教会関連

希望ある明日に向かって歩むぞメッセージ

 4月のことでした。教え子の一人からメールがありました。その内容は、「同級生M君と奥さん、そしてお母さんが新型コロナウイルスに感染で闘病中。激励のメッセージを」という衝撃的なものでした。

 励ましのメールにしばらくしてM君から返事がありました。そのメールでM君は、闘病生活の苦しさ。進行に伴い意識も朦朧となりさらに呼吸困難に陥り人工呼吸器も装着し死も覚悟したこと。今は皆の励ましを支えに快方に向かっていること等を伝えてくれました。幸いにもその後、本人、奥さんさらにお母さんも回復できました。

 彼は飲食店を家族で経営したこともあり、新型コロナウイルス感染拡大の関係で経営も苦しい状況に追い打ちをかける感染でした。精神的にも肉体的にも本当に苦しい状況だったようです。でもメールでは思いがけないことも伝えてくれました。私が「いつも祈っています」と付け加えていたことに対し、「お伝えしていなかったのですが、実は私はルーテル神水教会で洗礼を受けたのです」と。そして闘病中の苦しみの中で、神さまに何回も祈ったことも伝えてくれました。本当に驚きましたし、神さまに感謝しました。

 その後しばらくして地元の新聞に彼の記事が出ました。「感染者は語る~コロナとの闘い」というその記事で、彼は自分や家族の45日間にわたる闘病生活についてすべてを語っていました。もちろん闘病の大変さ。家族の苦しみと支え。特に献身的に支えてもらった医療関係者の方々の働きとそのことへの感謝。また保健所の感染拡大を防ぎたいとの求めに応じ、家族で相談し店名を公表。そのことに対するいわれのない差別と多くの人からの激励。そして店名公表の記事を見たある中学教諭の求めに応じ、死を覚悟するほど重症化し、差別の現実を突きつけられた自分の話を動画でその中学の生徒たちに伝えたのです。こうしたことについての理由を次のように語っています。

 「私が店名を公表したのは、この感染症の恐ろしさを伝えると同時に、患者や医療関係者などへのいわれのない差別を減らしたかった。特に入院中、看護師がふと『自分がどこで働いているかは外では言わない』と涙をみせたことがショックでした。でもこうして回復できた陰に『病院の威信をかけても治す』と献身的に治療に当たってくれた医師や看護師さんたちの存在があること。だからこそその方々への感謝も伝えたい」と。

 実は、ニューヨークで献身的な働きをされているルーテル学院大学の卒業生の方の記事を読みながら、身近かにいるM君とその家族を支えた医療関係者の方々のことを重ね合わせていました。

 故徳永徹福岡女学院元院長の座右の銘で、「凛として 花一輪」という言葉があります。徳永先生によると、この「花」は野山に咲く「野の花」だそうです。だからこの言葉は「野の花一輪、心ない人には踏みつけられるが、心ある人には喜ばれる。そういう毅然とした人でありたい」という意味なのです。さらに徳永先生はこうも書いておられます。「花は、人に見られるために咲くのではありません。花にもし使命があるとすれば、それは自分らしく咲くことなのです」と。

 それぞれの場所で「地の塩」として働いておられるルーテル学院大学の卒業生の皆さん、そしてそこを目指した学びを続けている学生の皆さん。それぞれの働きを神さまが見守り支えて頂いていることを、希望を持って受け取り、一歩一歩歩いていかれるようお祈りします。

                                内村公春

(現九州ルーテル学院院長・ルーテル学院中高等学校校長、前九州学院校長) 

希望のある明日に向かって歩むぞメッセージ

熊本からのメッセージ

              九州学院 副院長・チャプレン 小副川 幸孝

忠実な良い僕だ。よくやった。お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ。

            -マタイによる福音書25章21節-

 わたしが住む熊本は2016年4月に2度にわたる大きな地震に見舞われ、ようやく震災から立ち直りかけた2020年に新型コロナウイルスの感染症の拡大と7月の豪雨による水害に見舞われました。いわば三重苦、四重苦の中に置かれています。このところ年々大きくなる自然災害で喪失感と絶望的気分はひどくなりますが、今回の新型コロナウイルスの感染拡大は、中国からまたたくまに世界中に広がり、有効な治癒薬がないままに、現在もなお世界的な広がりを見せています。

 人類は、有史以来これまでも、様々な感染症を度々経験してきました。しかし、社会活動のグローバル化が進み、複雑な社会構造を形成した現代社会の中での感染拡大となりましたので、これまでの日常生活の形態の多くが制限され、経済構造や社会行動様式を変化せざるを得なくなり、多くの不安や心配が渦巻いているのが現状です。

 わたしが奉職しています学校も熊本地震で校舎のほとんどが被災し、今回の球磨地方の水害でも数人の生徒の家屋が浸水被害にあいました。また入学式や始業式をインターネットを用いた分散型で行ったり、遠隔授業などもしたりしましたが、長期の休校処置をとらざるを得なくなり、ようやく6月から再開するという事態になりました。教育現場としての学校教育の在り方も変化せざるを得ないだろうと思っています。

 かつて14世紀から17世紀にかけて西欧中に広がったペストは、死者が1億人を超えたと言われ、北里柴三郎らがペスト菌を発見するまで「黒死病」として恐れられました。町や村が全滅するという事態にまで至ったことはよく知られています。しかし、その時、ある医者が「ペストに対する戦いの唯一の手段は、誠実であることだ。誠実に自分のできることをすることだ」と語ったと記されています。

 このような事態の中で、「小さなことでも自分にできることを誠実にしていく」というのは、聖書が示す大事な在り方だろうと思います。イエスは、与えられたものを有効に用いた人に「忠実な良い僕だ。よくやった。お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ」と語られています。災害からの復興でも感染症への対策でも、あらゆる場面で、自分にできることを誠実に行うこと。そのとき「よくやった。主人と一緒に喜んでくれ」と神が祝福されることを覚えて過ごしたいと思います。

      当時の日本ルーテル神学大学編入・1979年日本ルーテル神学校卒業

希望ある明日に向かって歩むぞメッセージ

 facebookで友人から後輩の彼女の状況を知って、身近な人の危機に心が震えました。

 次第に先生のブログで状況が細かく知らされるうちに、懸命に活動する彼女の様子に私も励まされていきました。ふと学生時代のほんわかとして穏やかな笑顔の彼女のことを思い出して、内に秘めた信念の人だったんだと改めて感じました。

 ルーテルを卒業してから、北海道から大阪、神戸へ。夫と共に教会にお仕えし、関西で10年過ぎました。今回の新型コロナで、70から90歳までの信者さんの多い教会のため、残念ながらイースターから休止状態になりました。情報弱者の高齢の方々の心と魂のケアに出来るだけ心砕いています。

 ニュースで福祉、医療関係の施設の集団感染の情報が出るたびに、ルーテルの友人たちの顔が目に浮かびました。第一線で働く彼ら、彼女たちは本当に私の誇りです。

「他者のために」日々邁進している友人たちに、心からのエールを送ります。

 共に希望ある明日向かって歩みましょう! okadon

ルーテル社会福祉協会

2019年8月21日、ルーテル学院大学において、ルーテル社会福祉教会の総会が行われ、「キリスト教社会福祉教育の挑戦〜ルーテル学院大学における36年を通して」というテーマの講演をお引き受けした。本資料は、その内容である。

