大学関連
しなやかな心遣いは、人と人の関係を和ませます。この閉塞感の時代の中で、先を思い悩んだり、先走って焦たり、すぐ結果を求めがちです。しかし、問題や困難な出来ごとに向き合う中で、ちょうど飴玉を口の中でゆっくり転がしながら味わっていくように、物事にじっくり対応する姿勢が大切であり、その中で、忍耐する心が養われ、心が鍛えられやがて熟練したしなやかな心に達し、希望を導き出すと学んできました。心の健康が大事な時代であります。福祉の変革の時代だからこそ、鍛えられたしなやかな心を身につけて、希望を生み出す働きに共に携わってまいりましょう。 横浜の高山
投稿日 21年03月16日[火] 9:59 AM | カテゴリー: カテゴリ無し,大学関連,社会福祉関連
2021年3月11日にルーテル学院2020年度卒業式が行われました。学長の石居基夫先生はイザヤ書46章4節の言葉を取り上げ、卒業生たちにメッセージを送りました。
東日本大震災からちょうど10年。未曽有の災害により何もかも失ってしまった人たち。自然の驚異を目の当たりにしたとき何もできない人間の小ささに傷を負った人たち。しかしそれでも互いに支えあい、励ましあって生きて来た人たち。神様はその人達に語るのです。「わたしはあなたたちの老いる日まで白髪になるまで、背負って行こう。わたしはあなたたちを造った。わたしが担い、背負い、救い出す。」
震災後、私も学生たちと共に何度も東北に出かけ、震災のあり様を目の当たりにしました。その光景はショッキングなものでしたが、でもその中で今もはっきりと覚えているのは、そこで生きていこうとする人たちの顔であり、言葉です。「立て直す家は近所の子どもを預かれるような場所にしたい。」「これからは全国を回って、このような災害に対する日々の備えの大切さを伝えていく。」途方もない困難にあっても、なお明日に向かって生きて行こうとする人たちがそこにいました。自然を前にして確かに人は弱いが、それでもどのような困難にあっても人は明日を生きていこうとする強さをも持つことを知りました。だから私もそのような人たちに「白髪になるまであなたを担い、背負い、救い出す」という神様の言葉を送りたいのです。
コロナ禍にあって、仕事の面でも生活の面でもまだまだ多くの困難が続く社会に送り出された今年の卒業生です。でも、神様はけっして私たちから離れられません。むしろ困難な時にこそ、なおさら私たちのそばに来て、明日に向かって生きる力を与えてくださいます。チャプレンとして、これからも卒業生を思い起こしては神様の豊かな祝福を祈っていきます。
投稿日 21年03月15日[月] 1:14 PM | カテゴリー: カテゴリ無し,大学関連,教会関連
3月11日、ルーテル学院大学・大学院卒業式を行うことができました。3回に分けての会になり、礼拝堂には、石居学長、チャプレン、そして大学院の時には、福島研究科長、大学の時には田副学科長が同席し、私たちは、別の教室で、YOUTUBEで、卒業生の晴れ姿を見送りました。保護者の方々にも、卒業式の様子が配信されました。
昨日は、東日本大震災10年の日でしたが、彼らを見送って、嬉しくも、何か寂しい気持をもちました。この4年間、僕は、彼らに何をしてあげられたのだろうかと考え、申し訳なさを覚え、新たに社会に巣立つ彼らに、神様のお守りが豊かにあることを、切に祈りました。
卒業式(学長・チャプレン・学科長)
大学院修了式
ルーテル学院大学卒業式
投稿日 21年03月12日[金] 2:53 PM | カテゴリー: カテゴリ無し,大学関連
東日本大震災ルーテル教会救援「となりびと」の支援活動時に、大変お世話になりました市川一宏先生のご依頼を受け、現在、医療・福祉現場で新型コロナウイルスの対応に苦労されている方々に、震災10年を覚えて、ショートメッセージをお送りします。
今年3月11日、東日本大震災から10年を迎えました。その10年を前にして先月には、大きな余震がその被災地を襲いました。幸いにも「となりびと」で支援した方々には物理的な被害はありませんでしたが、その精神的な痛手は私たちの想像を超えるものでした。
