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2011年度3月卒業式
「いのち」
聖句:ヨハネ13章3節〜5節「イエスは、父がすべてを御自分の手にゆだねられたこと、また、御自分が神のもとから来て、神のもとに帰ろうとしていることを悟り、食事の席から立ち上がって上着を脱ぎ、手ぬぐいを取って腰にまとわれた。それから、たらいに水をくんで弟子たちの足を洗い、腰にまった手ぬぐいでふき始めた。」
1)鉱山労働者の救い
「私たち33人は、待避所で無事にいます」
現地時間2010年8月5日にチリ共和国のサンホセ鉱山で大きな落盤事故が発生しました。この鉱山は、地下に向かって螺旋状の一本道が掘られており、地下460メートルの地点で落盤が起こり、700メートルの地点で働く作業員33名が閉じ込められました。3メートル近くまで大量の土砂が押し寄せたと聞きます。その後、再度の落盤があり、坑道は暗闇に包まれました。その地域は事故が多いく、生存は絶望視され、鉱山落盤事故は大きく取り上げられませんでした。
しかし、救助隊は、確認のため、700メートルの地点にある避難所まで直径8センチのドリルで掘りました。そして、そのドリルを引き上げてみると、先端に赤い字で書かれた紙が貼られ、そこに、「私たち33人は、待避所で無事にいます」と書かれていました。事故後18日たって始めて生存が確認されました。後は、連日テレビに映し出されていましたので、ご存じだと思います。
さて、私たちは、送られてくる「いのち」のメッセージを、見逃していないでしょうか。心を開き、見ていないと、「いのち」のメッセージを見逃してしまいます。今、私たち自身の生き方そのものが問われているのです。
2)イエスが示した「いのち」を大切にした生き方
今日の聖句には、こう書かれています。
「イエスは、父がすべてを御自分の手にゆだねられたこと、また、御自分が神のもとから来て、神のもとに帰ろうとしていることを悟り、食事の席から立ち上がって上着を脱ぎ、手ぬぐいを取って腰にまとわれた。それから、たらいに水をくんで弟子たちの足を洗い、腰にまとった手ぬぐいでふき始めた。」
祝宴で客の足を洗うことは、奴隷のつとめでした。(バークレー184) 当然舗装されていない道は、雨には泥んこになり、また夏には乾燥してほこりだらけになります。その道を、2,3本のひもで結びつけられた簡単な底革でできている「履物」を履いて人々は歩きます。ですから、足を洗わずに家の中に入ると、家が汚れてします。家の戸口には水がめが用意され、召使いが水差しとタオルをもって、足を洗っていました。
その召使いの役割を、なぜイエスが果たされたか。神学者のバークレーは、言います。食卓を囲む、イエスの小さな群れには召使いがいなかった。イエスはそれを見抜かれた。私たちに、イエスの役割を担う者を求めた。社会にあって、跪いて人の足を洗う人の役割を求めたのです。腰にタオルをつけ、弟子たちの足下に膝をついている神のみ子の姿を思い、バークレーは、イエスを「仕える王者」(バークレー185-7)と言います。
謙虚さを持って、ひざまずき、「いのち」を仰ぎ見る。そこから、それぞれの「いのち」への尊敬が生まれるのです。
3)日本が置かれている状況
そのような事故を目のあたりにて数ヶ月後の2011年3月11日、東日本大震災が起こりました。学長室で会議していた私も、長く続く大きな横揺れに驚き、中庭に出ました。そして、経験のしたことのない大地震と、連続する余震、混乱する社会状況に直面して、私はしばらく中庭の椅子に座り、今、どのような対応をすべきか神に問いかけていました。
自然の驚異に私たちは、しばらく、ただ呆然と立ち尽くすのみでした。では、私たちは、自然の前に、希望を投げ捨てるのでしょうか。
私は、被災地を訪問し、何人もの友人たちに会いました。まだ瓦礫が片付かず、生活の拠点を失った方々の生活の場が築かれていない現実、支援が遅れている現状を何度も見てきました。しかし、自分たちで、コミュニティを再建しようとする動きが確実に生まれていることを知りました。自然の猛威にあっても、心に火を灯し、明日を目指して生きている「いのち」を、共に大切にしたいと思っています。復旧に三年、復興にさらに三年と言われています。被災地で生まれた「希望の光」、輝く「いのち」と共に歩みたい。