同協会に属する社会福祉法人<東京都>東京老人ホーム(高齢者)・ベタニアホーム(母子ホーム、保育園)、<千葉県>千葉ベタニアホーム(母子ホーム、保育園)、<静岡県>デンマーク牧場福祉会(高齢者、児童養護、精神診療所)、<大阪府>るうてるホーム(高齢者)、<北九州市>光の子会(児童養護ほか)、<大分県>別府平和園(児童養護)、<熊本県>慈愛園(乳児、児童養護、高齢者、障害児・者、保育園) 、キリスト教児童福祉会(児童養護ほか)、NPO法人 

 私は、ルーテル社会福祉協会を構成する社会福祉法人、NPO法人すべてを訪問することができました。各法人の歩みと現在の事業・活動内容は、るうてる法人会連合編『未来を愛する希望を生きる』(人間と歴史社)にまとめられています。

 また、私は40数年間、いくつもの計画策定に関わらせて頂きました。そしてこの20年ほど、孤立、虐待、貧困などのたくさんの問題が顕在化してきていると思っています。ものすごく社会がゆがんでいると考えています。そして、他人事ではありません。自分自身も、今後、孤立の問題と直面するかもしれない。その現実に、キリスト教主義の施設やキリスト教社会福祉がどのように関わっていくかが問われているのです。その挑戦は、各法人の創設時と共通していると思います。すなわち、福祉制度がない時代に、また福祉利用者に対する偏見が色濃くあった時代に、先人の方々が支援を立ち上げた苦労を、私たちは共有することができると考えています。

1.今の地域社会を考える

2025年には団塊の世代の方々が後期高齢者になられます。しかも、家族の扶助機能の脆弱化に伴い、高齢者世帯の7割を一人暮らしまたは高齢者世帯が占めるようになり、介護を要する人に介護する家族はいないという現実が広がると予想されます。

 しかし、2025年問題は、実はすでに大都市で起こっています。高度経済成長が始まった1960年代に都市に就職してこられた若者が、工業団地等の集合住宅に住み、そして今、多くの入居者が高齢者となっています。団地自体が急激に高齢化し、孤立の問題に直面しているのです。

2009年の『閉じこもり予防・支援マニュアル (改訂版)』(厚生労働省)によると、「閉じこもり」をもたらす要因は、「身体的要因」(身体的老化など)、「心理的要因」(不安)、「社会環境的要因」(物理的バリア、定年などによる社会的役割の喪失)があり、相互に関連して、多くの高齢者を孤立状態に追いやっていくとされています。

 また、今日増加している虐待も、「保護者側のリスク要因」(医療につながっていない精神障害、知的障害、慢性疾患、アルコール依存、薬物依存、そして被虐待経験)、「子ども側のリスク要因」(子育て負担のある乳児)、そして「養育環境リスク要因」(親族や地域社会から孤立した家庭、経済不安、貧困など)が相互に関係して生み出されています。そもそも子どもは、虐待を受けるために生まれてきたのではない。神様から祝福されて生まれてきた。だから、皆、「おめでとう」と言われて祝福される存在である。この原点を見失ってはいけません。

 さらに、生活困窮者を取り巻く問題としては、8050問題があります。長く引きこもりを続けてきた50歳代の子どもが80歳代の親と生活している。子どもには収入がなく、したがって年金などの社会保障を受ける権利もなく、両親が亡くなると経済的問題に直面します。また、今日、生活困窮者になりやすい不安定就労の方々、家にひきこもる方々が増加しています。孤立、虐待、そして貧困が大きな社会問題となっていることを認識する必要があります。

2.社会福祉制度の動向

 まず、介護保険制度についてお話をします。たとえば、孤立すると高齢者の心身の機能は低下し、要介護状態になっていく。さらに認知症が進むと徘徊や見当識障害が深刻化し、介護する家族が疲れ切ってしまうというような悪循環が起こってくる。これに対応するためにも、それぞれの地域の実情に合った医療・介護・予防・住まい・生活支援が一体的に提供される「地域包括ケアシステム」が提案されています。特に、生活支援は、介護予防と結びついて、高齢者自身の社会参加を促すとともに、地域サロン・見守り・外出など支援という住民などがボランティアとして行っていた活動を介護保険制度に組み込むものです。すなわち、「地域福祉の制度化」が進められています。さらに、同システムは、自立支援、重度化防止に重点に置いています。それは、単に医療保健システムを強化するだけでなく、「地域共生社会」を目指した取り組みであり、孤立した高齢者、介護家族が住民として地域でできるだけ自立して生きていくことができる地域社会を作る実践が高齢者福祉施策において重要とされています。

また、児童福祉分野では、2011年の『社会的養護の課題と将来像児童養護施設等の社会的養護の課題に関する検討委員会・社会保障審議会児童部会社会的養護専門委員会とりまとめ』において、社会的養護の基本的方向として、①家庭的養護の推進、②専門的ケアの充実、③自立支援の充実とともに、④家族支援・地域支援の充実があげられ、「施設は、虐待の発生予防、早期発見から、施設や里親などによる保護、養育、回復、家庭復帰や社会的自立という一連のプロセスを、地域の中で継続的に支援していく視点を持ち、関係行政機関、教育機関、施設、里親、子育て支援組織、市民団体などと連携しながら、地域の社会的養護の拠点としての役割を担っていく必要がある。」としています。すなわち、地域における協働が提案されています。この基本的考え方は、2017年に厚生労働省雇用均など・児童家庭局家庭福祉課より出された『社会的養護の推進に向けて』に継承されていると思います。

さらに近年、社会福祉法が改正され、社会福祉法人に、法律上、地域における公益的事業を行うことが義務づけられています。公益的事業とは、地域における居場所(サロン)、活動場所の提供などを通じた地域課題の把握や地域づくりに関する取り組み、住民ボランティアの育成などであり、すでに皆さんがなさっておられると思います。

 最後になりますが、生活困窮者自立支援制度を説明します。2013年、「現に経済的に困窮し、最低限度の生活を維持することができなくなるおそれのある人を支援するため」、生活困窮者自立支援法が成立しました。同法は、2015年度から、各地方自治体に自立相談支援事業(就労その他の自立に関する相談支援、事業利用のためのプラン作成など)の実施、住居確保給付金の支給を行わなければならないとしました。また、課題となっていた生活保護受給者の自立支援やひきこもる人々の社会復帰、また貧困によって教育の機会を奪われ、貧困の悪循環から脱することができなくなる危険性のある若者への就労、学習支援などの幅広い取り組みを市町村、社協に求めています。同制度の考え方は、生活困窮者支援を通じた地域づくりであり、「生活困窮者の早期把握や見守りのための地域ネットワークを構築し、包括的な支援策を用意するとともに、働く場や参加する場を広げていくこと(既存の社会資源を活用し、不足すれば開発・創造していく)、さらに<支える、支えられる>という一方的な関係ではなく、<相互に支え合う>地域を構築する」ことを目指しています。

これらの施策に共通していることは、協働による共生の地域づくりです。

なお、近年、福祉関係者は「我が事丸ごと」という言葉を良く聞くと思います。「共生の地域づくり」を「我が事」とするなら、「丸ごと」は、児童・障害・高齢福祉等の分野で分断することなく、合わせて議論しましょうということです。生活困窮は広く住民を対象とします。また高齢者や就職氷河期で不安定な就労しかつけなかった人の中にも、生活困窮者の予備軍となっている方がおられる。

 介護保険では、対象を障害児者と高齢者にした共生型サービス事業を創設しました。私は2年前、代表的な共生型施設である富山の「この指とまれ」を訪問しました。そこを保育で利用していた小学生5年生の文を読みました。その児童は、乳児の時に病弱で「この指とまれ」しか受け入れてもらえなかったそうです。そこで世話をしてくれた人は、重度の認知症だったけれど、いつもニコニコして抱いてくれた。その方は働きに来ていると思っておられたそうです。その体験を通して、「障害を持っている人も高齢者も、障害を持っていながらも元気で生き抜いている人たち」なんだと書いています。そこに、共生の意味があると思います。一緒に歩み、出会いながら、それぞれの痛みと可能性がわかようになるのです。

