年に博士課程を開設しました。これは、深刻な生活問題を解決するためには、高度な専門知識と専門技術をもつ人材が求められるという、現場、教育、研究の要望に応えるものでした。しかも、開講時間を、木曜日・金曜日の6限、7限という夜間と、土曜日の1限から5限とし、福祉現場等で働いている専門職も受講できる仕組みを考えました。そのため、優秀な教員を配置しましたが、大学院があるということは、大学自体の教育力、研究力を高めると実感しています。
③人間理解と隣人愛を支援の根底に置いた改革
2005年には、臨床心理学科を設置し、1学部3学科体制になりました。同時に神学科を「キリスト教学科に改組して、文学部を総合人間学部に名称変更しました。また同年、大学院に臨床心理学専攻を設置し、1研究科2専攻体制になり、人間福祉学研究科を総合人間学研究科に名称変更しました。2006年にはトリニティホールが竣工となりました。この改革の目的は、教育の目的と一致します。すなわち、ルーテル学院は心と福祉と魂の高度な専門家を養成するという教育の目的を掲げています。すなわち、キリスト教学科は、キリスト教に基づき人間の存在、神から与えられた命の尊さを学び、イエスキリストの愛を伝える人材を生み出す学科です。社会福祉学科は人間の生活を支える仕組みを作り、援助をしていくソーシャルワーカーを養成する学科です。臨床心理学科は、人間の心に寄り添い、援助する心理の専門職の養成を目的としています。これらの3つが合わさって「心」と「福祉」と「魂」の高度な専門家を養成する大学になりました。
④学び方改革
2014年、ルーテル学院大学は人間福祉心理学科に子ども支援コース、社会福祉援助コース、臨床心理コース、地域福祉開発コース、キリスト教人間学コースという5つのコースを設け、1学科5コース制になりました。具体的には、学生はキリスト教学、いのち学、福祉学、心理学等から学び、人間を理解し、心を学び、福祉の実践を身につけて卒業していく機会が提供されます。卒業生の多くが、人を支援する現場で働いていますが、支援の相手は、学問領域で分けられるものではありません。「靴に足を合わせるのではなく、足に靴を合わせる」、すなわち支援の相手に相応しい支援
本大学の取り組みから、お伝えしたいことは、以下のことです。
①たえずチャレンジ:本大学が、小規模大学です。しかし、教育への情熱とネットワークはマンモス大学にひけをとらないのはもちろん、柔軟で迅速な対応ができるという強みがあり、存在感を示してきたと思っています。それは、本大学が置かれている状況を絶えず検証し、「したいこと」「できること」そして「求められること」を皆で考えてきた結果だと思います。そして卒業生が教育の成果を表してくれていると思います。
②たえずミッションに立ち返ること:本大学は、「自分のためでなく、隣人のために生きて、仕える生に神の祝福があるように(ルター)」というミッションを堅持しようとしてきました。ミッションは建前ではなく、日々の業務に活かされるものです。そして、たえず立ち返り、検証していかなければなりません。
③今の社会は、混乱のただ中にあります。たくさんの方が排除され、また解決困難な問題に直面しています。その方々に、希望の光を届ける使命を実践していくことが、私たちに求められていると思います。今後も一緒に挑戦していきませんか。
投稿日 20年04月01日[水] 5:46 PM | カテゴリー: 教会関連,社会福祉関連
日本キリスト教社会福祉学会第60回大会(2019年6月28日、聖隷クリストファー大学)で、シンポジウムのシンポジストのご依頼を頂きました。テーマは、「神と隣人に仕えるー地域共生社会形成におけるキリスト教社会福祉の役割」です。シンポジストは、村上恵理也氏(日本キリスト教団松戸教会牧師)、野原健治氏(興望館館長)、市川、コーディネーターは柴田謙治氏(金城学院大学教授)でした。すでに1ヶ月を過ぎましたが、私がお伝えしたかったことをまとめました。
私は、50年近く、キリスト教社会福祉の実践から多くを学んできました。それは、私自身の生き方に影響を与えていました。特に、私は先人の実践から信仰の意味を学び、今を生きる使命としてきました。しかし、この数年、いくつもの経験を通して、私のキリスト教社会福祉の実践に対する考えが変化していることに気がつきました。