4)今、「いのち」の意味が問われている
では、「いのち」とは、なんでしょうか。
① 「いのち」とは、明日への希望を生み出すもの
私は、第1に、「いのち」とは、生きることそのものであり、明日への希望を生み出すものだと確信しています。
被災地の状況に直面し、たくさんの物資が現地に届けられました。日本全国から、世界から、たくさんの支援が届きました。
また、高校生が歌う歌が、心を打ちました。仙台市立八軒(はちけん)中学校吹奏合唱部が「あすという日が」という歌を歌いました。これは、全国大会で歌う予定でしたが、震災を理由に辞退し、避難場所で歌ったことから、たくさんの声になりました。盛岡市立北陵中学校吹奏部は、手話を加えました。今でも、その時の感動を私は覚えていますし、全国各地で歌い続けられています。
「あすという日が」 作詞 山本 瓔子 作曲 八木澤 教司
大空を 見上げて ごらん あの 枝を 見上げて ごらん
青空に 手をのばす 細い枝 大きな 木の実を ささえてる
いま 生きて いること いっしょうけんめい 生きること
なんて なんて すばらしい あすと いう日が あるかぎり しあわせを 信じて あすと いう日が あるかぎり しあわせを 信じて
あの道を 見つめて ごらん あの草を 見つめて ごらん
ふまれても なおのびる 道の草 ふまれた あとから 芽ぶいてる
いま 生きて いること いっしょうけんめい 生きること
なんて なんて すばらしい あすと いう日が くるかぎり 自分を 信じて
あすと いう日が くるかぎり 自分を 信じて
それぞれの「いのち」が希望を生み出し、輝いているのです。
② 「いのち」とは、共に輝くもの
私は、第2に、「いのち」とは、共に輝くものであると思います。悲しみも、喜びも、それぞれの「いのち」から生み出される。
2005年に福音ルーテル教会の12歳から18歳までのティーンズ72名が集まり、まとめた詩集『「いのち」の詩』を見て、感動する詩がいくつもありました。名前が書かれていませんでしたが、それから一つを紹介します。
「いつも励ましてくれる人がいる
いつも勇気づけてくれる人がいる
いつも笑わせてくれる人がいる
いつも楽しませてくれる人がいる
一緒に泣いたり助け合ったり・・・ だからお互いを大切に」
その詩から、いのちが共に躍動していることがわかります。共に輝いているのです。
一つひとつの「いのち」に敬意を表していくことから、希望が、未来が生まれます。「いのち」のメッセージを謙虚に受けとめるために、日々の生活の中で、ひざまずきたい。
5)祝いのメッセージ
今日の聖句は、「いのち」の源であるイエスが跪いて下さる。
ここに連なる私たちは、ルーテル学院での生活を通して、イエスがおられる食卓を囲んできた。そして、「いのち」の源であるイエスが、私たち一人ひとりの足を洗い、腰にまった手ぬぐいでふいておられる。
私は、卒業する諸君と囲んだ食卓を誇りに思うし、イエスに足を洗っていただいていることに感謝し、イエスが示されたように、共に、「いのち」を大切にして、未来を切り開いていきたいと思っています。
卒業、おめでとう。


投稿日 12年03月15日[木] 2:17 PM | カテゴリー: カテゴリ無し,大学関連
2011年11月5日(土曜日)、ハイアット リージェンシー東京において、三鷹市医師会長、東京都医師会理事等の責任を担われた村田欣造先生の旭日雙光章受章祝賀会が、盛大に執り行われた。先生のお人柄を象徴するように、300人近くの方々が集まり、心より、先生に感謝し、受章を祝福したのである。先生の人脈の広さは、会に参加されていた方々からもわかる。菅直人前総理も駆けつけられ、会場は盛り上がった。
私は、光栄にも、祝辞を述べる機会を与えられた。
「ルーテル学院大学学長市川一宏でございます。
村田先生、旭日雙光章(ぎょくじつそうこうしょう)受賞おめでとうございます。