3.キリスト教・教会とキリスト教社会福祉との関わり

(1)基本的考え方

私は、教会から発せられる言葉である隣人愛の実践が、キリスト教社会福祉の実践であり、教会の地域への玄関が、幼稚園・保育園を含む社会福祉施設、地域活動であるとも考えています。ですので、以下に述べるキリスト教と社会福祉実践を結び合わせる5つのCの座標軸が大切だと考えています。

①共感(Compassion)

悲しみや痛みを感じ、喜びや感動する心を抱き、自分らしく生きたいと葛藤し、人間としての誇りを生きる糧とし、安心する心の拠り所を求めさまよう、そうした人生を一歩一歩積み重ねて生き抜いてきた利用者の「生きる」姿に共感すること。これは、同じように生きてきた自分自身を理解することから始まります。

②連帯(Collaboration)

「隣人」とは、生きる意味を共に考えてくれる同伴者です。すなわち、叫びをあげている人々から求められることにひたすら応え続け、同伴者として歩むこと。それは、利用者の存在を支える働きであり、互いが生きる意味を教えあい、共に考える空間であり、意味のある人生を互いに築いていく過程ではないでしょうか。例えば、地域ケア会議等の連携の中で、各キリスト教社会福祉を実践する団体はどのような役割を果たすのか、地域社会における使命は何か、明確にしていく必要があります。

③当事者の様々な能力の向上(Capacity building)

「孤児の父」と言われた石井十次は、明治後期に密室主義(個人的な話し合いによる教育)、旅行主義(見聞を広めるように努力すること)、米洗主義(米をとぐようにそれぞれの特質を現させる)等の岡山孤児院12則を明らかにしました。また知的障害児の父と言われた糸賀一雄氏は、昭和20年代から療育を通して、発達保障というミッションを掲げました。先人の精神を継承するならば、当事者の生きようとする力、他者を理解しようとする力、潜在的な自立能力を一緒に発見し、維持し、強化していくために、日々切磋琢磨し挑戦をしていくことが求められています。

④運営方針の明確化と組織強化(Check and evaluation)

社会福祉法人改革の現状分析は首肯できませんが、組織の透明性等の強化、公益事業の義務化に関しては、一つの機会ととらえています。

組織内だけでしか通用しない常識は、それを非常識と言います。そして、キリスト教社会福祉を実践する団体が、社会から求められている存在であるのかと確認し続けて頂きたい。

上記の4つの『C』を横軸に、キリストの教え『Christ』を縦軸にする座標軸。すなわちキリストが私たちのために十字架につけられ、自らの命を捧げて下さったこと、そして復活なさり神の元におられるという信仰を縦軸にする十字の座標軸がキリスト教社会福祉の実践だと考えています。 

(2)特に意識して頂きたいこと

①自立の概念の変化

そもそも自立とは、個々の能力に応じたものであり、その人が有する障害に対しては支援を、その人がもつ能力は活用という基本的視点が大切です。また、自立の目標は就労による経済的自立なのでしょうか。地域生活における自立、社会関係的・人間関係的自立、文化的自立、身体的・健康問題と自立等、多様な自立を支えるという視点が求められています。

②当事者主体

身体障害をもつ方、知的障害をもつ方の社会参加は課題がありつつも、一定の実績はありますが、近年は特に、精神障害をもつ方の社会参加、自己実現を目指す活動が注目されています。浦河べてるの向谷地氏は、当事者研究を示し、当事者自身の取り組みを前面に掲げています。初期の認知症を持っている方々が当事者として社会参加していく可能性を模索する実践もそうです。このような実践が、全国に広がっています。

③継続的支援の強調

継続的な支援を考えていかないと、多くの当事者は孤立するのではないでしょうか。例えば、一定の年齢になり、児童養護施設を卒園した青年が、突然社会での自立を求められることには無理があります。人生のそれぞれの歩みの過程で、一緒に歩む人、活動、組織の支援があることが不可欠です。限定されていたサービス、制度を結び合わせるシステムを創り出していくことが求められています。 (以上、「キリスト教社会福祉実践の原点を考える」(発題要旨)『キリスト教社会福祉学研究』52号、日本キリスト教社会福祉学会)

 ルーテルの教会によって建てられた施設や学校が、地域における生活問題にどのように立ち向かうのか。また、本来は、教会が中心になって、問題へ取り組んでいくことが望ましいのですが、事実、多くの教会は、今までの役割を担うことができなくなっていると思います。ならば、私たちが、教会のミッションを掲げ、一緒に歩み、教会の宣教力を強めるような挑戦はできないでしょうか。支えられてきた教会にどのような恩返しができるでしょうか。

4.ルーテル学院の挑戦

①社会から求められる大学を目指した改革

 ルーテル学院は、ルーテル教会の青少年教育の一環として、1909年に創設された路帖神学校に始まり、本年(2019年)、創立110周年を迎えました。同時に、本年は三鷹キャンパスへの移転50周年という記念の年でもあります。

大学としての歩みをお話します。1964年にルーテル神学大学という名称で設置認可が下り、大学は、1976年に神学科にキリスト教社会福祉コースを設けました。私は、1983年にルーテル神学大学の専任講師になりましたが、当時の学生数は、1学年で20名前後であったと思います。しかし、確実に社会福祉の専門職の必要性が高まっており、本学は1987年にコースが独立して社会福祉学科となり従来の神学科と合わせて文学部2学科体制になりました。また、1992年には、社会福祉学科の定員は60名になり、神学科にキリスト教カウンセリングコースを設置しました。1993年にはブラウンホールを竣工し、学ぶ環境を強化するとともに、1996年にルーテル学院大学と名称を変更し、2000年には社会福祉学科は80名に定員増をしました。当時は、社会福祉分野への働きに対して社会の関心が高く、数の上で、社会が求める人材の養成ができていたと思います。

②高度の専門教育によるソーシャルワーカーの能力向上

ルーテル学院大学は、2001年に大学院 人間福祉学研究科 社会福祉学専攻(修士課程)を、2004年に博士課程を開設しました。これは、深刻な生活問題を解決するためには、高度な専門知識と専門技術をもつ人材が求められるという、現場、教育、研究の要望に応えるものでした。しかも、開講時間を、木曜日・金曜日の6限、7限という夜間と、土曜日の1限から5限とし、福祉現場等で働いている専門職も受講できる仕組みを考えました。そのため、優秀な教員を配置しましたが、大学院があるということは、大学自体の教育力、研究力を高めると実感しています。

③人間理解と隣人愛を支援の根底に置いた改革

2005年には、臨床心理学科を設置し、1学部3学科体制になりました。同時に神学科を「キリスト教学科に改組して、文学部を総合人間学部に名称変更しました。また同年、大学院に臨床心理学専攻を設置し、1研究科2専攻体制になり、人間福祉学研究科を総合人間学研究科に名称変更しました。2006年にはトリニティホールが竣工となりました。この改革の目的は、教育の目的と一致します。すなわち、ルーテル学院は心と福祉と魂の高度な専門家を養成するという教育の目的を掲げています。すなわち、キリスト教学科は、キリスト教に基づき人間の存在、神から与えられた命の尊さを学び、イエスキリストの愛を伝える人材を生み出す学科です。社会福祉学科は人間の生活を支える仕組みを作り、援助をしていくソーシャルワーカーを養成する学科です。臨床心理学科は、人間の心に寄り添い、援助する心理の専門職の養成を目的としています。これらの3つが合わさって「心」と「福祉」と「魂」の高度な専門家を養成する大学になりました。