宮城県では、この震災で亡くなられた方々に追悼の意を表し、震災の記憶を風化させることなく後世に伝えるとともに、震災からの復興を誓う日として毎年3月11日を「みやぎ鎮魂の日」とし、亡くなられた方々を追悼するため、震災の発生時刻である午後2時46分に黙祷を捧げられれるよう呼びかけられます。特に今年は特設サイト『東日本大震災10年オンライン行事 あの日を学びに10年目に伝えあう』が開設されています。
先日、その10年を前にして、「となりびと」で支援をしていたわかめ養殖をされていた方から、三陸の春の便りである「めかぶ」が今年も届きました。この方は震災時に義理のお姉さんと甥を津波で亡くされ、わかめ養殖のための漁具もすべて流されてしまいました。そんな時に「となりびと」の支援が始まりました。その後、わかめ養殖は再開されましたが、その働き手であった旦那さんが、震災後の心労などにより突然、旅立たれたのです。しかし、その後、毎年送られてくる「めかぶ」などの宅急便には、その旦那さんの名前とその方の名前が並んで印刷されています。それは、彼女にとって、今も旦那さんがいつも一緒にいてもこの震災後の10年も共に歩んできた証なのです。
被災地の方々は、この10年、彼女と同じような思いで過ごしてきたことだと思います。そして、私たちもこの10年、被災地のことを覚えてきました。その証が、「ルーテルとなりびと」http://lutheran-tonaribito.blogspot.com/のブログのアクセス数です。その数は、2021年3月10日現在で375,011ページビューとなっています。
教会の暦では、今、私たちひとり一人の罪を贖われるために十字架へ向かわれるイエスさまを覚える四旬節に入っていますが、その第2主日(2月28日)の日課(創世記)には次のように記されていました。
「わたしは、わたしとあなたたちならびにすべての生き物、すべて肉なるものとの間に立てた契約に心を留める。水が洪水となって、肉なるものをすべて滅ぼすことは決してない。雲の中に虹が現れると、わたしはそれを見て、神と地上のすべての生き物、すべて肉なるものとの間に立てた永遠の契約に心を留める」
私は、その「虹」が、津波によって84名が一度に召された石巻市立大川小学校旧校舎にかかった姿に一度だけ「となりびと」の活動中に出会い、この聖句を思い浮かべました。そして、この神さまの契約が守られるよう祈ったのです。
今、私たちは新型コロナウイルスによって、東日本大震災のように未曽有の大災害に見舞われています。特に、医療現場や福祉現場などで働かれているエッセンシャルワーカーと呼ばれる方々の苦労は図りしれないものがあると思います。
しかし、イエスさまはマタイによる福音書の最後で、その苦労されている方、お一人お一人に次のように言ってくださいます。
「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」
私たちはこれからもこのみ言葉を信じ、被災された方々と新型コロナウイルスで苦しんでいる方々のことを覚え、一日も早い、新型コロナウイルスの感染終息を祈りたいと思います。
みのり・岡崎教会牧師 野口勝彦(元東日本大震災ルーテル教会救援派遣牧師)
投稿日 21年03月10日[水] 4:18 PM | カテゴリー: カテゴリ無し,共助社会づくり,大学関連,希望ある明日に向かってメッセージ,教会関連,災害支援
5年前、熊本地震にあたって教会で私的避難所を運営することになりました。この時、最大40人以上もおられた避難者さんたちの全員が短期間で生活自立を果たし、避難所は45日間で完全解消をなしとげることが出来ました。多くの公的避難所が、避難者さんを別の避難所に移動させ、統合によって避難所を閉鎖していったのに対して、この教会避難所では、避難者さんの全員が、自分の元の住まいを整備するか新しい住まいを確保することによって避難所を「卒業」していかれたのです。避難者さんたちの中には、妊婦さんや高齢者、母子家庭、障がいを持つ方々や外国籍の方など、社会的に困難さを抱えておられる方が多かったことを思えば、びっくりするような短期間での完全解消でした。その秘密は、教会避難所みんなが囲んだ食卓にありました。この避難所では、地域の被災者さんも教会員の被災者や支援者さんも、またボランティアの人たちも、毎食ともに教会のテーブルを囲んで、食卓をともにし続けたのです。食卓をともにすることによって、お互いに不安や心配事をわかちあい、慰めや励ましを受け、相談を受けたり相談に乗ってあげたりしながら、みんなそこで力を得て生活を再建していかれたのでした。その様子を間近に経験させていただきながら、これこそイエスさまの食卓につらなるわかちあいの食卓であるとの思いを強くしました。