本日、私は先生に、3つのお礼を申し上げたいと思います。
1つは、このようにたくさんの方々がおいでになり、私は、安心して食事ができました。私の隣は、主治医の野村先生ですし、またこれだけ多くの医療関係者の方々がおいでになり、私が仮に体調をくずしても、どなたかがケアして下さるので、安心して食事ができました。感謝です。
また第2の感謝は、先生が三鷹の医療と社会福祉を発展させて下さったことです。先生は、長く健康福祉審議会の委員長をして下さり、私は副委員長として、学ばさせていただきました。その後、会長が医師会の角田先生に交代し、副委員長として働かせていただいておりますことを感謝しております。特に、自立支援法、介護保険法等の実施に際して、三鷹でも多くの議論がありました。私が申し上げると角が立ちますが、先生が言われると「悟り」になる。その結果、いくつもの課題を解決することができました。本当に感謝しております。
そして第3に、先生は地域の医療と福祉に心を砕かれました。昭和62年、三鷹市医師会は、『難病 難病検診の意義とその役割』という報告書を有斐閣より刊行なさいました。そこで、先生は、こう言われています。「我々の周りには、いろいろな人々が懸命に生活をしている。元気な人ばかりではなく、老人もいれば、ねたきり、認知症、身体障害者、難病患者等がいらっしゃる。私共はこれらの在宅で一生懸命生きている人々をケアする必要があるのである」先生は、この使命をいつももって活動なさっておられました。先生のお働きによって、難病患者の方々、障害を持つ方々、高齢の方々等がどんなに救われたことか。私は、その方々の思いを含めて、先生に感謝を申し上げたいと思います。ありがとうございました。
この3つの感謝を申し上げ、僭越ではございましたが、お祝いの言葉とさせていただきます。」
村田先生に感謝し、これからも先生の後ろ姿に見習いながら、地域に貢献していきたい。
投稿日 11年11月19日[土] 10:13 PM | カテゴリー: カテゴリ無し
3月11日の東北関東大震災で亡くなられた方々のご冥福を祈り、哀悼の意を表します。そして、愛する人々を失い、深い傷をおっておられるご家族やご友人の方々に、神様の癒しのみ手がさしのべられますことを、切に祈ります。
3月16日午前9時52分、公衆電話から私の携帯電話に連絡がはいりました。「先生、生きているから大丈夫。でも、被害は甚大で、復興はたいへんだと思います。でも、頑張っているから」という、それまで安否がわからなかった石巻の友人の声に、私はただただ、「良かった、良かった、本当に良かった」と繰り返すだけでした。今日は、東北関東大震災が起こって、3週間になりますが、今だ復興の道筋がなかなか見えません。
大震災が起こった時、私は学長室で打ち合わせをしていました。大きな揺れに驚き、中庭に飛び出した時、多くの学生たちが集まってきました。震度5弱の長い揺れに座り込みました。そして、その後のテレビに映る現地の被害に、大きな衝撃を受けました。さらに追い打ちをかける福島原発の事故、猛烈な寒波と食糧難、家族や友人を失った被災者が直面する現実に、私の心はかきむしられています。
今、生き方が問われています。大震災は、根こそぎ、圧倒的な力で、人々の命を奪っていきました。人を選ばず、一斉に奪っていったのです。しかし、原発の災害は、消費社会で何でも与えられ、消費してゴミを増やしてきた私たちが、見失っていたことを思い出させました。自然の恵みによって私たちが生きていること。食べ物は自然の実りであることです。このことを忘れてはならないと思います。
今、私は2つの光を見ています。
1つは、被災地で、明日に向かう歩みが始められてきたこと。避難場所の中で、助け合いの輪が広がっていました。中学生が食事をつくり、高齢者の世話をする。そして動くことができる高齢者自身も、食事づくりの輪に加わり、共に支え合っています。岩手県宮古市立第一中学校生徒会長は、「震災をマイナスととらえるのではなく、改めて感じた家族の大切さを忘れず、前向きに生きていきたい」と涙ながらに答辞を読みました。ある小学校の校長は、「みんな一人では生きていけません、避難所で生活して分かりました、助け合って生きるのです」と、大切な生徒を震災でなくされた悲しみの中で、言われました。