④学び方改革

 2014年、ルーテル学院大学は人間福祉心理学科に子ども支援コース、社会福祉援助コース、臨床心理コース、地域福祉開発コース、キリスト教人間学コースという5つのコースを設け、1学科5コース制になりました。具体的には、学生はキリスト教学、いのち学、福祉学、心理学等から学び、人間を理解し、心を学び、福祉の実践を身につけて卒業していく機会が提供されます。卒業生の多くが、人を支援する現場で働いていますが、支援の相手は、学問領域で分けられるものではありません。「靴に足を合わせるのではなく、足に靴を合わせる」、すなわち支援の相手に相応しい支援

 本大学の取り組みから、お伝えしたいことは、以下のことです。

①たえずチャレンジ:本大学が、小規模大学です。しかし、教育への情熱とネットワークはマンモス大学にひけをとらないのはもちろん、柔軟で迅速な対応ができるという強みがあり、存在感を示してきたと思っています。それは、本大学が置かれている状況を絶えず検証し、「したいこと」「できること」そして「求められること」を皆で考えてきた結果だと思います。そして卒業生が教育の成果を表してくれていると思います。

②たえずミッションに立ち返ること:本大学は、「自分のためでなく、隣人のために生きて、仕える生に神の祝福があるように(ルター)」というミッションを堅持しようとしてきました。ミッションは建前ではなく、日々の業務に活かされるものです。そして、たえず立ち返り、検証していかなければなりません。

③今の社会は、混乱のただ中にあります。たくさんの方が排除され、また解決困難な問題に直面しています。その方々に、希望の光を届ける使命を実践していくことが、私たちに求められていると思います。今後も一緒に挑戦していきませんか。

糸賀一雄先生との出会い

私は、糸賀一雄先生とお会いしたことはありません。学生時代に先生の『福祉の思想』を読み、また阿部志郎先生ともお会いし、自らの道を見いだしたのでした。最近、たまたま書籍を整理していたら、2014年の記事が見つかりました。掲載します。

「神と隣人に仕えるー地域共生社会形成におけるキリスト教社会福祉の役割」

日本キリスト教社会福祉学会第60回大会(2019年6月28日、聖隷クリストファー大学)で、シンポジウムのシンポジストのご依頼を頂きました。テーマは、「神と隣人に仕えるー地域共生社会形成におけるキリスト教社会福祉の役割」です。シンポジストは、村上恵理也氏(日本キリスト教団松戸教会牧師)、野原健治氏(興望館館長)、市川、コーディネーターは柴田謙治氏(金城学院大学教授)でした。すでに1ヶ月を過ぎましたが、私がお伝えしたかったことをまとめました。

 私は、50年近く、キリスト教社会福祉の実践から多くを学んできました。それは、私自身の生き方に影響を与えていました。特に、私は先人の実践から信仰の意味を学び、今を生きる使命としてきました。しかし、この数年、いくつもの経験を通して、私のキリスト教社会福祉の実践に対する考えが変化していることに気がつきました。

1.「隣人に仕える」キリスト教社会福祉の取り組み

⑴共感から生まれる活動

「あなたがたの中に、百匹の羊を持っている人がいて、その一匹を見失ったとすれば、九十九匹を野原に残して、見失った一匹を見つけ出すまで探し回らないだろうか。そして、見つけたら、喜んでその羊を担(かつ)いで、家に帰り、友達や近所の人々を呼び集めて、『見失った羊を見つけたので、一緒に喜んで下さい』と言うであろう。言っておくが、このように、悔い改める一人の罪人については、悔い改める必要のない九十九人の正しい人についてよりも大きな喜びが天にある」(ルカによる福音書第15章第4節から7節)

キリスト教社会福祉を切り開いた先人の方々の思想、信念から、私は神の御言葉を学び、共感しました。また先人が目指した明日に向かって、たくさんの方々が足並みを合わせ、歩んでこられたことを知っています。その証が、現在まで引き継がれてきた実践そのものです。

私は、一匹を救う取り組みが、私の使命であると考えてきました。そう考えるもう一つの根拠は、「わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。」(マタイによる福音書25章40節)との聖句です。私が訪問した多くのキリスト教主義施設には、この聖句が掲げられていました。

しかし、自分に予想していなかった病いが発見され、少し辛い治療を始め、「生きるために食事をする」等を体験してから、私自身が「一匹の羊」「いと小さき者」であることを実感しています。そして、私の生きることへのこだわりは、隣人が自分らしく生きてほしいという気持ちを強めています。相手に対する畏敬や共感は、自分自身を知ることから始まりました。

また、2011年3月の発災後から続けている東日本大震災の被害がもっとも大きかった石巻市の支援を通して、一人の人間の非力さを痛感しながらも、多くの人たちが絆を形成し希望を生み出している現実を見て、共に生きる意味を知りました。震災以来、今も石巻に通わせて頂いています。

そして、そもそも、今日の家族の扶養機能・養育機能、地域の相互扶助機能、企業内扶助機能の脆弱化により、誰もが閉じこもり、孤立死の危険があります。また引きこもりの推計が数十万となっている状況で、私たち自身が一匹の羊であると思います。だから、一人の人間としての共感が自然に湧き上がってくるのだと思っています。

その事実を理解できたことを思いますと、この間の経験は、神様からの贈り物だと確信しています。

⑵隣人愛の実践

隣人愛という言葉は、クリスチャンに限らず、今の社会にとって、かけがえのないミッションであると思います。

例えば、民生委員信条には、「わたくしたちは、隣人愛をもって、社会福祉の増進に努めます」と書かれています。また、手話では、ボランティアを、「苦労を献げる」という意味ではなく、両手の人差し指を合わせ、人差し指と中指で歩く表現します。すなわち、「共に歩む」と意味を表します。 そして、生活困窮者自立支援制度は、援助の原則として、「生活困窮者が社会とのつながりを実感しなければ主体的な参加に向かうことは難しい。『支える、支えられる』という一方的な関係ではなく、『相互に支え合う』地域を構築します。これらは、奉仕の概念の変化ではないでしょうか。

また、私が委員長をさせて頂いている東京都共助社会検討委員会では、共助の原則の一つをdiversity(多様性)とinclusion(共生)にしました。ずなわち、それぞれの生活文化、生き方、思想、信条、信仰等の多様性を認め合い、そして互いに支え合いながら生きていくことの大切さを掲げました。隣人愛に立つ歩みを求めた神を信じるか、信じないかに関わらず、神を知っているか知らないかは関係なく、倒れている人を助けようとする人は、キリストにある隣人だと考えています。

2.キリスト教社会福祉としての地域社会との関わり

⑴住民との関わりによる成長

社会福祉法第4条には、「地域住民、社会福祉を目的とする事業を経営する者及び社会福祉に関する活動を行う者(以下「地域住民等」という。)は、相互に協力し、福祉サービスを必要とする地域住民が地域社会を構成する一員として日常生活を営み、社会、経済、文化その他あらゆる分野の活動に参加する機会が確保されるように、地域福祉の推進に努めなければならない。」と規定されています。命を与えられてから、人生の最後に至るまで、一人の人間として生きていくことを支援する実践が地域福祉であると示しています。

