思い出記

希望ある明日に向かって歩むぞメッセージ 

 新型コロナウイルスの治療最前線で働いている岩◎さん、世界中の医療機関関係者の皆さんに心から感謝と敬意を敬意を表します。アメリカまで聞こえないかも知れませんが、毎晩20時にベランダで拍手をして、この気持ちを行動で表したりもしています。

 さて、今、世界中の人々が新たな疾病の恐怖にさいなまれ、実際に生命の危険にさらされ、生命を落とす方も多くいます。日本の東京で暮らしている私も、自分が感染しているのかもわからず、発症する数日前から他者に感染させてしまうと言われ、ステイホームの要請に出来るだけ従う生活も、すでに1ヶ月以上になります。この先も緩めたり厳しくしたりを繰り返しながら、乗り越えていくしか無いのだと覚悟しています。私は医療職では無いのでごく身近ではありませんが、一市民、福祉職であっても感染経験または濃厚接触の経験者の話が現実になって、今までの当たり前を覆す、見直しすることが求められています。自分を守る、他者を守るための生活様式に切り替えていくことにも少しずつ慣れていくでしょう。

 話が少し変わるかも知れませんが、本当に偶然にも岩◎さんと私の共通事項として少し歳は離れていますが、同じ公立中学校のワンダフォーゲル部に属したことがあるので、ちょっとそこに意識をしてメッセージを送りますね。山登りという日常から離れた危険を伴う数日間というのは、ある意味で今の生活に共通するものがあると思ったからです。

 最近の私は、部活でS先生、K先生の指導の元で山登りをした時の教えを思い出して、都会生活でもできるだけ取り入れて実行できるようにしています。具体的には
①朝日の前に起き出し行動開始。出来るだけ日が暮れる前にその日すべきことを終え、床につく。
② 日頃からの基礎トレーニングは、単調かも知れないが重要。
③その日の行動は、地形、天候、気温、体調体力に合わせて柔軟に変更しながら、可能な限り計画的に行う。変更すべきと判断したら、迷わず、悔やまず。
④予備食、装備、防寒具は必要だが、それ以上に余計な荷物は持たない。
⑤リーダーを中心に単独行動は避けて、助け合って行動する。特に一番体力の無い人を先頭にして隊列を作り、バテないように気をつける。
⑥周りの自然(風景、動物、植物など)に目をやり、その美しさに感動する心を忘れない。できれば、その名前も一つ一つ調べて覚えるくらい関心を持つように。山の歌も覚えて、大きな声で歌う。辛い時に支えてくれて、笑顔になれるから。
他にもいろいろ教わったかも知れませんが、私の中で印象に残っていることを書き出しました。そして①〜⑥のような生活を具体的に繰り返している中で、一番大切な教え⑦を思い出すことが出来ました。それは、⑦「希望(目的地)を持つことを忘れない、諦めない。自分の足で一歩ずつ歩くことだけが、希望(目的地)に近付くための唯一の方法であること」です。苦しくても一歩ずつ登る足を運ぶことで、山頂に近づくことができることを、登り切った時のあの爽快感を思い出せますか?きっと、苦しい今を乗り切る助けになってくれるでしょう。

 長くなってごめんなさいね。最後になりますが、早朝ウォーキングをしていると、朝日の光が差し示す道の美しさに出会えます。夕陽が落ちる時には、自然と感謝の気持ちが湧いてきます。日本の東京でも、アメリカのニューヨークでも、同じ太陽の恵みのもとで生きていることや、神様の創造されたこの世界で生きていることを実感できると思います。おそらく、岩◎さんを取り巻く環境は激務でそれどころでは無いかも知れませんが、どうか必要な休息が与えられ、また元気を取り戻していただけるよう心からお祈りしています。在主栄光。
(1987卒業、TH)

2020年新年礼拝「山の頂きから見えるもの」


「信仰の導き手であり、またその完成者であるイエスを仰ぎ見つつ、走ろうではないか。彼は、自分の前におかれている喜びのゆえに、恥をもいとわないで十字架を忍び、神の御座の右に座するに至ったのである」(口語訳聖書:ヘブル人への手紙12:2)

<はじまり>ルーテル学院大学のチャプレンに、年頭礼拝のメッセージの依頼を受けたその時から、私は何を述べることができるのか迷いました。そこで、私の生きていく原点の一つである場に立ち、今までを振り返り、そこで率直に考えたことをお伝えしようと思いました。その場が、石巻市にある日和山でした。