また、全国大会を辞退した、被災地の高校合唱部が避難所で「あすという日が」を歌いました。
「あすという日が」 作詞 山本 瓔子 作曲 八木澤 教司
あの道をみつめてごらん
あの草をみつめてごらん
ふまれても なおのびる道の草
ふまれたあとから芽吹いてる
今生きていること
一生懸命に生きること
なんてなんて すばらしい
明日という日がくるかぎり
幸せを信じて
明日という日がくるかぎり
幸せを信じて
私たちは、今、困難に直面する多くの人々の希望の光を絶やしてはいけない。被災地だけでなく、日本はこれから、大きな課題を背負って歩みます。解決に必要な時間は、1〜2年ではない。まさに10年、20年、30年かかるかもしれません。しかし、言うまでもなく、被災地の復興は、私たちの未来です。被災地の復興なくして、明日はないのです。被災地の復興という明日を見つめて、私たちは今を生きていくのです。大震災で亡くなった方々の思いを、そして希望を私たちの心に灯し、明日を拓いていく。そこに日本の明日があるのです。困難に直面する多くの人々の希望の光を絶やしてはいけないのです。
第2の光は、共に明日を拓く働きです。
私は、仕事で、宮古にも、石巻にも、女川にも、松島にも行ったことがあります。仙台で行なった宮城県の仕事は少なくありません。昨年、宮城県内の市町村社協の代表の方々とお会いして、創立を記念する福祉大会の講師をお引き受けしていました。かつて訪れ、共に過ごしたその地が、平穏な暮らしが、一瞬にして奪われてしまったことに言葉を失います。
しかし、私たちは、今、命を与えられているのです。その命を大切に、生きている者同士が支え合い、共に生きていくこと。これが私たちに与えられた使命です。
派遣された自衛隊、警官、消防士、そして全国から来られたボランティア団体、ボランティア、行政関係者、社会福祉関係者等のたくさんの方々が、直面する困難を乗り越えようと現地に集まってきています。兵庫県で水害にあった学校では、被災された人々を応援するために、精一杯、歌を歌いました、また阪神淡路大震災に被災した人々が、支援の募金に立ち上がっています。震災を体験した新潟県は、たくさんの避難場所を提供しました。ルーテル教会も、支援に入り、物資だけでなく、現地と協力して、人材を送り込していくことを計画しています。ルーテル学院も、NPO法人のチャイルドファンドと協働して、親を失った子どもをケアする人々を支援する冊子を近々現地に送る予定ですし、「災害後の悲嘆(グリーフ)の理解と対応」についてホームページに掲載しています。これらの、たくさんの方々の一つひとつの働きが、光です。圧倒的な被害の前に、まだまだ不十分であることは分かっています。だからこそ、これからも、ずっと、それらの光を合わせ、たいまつにし、歩んでいきたい。
さらに、春の高校野球において、阪神淡路大震災に生まれた選手の宣誓は、私たちを感動させました。「人は仲間に支えられることで、大きな困難を乗り越えることができると信じています」「生かされている命に感謝を込め、全身全霊で、正々堂々とプレーすることを誓います。」と被災者に向けて宣誓をしました。
「お金を失うと生活の危機、大切な人やもの、誇りを失うと心の危機、希望を失うと存在の危機」と言います。まず、食料等の物資を届けることは急務です。さらに、親族を失い、働く場を失い、誇りを失い、心の痛みを抱えられない方々への健康や心の支援のために、医師や社会福祉士、精神保健福祉士や臨床心理士、看護師が現地に向かっています。今、私たちは、希望を見失ってはいけない。希望は、互いに支え合うことにより、強く輝きます。被災された人々の心に希望の火を灯すことができるように、一人で生きているのではないことを伝えたいのです。