ふりかえって、キリスト教社会福祉を実践してきた団体は、その置かれた場で希望の光を灯しました。地域住民は、その光を見ながら、生きておられたと思っています。そして、今、同団体は、地域という場所で、当事者、住民と共に生きていくこと、互いに補い合っていくことが求められていると思います。そして、それは互いに学び合うことでもあります。

⑵「我がごと、丸ごと」を目指した地域共生社会の展開をどのように考えるか

 「我がごと」とは、地域住民等も地域の生活課題を自分のことと認識し、協働してその問題の解決に取り組みこと。「丸ごと」とは、障害者、児童、高齢者と分かれていた施策を束ねて、地域問題に対応するサービス供給組織に再編しようとすることです。

 この考え方は、すでに施策のいたるところで実施されています。私は、介護保険における介護予防・総合事業、社会的養護における地域支援、生活困窮支援制度における地域社会づくり等の施策の動向から、インフォーマルケアである見守りやサロン等の住民活動、当事者活動が、施策に位置づけられ、自助、共助、公助を合わせた地域ケア体制が求められていると考えています。すなわち、地域福祉の制度化です。

 確かに、国の責任を放棄しているとの指摘もあります。しかし、各自治体、地域状況は多様です。そしてそれぞれの地域で、孤立や虐待が顕在化している現実がある。地域の問題を行政だけでは対応できない。地域共生社会づくりは、身近な住民やボランティア、社会福祉法人、NPO法人等の幅広い資源が最大限協働して、「問題が発生する地域を予防、解決の場とする」従来のコミュニティケアの実現と共通しています。但し、従来の施策と違う視点は、それらの活動を支援する自治体の役割が強化されたことです。

⑶原点に戻る

ちなみに、社会福祉法人改革の現状分析は首肯できませんが、組織の透明性等の強化、公益事業の義務化に関しては、一つの機会ととらえています。また、地域ケア会議等の連携の中で、各キリスト教社会福祉を実践する団体はどのような姿勢をとるか。または地域社会における役割を明確にしていく必要があります。

すなわち、隣人愛に基づいて創設され、今日も至る団体のミッションが、組織を構成する関係者にどのように共有化され、日々の仕事にどのように活かされているのか、本物のキリスト教社会福祉実践なのかどうかが問われていると思います。

3.キリスト教・教会とキリスト教社会福祉実践との関わり

⑴基本的考え方

 教会から発せられる言葉である隣人愛の実践が、キリスト教社会福祉実践であり、教会の地域への玄関が、幼稚園・保育園を含む社会福祉施設、地域活動であるとも考えています。ですので、以下に述べるキリスト教と社会福祉実践を結び合わせる5つのCの座標軸が大切だと考えています。すなわち、共感(Compassion)、連帯(Collaboration)、当事者の様々な能力の向上(Capacity building)を横軸に、キリストの教え(Christ)を縦軸にする十字の座標軸です。

  • 共感(Compassion)

悲しみや痛みを感じ、喜びや感動する心を抱き、自分らしく生きたいと葛藤し、人間としての誇りを生きる糧とし、安心する心の拠り所を求めさまよう、そうした人生を一歩一歩積み重ねて生き抜いてきた利用者の「生きる」姿に共感すること。これは、同じように生きてきた自分自身を理解することから始まります。

  • 連帯(Collaboration)

「隣人」とは、生きる意味を共に考えてくれる同伴者です。日本聖公会神学院校長関正勝先生は、「弱さを担うことが真実の人間の強さだ」と言われました。すなわち、叫びをあげている人々から求められることに、ひたすら応え続け、同伴者として歩むこと。それは、利用者の存在を支える働きであり、互いが生きる意味を教えあい、共に考える空間であり、意味のある人生を互いに築いていく過程ではないでしょうか。そこには、明らかに、生きる意味を共に考えていく「隣人」としての関わりが生まれています。

例えば、地域ケア会議等の連携の中で、各キリスト教社会福祉を実践する団体はどのような役割を果たすのか、地域社会における使命は何か、明確にしていく必要があります。隣人愛は、キリスト教社会福祉団体の専売特許ではありません。

また、当事者本人と連帯し、その人の存在を認めているか、それぞれの方の生きる姿を受けとめているのか、隣人愛の実践がなされているのかという問いを実際の仕事で確認していくことが大切だと思っています。

  • 当事者の様々な能力の向上(Capacity building)

「孤児の父」と言われた石井十次は、明治後期に密室主義(個人的な話し合いによる教育)、旅行主義(見聞を広めるように努力すること)、米洗主義(米をとぐようにそれぞれの特質を現させる)等の岡山孤児院12則を明らかにしました。また知的障害児の父と言われた糸賀一雄氏は、昭和20年代から療育を通して、発達保障というミッションを掲げました。当事者の生きようとする力、他者を理解しようとする力、潜在的な自立能力を一緒に発見し、維持し、強化のための挑戦をすることが求められています。

  • 運営方針の明確化と組織強化(Check and evaluation)

ちなみに、社会福祉法人改革の現状分析は首肯できませんが、組織の透明性等の強化、公益事業の義務化に関しては、一つの機会ととらえています。

組織内だけでしか通用しない常識は、それを非常識と言います。そして、キリスト教社会福祉を実践する団体が、社会から求められている存在であるのかと確認し続けて頂きたい。

また、事業、活動等の具体的な支援が、手続、計画、内容において適正なものか、評価基準を明確にした上で、たえず見直していくことが求められています。これなくしては、地域からも信頼は得られません。

上記の①から④を横軸に、キリストの教え(Christ)すなわちキリストが私たちのために十字架につけられ、自らの命を捧げて下さったこと、そして復活なさり

キリストへの信仰を縦軸にする十字の座標軸がキリスト教社会福祉実践だと考えています。

⑵特に意識して頂きたいこと

今日の社会福祉の現場は、明らかに自立の概念、当事者主体、継続的支援の強化を図っています。

①自立の概念の変化

そもそも自立とは、能力に応じたものであり、障害には支援、能力は活用という基本的考え方が大切です。また、自立の目標は就労による経済的自立か、生活能力(ADL+生活機能障害(2001年ICF)への転換、生活のしづらさ、困難さの発見と支援の必要性)、経済的自立、地域生活における自立、社会関係的・人間関係的自立、文化的自立、身体的・健康問題と自立等、多様な自立が求められています。

②当事者主体

身体障害をもつ方、知的障害をもつ方の社会参加は課題がありつつも、一定の実績はありますが、近年は特に、精神障害をもつ方の社会参加、自己実現を目指す活動が注目されています。浦河べてるの向谷地氏は、当事者研究を示し、当事者自身の取り組みを前面に掲げています。初期の認知症を持っている方々が当事者として社会参加していく可能性を模索する実践もそうです。このような実践が、全国に広がっています。

③継続的支援の強調

さらに、継続的な支援を考えていかないと、多くの当事者は孤立するのではないでしょうか。例えば、一定の年齢になり、児童養護施設を卒園した青年が、突然社会での自立を求められることには無理があります。人生のそれぞれの歩みの過程で、一緒に歩む人、活動、組織があることは、不可欠です。限定されていたサービス、制度を結び合わせるシステムを創り出していくことが求められています。

さて、今日は、浜松駅から聖クリストファー大学まで、バスで来ました。その道すがら、案内の方が立っておられました。不案内の私にとって、本当に心強かったです。その案内に従い、今、私はここに居ます。私は、教会が、キリスト教社会福祉実践に携わる私たちが、迷う人、地域福祉活動の歩みの『道しるべ』、暗い夜空を吹き抜け、社会を照らす『光』になっていく夢の実現を目指したいと思っています。