<日和山>日和山は標高61.3メートルの山ですが、石巻市内を一望できる場所としても知られており、眼下には、漁港、仮面ライダー等で有名な石ノ森章太郎の萬画館、旧北上川の河口から広がる太平洋が見えました。しかし、近年、石巻市の大きな変化を見る場所になっています。

<東日本大震災>2011年3月11日に発生した東日本大震災により、石巻市は大きな被害を受けました。2019年12月4日現在、死者は3,277人 関連死は275人 行方不明は420人に達しています。日和山に置かれていた案内板には、こう書かれています。「門脇、南浜地区は急速に市街化が進み、石巻市立病院、石巻文化センター、そして約3,000件を超える人家が建ち並ぶ街として発展しました。しかし、東日本大震災の大津波はこれらの家々をすべて押し流し、同時に発生した津波火災が街を焼き尽くしました。この地域は、災害危険区域として居住できない地域となりました。」

発災時には、雪が降っている中、多くの市民が日和山に登って津波から避難しましたが、住民は、その場で津波の驚異を目の当たりにすることになりました。

<日和山に登る>1月5日の朝6時、20年近く親しくして頂いている石巻市社協の友人とホテルのフロントで待ち合わせをし、私は日和山を目指しました。まだ暗い朝、2メートルを超える津波に襲われた地域をしばらく歩き、そして日和山の頂きに行くために急な坂を登りました。頂きの公園に着くと、空は段々明るくなってきました。私は、友人に案内され、工事途中の新しい橋、南浜地区復興祈念公園、いくつも建っている復興住宅等、新たな石巻の姿を見ました。十分防寒対策をしていきましたので、たかをくくっていましたが、気温はマイナス2度で、少し風もある。案の定、手袋をしていた手を寒さが突き刺しました。そのぶん、日の出は待ち遠しく、だんだん空が赤くなり、日をさえぎる雲を焼くように、光の断片が見えだし、丁度7時に、日が登りました。とてもきれいな日の出でした。

<日和山から見えるもの>被害にあった地域の多くの時計は、津波が襲ってきた時間を指したまま止まりました。しかし、被災者の人生の時計の針が、今、そして明日に向けて動いていくために、働きかけているたくさんの方々の姿を、私は見続けてきました。

私が日和山の頂きに立って日の出を見ながら、思うことは2つ。

1つは、東日本大震災の被害が、人ごと、他人事とは思えなかったこと。震災が起こるまで一緒に生活していた配偶者、子ども、親、友人を突然なくし、さらに生活してきた地域が面影もなく消え去ってしまう事実に直面して、私はいてもたってもいられなかった。発災当時たくさんのボランティアが来ましたが、その方々には、思わず駆け寄っていく気持、誰かのために役に立ちたいという気持があったと思います。それは、誰もがもっている気持。発災後何年も石巻で働かせて頂き、この気持を大切にしてこられたことに、私は心より感謝しています。

2つ目は、地域生活支援について一緒に考え、挑戦してきた友人、関係者の方々がおられたこと。被災地における自分の無力さを「いやっというほど」知ることにより、思いを同じくする方々と一緒に歩むことの大切さを学びました。石巻での経験と一緒に挑戦してきた友人は、私の財産です。

 聖書に立ち戻ります。口語訳のヘブル人への手紙12:2では、「信仰の導き手であり、またその完成者であるイエスを仰ぎ見つつ、走ろうではないか。彼は、自分の前におかれている喜びのゆえに、恥をもいとわないで十字架を忍び、神の御座の右に座するに至ったのである。」と書かれています。説教黙想アレテイア『ヘブライ人への手紙』で、加藤常昭牧師は、「共に走りつつ」というテーマを出され、繰り返し、本聖書の説教者は、相手に「すべきである」というような第2称で話していない。一緒に走ろうと言っている。そこに、「励ましの言葉」としての意味があると言われました。
さらに、聖書には「イエスを仰ぎ見つつ」とも書かれています。イエスは、「恥をもいとわないで十字架を忍び、神の御座の右に座する」方です。しかも、イエスは、私たちが歩き始める前に、すでにこの道を歩まれ、今は私たちを見守って下さる。そして私たちが見上げると、イエスがおられる。だから私たちは勇気を与えられ、さらに明日に向かって共に走っていくことができるのです。