ヨハネ15章12節には、「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これが私の掟である。」と書かれています。この聖句は、イエスが私たちを愛しくださったという事実から始まります。その愛ゆえに、説得力をもって語られたのです。「互いに愛し合いなさい。これが私の掟である。」と。この意味を、ルーテル学院での学びを通して、理解してほしいと思います。
そして、東門の前にある壁を見て下さい。そこには、ルターの言葉が書かれています。「自分のためでなく、隣人のために生きて、仕える生に神の祝福があるように」という本学のミッションに、今日、立ち返りたいと思います。
改めて、申し上げます。被災地の復興は私たちの未来です。入学する諸君には、ルーテル学院での日々の学生生活と通し、「何をしたいか」「何ができるか」そしてもっとも大切な「何が求められているか」を学んでいただきたい。
今日は、共に明日を拓いていくためにあるのです。たとえどんなに長い道のりでも、共に今日を一生懸命生きていくことによって、明日が拓かれるのです。
2011年度入学式を、「共に明日を拓く」ことを確認する時にしたいと思います。
入学おめでとうございます。
2011年4月1日
2011年度入学式
投稿日 11年04月01日[金] 12:00 PM | カテゴリー: カテゴリ無し,大学関連
小泉八雲の家
熊本市内でラーメン店を探していると、小泉八雲が生活していた家にたどり着いた。ビルに囲まれた公園にある。静寂さと、背中にそっと吹きつけるような冷たい風を感じた。
車窓から
日没は、明日への希望である。三重県の経営セミナーで話させていただき、帰りの新幹線から見えた夕日は、社会福祉施設の将来とともに、いやそれ以上に、利用者の生活が向上し、利用者一人ひとりの喜びにつながるならば、私にとってもっとも大きな役割を担えたことになる。この夕日は、ねぎらいか、もしくは厳しい励ましか、今は分からない。ただ、私に分かっていることは、明日も歩み続けること。
雲のネッカチーフ
高知に向かう飛行機から、富士山を見ると、その頂きに雲がかかっていた。富士山は、その時々に、姿を変える。青い空に囲まれた晴天の富士山。厚い雲に包まれた恥じらいの富士山。そして夕日に照らされた赤光の富士山。それぞれに美しい。梅雨入りも近づく6月の晴天の今日、富士山は、雲のネッカチーフをつけていた。
「日本三大がっかり」
高知に立ち寄った旅人なので、高知ではなにが一般的なのか、生活文化なのかわからない。ただ気がついたことは、「はりまや橋」は、どの地図にも載っている、中心的場所であること。そして乗ったタクシーの運転手のほとんどが、「はりやま橋」の話をすると、「日本三大がっかり」の一つだと付け加える。第1は「はりまや橋」、第2は「札幌の時計台」、第3は「沖縄の○○」だそうだ。私が直接行った場所ではなかったので、沖縄の名前は思い出さない。確かに、20年近く前に高知に来て、「はりまや橋」を見に行った時には、その存在を通り過ぎて知った。でも、今は人工的でも川が流れ、なかなかの風情。そしてその近くに、たくさんのおいしい店がある。その中心が「はりまや橋」である。そして、「はりまや橋」を渡って走ってきた路面電車だと思うが、その電車の行き先の掲示を見て驚いた。その行き先は、「ごめん」。
高知空港の夕日
日本地域福祉学会全国大会が高知で行われた。理事会や特別部会での報告の責任を終え、帰りの飛行機に乗る時、夕日が目についた。とても穏やかな夕日、高知女子大学の先生方の大奮闘と学生の礼儀正しさ、もてなしの配慮を企画や運営のいたるところで感じていたことを思い出した。感謝である。
瀬谷の紫陽花
講演の後、今回の報告者であり、町内会の会長である方に、紫陽花が群生している川辺に連れていっていただく。
確かに様々な色の紫陽花が咲いていた。赤い紫陽花のためには、石灰が必要(アルカリ性の土を酸性にする)で、そうすると紫陽花が青くならずに、赤くなるとのこと。
紫陽花の花言葉は、○○。地域福祉にふさわしいかもしれない。
2003年6月
投稿日 03年09月05日[金] 12:12 PM | カテゴリー: カテゴリ無し,思い出記,旅日記
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