終活について

2019年7月、私の友人が施設長を務める岩手県盛岡市にある五月園において、講演をさせて頂きました。テーマは、『高齢期における生き方〜終活の意味と内容について考える』である。母の看取りの経験、お世話になり亡くなられた方々の生き方から学んだことをまとめる機会となりました。

母は、一人で静岡市伊東市に住んでいましたが、福岡にいる弟家族に良く連絡をし、大切にしてもらっていました。また東京にいる私たち家族とも関わりは深く、晩年は幸せであったと信じています。母を天国に送った後、父母の遺品が詰まっていた家の片付けは、当時東京に勤務していた弟と一緒に行うことができ、彼の献身的な働きなくして、父母の終活を行うことができませんでした。神様が与えて下さった父母に感謝する時でしたが、膨大な荷物があり、また結婚の記念アルバム等の父母が大切にしてきた品物をどのように片付けるか、本当に悩みました。私たちが決断せずに、祖父母を慕っていた孫である私の子どもたちのその判断を委ねることはできません。

ふりかえって、五月園との関わりは長いのです。職場内研修のために何度か五月園を訪問しました。今の施設に建て替える前の、丘の頂きの方にあった時からです。施設長さんは、私が社大の研究所の助手時代に学生であり、その頃から続く仲間です。盛岡市で行われた結婚式にも出席し、彼との思い出はたくさんあります。

また、盛岡市には、私が大学時代の親友がいて、今も彼と仲良くしています。昨年大切な奥さんが亡くなられ、心配しています。奥さんは、まだ彼と結婚する前から知っている高知の方で、本当に心の広い、また思いやりのある方でした。ご冥福をお祈りします。

さて、その際のレジメを掲載します。私にとって、この数年は、健康にいろいろな変化があった時で、死に至るまでいかに豊かに生きていくか、考える機会が与えられました。その意味で、実り豊かな時で、私が考えるテーマのポイントを掲載し、講演の中で補足しました。

  高齢期における生き方〜終活の意味と内容について考える

1.「生きていくこと」について、考えてみます。

①「花は咲くプロジェクト」です。歌詞の一部を紹介します。生き方を示している。

誰かの想いが見える 誰かと結ばれている 誰かの未来が見える 悲しみの向こう側に 花は 花は 花は咲く いつか生まれる君に 花は 花は 花は咲く わたしは何を残しただろう 花は 花は 花は咲く いつか生まれる君に 花は 花は 花は咲く いつか恋する君のために

②聖路加病院の院長で昨年105歳で亡くなられた日野原重明先生は、いのちとは「自分が使える時間のこと」だと言われました。たとえば体の中のポンプ・心臓は、絶えず鼓動しています。これは、体で感じ、医学的には見える。しかし、「自分が使える時間」とは、日々生きていく時間。一人ひとりも他者のために、自分を活かす時間でもあります。

③私が目指す生き方   人生に停年はない。

 老人は夢を見、若者は幻を見る(ヨエル書第3章第1節)

高齢期は喪失の時代であると言われる。加齢によって、身体の機能低下は低下する。愛する家族や親しかった友人を失う悲しみは増えるばかり。しかも仕事は定年を迎え、自分にふさわしい新たな役割を探さなければならない。なのに夢と幻、すなわち明日への希望を持つことができるだろうか。頭を抱えて、明日への歩みを止めてしまう自分が良く見える。だが、「老いの坂をのぼりゆき、かしらの雪つもるとも、かわらぬわが愛におり、やすけくあれ、わが民よ」(日本基督教団讃美歌第一編284番)と賛美歌にあるように、山の頂に向かって歩み続ける兄弟姉妹がおられる。感動する心と希望をもって、明日に向かって今を生きる方々の歩みに私は勇気づけられる。 

 誰にも将来を見通すことはできない。過去の後悔に押しつぶされそうになる。しかし、神の愛のまなざしを心にとめ、日々祈りつつ今を生きることによって、過去の事実は変わらなくとも、過去の意味が変わっていく感動を、神はたえず私たちに与えてくださる。だから見通せない将来に向かって、日々の歩みをとめてはならない。

 そして、最後の時、支えてくれた家族や人びとに感謝することができたなら、それは人生最後でもっともすばらしい証し。感謝する人の命が光る。見看る人びとの思いがその人の命を通して光る。その人を支えてきた神の愛が、その人の人生を通して光り続ける。神の愛は、とどまることなく最後まで私たちに注がれている。

 このような人生に停年はない。

④老い

「〈老化〉と〈老い〉という二つの用語の間には区別が感知される。一つは生物学的概念であり、他は人間学的な概念である。具体的に言えば、〈老化〉というのは、加齢と共に身体的な諸器官とその機能に衰退現象が現れてくる、生物として避け難い必然的ともいえる事実を指す。これに対して、〈老い〉というのは、この事実を柔らかく表現するのにとどまるものではなく、この事実をその担い手である人間一人一人がどのようにして受け止めこれに対処しようとするのか、心の問題として、生き方と態度の問題として考えようとするものである。この両者には視座の相異は見逃しがたい。前者は生物学的もしくは社会学的な性格を主とする問題であるのに対し、後者は主体的、自分自身の生き方に関わる問題として自覚される。哲学的考察や宗教的な信仰が問われるのはここである。」(浜松聖隷ホスピス初代所長 原義雄「死へのプロセスとしての老い」、日本基督教団宣教研究所編『老い・病・死』)

2.死に至るまで生きてことの大切さ(日野原重明 ラストメッセージ NHK)柳田邦男さん(ノンフィクション作家)

“死”をどう生きたか 日野原重明さんの105年

日野原さんが最後まで求め続けた死をどう生きたか、あるいは死をどう生きるか、私たちはどう受け止めればいい?
柳田さん:これは人間のライフサイクルという見方で見ますと、従来のライフサイクルというのは、生まれてから中年期に最高になって、そしてやがて下り坂で死で終わるっていうんですけど、これはとても大事なところが抜けている。
 それは精神性の命なんですね。人間の精神性というのはむしろ、定年後とか病気をしてから成熟して、成長するので、しかもそれは死で終わらないで、亡くなったあとも、その人が残した生き方や言葉というのが後を継ぐ人の中で生き続ける。これは今までの日本の人々の考えの中で支配的だった、老いや死を暗く考えるっていう考えを180度変えて、むしろそれはチャレンジする新しい生き方なんだっていうことを日野原先生は身をもって教えてくれた、わたくしはそういう死後の在り方、「死後生(しごせい)」と呼んでるんですけど、これを考えると今どう生きるかっていうことへの問いかけであり、それが死を生きるということなんだと、こういうメッセージを受け止めています。

3.では、老いが直面する課題を考えて見ましょう。

①人生の歩みの中で直面する課題

・成人前期 外部の価値への適応(就職、結婚、出産)

・成人後期 内なる価値への適応

 体力の危機、性的能力の危機、人間関係の危機(親の死、こどもの自立、友人の死)、思考の危機(成熟感によって新しい努力の停滞)、将来の不安  ユングは、新たな内的価値への模索をこの時期の課題として指摘している。ある意味で、ほんとうに困難な時期は、中高年期であると言っています。

・高齢期(喪失の時代か、創造の時代か)

心身の機能の低下(機能の喪失)、配偶者、親族、友人を失う(関係の喪失)、定年、引退(役割の喪失)、死の恐怖と寿命(生命の喪失)

②疾病の意味

・適応力の低下、・抵抗力の低下、・慢性病になりやすい、・身体的機能と精神的機能の関係が密接、・症状が教科書通りにでない、・腎機能の低下により薬の作用が残り、副作用がでやすい、・骨粗鬆症

③高齢者は必ず認知症になるか   結晶性能力と流動性能力

④知と身体の関係

・自己中心的=心身の機能脳の器質的な変化による思考面や性格面の硬さ、・猜疑心=視力、聴力の低下が邪推、嫉妬、ひがみを生む、・保守性=記憶力の低下と学習能力の低下、・心気性=極端に病気を恐れる傾向。役割の喪失等により体にのみ関心が集中、予備力の低下も要因、・愚痴=過去への関心=行動範囲の狭さ

⑤LIFEとは?