1.「隣人に仕える」キリスト教社会福祉の取り組み
⑴共感から生まれる活動
「あなたがたの中に、百匹の羊を持っている人がいて、その一匹を見失ったとすれば、九十九匹を野原に残して、見失った一匹を見つけ出すまで探し回らないだろうか。そして、見つけたら、喜んでその羊を担(かつ)いで、家に帰り、友達や近所の人々を呼び集めて、『見失った羊を見つけたので、一緒に喜んで下さい』と言うであろう。言っておくが、このように、悔い改める一人の罪人については、悔い改める必要のない九十九人の正しい人についてよりも大きな喜びが天にある」(ルカによる福音書第15章第4節から7節)
キリスト教社会福祉を切り開いた先人の方々の思想、信念から、私は神の御言葉を学び、共感しました。また先人が目指した明日に向かって、たくさんの方々が足並みを合わせ、歩んでこられたことを知っています。その証が、現在まで引き継がれてきた実践そのものです。
私は、一匹を救う取り組みが、私の使命であると考えてきました。そう考えるもう一つの根拠は、「わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。」(マタイによる福音書25章40節)との聖句です。私が訪問した多くのキリスト教主義施設には、この聖句が掲げられていました。
しかし、自分に予想していなかった病いが発見され、少し辛い治療を始め、「生きるために食事をする」等を体験してから、私自身が「一匹の羊」「いと小さき者」であることを実感しています。そして、私の生きることへのこだわりは、隣人が自分らしく生きてほしいという気持ちを強めています。相手に対する畏敬や共感は、自分自身を知ることから始まりました。
また、2011年3月の発災後から続けている東日本大震災の被害がもっとも大きかった石巻市の支援を通して、一人の人間の非力さを痛感しながらも、多くの人たちが絆を形成し希望を生み出している現実を見て、共に生きる意味を知りました。震災以来、今も石巻に通わせて頂いています。
そして、そもそも、今日の家族の扶養機能・養育機能、地域の相互扶助機能、企業内扶助機能の脆弱化により、誰もが閉じこもり、孤立死の危険があります。また引きこもりの推計が数十万となっている状況で、私たち自身が一匹の羊であると思います。だから、一人の人間としての共感が自然に湧き上がってくるのだと思っています。
その事実を理解できたことを思いますと、この間の経験は、神様からの贈り物だと確信しています。
⑵隣人愛の実践
隣人愛という言葉は、クリスチャンに限らず、今の社会にとって、かけがえのないミッションであると思います。
例えば、民生委員信条には、「わたくしたちは、隣人愛をもって、社会福祉の増進に努めます」と書かれています。また、手話では、ボランティアを、「苦労を献げる」という意味ではなく、両手の人差し指を合わせ、人差し指と中指で歩く表現します。すなわち、「共に歩む」と意味を表します。 そして、生活困窮者自立支援制度は、援助の原則として、「生活困窮者が社会とのつながりを実感しなければ主体的な参加に向かうことは難しい。『支える、支えられる』という一方的な関係ではなく、『相互に支え合う』地域を構築します。これらは、奉仕の概念の変化ではないでしょうか。
また、私が委員長をさせて頂いている東京都共助社会検討委員会では、共助の原則の一つをdiversity(多様性)とinclusion(共生)にしました。ずなわち、それぞれの生活文化、生き方、思想、信条、信仰等の多様性を認め合い、そして互いに支え合いながら生きていくことの大切さを掲げました。隣人愛に立つ歩みを求めた神を信じるか、信じないかに関わらず、神を知っているか知らないかは関係なく、倒れている人を助けようとする人は、キリストにある隣人だと考えています。
2.キリスト教社会福祉としての地域社会との関わり
⑴住民との関わりによる成長