聖書の中に、イエスさまと敵対するユダヤ教の指導者たちが、「あなたの弟子たちは手を洗わずに食事をしている」といってイエスさまを非難する場面が出てきます。当時のユダヤ教は、律法を守らない外国人をケガレた存在だと見なしていました。そのため、宗教的な清めの手続きとして手を洗うことを行わなければケガレが食卓に持ち込まれてしまう、と考えたのです。このように、立場の異なる人たちを自分たちの食卓から排除するために律法を用いていくユダヤ教の習慣を、イエスさまは大胆に批判なさいました。「外から人の体に入るもので人を汚すことができるものは何も」ない(マルコ7:15)。むしろ多様な人たちと食事をともにすることによってこそ、わたしたちは理解しあい、支えあう共同体を育んでいくことができるのだ。イエスさまはそのことを、ご自身のまわりに集われる多様な人たちとのわかちあいの食卓によって、身をもって示され続けたのでした。今日のキリスト教会もまた、このイエスさまの食卓の伝統につらなっていることを思います。
ところが昨年来、わたしたちは新型感染症に苦しめられ、食卓を通して励ましあったり、力づけあうことを著しく制限されるようになりました。ともに食卓を囲む場面での会話は、最も避けるべきことだとされてしまいました。礼拝においても、被災地を初めとするさまざまな支援の活動においても、共に食べることを活動の基礎においてきた教会にとっては、本当にもどかしい日々。これまでイエスさまの食卓をわかちあうことによって力をいただいてきたわたしたちは、どのようにこれを越えていけるのか、新しいチャレンジの前に立たされています。思考停止に陥ってフリーズしてしまうのではなく、ウイルスなど怖くないと蛮勇に走るのでもなく、なによりイエスさまが、こうした壁の前に立ってそれを乗り越えて前にすすまれたことを思い起こしたいと思います。
3月上旬。北国では、地面を覆っていた分厚い雪がとけ、少しずつ庭の黒土が顔を見せはじめました。そこでは雪がとけはじめたばかりというのに、すでに小さな緑の草花が芽吹いています。草花も雪の下で時を待っていたのです。あの東北大震災から10年。街も人も、復興は一気にではなく少しずつしかすすみません。新型感染症の影響下、出来ることは限られるかもしれません。それでもわたしたちは、少しずつ前にすすむことが出来る。出来ないからあゆみを止めるのではなく、出来ることから、そして出来る時を待ちつつ力を蓄えながら、多様な者がその場を通して力づけあう共同体を育んでいく。それぞれの場でともにつながりあいながら、そんなイエスさまのわかちあいの食卓を再び興していきたいと願います。
小泉基 (コイズミモトイ 日本福音ルーテル函館教会牧師)
ちなみに、4月中旬、『わかちあいの食卓 熊本地震・教会避難所45日』が、かんよう出版から発行予定だそうです。
投稿日 21年03月08日[月] 3:18 PM | カテゴリー: カテゴリ無し,共助社会づくり,大学関連,希望ある明日に向かってメッセージ,教会関連,災害支援
東日本大震災から10年目をむかえます。私たちの周りでは、この10年で次から次と災害が起こりました。その度に支援活動がおこなわれ、ボランティアが活動し「寄り添い」を実践してきました。今日も熊本球磨村では支援活動が継続されています。コロナ禍の状況のため、いまも泥出し作業が行われています。臨床宗教師のお坊さん仲間が重機の免許を取り、動かし土木作業をしながらそこに生きる人々の命に寄り添っておられます。コロナ禍で働く皆さんと同じように。
3月8日~12日、宮城県石巻・南三陸に行ってきます。10年目の今年、再び現場の苦しみに伊藤文雄牧師と共に身を置いてきます。9日は南三陸の海辺から防災センターへ宗教宗派を超えて追悼行脚をします。それぞれの宗教が自分たちの祈りを唱えながら歩きます。あの時、何もできず泣きながら歩いたことを思い出します。本当につらかった。死臭漂う中に立たされ、祈るしかなかった。宗教宗派など関係なく、ただひたすら雪の降る中、夢中で祈りながら歩きました。宗教者として痛み苦しみのど真ん中に身を置かされた出来事でした。「現場から逃げずに踏みとどまれ。苦しむ人々と共にいろ」。それしかできなかった。しかし「神仏はまさにそこにおられる」出来事でした。その痛み苦しみの現場とのつながりが10年経ったいまもあります。