・命

・生活

・人生

4.終活について考える 老人ホームイリーゼ(HP)より

①目的

「これまでの人生を振り返る」「残される家族のことを考える」「友人、知人、今までお世話になった人たちへの思いをつづる」「やり残したことや叶わなかった夢などを書き出す」などを行うことで、余生を通してできること・できないことの整理につながります。 
②終活のメリット
終活で得られるメリットは、主に3つあります。
・自分の意思が家族に伝わり、老後の生活が前向きになることです。

伝えるときはまず「自身の健康状態から切り出す」のがポイントです。
・残された老後生活が充実することです。

・遺産相続のトラブルを回避できることです。

③方法  終活1:エンディングノートを書く
エンディングノートは、「プロフィール」や「葬儀に関すること」などと項目を分けることで書きやすくなり、見る側も読みやすくなります。
・本人情報
名前、生年月日、血液型、住所、本籍地、住民票コード、マイナンバーなど
・自分史
学歴、職歴、結婚、出産、夫婦の記念日、マイホーム購入時期、歴代のマイカー紹介、職場での功績、馴染みの土地、幼少期から各年代の思い出、特技、趣味など
・関係する人物との間柄や連絡先
家族、兄弟、親戚、同居していない家族、養子、家系図、友人、知人、職場関係者、恩人、法的関係の相談者など
・財産について
預貯金、口座番号、公共料金などの自動引き落とし情報、クレジットカード情報、基礎年金番号、各種加入保険、株式、不動産、借入金やローン、骨董品、貸金、有価証券や金融資産など
・介護や医療について
希望する介護や医療施設、費用、後見人(財産管理などを任せられる人)、延命措置の詳細、臓器提供、介護や治療方針の決定者、医療カウンセラーなど
・葬儀について
喪主に頼みたいこと、宗派や宗教、戒名や法名、葬儀業者や会場、遺影写真、参列者リストなど
・お墓について
埋葬方法、希望墓地、購入費用、墓地の使用権者、墓地の継承者、手入れ、お供え物など 
・遺言書について 言書の有無、相続リスト、それらの保管場所など

終活2:遺言書を書く

終活3:お墓を決める

       

2019年1月新年メッセージ

2019年1月7日礼拝説教

「悲しみよ、ありがとう。」

聖句:野原の花がどのように育つかを考えてみなさい。働きもせず紡ぎもしない。しかし言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾っていない。(ルカ12章27節)

私たちは、さまざまな悲しみに出会います。そして、忘れられない悲しみもたくさんあります。悲しみで心にポカッと穴が開いて、それを埋めることができない時もあります。しかし、悲しみを知ることによって、他者の悲しみを理解することができるようになる。悲しみという事実によって、今まで気づいていない大切なことを学ぶことがあります。それは、私たちに神様が与えて下さる愛であり、神様が教えて下さる命の大切さであると思います。

私は、2011年3月に発生した東日本大震災以降、被災地の宮城県石巻市で、学んでいます。発災後しばらくは、津波が襲った跡が残り、被害の大きさに呆然としました。その現実を見た多くの人が、復興を祈って、歌を送りました。それが「花は咲くプロジェクト」です。歌詞の一部を紹介します。

誰かの想いが見える 誰かと結ばれている

誰かの未来が見える 悲しみの向こう側に

花は 花は 花は咲く いつか生まれる君に

花は 花は 花は咲く わたしは何を残しただろう

花は 花は 花は咲く いつか生まれる君に

花は 花は 花は咲く いつか恋する君のために

ここで歌われている花は、命そのものであると私は思います。今を生きている人々の命、また神様から祝福されて新しく生まれてくる命です。それぞれの人の存在自体が尊いと神様は言われている。しかし、今の社会では、自然の営みの中にある様々な命を軽んじていませんでしょうか。人工で作られた美しさ、目に輝くものに私たちの心が奪われていませんか。

私も、秋に体調を崩し、いろいろな経験をしました。今までできていたことができなくなるといった多くの悲しみも味わっています。でも、自分が何でもできると思っていた時に気がつかなかった家族の存在、学生、卒業生との関わり、教職員の方々のいたわり、私の状態を知った友人たちのメッセージを受けとり、感謝しました。私は、私の歩みの原点が、本年で36年目になるルーテル学院での働きであることを改めて確認できました。また、私の家の窓際には、私が買ったサボテンが置かれています。直径5センチほどの鉢の中に、複数の小さなサボテンが植えられていましたが、今は4つになりました。サボテンに花が咲くと言われましたが、5年を経て、まだ咲きません。私がしばらく留守をしていた家に戻った時に、そのサボテン見て、私は、感動しました。当たり前のことですが、生き抜いてくれていた。

聖書に立ち戻ります。「野原の花がどのように育つかを考えてみなさい。働きもせず紡ぎもしない。しかし言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾っていない。」

ソロモンは、3000年前のイスラエル王国の第3代目の王で、金銀、財宝に囲まれ、栄華を極めました。そのソロモンでさえ、神は、この花の一つほどにも着飾っていないと言われるのです。私たちの身の回りに咲いている木々、咲いている花は、命そのものです。その神様は、その命の尊さを述べられている。そして命、すなわち生きている私たち一人ひとりが大切であると言われているのです。

私は、改めて申し上げたい。①素直さ:悲しい時には泣き、楽しい時には喜ぶ素直さをもってほしい。②ゆとり:辛い時には立ち止まることのできる少しのゆとりを、③勇気:自分の力ではどうしようもない時に、誰かに救いを求める勇気を、④謙虚さ:一人では生きられないと思った時に、一人で生きてきたのではない事実を受けとめる謙虚さ、をもってほしい。

そうすれば、悲しみによって、私たちは、命の大切さを学ぶことができます。また、私たちに注がれている神様の愛を感じることができる。だからこそ、悲しみにありがとうと言えるのです。そして、皆さんにはそれぞれ、明日への希望が与えられているのです。

本年、大学は創立110年を迎えます。その記念すべき年に、大学は、聖書の中で神の愛を語るのではなく、聖書をもって多くの方々に神の愛を述べ伝え、共生の社会づくりの一翼を担いたいと思っています。

祈り

 

参考

一人では生きられない

「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」(ヨハネ3:16)

本年3月、まだ雪の残る福井県美浜市立新庄小学校を訪問した。生徒は、育てた菊を配り、収穫したしいたけを高齢の方々と一緒に食べる。涙を流して喜ぶ方々の気持ちを心の中に蓄え、ともに生きていくことの大切さを学ぶ。自然の豊かさを肌で感じ、創る喜び、働く喜びを体感する。地域は、生徒が育つ場であり、生きる自信を生み出す場だ。

今、各地で、地域が壊れている。夢をあたためる場である家庭で起こる虐待。自分らしく育つ場である学校で起こるいじめと自殺の連鎖。地域に広がる孤立、引きこもり。今は、だれにとっても、生きていくことが難しい。