社会福祉法第4条には、「地域住民、社会福祉を目的とする事業を経営する者及び社会福祉に関する活動を行う者(以下「地域住民等」という。)は、相互に協力し、福祉サービスを必要とする地域住民が地域社会を構成する一員として日常生活を営み、社会、経済、文化その他あらゆる分野の活動に参加する機会が確保されるように、地域福祉の推進に努めなければならない。」と規定されています。命を与えられてから、人生の最後に至るまで、一人の人間として生きていくことを支援する実践が地域福祉であると示しています。
ふりかえって、キリスト教社会福祉を実践してきた団体は、その置かれた場で希望の光を灯しました。地域住民は、その光を見ながら、生きておられたと思っています。そして、今、同団体は、地域という場所で、当事者、住民と共に生きていくこと、互いに補い合っていくことが求められていると思います。そして、それは互いに学び合うことでもあります。
⑵「我がごと、丸ごと」を目指した地域共生社会の展開をどのように考えるか
「我がごと」とは、地域住民等も地域の生活課題を自分のことと認識し、協働してその問題の解決に取り組みこと。「丸ごと」とは、障害者、児童、高齢者と分かれていた施策を束ねて、地域問題に対応するサービス供給組織に再編しようとすることです。
この考え方は、すでに施策のいたるところで実施されています。私は、介護保険における介護予防・総合事業、社会的養護における地域支援、生活困窮支援制度における地域社会づくり等の施策の動向から、インフォーマルケアである見守りやサロン等の住民活動、当事者活動が、施策に位置づけられ、自助、共助、公助を合わせた地域ケア体制が求められていると考えています。すなわち、地域福祉の制度化です。
確かに、国の責任を放棄しているとの指摘もあります。しかし、各自治体、地域状況は多様です。そしてそれぞれの地域で、孤立や虐待が顕在化している現実がある。地域の問題を行政だけでは対応できない。地域共生社会づくりは、身近な住民やボランティア、社会福祉法人、NPO法人等の幅広い資源が最大限協働して、「問題が発生する地域を予防、解決の場とする」従来のコミュニティケアの実現と共通しています。但し、従来の施策と違う視点は、それらの活動を支援する自治体の役割が強化されたことです。
⑶原点に戻る
ちなみに、社会福祉法人改革の現状分析は首肯できませんが、組織の透明性等の強化、公益事業の義務化に関しては、一つの機会ととらえています。また、地域ケア会議等の連携の中で、各キリスト教社会福祉を実践する団体はどのような姿勢をとるか。または地域社会における役割を明確にしていく必要があります。
すなわち、隣人愛に基づいて創設され、今日も至る団体のミッションが、組織を構成する関係者にどのように共有化され、日々の仕事にどのように活かされているのか、本物のキリスト教社会福祉実践なのかどうかが問われていると思います。
3.キリスト教・教会とキリスト教社会福祉実践との関わり
⑴基本的考え方
教会から発せられる言葉である隣人愛の実践が、キリスト教社会福祉実践であり、教会の地域への玄関が、幼稚園・保育園を含む社会福祉施設、地域活動であるとも考えています。ですので、以下に述べるキリスト教と社会福祉実践を結び合わせる5つのCの座標軸が大切だと考えています。すなわち、共感(Compassion)、連帯(Collaboration)、当事者の様々な能力の向上(Capacity building)を横軸に、キリストの教え(Christ)を縦軸にする十字の座標軸です。
悲しみや痛みを感じ、喜びや感動する心を抱き、自分らしく生きたいと葛藤し、人間としての誇りを生きる糧とし、安心する心の拠り所を求めさまよう、そうした人生を一歩一歩積み重ねて生き抜いてきた利用者の「生きる」姿に共感すること。これは、同じように生きてきた自分自身を理解することから始まります。
「隣人」とは、生きる意味を共に考えてくれる同伴者です。日本聖公会神学院校長関正勝先生は、「弱さを担うことが真実の人間の強さだ」と言われました。すなわち、叫びをあげている人々から求められることに、ひたすら応え続け、同伴者として歩むこと。それは、利用者の存在を支える働きであり、互いが生きる意味を教えあい、共に考える空間であり、意味のある人生を互いに築いていく過程ではないでしょうか。そこには、明らかに、生きる意味を共に考えていく「隣人」としての関わりが生まれています。