 皆さんも、自分にとっての山の頂に立ち、自分を見つめ、さらに周りを見渡して下さい。ルーテル学院を支えて下さった諸先生、諸先輩がおられる。ルーテルのミッションを学んだ卒業生が、困難に直面している方々に希望の光を届けている。それぞれの家庭や地域で安心して生きていく場を築いている。互いに支え合っている家族、友人がいる。教職員、在学生、教会の方々、ルーテル学院と関係のある方々が共に歩んで下さっている。

だからこそ、私は2020年を、思わず駆け寄っていく気持、誰かのために役に立ちたいという気持を勇気にかえて、明日に向かって歩む1年にしたいと考えております。

感謝。
(新共同訳聖書では、「信仰の創設者また完成者であるイエスを見つめながら。このイエスは、御自身の前にある喜びの捨て、恥をもいとわないで十字架の死を耐え忍び、神の玉座の右にお座りになったのなったのです」と書かれています)

 石巻市日和山に登る(2020年1月5日)

石巻市

最後の2枚は、一緒に山を登ってくれた友人が撮っていてくれた写真です。

日和山から見える今の石巻市

糸賀一雄先生との出会い

私は、糸賀一雄先生とお会いしたことはありません。学生時代に先生の『福祉の思想』を読み、また阿部志郎先生ともお会いし、自らの道を見いだしたのでした。最近、たまたま書籍を整理していたら、2014年の記事が見つかりました。掲載します。

藤岡市庚申山総合公園の藤の花

平成最後の日、庚申山総合公園に藤の花を見に行きました。写真のように、たくさんの藤の花を見ました。また、公園には、藤以外にいろいろな花が咲いています。

山梨県芸術の森公園

山梨県社協より講演のご依頼を受けました。時間は、午後1時より。前日、甲府のKONAYAホテルに泊まっていたので、タクシーで山梨県立美術館に向かいました。しかし、到着して休館日であることが分かりました。そこで、美術館の周りを芸術の森公園を歩くことにしました。私は、展示されていたオブジェに納得しました。休館日でなかったら、敢えて歩かなかったかもしれません。ミレーは見えなかったですが。

ゴッホ
叙事詩
リトルバード

平成30年度長野県民生委員児童委員協議会会長研修

01_30開催要領(修正案)

中南信

東北信

長野県の民生委員児童委員の方々は、本当に地道な活動をなさっておられます。縁があって、何回も研修会を任せて下さり、感謝しています。中南信の研修が終わり、会場である長野県伊那文化会館を出て、長野市に向かおうとした時、1階のギャラリーで、若手作家の公募個展が開催されていました。なかなか印象に残る作品でしたので、ご紹介します。

2017年度高松市民生委員児童委員大会

2018年3月、レクザムホーにおいて、民生委員・児童委員活動の今後の展望に関して、講演を差していただきました。各地区社協の方々と情報交換をし、ご指導を頂いたこともあり、各地域にあった活動内容について、具体的にお話をすることができたと思っています。

また、午後の講演であり、午前中は、活動をなさっている地域を少し歩き、また栗林公園を見学することができました。栗林公園は、たくさんの松で構成され、園内の1,400本の松の内、1,000本は職人が手を加えている手入れ松だそうです。「約300年に渡って手入れされてきた松は、まるで盆栽のような見事な枝ぶりです」と書かれているように、見事な景色でした。東門⇒鶴亀松⇒ ⇒屏風松⇒ ⇒吹上げから見える池⇒北梅林

宮崎のシーガイヤから見える朝日

シーガイヤのホテルから見る夕日と朝日は特別。以前、宮崎市市長の戸敷さんが砂土原の町長であって時に、講演をお引き受けし、その時は、目の前に迫る真っ赤な夕日を見ました。今回は、反対側の海から見える朝日に、感銘しました。

宮崎は、様々な見所のある県です。

中川村の蜂の巣資料館

松本栄二先生にお連れいただき、同資料館に行きました。展示された蜂の巣は、予想外に大きいもの。ご覧下さい。

味が心を満たす季寄料理「よしかわ」in 松本

私は、松本に行くと、どうしても寄りたい店があります。中町通りという旧い町並みを歩いて行き、右に道を入ると、中町通りから看板が見えないですが、静かなたたずまいの料理店があります。店長は若いですが、料理も店も、格式があります。

私は、いつもほんの1時間ぐらいですが、間違いなくおいしい料理を食べ、旅の疲れを癒して、翌日の仕事のエネルギーを蓄える場として、大切にしています。

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白身の刺身

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焼きサバ

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渡り蟹、紅心大根、糸瓜(ソーメンかぼちゃ)、土佐酢ジュレ、おろし生姜