だから、私は、若き諸君に、自分を信頼し、自分らしい縦軸の生き方をしてほしいと伝えたい。そのために、たゆまぬ努力を、生まれる命と生きている命が輝く自然の営みへの感動を、悲しい時には泣き、楽しい時には喜ぶ素直さを、正しいことやふさわしいことがわかる知恵を、お互いの違いを理解しようとする優しさを、困難に直面しても夢を失わないねばり強さを、辛い時には立ち止まることのできる少しのゆとりを、自分の力ではどうしようもない時に、誰かに救いを求める勇気を、そして、一人では生きられないと思った時に、一人で生きてきたのではない事実を受けとめる謙虚さをもってほしい。

なぜなら、神はあなたを祝福して命を与えられた。あなたは、神に愛されている。一人で生きているのではない。

『「おめでとう」で始まり 「ありがとう」で終わる人生』(教文館)より

 

最近の教会訪問

本年の5月以降、大学を創設した日本福音ルーテル教会と日本ルーテル教団の教会を訪問し、①日頃のご支援の感謝、②大学・神学校受験生の紹介のご依頼(情報の手渡しのお願い)、③本年度献金のお願いをしています。

63日大岡山教会(東京都)、17日東京ルーテルセンター(東京都)、624日津田沼教会(千葉県)、71日市ヶ谷教会(東京都)、78日東京教会、15日保谷教会(東京都)、22日聖パウロ教会(東京都)、29日栄光教会(静岡県)、85日都南教会(東京都)、12日浦和ルーテル教会(埼玉県)、9月23日岡崎教会(愛知県)、29日福岡西教会(福岡県)、健軍教会(熊本県)、30日大江教会(熊本県)、熊本教会(熊本県)です。

いくつかの教会は、すでに掲載していますので、いくつかの新しい教会等を紹介します。

大江教会

熊本教会

岡崎教会

館林教会

札幌教会(北海道教区一日神学校)

2018年前期卒業式メッセージ

「私たちにとって大切なもの」

コリント人への手紙第2

4:16だから、わたしたちは落胆しません。たとえわたしたちの「外なる人」は衰えていくとしても、わたしたちの「内なる人」は日々新たにされていきます。 4:17わたしたちの一時の軽い艱難は、比べもにならないほどの重みのある永遠の栄光をもたらしてくれます。4:18わたしたちは、見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは一時的で過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存在するからです。

Oさん、T君、T君、卒業おめでとうございます。今から3名への贈る言葉を述べさせて頂きます。

1.パウロとは、

この手紙の主人公、パウロとはどのような人でしょうか。

パウロは、キリスト者に対して、厳しい迫害を行っていた人でした。しかし、キリストに出会い、キリスト教に改宗し、伝道者となります。それは今までの名誉と地位、生活を捨て去ることだけでなく、迫害していたキリスト者からは信じてもらえず、そして迫害される立場になることを意味します。パウロは20数年、各地をまわり、追われ、最後には捕まり、処刑されます。コリント人への第二の手紙は、パウロがコリント人への第一の手紙を書いたすぐ後,彼の教えに反する暴動がエペソで起こり(使徒19:23-41参照),パウロはマケドニヤへと逃れ、その地で書かれたものだとされています。

そのような状態にあって、パウロは言い続けます。「わたしたちは、見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは一時的で過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存在するからです」と語るのです。

私たちは、壮絶な人生を送ったパウロではありません。しかし、今を生きる者として、「見えないもの」を考えたいと思います。私は、「見えないもの」は、日々の生活の中にある、大切なものであり、それを通して、神様の愛が現れていると考えています。

2.「このゆびと〜まれ」

記念誌に掲載されていた文を紹介します。「私も赤ちゃんのころ、利用者のおばあさんによくだっこしてもらったり、あやしてもらっていたそうです。でも、実はそのおばあさんは重症の認知症だったそうですが、自分では「このゆび」に働きに来ていると思っていたそうで、そのころの写真を見ても、本当にかわいがってもらったんだなあと、ありがたい気持ちでいっぱいになります。」この文は、富山市立藤ノ木小学校5年岩本万由子が書いたものです。

この夏、私は、富山市にある「このゆびと〜まれ」を訪問しました。必要なときに誰でも利用できる「民営デイケアハウス」として、1993年にスタートし、1998年には県独自の補助金が交付され、「富山型デイサービス」を全国に先駆けて実践してきました。子どもも、お年よりも、障害者も、いろんな人がお互いに支え合いながら、地域の中で自分らしい暮らしを続けられるように、小規模であたたかい、「ふつうの日常生活」を大切にしています。そして、1.赤ちゃんからお年よりまで障害があっても無くても利用できる。2.断らない。3.障害者・ひきこもり・うつ病の人達などの働く場を提供する。4.活動は住宅街でし、町内の人達をまきこむ等の目標を掲げています。

私は、実際に「このゆびと〜まれ」活動を見て、2つのことを学びます。

3.私が学んだこと

  • 困難に直面して明日を見失った方の叫びに応えようとした
  • 一人ひとりのいのちが輝く居場所を提供した

①困難に直面して明日を見失った方の叫びに応えようとした

創設時の苦労は、並大抵のものでなはかったことを承知しています。日本赤十字病院に勤めていた3名の看護師がやめ、事業を始めた時には、「ばか・あほ・まぬけ」と言われたとのこと。しかし、彼女らの覚悟は強かったのです。「帰りたい」「畳の上でしにたい」と言いながら、様々な理由で病院や、転院先の老人病院で生活をし、自分の気持ちを押し殺す人、「早う迎えに来て下はれ」と天井に向かって手を合わせる人、病気の理由が十分わからないまま、退院を余儀なくされ、生きていく自信を失った若者等々の叫びを聞き続けてきました。

だからこそ、その人らしい人生を送ってほしいと、事業を始めたのでした。先ほどの文章を書いた5年生の岩本さんも、あまりにも病弱で、保育所に行けなかったため、一歳の時から「このゆびとーまれ」で育ててもらったそうです。

②一人ひとりのいのちが輝く居場所を提供した

そもそもいのちとは何でしょうか。聖路加病院の院長で昨年105歳で亡くなられた日野原重明先生は、いのちとは「自分が使える時間のこと」だと言われました。たとえば体の中のポンプ・心臓は、絶えず鼓動しています。これは、体で感じ、医学的には見える。しかし、「自分が使える時間」とは、日々生きていく時間。一人ひとりも他者のために、自分を活かす時間でもあります。 5年生の岩本さんは言います。「「このゆび」に来ていると、障害のある人もジロジロ見られたり、かわいそうになんて言われることもなくて、みんな自分でできることを精一杯やって「役に立っている」自分に自信をもって、いきいきと過ごしています。私は、障害があるから「かわいそうな人」なのではなく、「障害があってもがんばっている人」といっしょに過ごして、協力し合っていくことがお互いのために大事だと思います。

それぞれが、自分のいのちの時間を精一杯使って生きているのです。確かに、その人の姿は見えます。しかし、その人への理解、その人の人生への共感、互いに培かってきた信頼は、目では決して見えない。そこで生活する一人ひとりの当たり前の感謝も目では見えない。私は、「見えないもの」は、日々の生活の中にある、大切なものであり、それを通して、神様の愛が現れていると考えています。そして、「見えないもの」とは、私自身が、「見えていない」ものではないでしょうか。

パウロの言葉に再度立ち返ります。「わたしたちは、見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは一時的で過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存在するからです」。そして、「見えていないもの」を見極める力を絶えず養い、学んだこと、思い出を胸に、新たな旅立ちの時として頂きたいと思います。

Oさん、T君、T君、改めて、卒業おめでとう。

*富山市立藤ノ木小学校5年岩本万由子の原稿は、「このゆ〜びとまれ」の箇所に紹介されています。