例えば、地域ケア会議等の連携の中で、各キリスト教社会福祉を実践する団体はどのような役割を果たすのか、地域社会における使命は何か、明確にしていく必要があります。隣人愛は、キリスト教社会福祉団体の専売特許ではありません。
また、当事者本人と連帯し、その人の存在を認めているか、それぞれの方の生きる姿を受けとめているのか、隣人愛の実践がなされているのかという問いを実際の仕事で確認していくことが大切だと思っています。
- 当事者の様々な能力の向上(Capacity building)
「孤児の父」と言われた石井十次は、明治後期に密室主義(個人的な話し合いによる教育)、旅行主義(見聞を広めるように努力すること)、米洗主義(米をとぐようにそれぞれの特質を現させる)等の岡山孤児院12則を明らかにしました。また知的障害児の父と言われた糸賀一雄氏は、昭和20年代から療育を通して、発達保障というミッションを掲げました。当事者の生きようとする力、他者を理解しようとする力、潜在的な自立能力を一緒に発見し、維持し、強化のための挑戦をすることが求められています。
- 運営方針の明確化と組織強化(Check and evaluation)
ちなみに、社会福祉法人改革の現状分析は首肯できませんが、組織の透明性等の強化、公益事業の義務化に関しては、一つの機会ととらえています。
組織内だけでしか通用しない常識は、それを非常識と言います。そして、キリスト教社会福祉を実践する団体が、社会から求められている存在であるのかと確認し続けて頂きたい。
また、事業、活動等の具体的な支援が、手続、計画、内容において適正なものか、評価基準を明確にした上で、たえず見直していくことが求められています。これなくしては、地域からも信頼は得られません。
上記の①から④を横軸に、キリストの教え(Christ)すなわちキリストが私たちのために十字架につけられ、自らの命を捧げて下さったこと、そして復活なさり
キリストへの信仰を縦軸にする十字の座標軸がキリスト教社会福祉実践だと考えています。
⑵特に意識して頂きたいこと
今日の社会福祉の現場は、明らかに自立の概念、当事者主体、継続的支援の強化を図っています。
①自立の概念の変化
そもそも自立とは、能力に応じたものであり、障害には支援、能力は活用という基本的考え方が大切です。また、自立の目標は就労による経済的自立か、生活能力(ADL+生活機能障害(2001年ICF)への転換、生活のしづらさ、困難さの発見と支援の必要性)、経済的自立、地域生活における自立、社会関係的・人間関係的自立、文化的自立、身体的・健康問題と自立等、多様な自立が求められています。
②当事者主体
身体障害をもつ方、知的障害をもつ方の社会参加は課題がありつつも、一定の実績はありますが、近年は特に、精神障害をもつ方の社会参加、自己実現を目指す活動が注目されています。浦河べてるの向谷地氏は、当事者研究を示し、当事者自身の取り組みを前面に掲げています。初期の認知症を持っている方々が当事者として社会参加していく可能性を模索する実践もそうです。このような実践が、全国に広がっています。
③継続的支援の強調
さらに、継続的な支援を考えていかないと、多くの当事者は孤立するのではないでしょうか。例えば、一定の年齢になり、児童養護施設を卒園した青年が、突然社会での自立を求められることには無理があります。人生のそれぞれの歩みの過程で、一緒に歩む人、活動、組織があることは、不可欠です。限定されていたサービス、制度を結び合わせるシステムを創り出していくことが求められています。
さて、今日は、浜松駅から聖クリストファー大学まで、バスで来ました。その道すがら、案内の方が立っておられました。不案内の私にとって、本当に心強かったです。その案内に従い、今、私はここに居ます。私は、教会が、キリスト教社会福祉実践に携わる私たちが、迷う人、地域福祉活動の歩みの『道しるべ』、暗い夜空を吹き抜け、社会を照らす『光』になっていく夢の実現を目指したいと思っています。
投稿日 19年07月21日[日] 3:50 PM | カテゴリー: 共助社会づくり,学会,教会関連,社会福祉関連
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