先週、宮城石巻十三浜から生わかめ、メカブが送られてきました。生ワカメは今の季節のみです。早く食べないと悪くなる。それでも取れたてを送ってくださいました。もう8年目です。「復興したら一番にとれたワカメ送るっちゃね」との約束通り。今年もまた届きました。このワカメをいま私の周りにいる皆さんに食べていただけることが幸いです。このつながりの原点を、ワカメを食べるたびに思い返します。それが「寄り添い」です。
あのとき現場の苦しみから逃げず、そこに必死に踏みとどまった。いやそれしかできなかった。祈りつつ現場の苦しみに身を置いて。十字架の主がそこにおられるから。現場の命に寄り添っておられる方にエールを送ります。あなたの横には必ず神様がいてくださる。祈ってます。
日本福音ルーテル広島教会 牧師 立野泰博
投稿日 9:52 AM | カテゴリー: カテゴリ無し,共助社会づくり,大学関連,希望ある明日に向かってメッセージ,教会関連,災害支援
石川先生を想い会でも感謝の言葉を述べており、ルーテル学院大学からの感謝のメッセージの録画を編集してくれた久津摩さんを紹介します。開拓的な仕事に取り組んでおり、期待しています。
一般社団法人日本地域福祉ファンドレイジングネットワークCOMMNET 理事長・NPO法人日本ファンドレイジング協会 理事/全国福祉チャプター 代表
『地域福祉とファンドレイジング』(編集:宮城孝・長谷川真司・久津摩和弘)中央法規出版、『コミュニティソーシャルワークの新たな展開』(日本地域福祉研究所監修)中央法規出版に論文を投稿
講座のテーマの例:「社会福祉協議会におけるファンドレイジング」「仲間と資金を増やす地域福祉におけるファンドレイジング」
社協における講座の実績:都道府県社協での常務理事・局長会議や管理職研修、専門員研修、市町村社協社協での役職員研修
投稿日 21年03月07日[日] 11:33 AM | カテゴリー: カテゴリ無し,大学関連
2020年12月13日、関西学院大学の藤井美和先生より、私にメールが届きました。その内容は、2021年2月23日に関西学院で「石川先生を想う会」を開催したいので、出席頂けないかとのことでいた。そして、与えられた人生を生き切り、主のみもとに帰られた堂々たる石川さんの姿、たくさんのエピソードを交えて、石川さんを「想う会」としたと書かれていました。
私は、社会福祉領域の教員に相談し、西原雄次郎名誉教授、福山和女名誉教授、金子和夫学術顧問・教授がそれぞれの石川先生との思い出を語ることになり、一緒に録画しました。私たちは、互いに意見を出し合い、話し合い、合意して、ルーテル学院大学・大学院の教育を進めてきました。その意味で、石川先生は、大切な仲間でした。録画を通して、同僚であった石川先生への感謝の気持をお伝えできていましたら、幸いです。
また、原島博先生、卒業生の関根麻美さん、大石桃子さん、久津摩和弘さんがお世話になった卒業生を代表して、思い出を語って下さいました。
石川先生との思い出をお話しすると、つきません。特に石川先生が亡くなられたことをライン、メールで卒業生に伝えましたら、悲しい気持ちや思い出が書かれたメッセージをたくさん受け取りました。北欧の研修旅行のこと、買ったばかりの新車wishに乗って学生とゼミ旅行に出かけ、山が噴火でせっかくの新車が火山灰で覆われたこと等、聞いています。
そして想う会では、卒業生の感謝のメッセージがたくさん寄せられていました。そのことからも、石川先生は、いつも学生と一緒におられましたことを実感しました。それらの思い出は、私たちが困難に直面した時に勇気に変わると、私は確信しています。
在学生、卒業生、後援会、同窓会、教会関係者、関係学校、関係社会福祉法人、幼稚園・保育園、教職員が皆で支え合い、協働して、ルーテル学院大学・大学院の教育を守っていくという伝統の歩みに、石川先生も加わって下さり、特にたくさんの卒業生と一緒に歩んで下さったことを、あらためて感謝しいたします。
ありがとうございました。
文責:市川一宏
投稿日 21年03月06日[土] 11:59 AM | カテゴリー: カテゴリ無し,大学関連
卒業生の鵜澤です。先生方、多くの方々、ご無沙汰しております。今でも私にも声をかけて下さる市川先生の暖かさは、昔から変わらず、感謝です。このような場を設けて下さっていることは、今まで知りませんでした。
NYの岩間さん、せいちゃんこと吉村さん、風の便りで少し耳にしておりました、この場で読ませて頂き、昔の仲間の活躍を詳しく知りました、本当に頭が下がる思いです。いつか会いたいです。お二人に限らず、先生方や卒業生の懐かしいお名前を多数、拝見し、それぞれの場で献身的に働かれご活躍されていることをお読みし、励まされています。ちょっとほっとして何となくうれしい自分がいます。陰ながら応援させて頂きお祈りしています。
私は、高齢者分野を経て、現在は、長らく地域や児童対象の分野で働いています。先生方から教わったキリスト教福祉の実践を自分はどこまでできているのかは疑問ですし、それを探してここまで来ているのかもしれません。病気もしましたし年齢もありますので、この先はどうなりますか。何か私なりにできることを少しずつでも考えていければと思います。
昨2020年7月末に、父が天に召されました。教会から礼拝をもって送り出していただけたのは感謝でした。そこに至るまで、父は高齢者施設と病院の往復でした。一昨年2019年晩秋以降、インフルエンザ、そしてコロナという状況下。ほとんど会うこともできず、職員や看護師の方々を頼りお願いしお任せするしかありませんでした。
私たちはキリスト教の施設を希望していましたけれども、その願いはかないませんでした。ごく普通の地域に根差した施設です。キリスト教でなくても、父を最後まで、父を父であるように、人としてきちんと対応してかかわってくださいました。職員さんに大変感謝しています。
この父に対する対応を通して、キリスト教であるか否か、正直言いまして、私にはその違いや差を感じられませんでした。
かつて先生方からキリスト教社会福祉を学んだ自分として、施設や現場としては何が違うのか、キリスト教でない普通の方々との差は何なのか、施設としてはどうなのか、自分の仕事を含めて、様々なことを考える機会となりました。
このコロナ禍の中で、多様な事を考え対応していかなければならない中で、キリスト者の自分は何をしているのか、未来はどうなのか、どうするのか、どうしていくのか、キリスト教社会福祉とは何なのか、今、あらためて考えさせられています。
2020年3月5日 鵜澤 陽
投稿日 9:48 AM | カテゴリー: カテゴリ無し,共助社会づくり,大学関連,希望ある明日に向かってメッセージ
私は現在、3歳の娘の子育てをしながら、特別養護老人ホームの生活相談員をしています。コロナウイルスの流行で面会制限が続く中、どうしたら大切な人達との繋がりを分断させないようにできるのか、それでも肉体に訪れてしまう最期の別れの時・・・援助者に何が出来るのか自問自答の日々です。仕事人としても、母親としても、心が折れそうな瞬間が何度もありました。
今回、市川先生にお声を掛けて頂いたとゼミの仲間より伺い、恥ずかしながら先生の研究室ブログを初めて拝見しました。そこには、環境は異なっても、それぞれの場で励まし合い、発信し合うルーテル卒業生・先輩方のメッセージが溢れていました。感動しました。私は1人ではない、ルーテルという帰る場所がある、と大きな力を感じました。援助者だって揺らいで当然、清濁合わせ呑んで、それでも向き合ってやる!と気持ちが吹っ切れました笑笑
今、皆様それぞれが、仕事・家庭・学業など様々な環境で困難の中、奮闘されていると思います。皆様の幸せを祈ります。この出会いに感謝します。市川先生、天国におられる石川久展先生ありがとうございます。いつかまた元気で皆に会えますように。N.Sato
投稿日 21年02月21日[日] 8:41 PM | カテゴリー: カテゴリ無し,共助社会づくり,大学関連,社会福祉関連
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